4話 紅い魔女(前編)
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中央王都から南東。長距離乗合馬車で十日の距離に、迷宮街カサブランカはあった。
街中にダンジョンがあるわけではないが、4キロ程度の近隣にその入り口が産まれた時は騒然となった――観光名所ができたのだと。
直ちに商工会議所が開発プロジェクトを立ち上げた。そこからは早かった。ダンジョンまでの路面舗装と案内板の掲示。宿泊施設の増築。武器防具店の新規参入。連携して冒険者ギルドも拡張された。教会には中央から司祭が派遣される始末だ。
まもなくして開発は軌道に乗り、迷宮街カサブランカの名は王都にも響いた。訪れる冒険者と観光客。賑わう土産屋と秘宝館。第2層までは弱い魔物のエリアということもあり、専属の冒険者がガイドを務める体験コースにもなっていた。
探索に入る冒険者が増えればそれだけ安全性も増す。無理なくレベリング。若者の人気スポットになるのにそう時間は掛からなかった。
その奥底で、今まさに悲劇が起きようとしていた。
金属の揺らめきが虹色に歪んで見える黒い甲冑。フルヘルムからは不気味な呼吸音がコホーって漏れていた。
その横に居るのは、深紅のローブにあずき色のマントを羽織った女だった。
色素の薄い髪をショートボブにカットし、前髪を眉の上で刈り揃えているのが特徴的だ。魔女帽は滅多に被らない。マントとローブに合う色合いが市場に出回らないからだ。
黒騎士と並べて見ると、やはり作りが小さいな。背も低く顔も小さい。細い脚。小さな手。ピンクの丸めたパンツを握る小さな手。
――おのれ、既に抜刀していたか!!
「……サツキの兄さん、まさかコイツ」
背後で震えた声が霞んだ。
ボス部屋の異常を察してから、俺の背に回していた。いくらレベリングの為とは言え、この事態は無茶が過ぎる。
「あぁ、気を付けろ。あの女の右手。アレを顔に擦り付けられたら、なんかいつまでもあの匂いが鼻から離れないぞ」
「って、そっちかよ!? 隣!! 隣に居るの、アレ黒騎士じゃないんすか!?」
「……サツキくん……私、サツキくんにしか、しないよ?」
「ほら見ろ!! この女はこういう女なんだよ!! 黒騎士? いいじゃないか騎士だろ? 魔王の四騎士の筆頭格だろ? 素性分かってるじゃん!! だがあの女はな――。」
クランを指差す。
「あいつ、自分が一日中履いてたパンツを俺に嗅がせたいとか考えてて、それを隠して今までパーティを組んでたんだぞ!?」
俺の言葉に三人が愕然とする。どうだ? 引くだろ?
と思いきや、
「いや、めちゃくちゃバカっプルだろ!?」
「サツキの兄さん! よほど思われてなきゃ、簡単にそんな凶行にでれませんぜ!?」
「ていうか、恋人じゃないのか!? 恋人でもないのに普通パンツ嗅がせるとかありえないっすよ!!」
何で俺、責められてるの?
何でアイツの異常性癖で俺責められてるの?
「……こ、恋人……サツキくんと……。」
「ば、ちょ、お前ら勝手なこと言うなよ!?」
何かショックを受けてる。顔が紅潮しているのが遠めでもわかった。
その隣では相変わらず騎士王立ちの黒騎士が、シュコーってなっている。絵面、やべぇな。
「そもそもクランと俺はそんなステディな関係じゃねーよ!!」
「サツキの兄さん、考えてもみてくれよ。ダンジョン深くの中層に、こんな可愛い女の子二人がきゃっきゃうふふする世界があっただなんて!! 俺たちはもう!! どうしたらいいんっスか!? どうしたら……どうしたらいいんだっつってんだゴラァ!?」
「ひゃぃっ」
やべぇ。こいつ何言ってんだ?
あと、気迫に押されてうっかり女の子みたいな声出ちまったじゃねーか。
「ど、どうもするなよ!! せんでいいわ!!」
ちょっと引いた。
「……いいんだよ、サツキくん? ……私、パンツを嗅がせるだけの……便利な女でも」
うるさい黙れ。
「ていうか、そもそもパンツって所がダメなんじゃねーか!!」
そして隣に居る黒騎士が、
「お二人ともお似合いですよ。ひゅー、ひゅー!」
「うるせーよ、お前もよ!!」
ナチュラルに混ざって来るなよ。
あと中身、女かよ。
「「「ひゅー、ひゅー!」」」
そこの外野もうるさいよ!!
