84話 追いかけて来た縁談
ゆっくりと一歩一歩と。段を踏みしめる姿は、闇が手足を得たように艶麗で、それこそ魔王の降臨を思わせた。
夜会服に黒いマントを羽織り、両腕の中で抱き上げられた輝きは、純白のドレスを着せたマンリョウさんだ。
不謹慎にも彼女を美しいと思った。
白い光沢の布地が、健康的な褐色の肌を際立たせてる。あぁ、シャンデリアの輝きすら霞む瑞々しい少女の玉肌よ。
その眠りを守るが如く歩みを進める黒衣の王よ。
「来てたのですか」
俺の小さな呟きに、「無論だ」と良く通る声が返した。
「オレの大切なサツキくんを敬慕した可憐な花だ。疎放など許せるものか。生憎、破れた服の代わりは手持ちのものですませたがね。次からはドレスに合わせた靴も用意しておくべきかな」
甘い声とマスクに一瞬、トクン、と高鳴る。
あと、次なんてあってたまるか。
対して名士は、耳まで紅潮し彼を指差した。恐れ多い。
「な、な、なんだ、お前は!! 二階に居た兵達はどうした!!」
一瞬、ギロリと階下の名士を睨んだが、直ぐにつまらなそうに眼を伏せる。
「さてな。床と壁にいくつか染みがあるから――と言いたい所だが、時期目を覚ます。聞いてみるがいい」
オオグルマでやったアレか。確か、影縫い。
「命に別状は無いと捉えていいのだな!?」
「お前の態度次第といった所か」
冷気の纏わりつく声に、名士が顔を真っ赤にしながらも口元を安堵に砕くのを見た。
そうか。
自分の兵や部下の身を安じるタイプか。
「おのれぇ!! 他の者はどうした!! 出合え!! 出合え!!」
奴の号令に、待ってましたとばかりに兵士どもがフロアに雪崩れ込んで来た。ちゃんとドアから。
だが憐れな。
飛び込んで早々に、絶望的な舞台に悲鳴を上げる。
武器を落とすもの。尻もちをつくもの。恐怖に固まるもの。なのに名士の怒号が逃げる事を許さない。
蒼白になった瞳に写るもの。
青騎士が居る。
赤騎士が居る。
鵺と灰色オオカミの群れが雇用主に纏わりついてる。
……。
……。
これ、ほんとどうするんだ?
そして俺の横では、兵士以上に動揺する気配があった。
「パ、パパが、知らない女の人を、お姫様だっこ、して……? ど、どうしよう、どうしたらいいの? ママ達に何て報告すれば……?」
尋常じゃない震えかただ。
「最悪……アタシの祖国が……滅ぶ!?」
どうなってんだよお前の母親は!!
「シア姉ぇ、かくなる上はやるしかない」
青騎士が物騒な事を言い出した。
「……やるって?」
「観測者が居なければあるゆる事象は存在を許されない」
「それって」
「――皆殺し」
「待てや!! それ俺も含まれてるよね!?」
「むしろメインディッシュ?」
「何でだよ!?」
「ごめんなさいサツキさん。この子、特殊性癖だから」
「君は君で、どうして因果を含めようとしてんの?」
「妻が出て行って館もすっかり寂しくなったかと思えば、なかなか賑やかだな!! おのれ!!」
「オメーは何でうちのユリをモフってるんだよ!?」
「このキバナジキタリス!! もはや動物と心を通わすのに何の躊躇いも無いわ!!」
「だったら奥さんと心通わせとけよ!!」
「あの? この場合、我々はどうすれば……?」
「ならば貴官らの相手はオレが勤めよう。なに、両手が塞がった今なら付け入る隙もあるかもしれんぞ?」
「サクラさんまで!! 戦意がないの分かるでしょ!! 今はマンリョウさんの安全を優先させてくださいってば!!」
「父。どうしてもその女を離さないというのなら、母に報告せねばならない」
「そ、そうね法典宗は大事よね」
「お前はどこの宗派だよ!!」
多分、ホウレンソウって言いたいのかな?
