364話 胸が痛むんだ
ぴとりと、右隣から寄り添ってきた。懐かしい果実の香りに、隣のお姉さんを見る。
朧げだった紗幕が記憶の中で形取る。
幼少の追憶だ。絹の様な髪の煌めきを快活に揺らし、同時に、確かに他も揺れていた。あの事件で恐れに塗擦されるまでは、憧れの存在だった。
白雪の肌に桜の色味を指した色気に、心をときめかせた。クランとは違った好意だが、大人たちだってそれでも看過されたんだ。
「他にはまだあるのか!?」
北方偽王族の、ヤケクソ地味た叫びに意識が戻った。
俺自身がお腹いっぱいだよ。
そして今後の事で頭がいっぱいだ。
「え、えぇと、これは言ってもいいのか、判断にな悩みますが」
バーベナさんが口籠るのを、ヘリアンサス王女が小さく促す。
「あ、はい。皆んなで景品を持ち寄ってビンゴ大会をするのが定番なのですが、そのひと時を私は好ましく感じておりました」
「ビンゴ大会だと!?」
もう何言っても驚くよな、このおっさん。
「因みにこちらのペンダントですが、二年前の宴会で私がお母様から頂いた景品です」
「王家の紋章!? そんな所にあったのか!?」
何か凄いのが出てきた。
口ぶりからするとコイツ、これを狙っていたな?
「では……では!! あの鍵はなんだというのだ!?」
「え? 知りませんけど……。」
鍵って、彼が持っていたやつか。口ぶりからすると王家に関わるものらしいが、肩透かしだった様でご愁傷様だぜ。
「そういえば、ワタクシのベッドルームの鍵がなくなっていたわねぇ?」
「いらんわ!!」
バチぃんと懐の鍵を絨毯に投げつけた。
いや王家に関わるものじゃん。悪用されたらダメなやつじゃん。
「もっとも、とうの前に扉ごと差し替えたけれど」
複製も無駄になったか。
役に立たなくて何よりだぜ。
「もういい。もうたくさんだ。私はこれで失礼する……。」
そう言う男の顔は、げっそりと疲れ果てていた。
王城の門に停めていた馬車に彼が乗り込むのを見送った。
早急に北方共和へ向かうつもりだろうが、御者が貴方の言う同志か、そして馬車の中に修道女が居ないかを、ちゃんと確認すべきだったな。
俺だったら、御者台に綺麗に真ん中分けした上品な娘が、冒険者の格好で手綱を握ってる時点で逃げ出すがね。
走り出した馬車を憐んで、空を見上げた。
遠く西の蒼穹に、小さな点が二つある。
俺の視力じゃ確認できないが、一つは水色の鱗を輝かせていた。長距離は苦手なはずなのに、よく公国まで飛んできてくれた。
去り行く馬車から、おっさんの悲鳴が聞こえた様な気がした。
「わたくしまで招かれて、よろしかったのでしょうか?」
淡藤色のドレスに髪を美しくまとめたイチハツさんが、戸惑いながらも背筋を正して俺の後ろに続いた。
「せっかく来てくれたんだ。ご相伴に預かろうよ? アヤメさんも今回は助かったよ」
もう一人の令嬢は、鮮やかな壺菫色のドレスだった。礼儀に倣いウエストを極端まで絞ったせいで、その上と下に生まれた稜線が凶悪な事になっている。要するにエロい。
「本家への多角的交渉材料が揃えばねぇ」
甘ったるい言葉遣いに、振り返り正面から見つめる。
黙っていたけど、いつまで続けるんだろ、ソレ?
「……。」
「……。」
じっと見つめる。
「……イメージチェンジ頑張ってるんです、何も言わないでください」
言ってないけど?
