376話 草原の思い
「事情は理解した。さっさと回収して上がろう」
台座の前に立つ。コアに触れぬよう注意を払い、ストレージへ収納した。アイドル状態を凍結しようとし、酷い眩暈を覚えた。
咄嗟に振り向くと、ヘリアンサス女王は先程の場所から動いてはいなかった。
じっと俺の顔を見る。
「そんなに珍しいか?」
含羞の思いに、ぶっきら棒になった。不覚。
「コウバイ陛下のご紹介で、お会いした方がいたのだけれど、アザレア王国で言うところの魔大陸が出身と伺ったわ――とても似ていらっしゃる」
「誰を言ってるのか知らないが、余程いい男だったんだろうな」
「女性だったわ」
うるせーよ。何で今その話をした?
「ワタクシと境遇が似ていて、それでお近づきになったのだけれど、愛らしくも美しいのと恐ろしくも美しいのでは、截然たる差があるものね」
「それどっち?」
俺の問いに彼女は答えず、背を向けた。
左右に揺れる尻を追う。
宝物庫の扉を潜ると、日差しに視界がぼやけた。同時に気を周囲に巡らせる。SSランクならパッシブだ。
鼻を鳴らした。
空気が若草の匂いをはらむ。抜けるような蒼穹は、何か別な物の体内のように透明だった。
やはり始まっていたか。
今ここに居るのは俺と――。
隣に並んだ。
彼女が足お止めたのは湖畔の草原に出たからじゃない。
一面の草筵の中で大小二つの影が、レジャーシート代わりに敷いた絨毯の上で寄り添っていた。
娘が母の耳元で何やら話すと、母親の方は優しく笑い娘の髪を撫でた。
新緑の波が風にそよぐ、春の忠央を思わす日差しである。
野鳥が木々の間で迦陵嚬伽の快哉を上げていた。
それらが全て、額縁の中で生きる世界であると、俺の隣で口元を覆う女は熟知していた。
「やっと分かりました。あのお方が……託してくださったのは……。」
「さて」
言葉に出来ない。
あり得ない有り日しの光景だ。
母が幼い娘と、ただ語り合うだけの世界。
如何なる芸術家の筆も、公国の女王の胸をこれ以上満たすのは叶わないだろう。それを今――。
「何も仰らないのね……。」
感情を抑えた声だ。
女王が他国の使節の前で泣くわけにはいかない。
「息子として今は居るつもりだ。若輩の身で頼りないのは、まぁ、今のところはご愛嬌って事で」
義母殿の肩に手を回し、こちらへ抱き寄せる。甘い匂いが濃くなった。
俯いた彼女が、震えるのが伝わった。
母が子の前で泣くこともあるだろう。
「やはり……これは貴方が見せてくださったのね?」
「買い被りすぎだ」
本心だ。
顕現させたのは彼女だ。ダンジョンコアは反応したに過ぎない。ヘリアンサス女王の娘を想う気持ちこそ、この固有世界を生み出した。
この世界では、母と幼い娘を害するものは居ない。
この世界では、幼い娘の成長を側で見守れる。
叶わなかった女の願いよ。
視線を戻す。
ただ祝福するように、日差しが親子を映していた。
「御前会議? 理由は何です? 俺だけ出ろって」
王城に戻って、女王と別れた後に宰相の老人から申し出があった。
身なりのいい貴族の老人は、先日も背筋を曲げた所を見ていない。
「ご令嬢方は巻き込まんて」
「当たり前だ。面倒を増やされて大人しくできないのは彼女らの方だと心得て欲しい」
我ながら酷い脅迫だ。
「緊急に各省庁を招集していてな。サツキ殿が渦中である事は、まぁ、弁えて欲しい」
爺さんも威圧感ぐらい隠せよ。
使節の外遊は話が付いている。結果を早急に持ち帰りたい所だが。
「明日の出立に影響は出さん。はよう出て行って欲しい者もおるだろう」
「例えば、復権を果たした宰相とか? ――おっと」
こらこら殺気まで混じってきたぞ?