「ていうか、ちょ、待て、だからパンツを構えてにじり寄ってくるな!!」
「……やっと……やっと会えたの……サツキくん」
「サツキの兄さん、待ってくれ。こうして見ると美少女同士って、なんかこう、凄いっスね」
だから外野はうるせーよ!!
あと、美少女同士の中に俺を含めるな!!
「そもそも何でここに居る? それに隣の人は誰だよ?」
「……兄さんたちと……迷宮攻略に来たら、サツキくんを見掛けたの……いてもたっても居られなかった」
誰か止めろよ!!
「サツキくんが来る前は……このお姉さんと……恋バナしてた」
「ねー」
「ねー」
すげーな黒騎士。
コイツの相手できるんだ……。
「サツキさんについては色々と言いたい事はあります。ですが、今は彼女の言葉に耳を傾けてみませんか?」
何でウェイティングバーの常連みたいな言い方なんだよ。
あと俺の個人情報だだ洩れだな!
「……クロお姉さん……御膳立てをありがとう」
お前は一言多いと思うぞ。
「お、おう……?」
ほら見ろ、この人も反応が微妙になってるぞ?
「サツキ……戻って、来て?」
「何を今更……。」
昔の呼ばれ方に、少しどきりとした。
子供の頃ちょっとした事件があって、以来今の喋り方になった。
常におどおどして、誰かの後ろにいる。姉さんのように慕っていた人のこんな姿は、辛い。ましてやそのパンツなど。
事件の詳細は知らされていなかった。むしろ、当時はそんな事があったのすら理解できていなかった。ぼんやりとした記憶。ある日突然、クランが変わっていた。
――大好きだったお姉ちゃんが、別人のようになっていた。それで、
なんだ?
酷く
視界が歪む
眩暈が、
一瞬倒れそうになるのを、クランの声が呼び戻した。
「兄さんだって、きっと待ってるわ……貴方が居なくなって初めて思い知ったの……貴方の大切さを、特に貴方のツッコミを」
「ツッコミかーいッ!!」
「もう……兄さんだけじゃ処理が追いつかない」
「変な泣き入ってんじゃねーよ!!」
「そう、その調子」
「……。」
やはり駄目だ。歩み寄ろうにもこの女、生理的に駄目だ……。
何故、こんなに拒む?
「なぁ、あんた」
背後から肩を掴まれる。気分が戻った。拒否感が緩む。
「戻ってあげなよ。こんなに健気でいい子じゃないか」
あれ? 何で俺、諭されてるの?
アイツの手にある物体が何か分からないの?
お前ら言ったよな? 普通に怖いって。ヤバイじゃんって。裏切るの?
恨みがましい目で振り返ると、三人がグッとサムアップしてきやがった。どうやら行ってこいと言ってるらしい。
お前達……既に他人事なんだな!
「元々俺はクビになった身だ。お前らの行動(主にクラン)でそれも受け入れる事にした。これ以上、俺に苦しめというのか。ツッコミを入れろというのか」
「それは……。」
「今までお前らの勝手にどれだけ苦労を強いられてきたと思っている? その上、お前の奇行まで受け入れろというのか?」
「……だって……私……。」
「――履けよ」
「え……?」
「パンツを履けって言ってんだよ!」
「……そんな」
「ノーパンで頼み込むのが、お前らの誠意なのかよ? あぁん?」
「う……そんなこと……。」
「履くよな? 普通! 人と話すときはパンツを履くよなぁ?」
「……。」
クランが言葉を失う。
俺も言葉を失う。ほんと何言ってんだ?
そこに割って入ったのは、
「黙って聞いていれば貴方の方こそ勝手な物言い……少しはこの子の気持ちも考えてあげたらどうなの!?」
「何で俺、魔王の四騎士に説教されてるの!?」
ていうか、そっちの味方なの!?
