39話 群青降りて烏夜で
ブックマーク、評価などを頂きまして、大変ありがとう御座います。
※運営殿からの警告措置を受け、2021/3/20に26話~41話を削除いたしました。
このたび、修正版を再掲いたします。
「詮ずる所、世界は私達を追放者にしたてたがってるんです。その役割に反感を持つのは自然でしょう?」
唇を、自嘲気味な薄い笑みに歪めるマリーの顔が、蒼い影に徐々に染まっていった。
こんな幼い子が、あまりに綺麗だったから。
慨世に声を上げさせる世界とやらが、少し恨めしい。
「でもね、」
と娘は人の胸中も知らずに続ける。
「麻の中の蓬とて、蓬のほうが勝つこともありましょうや」
薄笑いは、いつの間にか厭らしく歪み、端から涎の糸を垂らしていた。
◆
マリーの部屋に家具を配置する。
ベッドは窓から死角に置いた。ストレージ経由の再配置もあれば、好みや要望に応じ後から変えられる。
雨戸の隙間から景色を確認する。
窓自体はガラス張りだが外側の表面には防弾、防火、耐爆のエンチャントを張っていた。精神系の攻撃は無理でも、破壊系には一通り手を打っておきたいもんな。
魅了や不安といったサイコ系の効果は近距離に限定される。外から2階に取りつく前に庭のトラップか、空路なら対空機関砲の網に掛かるはずだ。
それでも、足りない時は足りない。
濃紺の夕闇が、
足元から濃く迫ってくる。
辺境の夜は、未だ人ならざる者の世界だ。
野宿では腕利きが寝ずの番をする。
商隊は、これ以上の防壁と反撃力を展開する。
それでも――だ。
1階の浴室へ降りた。
檜の浴槽。確かにお湯が張ってある。この短時間で沸かしたのか? どうやって?
ここにもマリーだけの理が発現したか。
ほんと、何なんだろ。
時々、恐ろしい気配が付きまとってる。高位の何かに憑かれてるんだろうけど、そう悪いものじゃなさそうだし。
本人に直接聞くわけにもいかんしなぁ。
結局、浴槽には入らず掛け湯だけで済ませた。
お湯を汚すのが申し訳ない。
檜風呂はもともと、マリーに使って欲しくて誂えた設備だ。
一通り清めて脱衣所へ出ると、
「すはー、すはー……これは甘美です……すはー」
「……。」
マリーが俺のタイツを嗅いでいた。
お前は妖怪か何かか?
「マリー。君は一体?」
「え、もう上がっちゃったんですか!? って、湯船が綺麗なままじゃないですか!!」
「あ、ああ、洗い場だけで済ませたかr」
「返してください!! 私のサツキ汁を返してください!!」
泣きながら迫ってきた。
思えば、俺は彼女から奪ってばかりのような気がする。
気がするだけで、圧倒的に俺が被害者なんだが。
あと、せめて何か着せて欲しい――あれ? 俺、何でタオル胸まで隠してるんだろ?
「ていうか、人の残り湯で何する気だったんだ?」
「決まってるじゃないですか!! ドーパミンとかセロトニンとかノルアドレナリンとかどばどば垂れ流していい感じに整うみたいな!!」
……こいつ、統合失調症か?
「あ、その引き気味な感じ!! 凄く綺麗です!! 湯上りサツキさん、極めて婀娜っぽいですよ!!」
「う、うん……ありがと」
やばい。気圧されつつある。
あと何で照れた俺?
