59話 褐色の女豹
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で、その褐色の女豹は、しゃがみこんで両手で顔を覆っていた。
こちらに背を向けているが、耳まで染まってる。
「うぅ……売り言葉に買い言葉だったのよ……もっとこう、ムードとか大事にしたかったのに……。」
あ。半分泣いてるな、これ。
「大丈夫。そうやって己を律し省みる貴女なら、これからもきっと大丈夫だ」
根拠のない慰めを掛けるが、本当に大丈夫なのかと問われれば、首を捻らざる得まい。
「とにかく、貴女の安全に関する対策でこちらは一切妥協するつもりは無いと心得て欲しい。同道する条件の最優先事項だ」
うっかり同じロッジで寝泊まりして、また削除警告とか凍結騒ぎになったらこっちが泣きたいからな。
「なんだか、自信を無くすわ。今までお付き合いした事さえなかったのに、もう凋落してしまったのかしら。それとも肌の色が受け付けなかった……?」
しゃがみ込んだまま、チラリとこちらを見る。
「俺と数歳違いでしょ。むしろ絢爛だから近寄り難いってのはあるな。肌についちゃ、まぁ健康美溢れて素敵だと思うよ」
ボン、って茹で上がったように頬に血が登った。お互いにな!!
でもさ。ここで言わなきゃね。不自然なんだよ。
「貴女はご自身が思っている以上に窈窕でありながら愛らしい。今の問いにも、朝露に濡れる黒い薔薇のように輝いて見えると答えよう。だからだ――。」
人が話してるってのに、また顔を覆ってフルフル仕出した。
「おい、聞いてるのか」
「……む、無理」
何?
「……そんな風に……言われたこと無いから……無理!!」
「無理じゃねーよ!! 聞けや!!」
これ以上、何を企んでるのか。急な傾慕のような振る舞い。懸想される要素が無いんだよ。
なら、このまま勝っ手をされちゃあね!! さぁ、洗いざらい吐いてもらうぞ。
手を掴んで体を起こさせた。
抵抗もなく、
彼女の上体がぐぅんと引き上げられた。
玉かぎる仄かな夕陽が茜色に差す中で、
更に紅潮した顔が間近に迫り、力なく止まった。
もう関を切りそうな瞳と目が合う。
至近距離――。
視界の片隅で、ユリがめっちゃでんぐり返しをする姿が映る。何やってんだ? 目の前の潤んだ美貌よりも、そっちが気になって仕方がない。
何!? ついに前転しながら周囲を回り始めただと!?
自転と公転。
コイツが表現するのは、まさか――宇宙!?
この時点で吹き出しそうになるのを堪えていた。
目の前の褐色の少女は気づかない。ただされるがままに、水晶のような透明な視線で俺を見つめてる。
よもや己の周りで宇宙そのものが表現されていようとは!!
――駄目だ、今自分で言ってて腹筋に来た。
「あの……。」
俺が何かを堪えてると察したか、控えめな、しかし熱を帯びた吐息が掛けられる。
今になって気づいた。
よく分からんが羞恥に濡れたような瞳には、星では無く俺を写していた。初めて――あぁ、彼女が他の誰でもない俺を見ていたのだ。
そして俺は、でんぐり返しをするユリを視線の端で追っていた。
「何か……仰ってはくださらないのですね」
いや、喋ったら吹き出しちゃいそうだから。
俺たちの周りを自転しながら公転する幻獣。ちら、ちら、とこちらを見てくる。評価を求めてるのか?
無言の俺を不審に思ったのか、マンリョウさんが視線を逸らした。
「先ほどから何を――はぅ!?」
横を見られる。
まずい!!
咄嗟に、彼女の顔を両手で包み俺の方を向かせた。
……。
……。
やっちまった!?
「え、サツキさん……?」
くそっ、別にユリを見られてもいいのに、何やってんだよ。
至近距離で見つめ合った。
あぁ、手のひらに伝わる頬へ登る熱よ。って言ってる場合か!! どうすんだよこれ!?
