362話 そして帰路
ドクダミ領を抜け、ポーチュカラで待機させた船を前にし、ようやく一息付けた。
三日間、必死に馬車を走らせた。
来た時の同志は二名の側近と御者を除き、全て失った。速度が出たのは何よりだが、有能なエージェントを全滅に追いやった責任は大きい。
だが、私が無事にヒマワリに入る事こそ重要なのだ。本国の増援さえ得れば、シナリオの立て直しが効く。
それにしても、領都の外壁から街道を通ったあの光景。アレは何だったのだろう。
五体の強化型サイクロプスが、次々と解体されていった。特に、あの辺境伯の所の小僧だ。
剣で撫でる様に表面をなぞるだけで、どうして硬質化した筋繊維を切り裂いたのか。
神官の娘に至っては、あの巨体を持ち上げていたぞ? 何なのだあのゴリラは? ゴリラの化身か? 迷惑な。
「桟橋を塞げ。横付けにしろ」
「また管理局からクレームが来ますぜ」
いちいちこの御者は文句を言う。本国へおかしな密告をされる前に修正するか。
こちらの気も知らず肩越しに口元を嫌な笑みに浮かべ、コロンとその首が落ちた。
何事かと確認する前に、笑う様に切断面から鮮血が登った。
「ひぃ……。」
咄嗟に馬車から飛び降りたが、足がもつれる。それでも必死に桟橋を渡り船へ向かった。泳いでいる気分だ。
残った同志が、私を追い抜き先を走る。二人とも、両膝から上が宙に浮いた。そのまま感性で前方へ放り投げられ、桟橋の表面に衝突する前に、やはり首も胴から離れた。
「ひぃぃぃっ!!」
わたわたと、残骸を超え桟橋を走り抜けた。もどかしい。船への架け橋を登った時、一瞬波の音が消えた気がして振り向いた。
桟橋の中央に、幽鬼の様に佇む修道女の姿があった。
「ひぃぃ!!」
追ってきて居たのだ。あの結婚式場から、私の命を狙って。
「きゃ、キャプテン!! 船を出せ!! どうしたキャプテン!? さっさと船を出すのだ同志よ!!」
私の叫びに、船員どもが冷めて目で突っ立ている。これだから公国の人間は愚鈍なのだ。
「どうしたキャプテン!! わざわざ船長にすげ替えてやったのだ、仕事をして見せろ!!」
私の声に、船室から身なりの良い男がのんびりと現れた。船長帽と勲章をこれ見よがしに付けているが、私の計らいだと言うことを忘れてもらっては困る。
「予定と違いますな。それに何ですか、あの放送」
「放送ダァ!?」
「こっちの仕込みが全部おじゃんになった。むしろアザレアの強固さを発信させられちゃぁ本国も看過できませんぜ? 特に最後の開拓なんとかって連中だ。相当無茶をしやがる。あそこまでしますかねぇ普通」
文句だけなら無能にも吐ける。やはり処分が必要か。
「今は出港を優先させるのだ!! すぐに出せ!! 瞬く間に出せ!!」
「航路計画の申請も無しにですか? 管理局がうるさいんですよ」
「また管理局か!! そんなもの守っているやつなど居るか!!」
ヒュン、と何かが頬を掠めた。違和感がジワリと熱を持つ。
触れて見ると、指先に赤いぬめりが付着した。
「ひぃぃっ、お前が早く出さないから!!」
ぐらりと船長の体が揺らいだ。目の焦点が合っていない。額には、さっきまで無かった柄の様なものが生えていた。
そのまま倒れた船長を見て手間が省けたと思った。いや、それどころじゃない。
「副船長はどこだ!! 何を油を売ってるか!! もともとお前の船だろうがさっさと出港させい!!」
やはり公国の連中は愚鈍だ。
公国の玄関口まで二日。やれば出来るではないか。修道女も海の上までは追ってこれまい。
だが、船内はアザレアのサイクロプス討伐で持ちきりだった。搬入・調整に入った別働隊も三割が捕縛され、残りは殺害されていた。何と言う大損か。これでは私の責任になってしまう――いいや、まだだ。公国王政は既に我が傀儡に堕ちた。いくらでもアザレアから領土を取り返す機会はあるはずだ。
港口からさらに一日掛かりで首都に入った。王城のヘリアンサスにさえ上手く立ち回れば。
