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2 それから、ボリスは途方に暮れた

王都にて

 王宮の回廊を、大股で進む。後ろから、華やかなワルツがボリスの耳に届いた。舞踏会が始まった。

「ドレスが似合っていた。今日はよく喋って、大人っぽくなった。ああ、黒髪には触れなかった。手だって握れなかった。俺は、何をしていたんだ。褒めただろうか?」

 山を背にした王宮には、若葉を纏う爽やかな宵闇の風が山へと抜けて行く。ボリスの呟きも、風が攫って行った。

 王都は北に峻険な山々が連なり、天然の要塞となっていた。空を突くとも思われる山々が、威容を放った。麓には(うん)(りゅう)(しん)を祀る不知火(しらぬい)大神殿があり、人の行き来も多い。隣国との緊張がひときわ高いのが、北の地域だ。

 東は穏やかな丘陵地帯が広がり、王国内全てに繋がる街道が整備されて、商業も盛んな地域だ。

 西には断崖が連なる海があり、複雑に入り組んだ入江が豊かな漁場となっていた。入江の奥にある港は、レスラリー王国の曳航がないと入れないほど潮が荒いが、多くの国が交易に訪れた。

 南の果ての砂漠にはオアシスが点在し、砂の中に忽然と泉があった。泉からは珍しい魔石が採れた。

 レスラリー王国は隣国から()(がた)いが、資源が豊富で往来も多い。東西南北に騎士団が整備され、王都には近衛騎士団があった。

 ボリスは、北部のウルスラウス領の辺境伯で、ウルスラウス辺境騎士団の団長を拝命していた。

 辺境騎士団はレスラリー王国一の騎士団と名高く、五年前に隣国との抗争を治めた。レスラリー王国は優秀な騎士団の下、豊かで穏やかな日々が続いていた。

「今なら、神事が復活できると考えたコニアス国王は正しい。だが、俺にとっては時期が悪い。最悪だ。コニアスの野郎、許せねえ。婚約は余が発表すると抜かした」

 王太子だったコニアス・レスラリーは、五年前の隣国との抗争で、ボリスと共に戦った。三歳年長のコニアスとは、戦友ともいえる間柄だ。

「あの寝坊助竜の野郎が、早く夜会を進めないから、ダンスまで時間がかかりやがった。時間が惜しい。ジェイドが怒ったようだったな。何がいけなかっただろう?」

 ファーストダンスをふいにした婚約者を許すはずがないと思い至り、ボリスは足を振り上げた。

 レスラリー王国の王族は、常に竜の血が濃く現れた者が国王を勤めた。前国王の嫡男だったコニアスは、竜の鱗を背に持つ、立派な竜獣人だった。

 三年前にコニアスが即位し、ボリスは戦功を讃えられた。褒賞を受けた。

「褒賞以外に、婚約に至る道はない。俺には他に選択肢はなかった。コニアスの野郎とも何度も話し合った。だが、今日の事態も、ジェイド嬢には関わりない事情だ」

 肩幅に足を開き、ボリスは腰を低く下ろした。蟹股(がにまた)になった下腹に力を込める。右足を上に向かった伸ばして、僅かに時を溜める。右足に力を込めて地を踏み締めた。

四股(しこ)を踏んでる時間は、ないわよねえ。迎えに来た妾に、礼がまだだわ」

 馬車寄せで腕を組んだ犬獣人は、従姉妹のフローラだ。

「四股は、地中の邪気を踏みしめる神事が由来だ。悪い物を、全部王宮に置いて行く」

「あらら、王宮の邪気を鎮めるの間違いでしょう。人が善いわねえ。そんなボリス閣下が、堪らなく愛おしいわ」

 踏み締めた地が震える。ジェイドは挑むような目をしていた。黒い瞳に、初めて見た色があった。思いが零れた。

「翡翠の色が見えた」

 ぞわりと、毛が逆立った。獣人だけが持つ危険への備えとなる能力を、ジェイドの瞳を思い出した今、感じた。戦場で身を守る能力だ。危険を逸早く察知する獣人は、身体能力の高さも伴い、優れた騎士だった。

「帰りたくない。拙い。このままでは、捨てられてしまう」

 フローラの口が、耳まで弧を描いた。コロコロと笑みがながら、尻尾がブブンッと激しく振れる。

「捨てられろ。妾は最初から反対だったの。ウルスラウス辺境伯家に人間は必要ないわ。滑らかな熊獣人の毛並みの撫でるのは、犬獣人に与えておくれ」

 レスラリー王国には、獣人と人間がほぼ同数いる。

 人間は魔力を持ち、獣人は強靭な身体能力を持っていた。互いの能力を生かし、(こご)る力を(たわ)めるために、人間と獣人は婚姻をした。獣人も人間も、互いに長所と短所を補い、支え合っている。レスラリー王国強さだ。

