375話 ザコ
足元で、何故か荒い息と共に痙攣するビーナス像を見下ろしていた。
磨かれた石の表面に滲む露が、燈に照らされる肉感的な流線と混じり、元から淫靡な芸術だったのではと錯覚する。
――たった二分だった。
使ったのは口だけだ。指すら這わせていない。立派な部位には触れず、その裏側に潜むクレバスへ舌先を付けた瞬間――凄いことになっちゃった。
そして上下になぞった――取り返しのつかない事態になっちゃった。
「……。」
俺が悪いのか? ん?
「な、何か言いたいことがありそうな顔ね」
無言で途方に暮れていると、女王の方から絡んできた。人の気遣いを無下にする奴だ。
「開陳しても?」
「……お手柔らかに」
なら、お言葉に甘えさせて頂こう。
「二分ってザコすぎない!?」
「経験がないと言ったはずよ!! 男の子と普通のお喋りをしたレコードが無い子が、サツキ殿のような芙蓉に近づかれたら、それだけで危殆にも瀕するわよ!!」
「そんな子を門番にすんなよ!! ていうか何で事後みたいになっちゃってるの!?」
あとコイツから接近してきた。俺からじゃない。
「学習機能が追いつかないのよ!! けしかけて何だけど、サツキ殿だって初めて剥けた時は敏感になったでしょ!?」
「いや、そりゃ、アレはある意味トラウマだったけどさぁ!! だからって自分の似姿になんて真似させんなよ!!」
「わ、ワタクシはここまでザコじゃ無いわ? この子が一番の小物ってだけで」
「何の四天王だよ!!」
「だったら試してみなさいよ!!」
女王がドレスの裾を捲る。
どうしてこの国の連中はすかさず捲って見せるのか。軽いのは果たしてスカートの裾なのか尻なのか。
……。
……。
「あの、サツキ殿?」
やべ、まじまじと見ちゃったよ。
無地だが光沢のあるシルクの三角地帯の、上と、下の二箇所に伸びる艶っぽい肌は汗に蒸れ熱気にまみれ、逆三角形の頂点に至っては、色が変わって奥の茂みがぴっちり張り付いていた。
眩暈がする。
「御身の様な臈長けた方が、二回りも離れた男の子に見せていい代物ではありません。歪んでしまいます」
何で敬語になった?
「でも、年上の娘を喜ばせる程度には知らないわけではないのでしょう? SSランクの冒険者よ」
水っぽい視線が、蛇のように絡んできた。卑賎視した振る舞いは無かった。ただ、何か欲望を込めた眼差しに、神経が硬直する思いだ。
「お互い多事多端な身だろ。時間が無いと言ったのは貴女のはずだ」
「なら、早く済ますよう努めなさい」
「どうしても?」
「こちらとて自恃の心に引っ込みがつかないのよ。貴方だって、そうして見ているだけでいいの?」
「臨むところだ」
女王の前で跪く。数センチの鼻先から、熟れた香りが立ち上るように押し寄せた。頭の前面がカチカチする。
このままのめり込んでしまいそうだ。
暴力的な艶冶な姿に、脳が染まりそうだ。
「これは……直ぐには終わらせるのは無理だな。誘ったからには、最後まで付き合ってもらうぞ。義母上」
「あらあら、怖いわぁ」
大人の余裕なのか。毒々しい笑みに、男を壊すタイプだと思った。
足元で、何故か荒い息と共に痙攣する女王を見下ろしていた。
――1分掛からなかったな。
何もしていない。ただ顔を近づけ、息を吹きかけた。触れてすらいなかった。
「……せめて……せめて」
見上げる濡れた瞳が懇願してくる。
「パンツくらい、下ろして……。」
「知るねーよ!!」
一歩距離をとった。
女王が回復するまで待てないので、踊り子(回復)を試みた。
余韻に痙攣する女王の前でステップを踏む俺の身にもなってみろ。いっそ、うどんでも捏ねてやろうかと思ったぜ。
「これは貴方に託しましょう」
自分で脱いだパンツを渡してきた。伝説の勇者のアイテムみたいに。
摘んで確認するまでもない。ぐっちょりしていた。
とりあえずストレージに仕舞った。
経過時間が凍結されたストレージでは、常に新鮮な状態で保存される。いつでも女王の搾りたてが堪能できるって寸法よ。熟れたてフレッシュ・キュアパッションだ。いかんパッションが隠微なワードになっちまった。
「新品の替えがあるが、それでいいなら献上するけど?」
「すぐに使い物にならなくなるから……。」
少しは体を労われ。
バーベナさんも、将来はこんな感じになるのか。
「それよりも、最後の扉よ」
「その前に」
白い指が扉に触れるのを止める。
蹲るヴィーナス像へ駆け寄り、予備のローブを羽織らせてやった。流石にこのままは気が引ける。
何をされたのか理解できないといった顔でこちらを見上げるが、ハッとなり俯いてしまった。
まぁいい。不悉を美徳と捉える奴だって居る。
「すまない、待たせた。どうした? 膝までたくし上げて?」
「サツキ殿が履かせてくれるサービスなら、観念して履いてあげてもいいわよ?」
「遠慮する」
むしろ、どの口がバーベナさんを叱ったんだ?
