367話 ゼンテイカ
彼女が先に手を翳す。
本職の魔法使いの所作の美しさと、女の子らしい白い手に見惚れていたら、さっさとしろと視線で訴えられた。へいへい。
同じく卵に掌を晒す。
バーベナさんに見えないよう、ストレージからハイビスカスのダンジョンコアを取り出した。そういやコイツの名称って何なんだろ? コアでいいんだよな? 卵孵化器じゃないよな?
コトリ、と乾いた音がした。
ハンカチの上で球体が振動を開始する。
「反応したわ!!」
「始まったばかりだ。ここのまま馴染ませるように放出するぞ」
スイセンカの時はそんな余裕が無かった。ホウセンカはじっくりクランの魔力を注いだ。
単純な魔力量というより、濃度や照射時間でも個体差が現れる仮説だが。なら落ち着いて孵化に臨めるのに越した事はない。
「じ、じっくりって? 既に全力で行ってるわよ?」
「何でフルマジックポイント使ってんだよ!!」
卵の頂点にヒビが入る。
あ、産まれる。こっちの調整は追いつかないか。ていうか隣で俺も感じる。クランをも超越した魔力の奔流を。いや隣で嵐が吹き荒れてるみたいなもんだ。髪の毛が逆立ってるわ。
「出て来るぞ。城内は早まったか」
裏手の丘に沿った庭園だが、城の敷地だ。
そもそも王族が竜種を従える瞬間なら、典儀ぐらい必要だったんじゃ?
「ホウセンカみたいな大型種になるって事ね? 私子育て頑張る!!」
ふんす、と力む。
魔力がどっと放たれた。
「馬鹿タレ!! 何で今ふんすした!?」
それが合図だった。パカっと割れた。割れた隙間から光が溢れ出す。
どうする? ダンジョンコアをストレージに隔離するか? 成長、緊急停止になったら未熟児にならないか?
判断に迷う。
卵のストックの問題ではない。
バーベナさんは、この子がいいんだ。この子じゃなきゃ意味がないんだ。
ああ、もう!!
ストレージの中でマイヨの槍を準備する。最悪、俺が落とし前を付ければいい。彼女に恨まれても。
「安定させるぞ、このまま成長する」
「いっぱい出せばいいのね」
「加減をしろってんだ!!」
「がーんばれ、がーんばれ」
ここが限界か。コアをストレージに放り込み停止させる。
小夜更く頃の夜空を、一際、日華の如き輝きが照らした。
波打つ橙色の鱗が流麗な飛竜だった。
喉を鳴らしてこちらを見下ろす瞳が優しげで、何だか子供の頃の大好きだったお姉ちゃんを想起させる。
「やっと会えたわ。頑張ったわね――ゼンテイカ」
それがコイツの名前なのだろう。
長い首を下ろしてバーベナさんに近づける。穏やかな性格のようだが、これ、放っておいて大丈夫なのか?
小夜嵐のように渦巻く魔力は、空間に歪みすら見える。クランとのホウセンカが大きな体躯で生まれたのとは、また別の形で表面化したのか。
「なんか、その、もう少し抑えられないか?」
試しに交渉してみた。
「キュウ?」
小首を傾げてきた。
「いいのよ!! 貴方はそのままでもいいのよ!!」
バーベナさんが、庇うようにワイバーンの頭部に抱きつく。え、触れても大丈夫なのそれ?