「如何なさいました?」
イチハツさんが怪訝そうに小首を傾げる。
「何でもないわ。これからは私も自由にやらせてもらうから」
そっちのメッキで行くのね。
それと根本的に、今までも自由だよね。侯爵家の女性がシスターなんだもん。普通は追放か隠匿した子女の措置だよ。
……。
……。
あー、暗殺者って前歴はまずいのか。そりゃ隠すか。
「サツキくん……シスター・アヤメも狙っている……の?」
むしろ道具のように使われていたのは俺の方だ。具体的には指先第二関節ぐらいだ。一応、俺の生命維持の建前だったが。
あれ? 指だけだよね?
「俺、そんな顔をしてたかな? 彼女は家の婚姻を避ける体裁が目的だったんだ。それじゃ本末転倒だろう」
「でも凄く綺麗で……大人っぽい」
可愛らしく唇を尖らす。ああ、もう!!
それとその大人っぽいは幻想だ。オダマキ卿やドクダミ伯爵の前で気取ってたけど、中身知ってる身からしたら辛かったよ。お腹が釣って。
「クランだって綺麗だよ。その色も存外似合うんだな」
彼女にしては珍しく黒を基調としたドレスだった。いや、黒も似合うのは知っていた。オダマキ領でのエビメラ討伐の衣装がそうだったから。
「もう我慢できなくなったの? 私たちも見学していいかしら?」
呆れた声が背に刺さる。アヤメさんに背中を見せるの、迂闊だったな。学園の修道女が日照り続きとか言ってたもん。今思えばこの侯爵家は皆んなどうかしている。
「借り物の衣装のままって訳にはいかないだろ。それぐらい自重はするよ」
俺の返しに、何を妄想したのかイチハツさんが真っ赤になりモジモジし出した。
「あなたは相変わらずね。侯爵家の女がシャッキっとするのよ?」
「わ、分かっていますわよ!! ですから、背後からおっぱいを揉むのはおよしになってください、アヤメ姉様っ」
「しまった、うっかり!?」
この二人、一緒にさせちゃダメだったか? 前に青い果実がどうとか言ってたけど……男女関係無しなのか。
「あの、もうすぐ会場ですので、一旦その辺でひとつ」
案内役の高官が困っていた。
ごめんな。ぐだぐだで。
天井の高い回廊に出た。片方の壁を風景画が等間隔で彩っていた。ここの王家の人となりを好ましく感じる。
この手の美術品は、歴代の王家を飾り囃し、国政の威厳を示すのが常だ。アザレアの王城だってそうだもん。それが湖や港町や山麓や動物たちだもんな。そしてそこに住まう国民だ。
「尊敬はするが、これは付け入る隙にもなるな」
俺の呟きに、案内する高官は反応を示さない。聞こえないのか、そのフリなのか。
「特異な農業資源は我が国とも取引がありますわ?」
それを勘違いしたイチハツさんが返してきた。
ちょうど草を毟る婦人たちの絵画に差し掛かった所だ。
「ヒマワリでの気候だからこその付加価値と伺っています。特に冬場はお野菜の甘みが段違いなんですよ?」
「流石に詳しいね」
第一学園では成績優秀者だったが、令嬢が公益に通じるのは、既に将来を見据えている証だ。
アヤメさんと同様に一人立ちが望みか? 貿易事業の立ち上げとか。経営役職の席で書類を裁く姿を想像すると……うん、悪くないな。
「今まで存続できたのは、下手に鉱物資源を持たないからとも言えます」
エスコートする若い高官が、自嘲気味に言う。
人と土地以外に戦略価値が無いって事なんだろうけど、侵略行為に正当性を付ける連中に、いつまでも通用するものか。
「それでも、最愛の幼い娘さんを他国に逃す先見はあったのだろう? 親としての感情が介在するかは別だけどさ」
「陛下も我々も反撃の機会は伺っていました。でなければ、いかに王国の貴族やSSランクといえど自由に立ち回りはできません」
「そりゃそうだ。掃除が行き届いてくれて何よりだ」
「よくぞ……耐えてこられましたね……。」
クランのコミュ障喋りに、高官が青い目を見開く。すぐに自然な笑みになった。
「姫様がご健勝であらされたからこそですよ」
苺さんの関係者として、胸が痛んだ。