「じゃあ、次、マリー入ってきなよ」
「いえ、その前にお夕食の準備ができたので頂いちゃいましょう。私は後で結構ですので」
急に正気に戻るのな。
いつも思うのだが、オンオフの切り替えが激しい。
入浴に関してはこの子を先に入れないと落ち着かない。よし。それが分かっただけでも収穫としよう。
「それと、大変お願いしづらい事ではありますが」
急に畏まった。こういう時は――。
「差し支えなければコレ、頂いてもよろしいでしょうか」
小さな手には、決して離すまいと握ったタイツがあった。
「大変差し支えあります……。」
思わず畏まってしまった。
夕食。
テーブルに並べられたのは東方に伝わる伝統料理『ニクジャガ』なる煮込み料理だった。
ただ煮込むのでは無い。下ごしらえ、調味料の種類及びバランスなど、列国に無い手法の為、幻の料理に数えられていた。
そもそも彼らの調味料が手に入らないんだが。王族や公爵伯爵が商人に金を積むが、三国と取引を持つトレーダーが皆無なのだ。そうそう口にできるものじゃ無い。
「――その生きる伝説が今、我が眼前に」
「いえ生きてません。これ脈打ってたら大変な事になりますよ? たまに怖いこと言いますね」
窘められてしまった。
「ご飯……お米あるんだな」
「前の所でサクラサク国の方と縁があってご一緒させて頂いたんです。短い同棲生活でしたがベッドを共にしたり楽しかったなぁ。その折りに俵ごと貰っちゃいました」
何か不穏な事が聞こえた気がする。
俺の顔がよほど面白かったのか、マリーは楽しそうに笑った。
「あはは、サツキさんったらやだ、もう。その人って女の人ですよ。お姉ちゃんみたいな感じでした」
俺、揶揄われてる?
「いやー、米が生きているぜ」
「はい、お米、生きてますね」
あ、こっちはOKなんだ。
しかし、またサクラサクねぇ。彼女も魔大陸じゃないんだ。
この辺で大体の出身がわかるんじゃないのか?
いや、呼び方で。
あとは、
「「いただきます」」
手を合わせる。
習慣づくと、こっちじゃ色々厄介かもな。
「……ん、凄い。美味しい」
「お口に合ったようで何より。ふふん」
見た目だけは幼いのに、マリーの手料理はどこか懐かしく、見果てぬ故郷を想い出すようだ。
別にヤバ目の薬とかじゃなくて。
「おかわり、いっぱいありますからね」
「流石、プリムラで看板娘を張っただけはある。美味い。ぐぬぬ」
「どうして悔しそうなんですか? あと看板娘は関係ありませんよ? お店に出す料理は任されたこと無かったし」
「ジュリアン姉さん――あ、いや、女将さんに気に入られなきゃ看板娘に認められないからなぁ。あの人、料理だけは厳しいから。それ以外は寛容だったろ?」
「あー、確かに。経営はオーナーさんの方がしっかりしてるから、気にしてませんでしたが、言われてみればですねぇ」
あの宿屋は師であるカタバミの紹介だ。オーナーのオブコニカ氏とカタバミが旧知の仲で便宜を図ってもらった。クロユリさんとの夕食の席で顔を出したのも偶然じゃ無い。顔が広いのと効くのは年季の差だな。
あのオーナーや女将さんと懇意にできる冒険者なんざ、そうそう居ないだろう。
「こっちに来る前、別の国で冒険者活動をしていたんですけど、そこで知り合った方の紹介でオーナーさんに雇って貰ったんですよ。おかげでお二人にはとてもよくして頂きました」
……そうそう居るらしい。
「あー、やっぱマリーのお味噌汁は落ち着くなぁ」(ずずずー)
「ふふ。ありがとう御座います。お爺ちゃんのカツオブシと合わせ味噌が決め手ですね」
「ははは……。」
「ふふふ……。」
「……。」
「……。」
にこやかな笑顔で見つめてくる。
圧が強いな。
「って、他に言う事があるでしょうが!!」
「うわ、びっくりした。他って何だよ?」
「ほら、この空気ならもっとこうあるでしょう? ど定番のが」
「マリーさんのニクジャガ大変美味しゅうございます」
「そう!! そんな時はどう思う!!」
「お若いのに料理上手だなと」
「そんな時どう思う!!」
「あぁ、家庭的なんだな」
「どう思う!!」
「前の晩がニクジャガだと次の朝もニクジャガだなと」
「そっちへ行ったか!!」
あちゃー、と目蓋を手で覆っていた。
「サツキさんは意地悪です。先ほども言ってたじゃないですか……。」
「ま、俺じゃ無いにしろ――な?」
「凄い手抜き感で来られても。それに、私はサツキさんがいいです。サツキさんじゃなきゃダメなんです。それを何者が匹儔にできましょうか」
「見込まれたね」
「はぐらかさないで下さい。今はダメでもいつかはきっとって思えるから、同道もできるんです。なのに根拠も示さずに避けられたら、女だってやりきれないですよ」
「避けてはいないつもりだが、今言うのは恐らく傲慢なんだろうな。頑陋で済まんね。保留なんてのは悪徳だと断じてるんで、望むようには回答できんのよ」
正直、その直向きさは、捻くれ者には目の毒だ。
マリー。貴女は眩しいんだよ。
「じゃあいいです。どうせこれからは毎日お味噌汁とご飯を作って美味しいって言わせるんだから。嫌だと言ったら、お腹かっさばいて胃袋に無理やり詰め込んで差し上げます。お残しは許しまへんで――私の事も含めて」
臆面もなくドヤ、って口の端を吊り上げて笑う。
ほんと、チャーミングな子だよ。君は。
食事を終えた後、マリーを風呂へ追いやり俺はキッチンで洗い物を済ませた。
頃合い的には乙夜だ。
続いて暖炉へ火を入れ、大型ソファと背の低いローテーブルを移設した。
右手を上げスナップを鳴らすと、中央のシャンデリアの灯りが消える。
暖炉と四方の隅に下げられたオレンジの明かりだけが大広間を照らした。
「……照明、思ったよりアダルティだな」
束の間、怖気付いた。
何この、コレ?