爺さん、そんな短気で宰相職が務まるのかね。
「姫様のお気に入りでなければ放り出しておったものを」
「そん時はバーベナさんも一緒に出て行くと思うけど」
「お主が止めればよかろう」
「俺に女たちを御せるとでも? まさか」
わざとらしく肩を竦めて見せると、大きな溜息が迎え撃った。
「そこが問題なのだ……全く姫様は」
爺さんの圧が消えた。
苦労を掛けるね、どうも。
「使節で俺だけ参加って事は、結論ありきなのだろう? まさかこの期に及んで離縁しろって話でもあるまい?」
「その逆だから困っているのだ」
立派な口髭がしおしおに見えた。
昨日の謁見までは一通りは賛同を得たと思ったが、未消化のイベントでもあったかな。
「ともかく、此処での議論に意味はない。大人しく着いてきてもらおう」
俺の両側をフルプレートの騎士が挟んだ。
形だけの拘束か。ポーズが必要? 会議には昨日居なかった省庁のトップも出るんだよな。
……あ、ウメカオルから託されたコアの所持先が変わるのは、確かにまずいか。
「逃げも隠れもしないよ?」
「何が起きても、そう言い切れるのかね?」
「何が起きるってんだよ!?」
事件は会議室で起きなくても、厄介ごとは大抵会議室で起きるんだよな。
やっぱりコイツら振り切って逃げちゃダメかな?
王城の中でも古い区画なのだろう。手入れは行き届いてるが、木造の扉は使い込まれていた。
両脇には、ナズナさんの同僚――ハコベラさんとスズナさんが居た。
昨夜と違い、ハコベラさんは濃厚な闇を思わせた。手先と顔以外を影のようなメイド服で覆っていた。だから藍白のショートボブの髪が際立って見えた。まぁ、昨夜は色々とご開帳されていたんだけど。綺麗だったなぁ。
そして、この中で一際猜疑心に駆られるのがスズナさんだ。陽炎のように周囲が揺らめいている。爺さんと二人の騎士をチラ見したが、承知の上か気づかないのか、反応がない。
「何か?」
見つめ過ぎたか。
「真珠色の髪がお美しいので、つい」
「いけませんか」
「不躾だったな。失礼した」
探るつもりは無かったんだけどな。
紅瞳がそっぽを向いた。
俺より歳は2つ上ってところかな。なんか塩対応されるのって、こう、その、いいな?
宰相の爺さんが、何をやってるんだと睨んできたので肩を竦めた。
姿勢を正すとメイドの二人が左右で扉を開けてくれた。
中から漂う微妙に蒸し暑い空気に眉を寄せかける。いかん、無表情、無表情。
会議卓を囲むご年配がたの半分は初見だ。ビンゴ大会に呼ばれなかった人たちだ。昨日までに顔合わせを済ませた連中も、改めて値踏みする視線を送ってきた。
ついさっき、スズナさんに同じことをした手前、文句は言えないけど。
上座中央でヘリアンサス女王が瞼を伏せていた。
先程とは違い、密陀僧色の地に淡黄蘗色の明るいコントラストのドレスは、周りの年齢もあって若々しい娘のように見えた。
この瞬間から心理的誘導が始まっていたのだが、昨夜からイベント続きで気が回らなかった。
「ご苦労だ。着きたまえ」
促す初老の男の席には、議長と書かれたプラカードが立っていた。四方の会議宅に囲まれた中心に、男が二名、議事録係として羽根ペンを滑らせる。
まあ、想像は付いていたが。
俺が最後なのは、何らかの決を取る際の印象操作だ。出来レースとも言う。
「朝から王家に振り回されてるんだ。手短に頼む」
異様な気配が部屋を循環した末に、俺に吹き付ける。無数の視線が不敬だと詰め寄った。
気にせず、手近の開いた席に着席する。
正面がヘリアンサス女王だ。
伏せられた瞼がゆっくり開いた。
視線が絡んだ。数秒。わずかな時間だ。すぐにそっぽを向かれてしまった。何だ?
「では緊急会議を開催する。開会のお言葉を、陛下より賜りたく存じます」
議長に促され、女王は一同を見回した。居並ぶ老人たちの顔に、緊張が滲むのを俺は見逃さなかった。
何かが始まる予感だ。
艶っぽい唇がゆっくりと開く。
「鳴りやまない拍手をありがとう」
遅れて拍手が上がった。
「ああ、催促したみたいですみません。ええ、もう結構です――ワタクシはヘリアンサスといいます。大きなことを言うようですが、ヘリアンサスといえば我が国では……ワタクシ一人です」
何か、まくらが始まった。




