98話 湯煙を抜けて
領事館より古流な様式だった。
かと言って一目で荘厳に感じるのは、趣もさることながら、良質な機能性が見て取れるからだ。
「これは、立派な……。」
ワイルドが歎称の声を漏らす。
装飾も壁面素材の加工も、屋根の排水機構も。全てが洗練された様式。
三階建ての母屋だけでなく、門構えの作りに至るまで。
新しいものだけが優れているとは限らない良い例だ。
同様の物はアザレアの内外に問わず点在する。大抵は国家の下、文化財として管理されていた。
「確かに、これで私邸扱いか」
メイド長とは別の感慨だ。
オダマキ卿が受ける王家の信頼の現れだ。今回の人身御供の役を買うのも分かる。
三代目勇者がもたらした、今や魔大陸でしか見ない建築技術の推を前にすれば、頷くしかあるまい。
「お待ちしておりました」
黒服の青年が正面玄関で一礼する。やべ、本物の執事だ。
何か言いたげな視線で、なんちゃってメイド二人を見る。ましてや片や妖剣を引っ提げてるんだから、いたたまれない。
「どうぞ奥へ。お食事の前に、体を清められては如何でしょう」
スマートな身のこなしで案内してくれた。
これだよ、これ。
私邸の中庭から離れの大浴場へ向かう。
敷地に温泉施設を完備してるんだから、もう。
「都市財政の立て直し、大幅な予算を要するだろうがな。ラァビシュの浸透はむしろ利用できるだろ。どうせ領政、財政の復興支援が通るのに時間は掛からない手筈だ。なら侵略行為は領主支持層を強固にするのに都合がいい」
「あれ? 俺、いいように扱われてる?」
このまま世話になっていいものか。
今が一線を引くタイミングじゃ……?
「懇意にして悪い相手じゃねーよ。見定めるなら今からでも遅くはないだろ」
「相応の見返りは期待できるってことか」
「テメェだって、いつまでもふらふらしてる訳に――いや、やめだやめ。追放者の将来設計だ。俺もクランも関与する気はねぇよ」
ああ、アレか。今更戻ってこいと言われても、ってヤツか。
それにしても、今回は学ぶべき事が多すぎだ。
キバナジキタリス氏。オダマキ卿。センリョウさん。ワイルド・ベリー。
立場も違えば守るものも一線を画する。
街であり都市であり、領地であり、組織であり、そして家族。
それはジキタリスの冒険者達だって。
虚偽で改竄されたクエストであるなら、彼らもまた。
森林都市に巣食っていた共和国の工作員。
領都を侵食したラァビシュの侵略者。
国と民を守ること。
「遠いな」
ふと呟いた。
「あぁん?」と意外にもワイルドが反応した。
サザンカもクランもこちらを見ている。
「ううん、大した事じゃない。ただ、魔王の玉座まではまだ遠いなって」
魔大陸の魔族を統べる魔王。冒険者なら誰もがその攻略を思い描いたはずだ。
グリーンガーデンもまた。
……それが内二名は女装メイドだもんな。
そりゃ遠くも感じるわ。
「ほんと遠いな」
同じセリフなのに全く違う感慨だ。
「あぁん?」と髪をアップにしたワイルドが反応する。
「いや、なんていうか、俺の知ってる男湯と極めて乖離した光景に郷愁めいたものを禁じ得ない」
何言ってんだこいつ、みたいに睨まれた。
いやだってこれ。
さっきまで美人メイドだった男がいる。聖女様と呼ばれた男の子がいる。その子に引けを取らない少女士官と見間違えた子が居た。
端端で燃える篝火の灯りが、乳白色の湯煙と彼らの白い肌を反射する。
うん。
俺の知る男湯となんか違う。
「いや、諦めた。ほら二人とも、ちゃんと肩まで浸かるんだよ」
きゃっきゃうふふする二人の肌が桜色に紅潮する。
……本当にここ男湯だよな? な?
「どうしたんですか?」
すいーっとコデマリくんが寄ってくる。
昨夜、お互い色々と作りとか確認しあって一応の決着を見たとはいえ、蒸気に濡れる髪とか細い肩とか見ると、なんていうか、こう、ね?
「いや、世の無常を噛みしめてたところだ――君たちこそどうした?」
岩辺に腰をおろす俺たちを、ボーっと見上げてくる。
湯当たりでもしたか?
「なんていうか、サツキさん達……。」
「うん、綺麗……。」
は?
何言ってんだ? 君らの方こそよほど色っぽいよ?
「お二人とも、艶かしいというか、艶っぽいというか」
ソレどっちも同じだからね?