ま、いいや。目も慣れるだろ。
テーブルに氷を詰めたアイスペールを置き、カットグラスを二つ。いずれもウメカオル国の工芸品だ。小皿に乾燥させたフルーツと、チーズを。最後にトウモロコシを原料にしたリキュールのボトルをドンッ、と。
背後で、気配が揺れた。
「どうしよう……私を酔わせる手筈が着々と整えられてる……。」
佇むのは、薄い桃色のパジャマを着た年相応の娘だった。裾に縫い付けられた猫さんアップリケが幼さを強調する。
湯上りで火照ったのか顔が赤い。
俺は――無言でカットグラスの片方をストレージに仕舞った。
「て、どうして片付けちゃうんですか!?」
「俺もどうかしてたわ!! 小娘相手に何ムード出してんだって話だよ!!」
「どうせ私なんて女としての魅力など毛程もありませんよ!! 毛? えぇ生えてませんけどね!!」
あ、うん。それは見たから知ってる。
にしてもぬかったわ。
料理上手で気が効くし、自然と馴染んでた。グラスを傾け合うのに、一切の躊躇いも疑問も無かった。
「お前の国じゃ年齢に制限があったろ。俺もうっかりしてたわ」
「帝国じゃありませんから、その法は適用されません。それに、故郷にいた頃からこっそり嗜んでおりましたので。私、結構イケる口ですので」
「この不良娘が」
ポーンと猫型のクッションを軽く投げつけてやる。
「おー、ふわふわ。師匠ですね」
言われてみれば似ている。
「意外ですね、サツキさんがこんな可愛いもの好きだなんて」
んなわけあるか。マリーが好きそうだから購入しただけだ。
「冷えないうちにこっちにあたれ」
「えへへ」
可愛らしく笑うと、隣に潜り込んできた。
距離、近い。
しな垂れかかるように体を傾けてきやがる。そこまでしろとは言ってない。
着衣や姿は小娘なのに、何故その笑みは濃艶なのか。
これでボトルを片手で握り潰し「次はお前の頭もこうしてやろうか」なんて言われたら一発で堕ちてしまいそう。
サザンカならそれぐらいはやる。その場のノリで。そんな所も素敵だ。
「それでは、今しがた仕舞ったものを出して頂きましょう」
それが狙いか。
マリーの腕からするりと抜け、キッチンへ向かう。
「小娘向けに甘いの淹れるからそれで勘弁してくれ」
「これ、蘭の国の特産ですよね。南方の銘柄ですよ。よく手に入りましたね」
ボトルを手に取ってしげしげと眺めてる。
うん、何で分かるんだ?
「ココアミルクでも飲んでろ。温まるぞ」
「ラムでも温まりますよ? サツキさんの腕の中ならもっと温まります」
「どう見てもマリーの方が体温高そうだけどな」
見た目だけは小さいからな、と言いかけそうになるのを飲み込んだ。
藪蛇にしかならんだろう。
お付き合い頂きまして、大変ありがとう御座います。
評価★など頂けましたら嬉しいです。