「話はすべてミス・ベリーから聞かせてもらったわ。いいですか? この子は貴方の為だけにパンツを脱いだのよ。これまで誰も彼女に脱がせることが叶わなかったものを、貴方が成し遂げたの。その意味をよくお考えなさい!」
「あの……クロお姉さん、もう、その辺で……。」
戦犯は顔を真っ赤にし、甲冑の袖をふるふるしながら引っぱっていた。
……嫌なもの成し遂げちゃったな。あと、意味わかんないや。
「つまり――どういう事だ?」
「痴女ってことね」
「クロお姉さん!?」
「女はね、大切に想っている人の為なら痴女にだってなれるのよ。私だってそう!」
「あの……ほんと、その辺で……。私、そんなんじゃ……。」
「でもね、この子を痴女にしたのは、貴方なのかもしれないのよ?」
「……や……違……。」
「自分の可能性を否定しないで!!」
「ひゃ……。」
この黒騎士、情緒不安定にもほどがあるだろ。
「私の……可能性」(ゴクリ)
なんで共感してるの?
「私の……痴女としての可能性を」
「見出すなよ!! おかしなもん見出すなよ!!」
この子をなんとか止めねば。
だが、俺よりもヤツが先に動いた。黒騎士。
唐突に殺気が俺の顔を叩いた。ひぃ、と背後の三人が悲鳴を上げる。
「これだけ言ってもわからないなんて、とんだ見込み違いね!!」
いや、いつ見込まれたんだろ?
「貴方の事は(レベリングに)とてもひたむきで好感を感じていたのに。あと、可愛いお洋服とか着せたいと思っていたのに。こんな人とは知りませんでした。失望しました」
「え、俺、監視されてたの? 魔王直属に?」
「かくなる上は、その体で分からせてあげます!!」
「言い方! 言い方!!」
ヤツが剣を抜く。甲冑同様、黒い刀身だ。黒いだけで普通の剣っぽいな。
そう意識した瞬間、ぞわわと鳥肌が立つ。ヤバイのは明らかにヤツの剣技だ、剣術だ。
嫌な汗が首筋を通った――瞬間!
どん! と三人が俺の背中に突撃した。
剣を構えることもできず、前のめりでつんのめる。
正面で風を切る気配があった。ダンジョン内で風ってのもおかしなもんだな、とぼんやり思った。
クランが息を飲んだ。
剣先が陽炎のように揺らいで見えた瞬間、
火花が散った。
「ぷふぅ、危ねー……。」
とっさに剣で受けた。剣圧が疾風となって直撃する。
受けようと思って受けられるもんじゃない。両腕が動かない。顔が痛い。なんだよ、この圧力。
SSランク程度では歯が立たんぞ。
「やべぇ」
思わず呟いた。
「やばかったです」
黒騎士も呟いた。
なるほど、殺気はあっても殺意は無かったか。
黒騎士にとっても想定外の事だった。ギリギリと力みながら剣を受けつつ、背後の連中が逃走した事を確認する。
「なんて事を……。」
フルヘルムの奥から、静かな声が囁くように漏れた。耳がぞくりとした。
あぁ、そうなのか、と思った。
「ダンジョンでパーティメンバ―を囮に使うだなんて……。」
俺と切り結んでいることを忘れたかのような、澄んだ言葉だった。もう、格が違い過ぎて次の手が浮かばない。
焦燥感に囚われていると、不意に両腕の圧が消えた。
黒騎士が剣を退いていた。
「勝負はひとまず預けます。私は彼らを追わねばなりません」
「いや、それだと俺も卿を追わねばならんぞ?」
「それには及びません」
いや、そういう問題じゃ無いぞ?
「サツキさんにおかれましては、ここでミス・ベリーとしっかりと語り合って頂きたいと思います。いいですか、ちゃんと話し合うんですよ?」
ちっ、足止めを仕込まれたか。
剣を鞘に納めると、クランに「しっかりね」と言いボス部屋から駆けて行った。甲冑の重さは関係無いのか?
黒騎士を追おうとして、足を止めた。
背を見せる余裕がなかった――クランが右手を構えていた。
お付き合い頂きまして、大変ありがとう御座います。
少し長くなりましたので、前後編で分けました。
なろう系の追放モノは追放した方がザマァされますが、本作品は逆になります。
それだけに、サツキの言動は書いていてツライです。