聞き分けが良いのか諦めが良いのか、女王が渋々とスカートから手を離し、扉に手を掛ける。
母娘揃ってノーパンでうろつく王家か……よくこれまで滅ぼなかったな。
いや、ありていに言ってアザレアの介入が無ければ危うかった。
工作員が内政に入り込んだ時点で、もはやパンツ一つでどうなるものでもない。
……。
……。
綾羅にくっきり浮かぶ尻のラインが艶かしい。くっきりだよ。
そうか。あの中は無防備か。
視線を向けないよう配慮しつつ、女王に続いた。
一歩、部屋に踏み入れた。刺す冷気に変わり、女王の尻が身震いに震えた。
いかん、尻から目が離せん。
目元を手でほぐす。切り替えていこう。だからわざわざ捲って見せんじゃねーよ、オメーはよ!!
「不愉快な気配がする……。」
俺の声だ。
回廊と違い薄暗いが、奥側が仄かに明るい。
周囲の壁には甲冑の列が直列している。まさか動かないよな。
「あちらに」
女王が横に退いて台座までのルートを示す。直線だ。
明かりの光源がそこにはあった。
オレンジに輝く玉。ダンジョンコアだ。
「この類の物との縁って……。」
肩をすくめるしか無かった。
経験上、所有者にろくな奴が居ない。大抵は他国からの侵略者だ。
「ウメカオル国の女王陛下から預かったのよ」
感情のない女王の声を、どこか遠くに聞いていた。想定しない名前が出たぞ。
「北方共和からの侵略なんて今に始まった事じゃないわ。歴史上どう語られるか真実と乖離はあれど、武力侵攻に度々晒されていたもの。前の大規模衝突の前に、ウメカオル国から平和協定の申し入れがあったのは、何かしらの根拠があったのでしょうね。不可侵の三国くらい道化を演じていても承知しているわ。ヒマワリを定のいい口実にしたと踏んではいても、ワタクシ達に拒否する猶予は無かった」
「攻防の最中、公国に、新たな迷宮が生まれた」
俺が結果をひと足先に促す。
気を悪くしちゃったかな?
「小規模なれど地殻変動で国境近辺の街が呑まされたわ」
呑まされた? いや、認識する前例と圧倒的に規模が違うな。その通りの物ならオダマキやハイビスカスは地図から消えていた。
「いつ頃の話かな?」
「5年前ね。その一件で内省が弱くなったのもあって、ここまで北方共和に侵入されたのよ」
紛争や財政難、不景気のどさくさで他国の内部に侵入し、非常識な情報操作から世論を動かす。その効果で持って行政に食いつくのは聞いた事がある。まるでシロアリだ。
恥知らずな連中だから、どんな無茶な事でもやってのける。良心が無いのではなく、恥いる心が文化的に育まれていないんだ。
「さっきゴーレムと対峙した時の『奪い返されるわけには』てのはこれか」
「そうよ――これの事だと思った?」
「出さんでいい!!」
ポーチから出した立派な物を残念そうに仕舞った。
ゴーレム製造はウメカオルからの提供技術って話だったもんな。紛らわしい。
「該当するダンジョンは、こちらでは記録に無い。程なくして消滅したと想像するけど?」
「コウバイ陛下が直々に最深部へ到達したの。それを回収してくれて。でも、処置には制約が課せられ、持つのに相応しい者が現れるまでこの地に封印なさったわ――押し付けられちゃった」
最後、本音出てるで。
そして、それを俺に押しつけるのか。
「俺は相応しいのか?」
「同じオーブを既に所持していると伺ったわ?」
「バーベナさんもこの存在は知っていたか……言ってくれればいいのに」
いや、今ここで開示されるまでは機密扱いなのかな。あの北方共和のおっさんもコレを探ってた? なら俺のストレージで封をした方が安全っちゃ安全か。
「バーベナには伝えていないかしら。あの子、その頃はすでにベリー殿の預かりになっていたから。ビンゴ大会も普通のイベントと思っていた様子だったわね」
「定期的な飲み会でビンゴ大会を開催してたのって、コアの預け先を探っていたのか……。」
「コア?」
「勝手に呼称している。ダンジョンコア。アザレアのオダマキ領でも技術者がそう呼んでいたから。ウメカオルの女王様は何て?」
「――エネルギー・キューブと」
「丸いよ?」
「誰も突っ込めなかった……。」
なるほど。苦労が伺える。
しかし、呼称から何らかのエネルギー体である事は推測がつく。ワイバーンを孵化成長させ、世界から独立した仮想現実を生み出す。マリーの喫茶店も、ガラ美の生花店も、確固たる現実世界だった。例え夢になろうと、影絵になろうとも。
「等閑視を決め込むのは無理か……。」
赤、青、橙。これ以上、幾つ集めさせる気だろうか。