「いい訳あるか!! 下手したら王城に謎の発光現象について問い合わせが殺到するぞ!!」
裏手とはいえ、これだけ光ってれば城下町からでも観測されるだろう。
「でも、お城の誰も来ないわよ?」
「気を利かせてるんだよ!! 俺、下臣のお歴々の前でバーベナさん愛しまくったって宣言したもん!! 何かそういうプレイおっ始めたと思われてんだよ!!」
「子供の見ている前で、そんな、特殊なプレイだなんて、私……私……。」
内股でモジモジし始めた。
謎の発光現象とか、どんな性癖だよ。
「とにかく、魔力だけでも抑えてくれ。城の魔法使いだって側で臨戦体制並みの放出されたら落ち着かないだろ」
「サツくんが臨戦体制……ゴクリ」
「君の旦那の股間が常に光ってるって、それでいいのか?」
「その場合、サツくんが私に入ってきた時にお腹の中から光るのかしら?」
「体に良くないだろそれ」
取り止めの無い会話に、ゼンテイカが大きく欠伸をした。同時に、発光現象と魔力の放出が治った。因果関係はどちらが先か。
「おねむなのね。ママが子守唄を歌ってあげるわ」
「本人が寝るんだから必要ないだろ? ――ホウセンカ達との面会は明日にしよう」
「腹違いの兄弟ね」
それは無い。
クランやイチハツさんも、ホウセンカとスイセンカを兄弟姉妹で例えがちだが、基本的に竜種の卵は一度に一つだ。
ハイビスカスのダンジョンに設置された時点で、俺のストレージと同種の凍結処理が施されていなければ、この卵は全て別の巣から強奪されたものだ。つまり、両方とも親竜は別って事だ。
……。
……。
ああ、もう。分かってるよ。俺たちの魔力で孵化したって事だろ? 成長促進にハイビスカスのダンジョンコアを使っているのも同じだ。
「ひとまず城内に入ろう。この子の許可も取らなくちゃ」
「出生届出ね?」
「そういつはもう少し待ってくれ。落ち着いたら必ず」
「え!?」
バーベナさんのワントーン高い声に振り向かず、来た道を辿った。
耳が熱を持つのを感じた。
クランに呼ばれて部屋を訪れた。
謁見までは城下町に滞在だから、今日から利用させて頂いている客間だ。300平方メートルの間取りは、都心のスイートに比べてもだだっ広かった。そいつを一人一部屋割り当てた上に、専属の使用人を三人付けられた。
ご覧の通り自室へ篭もれない為、俺に着いたメイド達は暇を持て余しているだろう。
ノックをすると、内側から扉が開いた。開けたのはクランに付いたメイドの一人だ。
「どうぞ。既にお楽しみになられています」
メイドが震え声で言った。若くても王城勤務だ。厳格な指導は受けているはずだ。それでも、中で行われている行為に、身を震わせるのだ。
回れ右をした。
「どちらに?」
目の前にバーベナさん付きの三人が数センチの距離に居た。俺が近距離で背後を取られた?
三人とも30代前半だろうか。隙の無い間合いの詰め方と、何より香りがしなかった。
「今日は疲れたから」
「我々をお見捨てになられるのですか?」
さらにイチハツさん付きのメイドに行手を阻まれた。
囲まれたか。
「どうか」と、直向きな声が背に掛かった。扉を開いた娘だ。まだ若い。
「もう、わたくし共では手に負えません。もう無理です」
縋るような視線に、何かすまんのう、と口に出そうになった。
この中に、如何な魔境が牙を剥いているのだろう。
扉の奥。
数名居るな。
クランと、メイドのメンツからバーベナさんとイチハツさんもだろうか。
ああ、分かったよ。ここを回避しても問題を先送りにしたに過ぎない。
「君たちは安全な所に退避したまえ」
「サツキ様……。」
一歩、扉の向こうへ進んだ。
予想外に、クラン付きの彼女だけは俺の背に従った。
「君も」
逃げたまえ、と続けようとしたが、先に首を横に振られてしまった。
「仲間がまだ居ます。既に一人は旅立ちましたが、もう一人が奮戦中です。わたくしにサツキ様を迎えに行くようにと。わたくしだけ安全を確保するわけには参りません」
ここまは任せて先に行け、みたいな?
本当、何やってんだよ。
そして仲間に義理堅いな、ヒマワリのメイド。俺なんて何度見捨てられたことか。ま、追放者のさだめだ。
「なら俺の後ろに」
「はい」
ぴたりと俺の背にくっついた。
「動きにくいよ」
「くんかくんか……失礼しました。夢境に堕ちる前に、いえ意識が定かであうちに、前借りをと思いまして」
頬を染めたが、儚い笑顔だった。