ユリが彼女の背後。つまり俺の正面でピタリと止まり、こちらを見た。
マンリョウさんとユリに同時に見つめられる。
幻獣は何かを了解したように頷くと、巨大な上体を上げ――片足立ちで万歳しやがった!?
「んっ!?」
瞬間、ぶっ、てなりそうになる。一瞬で臨界点に導くとは。何だそのポーズ? ていうかお前、今何に頷いた?
駄目だ。顔を見せられない。
肩を震わせ俯く。
そのまま、地面に沈み中腰になった。ちょうど歔欷に膝を折るような姿になる。
「サツキさん、苦しんでいるのね?」
優しい声が頭上から掛かった。めっちゃマジメな口調で追い討ちかけんな。
俺、肩震わせて耐えてるんだけど。
あ、これ、何か勘違いされてるな。マリーの事を思い出して惆悵に震えてるとか。
「いや……。」
否定しようと顔を上げようとした俺の視界に、
妙なポーズのまま、ぴーんと背伸びするユリが写った。
いいから君はちょっと待て。
不意に、
暖かな感触に包まれた。
遅れて、頭を抱き締められていたと気づいた。
俺が顔を押し付けてるの。これ、マンリョウさんのお腹か。
マンリョウさん、凄く良い匂いがする。年上の女性って、こんな感じなんだ……。
「わたしが、思い出させてしまったのですね……。亡くなられたお仲間とは、お見合いがご縁だったと言ったわね。きっと素敵な関係だったのね」
普段の声が璆鏘であるがゆえ冷凛に感じたが、今は艶っぽく、しかし暖かみに溢れていた。
……。
……。
よし!! 乗っかろう!!
「想って頂けるなら、どうかロッジは一人で使って欲しい。ここにはあの人との思い出があり過ぎるんだ」
肩を震わせ搾り出した。
声が妙に掠れてる。緊張してるのか? 年上の女の子に包み込まれて?
「そういうお話でしたら、了解したわ。あんっ」
この温もりを失うのが怖くて、無意識に彼女の背に手を回した――が、膝を付いていたのでお尻に手が回った。柔らかい。
まずい、と思ったが、マンリョウさんは少し身じろぎしただけで、振り払いはしなかった。
橙に世界が染まる中、しばらく二人の影が溶けあっていた。
結局、マンリョウさんはユリに気づくことなくロッジへ上がった。
三和土からリビングへ消える瞬間、何か熱い視線を向けて来たが、今の俺にはどうすることもできない。
……え? 別にどうもしなくていいよね?
暮夜の頃合いになっていた。
今宵は月夜だ。
見上げると月に薄い輪光が掛かっていた。弄月にはもってこいだな。
ワンステップでロッジを囲む巨大な防壁の上に居た。体裁きⅡのおかげで、いちいち丸太を仕舞わずに済む。
もう一ステップで外へ出る。
静寂が薄闇と共に横たわる平地の先に、黒々とした森が見えた。どうにも夜目まで良くなってる。
はあ……はあ……。
夜色に吸う息も味わい深い。冷気が肺を刺激する。
はあ……はは、はあ……。
体裁きⅡ。森まで全力ダッシュ。
使い勝手がいいから。周囲の哨戒に留めるつもりが、胸の奥から熱いものが込み上げて、四肢に広がり、制御が効かない。
はあ、はははは……。
銀盆が見下ろす中、自分の唇がいやらしく歪むのを感じていたが、すぐに――。
ははあ、ははあはは。
あははははははははははははははっ!!
駄目だ、自然と溢れる。歓喜に震える。
久方ぶりのレベリングだ。狩るぞじゃなく刈るぞ!!
あぁ、解放されていく。
夜露に湿った若草すら愛おしい。
あぁ、あの漆黒で覆った木々の奥には、
どんな獲物が息を潜めているのか。
ふふ、楽しみ。
お付き合い頂きまして、大変ありがとう御座います。