 生まれてくる子供は、獣人と人間のどちらか一つの気質を受け継いだ。婚姻により人間は魔力が安定し、獣人の身体はより強靭となった。

 人間と獣人は姿が似ている。大きく違うのは、耳の位置と尻尾の存在に髪の質ぐらいだ。鳥獣人は背に翼を持つものもあるが、羽毛の髪が目立つ。また、毛深い獣人が頭から背にかけて毛を靡かせる場合もあるが、稀だ。狼獣人や狐獣人などは、やや鼻筋から顎にかけて発達して前に出ている。美しい姿だ。

 ボリスは美麗な顔で、典雅な身のこなしの熊獣人だ。

 夕闇の瞑色を集めた毛並みで、濃青の瞳は、外洋の凪で、深い底に流れがある海に似ていた。厳しく光る瞳を、優美な顎の線が柔らかい印象にする。

 ジェイドの前では、長い手足が少し持て余し気味になってしまう。

 ボリスは足を踏みしめた。

「考え方を変えなさい。清廉潔白が過ぎて、ボリス閣下は歩く模範だわ。ウラスラウス領の現状で、人間はいらない。ファーストダンスを断られて、泣かない女なんて、可愛げがないわね」

「ジェイド嬢は、愛らしい姿だ。過去を鑑み、未来を展望したんだ」

 確かに、ジェイドには落ち込んだ様子はなかった。ファーストダンスを楽しみにしていなかったのだろうか。引き籠っていたかったとは思うが、夜会には来てくれた。

「視野が広すぎて、今を取り零す。ボリス閣下が情けない。熊獣人の祖となるウラスラウス辺境伯家の名前が廃るわ。嫁なら妾を娶れ。妾が必要だろう」

「伴侶は、ジェイドの他に要らぬ」

「すぐに娶れなかった未熟さに、妾は感謝しているのよ。妾にもチャンスがある。好機が巡る。潮時を見極めるわ」

 尻尾の丸まりを確認して、フローラは満足気に獣耳をボリスに向けた。

「踏み込むな。従姉妹でも許されぬ言い方だ。その唇を縫い付けてやりたい。黙っていてくれ」

 フローラが唇を突き出した。

「唇で縫い合わせてくれるなら、いくらでも差し出すわ。(なま)めかしい糸を引いて、良い眺めだ。こましゃくれたホークハウゼ侯爵令嬢の前で、唇を結び合わせるの」

「褒賞に望んだのは、俺だ。コニアス国王に願い出た。ウラスラウス家の最後の希望なんだ。ジェイドが必要だと、一族の皆が、承知している」

 ボリスとジェイドの婚約には、深すぎる事情が複雑に幾重にも絡み合っていた。

 婚約は戦功の褒賞で、コニアス国王即位の祝いだと理解している王族や貴族がほとんどだ。

 ウラスラウス辺境伯家の事情を知る者なら、五代にわたり人間を娶ることが出来ず、是が非でも人間と婚姻を遂げたい切実な事由を分かっていた。人間が住むには、ウラスラウス領は峻険な山にあり過ぎた。

 麓の雲龍大神殿までなら、人間の行き来も多い。だが、山肌に引っ付いている要塞のウルスラウス辺境伯家の邸は(くま)(ぬし)(とりで)(じょう)と呼ばれ、畏怖の対象となっていた。

「今は、魔道具が豊富にあるから、邸にも人間の使用人が増えた。魔道具で助けられている。ウルスラウス領を、ジェイド嬢は気に入ってくれたんだ」

 フローラが犬歯を剥きだした。

「口を開けば、魔道具を褒めるのね。一族が認めても、妾は反対よ。今だって、弟子の怪我を、直ぐにボリス閣下が確認する必要があるの。急いで帰るわ」

 フローラを馬車に押し込め、ボリスは一人で騎乗した。

「何としても、伴侶はジェイドだ。必要なんだ」

 人間との婚姻ができず、ウルスラウス辺境伯家は、虚弱となった。祖父の顔をボリスは知らない。父も、ボリスが十二歳の時に亡くなった。呪われたように、嫁いで来る獣人の娘たちも子を産むと、早くに死んでいった。短命で、虚弱で、生気がない。兄弟もなく、親族も数えるほどだった。

 ボリスは、先祖返りした強く逞しい熊獣人だった。身体能力が高く、王国の騎士団の中でも一番の槍の使い手だ。五百年の歴史を誇るレスラリー王国でも、ボリスは名を残すと評判だ。

「褒賞も、魔道具も、ウルスラウス辺境伯家の事情も関わりない。ああ、怒っているだろうな。許しを請うなら、何をすればいいのだろうか?」

 途方に暮れて、ボリスは夜を駆けた。



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