「おいメイド長。お前がメイド長なんてやってるから子供達が変に意識し出しただろ」
「あぁん? 新人メイドがスカートおっぴらげやがったからだろうが。少しは慎みを覚えやがれ」
「お前のスカートだって下から丸見えだったんですーっ」
「テメェ、あん時見てたのか!!」
足で湯を蹴ってきやがった!?
何しやがんだ!!
ていうか、ソレほんとに男の脚か!?
「お前こそ!! 俺に剣先挿入してきやがったくせに!!」
負けじと足で湯を蹴る。
カサブランカじゃ妖剣弥生で刺されたんだよな。
「あん時はテメェで刺されにきたんじゃねぇか!!」
パシャ!!
「お陰で女神たちの部屋にトン出たんだぞ!!」
パシャ!!
「だったらもう一回味合わせてやるよ!!」
パシャ!!
「今度はお前を送ってやんよ!!」
パシャ!!
少年達が見守る中、見苦しい姿を晒す先輩冒険者が居た。俺たちだ。
「これが本当の水掛け論、いえ、お湯かけ論ですね」
コデマリくん。無理に上手いこと言わなくていいんだよ?
その横で、ガジュマルくんがキラキラした目で見つめていた。
「まるで女神様の戯れを見ているかのような……。」
この大人気ない醜い争いがか?
あと女神って、言うほどいいものじゃないぞ? 割と欲求不満を持て余してたよ?
「ちょっとぉ、男湯で何が起きてるのよ!! クランが鼻血出してるじゃない!!」
竹を組み上げた壁の向こうからサザンカの当惑した声が反響した。
「いや、リーダーがあまりにも綺麗だったから、ついはしゃいでしまった」
「あぁん? テメェの方こそ湯煙に艶麗な姿浮かべやがって」
「何だよ」
「あぁん?」
「ちょ、ちょ、そういうのはいいから!! 『あんたの方が可愛いんだってば馬鹿!!』みたいなのはいいから!! クラン!? 気をしっかりもって!! だからどうしてふらふらと男湯へ行くの!?」
「どんな事態になってんだよ!?」
「だから、この子がむっつりスケベだって知ってるでしょ!! あんな会話聞かされたらネジの一本と言わず10本ぐらい余裕で抜けるわよ!!」
酷い言われ方してんなぁ。
「せ、せめてタオルくらい巻いてよ!! え? この向こうでシャングリラが待っている? 待って無いよ!? これで待ってるのなんて、せいぜい覗き魔って名の犯罪者のレッテルくらいよ!? あ、ちょ、全開のままよじ登ろうとしないで!! 他のお客さんにも迷惑だから!!」
「そっち他にも利用客いらっしゃるのかよ!?」
「なんかこげ茶色のしましまでもふもふのまん丸い子が、源泉の掛け流しを堪能してるわ!! え? 何この生き物? あ、うん、バンザイするのね」
ユリじゃねーか!! あいつ、雌だったの!?
「幻獣・鵺だ。人に慣れてるから無害だよ」
「あんたの知り合いなワケ!? あ、いつもうちのサツキがお世話になってます」
「どういう状況だよ!! つか俺、お前らに追放されたよね?」
「それよりクランよ!! こら、お待ちなさいって!!」
付き合い長いのにこれほど取り乱す彼女達は初めてだ。
「お前の妹、ここまで酷かったのか?」
「テメェがサザンカをくんかくんかしていた後ろで、テメェを人知れずくんかくんかしていたが、堂々と男湯に乗り込む勇気は無かったはずだぜ。あいつなりに覚悟を決めたんだろうさ」
……いや、もう、いや。
その時、
クランを制止するサザンカの声が悲鳴に変わった!!
「どうした、大丈夫か!?」
「あたし達は大丈夫だけれど……さっきの動物が!! あの変な生き物が!!」
ユリか!!
「何があった!?」
「打ち湯を堪能し始めたのよ!! なんなのこの子!? あ、バンザイはするのね……。」
そうか……みんな自由にするか。
「そういや、その子が人間を捕食する所、見たことが無いな」
「怖いこと言わないでよ!! ほーら、クラン? もふもふよ、こちらにおいで?」
「温泉でもモフ味は損なわれないのか」
「毛が水を弾くのかしら?」
「あの……いいですか?」
コデマリくんがおずおずと会話に混ざる。何か言いにくそうだ。
「鵺って聞こえましたけど、その……伝説の幻獣?」
「元々の主人だった女の子からそう聞いただけで、本当に鵺なのかは断定できないが。どうしたのかね?」
「別名、雷獣の?」
「「「「「……。」」」」」
「退避!! 総員緊急退避!!」
コデマリくんとガジュマルくんを両脇に抱えて温泉から飛び出した。
アイツが実際に雷撃を放つ所なんて見たことないけど、ひょっとして今、全滅の危機だった?




