93話 海老
「だったら一つ、教えておくわね」
「え!?」(ドキドキ)
思わずきょどる。あ、ため息つきやがったな。
「何考えてるのよ。あんたがカサブランカでした仕打ち、忘れないんだから」
さっきまで人の顔に蒸れたブーツを押し付けてた奴が仕打ちとか言ってるよ。
「俺も追放された日のことは胸に刻もう。決して消える事は無いと知れ」
「ああでもしなきゃ収拾つかないでしょ。あんたがあたしに告白なんてするから」
「告白!? サツキさん、お姉さんとそういう仲だったんですか?」
「フラれて翌日には追放を宣告された上、仲間の女魔法使いからは脱ぎ立てのパンツを嗅がされた仲だ。色っぽい話でも無いよ」
「うわぁ……うわ? んん?」
だよな。そうなるよな。
「朝ならまだいい。夕月夜――即ち一日中穿いた匂いと汗が染み付いた頃を狙ってだ。文字通り大禍時と言えよう」
「その魔法使いさん大丈夫なの!?」
だよな。普通そうなるよな。
「しかし収拾とはね。お前らの都合だな。人を巻き込んでおいて正当化できるもんだ」
「だって……そういう風にね、拒絶だってして見せなきゃ。勘弁して……あの時点であたし達は、もうパーティとして限界だったのよ」
俺の知らない所で存続の危機だったのか。
そうか。結局は俺だけが。
「そりゃ目の前で嫁入り前の娘がパンツ脱いでたらパーティ存続も危ういか……。」
「それ、お嫁さんに行ってからでも危ういと思います」
むぅ正論を。
「えぇ、そうね。むしろ複雑になるわね。だからよ」
だから脱ぎたてを嗅がせるのはあの時を置いて他になかった?
理由、想像がつかないわけでもないけど。
それで俺に配慮しろっての違う話だろ。呪いに関しちゃ一方的な被害者だと断定できる。
「それで? 伝えたい事はそれだけか? ここまでだな。今後は関わり合わない方がお互いのためだ」
多分、俺は放っておいて欲しかったんだ。
「待って。ベリー領軍の前線指揮はクランよ。本当なら聖女様を捕縛した教会を襲撃してこの子を保護する役目だったの。二人にこんな事を言えた義理じゃないけど、あの子の敵にはならないで」
彼女のセリフを聞いて、多分、俺は困った顔をしていたと思う。
サザンカにあるまじき悲痛な言葉だった。
この二人。教会側の思惑とベリー伯の計画を利用したな。教会の両派閥の共倒れが狙いか。
発端は幼少の頃の事件。彼女の父、旧代の教会騎士長の地方領左遷あたりかな?
結局俺は何も応えず、彼女に背を向けた。
逃げたくて仕方がなかった。
「待って!! ちゃんと答えてよ!!」
食い下がるな。我を通そうとする。
彼女の尊敬すべき点だけど、今は泣きごとにしか聞こえない。
「お互い、邪魔しないって事でいいだろ?」
「そんな言い方ってないでしょ。じゃあ、じゃあ……支援してくれたら、あたしのこと、好きにしても、いいわよ?」
「俺に何のメリットが?」
自分でも怖いくらい、
冷たい声だった。
「え? メリット?」
俺の拒絶が伝わってないのか、きょとんとする。
「あんなにあたしのおっぱいとかお尻とか見てたのに?」
「……すまんのう」
「いいって事よ!!」
おっさんみたいに「がっはっは」と笑う姿もチャーミングだ。
できれば、もう顔も見たく無かった。
「君は尊敬できるが、今は嫌な女だよ」
「何でよ?」
て、食い下がるな。
「好きにしてもいいだなんてさ。告白されて振った相手に残酷だってわかれよ」
「馬鹿ね。あたしの気持ちはとっくに伝えてるでしょ」
「え? 嘘、まって、ちょっと回想するから――。」
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『おのれサツキ!! あたしが欲してやまないクランのパンツを!! おのれー!!』
鬼のような形相でワイルドの頭を絞めていた。
~~~
「――って、俺、命の危機だったの!?」
「どこ回想したのよ!!」
退路を探る。
建物の構造と近辺の路地と、教会騎士の進行状況を頭の中で重ねる。不確定要素はベリー領軍だ。というかクランだ。
彼女一人ででも戦局がひっくり返える。
曲がり角から名前を呼ばれた。
人影。手招きするのは童顔の若者だった。彼もオオグルマで見かけたな。
「君達はどんだけ入り込んでるんだよ」
「へえ、前任の者達は大分退庁させたんですけどね。私どももすぐに、へえ」
クレマチスの丁稚くんは申し訳なさそうに頭を掻いた。
それから小声になり、
「ベリー領のお貴族様が表立って出てきたんですよ。サツキの旦那には優先してその事をって」
重要な情報なだけに、既に会っているとは言いずらい……。
「あー、後ろだての貴族は聞いているな。指揮を取っているのは領主本人じゃないんだな?」
「へぇい、そちらはご子息と御令嬢とで」
奴め。あんな格好をしてまで現場に出て来たわけだ。
そしてクランか。
サザンカに虚偽は無かった。
「了解した。彼の計画に乗るのは気に入らないが、このまま使わせて頂く。他の丁稚がいるなら撤退させな」
「どうぞご武運を」
センリョウさんに何を言われたのか知らないけど、こちとら逃げるだけだ。
丁稚くんの背を見送る。
すまんね。
火事場泥棒は性に合わないんだよ。
「どこに行くんですか?」
サザンカとの件で無様を見せても、彼は軽蔑する風でも無く着いて来た。
「……見晴らしが良い所」
センチメンタルじゃないよ?
