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12 引かないジェイドと押せないボリス

辺境には、心地よい風が吹きます。

 朝の風が、稽古で火照ったボリスの身体を宥める。朝稽古を、常にジェイドが見学した。ボリスはジェイドの姿を目で追いながら、稽古に励んでいた。本場所まで残り十日となり、俄かに熊主砦城も人の出入りが多い。

「アニョーが家令に専念出来て、何とか平穏を保っている。リッチー親方が来て、若い力士の稽古も充実している。ジェイド嬢に助けられてばかりだ」

 昨日、稽古場にはジェイドが作った魔道具が運び込まれた。ボリスが両手を広げた大きさ鏡が、東側の天井近くに設置された。四つの小さな手鏡が、天井から吊るさっている。

 大きな鏡は稽古の様子が鏡に映った。膝の曲がりや、腰の高さが自分で確認できる。もともと、本館にあった鏡をアニョーに頼んで運んでいた。鏡の木枠にジェイドが魔石を埋めていた。

「魔道具としては特別変わった所もない、普通の鏡だったな。小さな鏡は覗けなかったし。でも、ジェイドの気持ちが嬉しい。礼を伝えたい。俺の相撲を、もっと好きになって欲しい。俺自身にも、恋をしてもらいたい。もう、恋が始まったかもな。へへっ」

 稽古場の外に、ジェイドの姿があった。話をしているようだ。ボリスは耳を澄ませた。ジェイドの声が楽しそうだ。

「熊のぬいぐるみを抱きしめている。違うな。腕を持って振り回している。熊が、嫌いなのか? 勘弁してくれよ。まあ、俺の方が、毛に艶があるな。負けてない」

「朝稽古をおきばりやしたあ、思ったら、何を覗いてはるの? あれ、ジェイドお嬢様が熊のぬいぐるみを持ってはる。投げそうな勢いで、けったいやなあ。見たままを、正直に話しているだけえ。今日は、フローラは来ておりませんなあ」

 四日前から、フローラが稽古場に来ていた。見学して帰っていたが、ジェイドを追っている視線が気にはなっていた。ポーラも気づいていたようだ。

「父様、母様、おはようございます。お願いがあって、電話しました」

 ニーナが後ろに控えて、メモを取っている。

「電話ってなんでっしゃろ? 覗きはあかんやろ」

 首を横に振る。ジェイドから出てくる言葉は、時折、意味が判然としない。

「あの熊のぬいぐるみは、魔道具のようだな」

「聞かれへんとはしょうもな。へたれやんか。ボリス閣下は、フローラの出入りをきっぱり拒まない。どこまで許しはるのですか?」

 動かないボリスにポーラの目が刺さった。

「ええ、本場所まで残りは十日間です。まあ、ビルヘルム兄様も、頑張っているんですね。前頭筆頭ですものね。近衛部屋ももう直ぐ、不知火神殿に来るのでしょう? 兄様にも逢えますね」

 熊がジェイドの頬に手を触れた。頬を寄せたジェイドが零れる笑顔になる。

「あの熊と、代わりたい。二人の恋が――」

「まだ始まってもおりません。おきばりやす」

 ポーラが肩を揺らして『登る箱』に消えた。

「朝稽古の見学をする人もいます。ほら、リッチー親方の娘さんのフローラさんも来てます。母様が楽しんでいても、私は気にしませんわ。でも、フローラさんの目的は、少し検討が要りますね。まあ、今は抛擲(ほうてき)にします。全ての部屋が揃うのが楽しみです」

 ジェイドが熊を抱きしめた。

 五つの部屋は、各騎士団の名前が付いている。ボリスは辺境部屋だ。王都には近衛部屋があり、ビルヘルムがいる。街道部屋は規模が大きく、所属力士が一番多い。砂漠部屋は若い力士が育っている。親方も数人がいて、稽古の充実が伝わってきていた。海を守る海峡部屋は、強い。

「やはり、騎士の階級が番付に反映されているんですね。では、父様、教えてください。何故、ボリス閣下は大関なのですか? 辺境伯の騎士団長なら、横綱だと思うのです。さすがに、直接は聞けません」