赤い鎧が突き出した右手に摘まれた和紙が、息吹の歓喜と共に鳥の形を得る。
伝達にも使えるんだ。
いやこれ、戦術に使えたらアドバンテージが段違いだろ。哨戒偵察に加え、変化する戦況と情報を統合し評価した上、即時指示が出せるんだもん。
「散ッ」
あ、サクラさんの眼光だけで四散した……。
対策あるのか。広まらない訳だ。
「何よ今のは!!」
赤騎士も知らないのか。
「そもキンセンカに伝授したのはオレだ。どこで習得したかは知らんが、一目で見極めぬ道理はあるまい」
「あるまいって……お姉様の事、そうまでお嫌いになるの? 義妹様ではなくて?」
「あの変態を実妹にした頃があれば毛嫌いもしよう」
階段の頭上からの声は、張り上げてもいないのに不思議とフロアに通った。
この人、声そのものに力があるタイプなんだよな。
「術ならオレに習え。アレがオレに気付かぬのも嫁に出て行ったのも幸いであった」
サクラさんにそこまで言わせる女か。ろくでもないんだろうな。
見も知らぬ女に眉を寄せると、サクラさんの視線に気づいた。
あれ? 何で申し訳なさそうなんだ?
「君の前で貶すような事は言うものでは無いね。オレ以外には素晴らしい女性と訂正しよう」
この人はいつだってそうだ。俺の前では言葉が砕ける。鎧の騎士が二人、父と仰ぐ人物が。
……。
……。
「え? パパ?」
「何よ? いいじゃない」
赤騎士が拗ねたように身じろぐ。
……いや、いいんだが。
「マンリョウさんは無事なんですね?」
「眠らされただけだな。オレの術ならいつでも中和できる」
「助かります。なんてお礼を言ったら」
「なんのなんの。時に、以前も提案した議題だがどうかね? オレには器量のいい年頃の娘たちが居るのだが」
「何故今その話をしようと思った!?」
「器量のいい」「年頃」
赤騎士と青騎士が甲冑の頬に手を当てふるふるしていた。少し怖い。
「父。その提案は是非進めるべき」
「アタシの調べでもサツキさんの好みは年上とあるわ。八割がた条件はクリアしてる」
俺の八割はどうなってんだ?
「あどけなさが残る姉さん女房と」
青騎士が変なポーズをとる。
「大人の色気の姉さん女房」
赤騎士も妙なポーズをとる。
「「どっちッ!?」」
「お前ら俺の八割をどうしようってんだ!?」
あと、幻獣が一緒に変なポーズをとっていた。
その隣で呆然としていた名士だが、はっとある事に気づく。
「君……君も年上好きだったのか!!」
「知らねーよ!!」
「同志よ!!」
勝手に仲間にするな。
その時、フロアの反対側の壁が破裂した。
今度は何だ? シチダンカでも来たか?
「あ、あの、名士様にご報告したい事が、御座います……。」
事務服ではない。綺麗に正装したナツメさんだった。
って、ナツメさん!?
「何かね?」
壁を破って出てきた事は咎めない。キバナジキタリス――諦めがいい男だ。
「えぇと、その、私は木工芸商会で経理を務めさせていただいてる者ですが」
「君がそうか。報告は受けている。有能な事務方は引くて数多だからな」
「あ、いいえ、私なんてそんな」
「よく見ると可愛らしいお嬢さんだ」
「あ、いいえ、私なんて――って、えええっ!?」
「失礼。博識に仕事ぶりにと如何なく才を放つと聞いたが、これほど愛らしい人とは思わなかった」
「あ、あ、あ、いらし、い!? そんな、私なんて名士様よりもずっと年上でもうオバサンだしそんな可愛いだなんて言われるような!!」
軽く膝を折り彼女の手をとる。
余りにもスマート過ぎて、
誰の目にも、そうする事が自然に見えた。
「ワタシと結婚して欲しい」
「ぴゃ!?」
ナツメさん何その鳴き声。
そして俺たちは一体何を見せられてるのだろうか。
ナツメさん、すっかり固まってしまったな。
静寂を破ったのは、無関係な青騎士だった。
「出会って即求婚。この男、やりおる」
うんうんと頷いてる。
「誰かさんも見習って欲しいわね」
赤騎士、何で俺を見る?
それ以上にサクラさんの視線が熱い。
「え、えぇと、ナツメさんは何か報告に来たんじゃ無いの……?」
意識を向こうに逸させる。
果たして通るか――。
「あ、はい!! あの、木工芸商会の所長が、夜逃げ、いえまだ昼間ですが、とにかく都市外に逃走しました!! それも名士様の奥様と!!」
よし通った!!