偽監査官だって動向が読めないんだ。教会騎士とオダマキ勢とベリー伯軍が決着を付けに来るなら。脱出ルートの試算はそれからかな。
領事館の離れに回り階上へ進んだ。
「今のサツキさんは、あまり好きじゃありません」
石組の階段を登り切った所で、隣で少し早口に言ってきた。
咎められてるのかな?
内心苦笑いしながら、正面の楕円形の扉に手を掛けた。
「青い鳥症候群にでもさ、そんなものにでもなれたら楽だって自分でも思うよ」
我ながら感情の無い声だな。
意外にもコデマリくんは唇を尖らせた。
「頑陋ではないって言い張るのに、あんな態度じゃ、お姉さんだって意地も張りたくなりますよ」
「だから望んだ通りにしてやったんだよ」
扉を開ける。
玉蜻夕空の薄茜が差す中で、
眼前の街並みは空に落ちるような景観で迎えていた。
領事館に隣接する塔の屋上から、メインストリートを中心にオダマキ市の街並みが一望できた。
正面から、サザンカを先頭にした教会騎士が押し寄せる。合流、早いな。窓から飛び降りて直進したな。
オダマキ側は緩慢に感じる。防衛に回るはずの領軍や衛兵隊が目立たない。
クレマチスの工作だけでここまでスムーズなのは不自然だ。だったら背後に居るのはここの領主か直轄か。
まさかの四つ巴かよ。
……いや、ならないからね? 第五勢力とか。
不意に、
左手の倉庫が破裂した。
内側から粉砕されたレンガが、花びらのように夕空を舞う。
これを合図に、次々と異変が起きた。
砂塵の影から現れた巨大なシルエットは、人間の形に見えた。赤黒い筋肉の隆起。逞しくも美しいプロポーションだ。
だが、異質だ。
4メートルもある巨体の上にあるもの。エビだった……。
顔がエビなのではない。
頭部がまるまる一匹のエビなのだ。
「えー……。」
コデマリくんも驚嘆の極地である。
さらに異変は留まる事を知らなかった!!
巨影の背後で、にょきりにょきりと同様のシルエットが起き上がる!!
全部エビ!!
巨大エビマッチョが5人グループになった。何してくれてんだ?
先頭の一体の肩の所。
お前だよお前。勝ち誇ったように街並みを見下ろす偽監査官。
よし取り合えず撮影しとこ。
執事長から託されたのは、通した光景をパリティに分割エンコードし記録・投影する装置だ。「魔導具」って名が付けば何やったって許されるんだから都合がいいな。
被写体への距離と音声設定を調整。よし、レンジに入った。
オダマキ市の三箇所に掲示された街頭ビジョンに、今俺が撮影した光景がリアルタイムで処理される。
『ちょっと何よそれ!!』
教会騎士団の先頭を独走するサザンカの声まで拾っていた。
音声収集装置はこっちじゃないな。
どこだ?
あ、あの街灯にあるの、そうか。
よく見ると領事館のあっちこっちに仕込まれてる。誰の仕業なんだか。
サービスだ。サザンカも写してやろう。
っと、駄目だ。
街頭ビジョンの周りで黄色い声援が上がった。くそ。やっぱ可愛いもんな。ていうか何で女子からの声援が多いんだ?
被写体を偽監査官に集中して、と。いかん、すさまじいブーイングが……。
『ふはははっ、見よ!! これぞ領都の予算と国家支援金の大半をつぎ込んで生み出した我々の最高傑作!! エビメラだ!!』
『エビのキマイラってわけね!!』
……待って。色々追い付かないのにどうして君は理解が早いの?
『このキメエビが量産された暁には、この国は本来の持ち主であるラァビシュに平和的に返還されるであろう!!』
呼び方変わってんじゃねーか!!
「何してくれとんじゃ!!」
ビジョン前に集まった大衆が激昂していた。
「ふざけんな!! 俺たちの税金をなんに使ってやがるんだ!!」
「こんなくだんねー事の為に増税してたのかよ!!」
「わたし達の生活支援は嘘だったの!?」
「市井にだってな食うに困る連中は居るんだ!! だったら補助が先だろって話だろ!!」
「本来の持ち主って何だ!! ここはワシらの先祖が必死に守った場所だぞ!!」
「そもそもお前、何なんだよ!? 何勝手に俺たちの領税使い込んでんだよ!!」
民衆の言う事はもっともだ。
でもね。
こうなる前に誰か止めろよ?
『貴様らぁ!! 貴様らの発言は著しく差別を含む!! こんな国の人間だからすべからく粛清されねばならんと何故わからんのだ!! さぁ詫びるがいい!!』
ガコンと先頭のエビの口元が上下に開く。
にゅにゅーと砲身のような物が迫り出した。
「ちっ、とち狂ったか!!」
街頭ビジョンから待避をアナウンスしようとした瞬間、巨大エビの砲身が光った。
塔の上からでも急速な生成熱が分かる。
「駄目だ、全員そこから逃げろ!!」
俺の音声情報が広場に響いた瞬間、人々に向けて閃光が走った。