「陛下はどちらだ!? 至急報告したい義がある!!」
謁見の間を守る近衛騎士たちが顔を見合わせる。いや、何故そこでどうしようって顔になる? ヘリアンサス陛下の身辺警護だけは譲れないとか言っておきながら、公国は騎士までも愚鈍とは。いい加減、実権を委譲してもらわねば、この国は本来の北方共和として機能しなくなるぞ。
「……女王陛下でしたら、来賓室で引見されておいでです」
「来客だと!? こんな時に!! 来賓室だな!!」
「お待ちを!! 先方がまだおいでです!!」
年配の騎士が立ちはだかる。
無能どもが。悠長なことを言っている場合か。
「事態は急を要すると言っている!!」
老ぼれを押し除け、来賓室へ向かう。
同志を連れて行きすぎたか。ヘリアンサスが私に勝手で動いているのか? 手綱が緩んだとは思いたくないが、なんらかの制裁は必要だ。側近の更迭、追放だけでは生ぬるい。ならば――。
「陛下、おられるか!! アザレアについて至急提案したい義がある!!」
来賓室へ入ると、窓際のテーブル席でヘリアンサスはティーカップを傾けていた。
今年で三十九歳になる女だ。王配は不幸な事故で他界している。王位継承を持つ連中も始末した。このおっとりした女に、治世の才覚などは無い。後は国民の紛糾を煽るだけで良かった。本国が平定名目で介入し、彼らを正しく導くのだ。
「今は来客中ですよ? 控えなさい」
緩やかな喋りなくせに、何か違和感を感じた。首筋がじっとりと汗ばむのを遅れて気づく。
何だ? 何故、今日に限ってしゃんと背筋を伸ばす? 待て、王城に戻ってから何故同志達から報告が無い? 監視の人員が減っている?
「よくもその様な事が言える!! 国の大事を理解
できないのか!?」
「今以上の大事なんて、そうそうあるものですか」
穏やかな言葉は消えていた。
ソーサーの上に、音もなくカップが置かれる。いや、いつ置いたのか?
どこかで嗅いだ香りだ。
茶の香りだ。
最近、どこかで嗅いだ。いいや、飲んだ。印象深かった。
生唾を飲み込むのを意識した。
「これかしら」
私の視線に、ヘリアンサスが応える。
そうだ。
そのカップに浸されているのは何だ?
「貴方も一杯如何? 折角のお客様からの頂き物ですもの。味わって召し上がりなさいな」
「頂き物だと……。」
「ええ、アザレア国ドクダミ領の名産。名はドクダミ茶――もっとも、貴方も最近までは嗜んでいらしたかしら?」
まさか客人というのは!?
ハッとしてソファセットの区画へ目をやった。
「力が、欲しいかしら?」
巨大な白い毛玉がおった。
「何だお前は!? いや本当に何なんだ!? 何故こんなのが謁見に来れる!? ていうか会うの? 女王が?」
「にゃ。私は上位精霊かしら姑息なヒューマンどもよ」
「口が悪いな上位精霊!!」
「鰹節を献上するかしら?」
「持っとらんわ!!」
「無いのかしら……。」
「ええい、勝手に落ち込みおったわ!! 女王!! これは問題になると心得よ!!」
私が糾弾すると、ヘリアンサスは気にも止めずに、優雅にカップを口元に運んだ。
「って飲んどる場合かーッ!!」
「貴方、うるさいわよ」
青い瞳が射抜いた。冷気が頂点から足まで、稲妻の様に走った。
口の中が一気に乾き、咳き込みそうになる。
何をされたのか? ただ見つめられただけだ。
「お客様の前で、はしたない。ワタクシ――少し機嫌が悪いわ?」
機嫌だと? この傀儡の王がか?
毛玉の背後から気配が湧いたと気づくのは、ヘリアンサスの低いトーンが首元に絡みつくのを振り解こうとした時だ。
見てしまった。
あの時の令嬢の顔を。
「お前は、夜会に居た!?」
「紹介するわ。こちらはアザレア王国SSランクの冒険者にしてアルストロメリア開拓団最高責任者。そして我が娘の夫になるお人――サツキ・クリサンセマム皇子と婚約者のクラン・ベリー姫にあらせられる――お前、頭が高いぞ?」