 応じた言葉が、ボリスの喉に風船のように膨れて詰まった。空気が萎んでひしゃげた言葉が、口から這い出た。

「海峡部屋に横綱がいる。一人だけだ」

「負けたんですね」

 ジェイドの声が遠くなった。

 横綱を決める合同稽古で、各騎士団の団長が競った。ボリスはあっけなく負けた。

「立会は悪くなかった。互角だった」

 腕を鉤型に曲げて、脇を締め頭を下げてぶつかり、胸で迎えた。

「互いに『右四つ』だった。でも、組んだ後の引きつけは、相手が強かった」

 右手を、相手の左脇の下に通して下手に差す。左手は上手にある状態の四つに組んだ形が『右四つ』だ。

「一瞬の間に、腕を差し替えられて、()められちまった。『寄り切り』だった」。

 ボリスの差し手は、外側から抱え込まれた。肘の関節を押さえ込んで、動けなくなった。土俵際まで寄られて、右足は俵を出た。『寄り切り』が決まり手だった。

「両腕を『閂に極められた』とは、情けなかった。年だろうか」

 横綱はボリスより若かった。

「素晴らしい取り組みだったのですね。兄様も父様もずるいです。私も観戦したかったですわ」

 風が、ジェイドの笑い声を運んで来た。弾む声が、ボリスの心を慰撫した。

「不知火大神殿で、横綱だったレギオン公爵様とお逢いしました。楽しくお話して、時間があっという間でしたわ。相撲の知識が満載のお話でした。それに、行司のベンジャミンと呼出のグレイとも、仲良くなれそうです。ええ、眼鏡をかけています」

 ベンジャミンの声の良さを、ジェイドが褒めた。

「グレイは腕力がなくても、魔力の使い方に、一日の長がありました」

 ベンジャミンもグレイも、共に相撲の役割を持てずにしょげていたはずだった。ボリスが見た二人の姿は、心が折れてへこんでいた。褒められるとは思えなかった。何をジェイドが評価したのか、考えもつかない。

「ジェイドの周りに人間も獣人も、男が多い。黙っていられない。やはり声を掛けて、問質す。そうだ、俺は婚約者だからな。きっぱり、はっきり、詰問する」

「王宮は、相撲の興業に運営資金は出さないのですね。その方が自由に動けると考えてのですね。でも、せめて優勝者への褒賞金とか優勝の杯とか、考えて頂きたいです。父様もお判りでしょう。お金は作れば良いんです。」

 ボリスの足が止まった。

 ジェイドの言葉が風と一緒に流れて行く。ボリスを置いて、過ぎていく。

「私は、王宮には貸しも沢山あります。神事なら相撲は誰にでも開かれるべきです。平和を願う。戦いを起こさせない。相撲を見た誰もが、互いに今を喜ぶのです。ええ、父様の仰る通りに私は大人になりました。発言もします」

 熊が頷いている。腕を振り上げ、上に向かって何度も突き出していた。

「相撲に限らず、肉体を使ってルールに則って互いに競い合う姿を神に捧げる。そもそもは、神事でしょう。貴いんです。魔道具があれば、レスラリー王国の全土に、相撲を届けられます」

 ジェイドが大きく息を吸い込んだ。

「父様には、王宮で、謁見をお願いしてください」

 熊のぬいぐるみを見詰めるジェイドの目が、翡翠の色を帯びた。

「ええ、明日で問題ありません。父様に魔法陣を補助して頂ければ、私は熊主砦城から魔法陣で転移します。お逢いできるのは久しぶりですもの、楽しみです。待っていて下さるかしら」

 ボリスの全身の毛が、逆立った。

「母様たら、ニーナが用意してくれています。ドレスはあります。しっかり準備を整えて参ります。そうそう、伝えていませんでした。ブラックパールが出来ました」

 コニアスと向かい合うジェイドの姿が、ボリスの前に浮かんだ。コニアスの手がジェイドの頬を撫でた。

「コニアスの野郎、許せねえ。美しいジェイド嬢の姿を見るとは、我慢できねえ」

「見送れは、出発の前に見られます。すみません。隠れてるのが下手で、声を掛けました。コニアス国王より、先にジェイドお嬢様の姿を愛でる時間を取りましょう」

 ボリスはニーナに必死で首肯を繰り返した。


お読みいただきまして、有難うございました。

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