352話 カトレア
連中が退席すると、雲間から陽光の線がぽつぽつと注がれた。卯の花腐しにならんで何よりだ。
伯爵もほっと息を吐く。すぐにこちらへ体を向けた。
「誠に申し訳なかった」
悲痛な面持ちで謝罪されてもな。勿論、俺にじゃない。辺境伯令嬢に、だ。
「それより……どういう事……?」
対して彼女は、伯爵家当主に冒険者時代の喋りだった。そういう位置関係を決めているのか。
ドクダミ伯爵も気にしてない風なら、相互に擦り合わせ済みなんだろう。
「口実を付けられたんだよ。無理に捩じ込んでこられた。こちらもここまでの非常識は想定していなかったけれど、邪険にできないから」
「カトレア様ですね……大丈夫なの?」
度々耳にする例の訳ありな伯母上か。それが狙いなら伯爵だって回避したい所だ。クランから好感触を受けるぐらいは、良い人なのだろう。
「過敏になってはいますが、貴女が会いにきてくれるから。二人きりのお茶会が心安げると申しておりました」
「私の方こそ……色々と勉強をさせてもらってる……。特に……48の組み技とか」
何か不穏な言葉が聞こえた気がする。
伯爵も僅かに言葉を失ったが、すぐ顔を顰めた。
「あいつ、こんな年端も行かないお嬢さんになんて事を」
辛うじて搾り出した言葉がこれだった。
意外な態度に、この二人の関係を垣間見た。
それと意外かと思うが、うちのクランも若く見えて相当凄い。俺しか知らない姿だけど。凄いぞ。
……。
……。
待って!! そんな凄いクランにさらに48も組み技を伝授したの!? 本当何やってんだよお宅の伯母上様は!!
「こほん、失礼。それでも貴女と語らう時間は彼女の癒しになります。今日も会って頂けるかな?」
「……望むところ」
「それに、貴方も来てくれた。彼女もきっと喜ぶ」
そこで何で俺を見る? 俺に何を期待する?
ほらクランも「サツキくん今度は何をやらかしたの」って顔で見てくる。
『違うよ?』
音に出さない暗号で釈明してみた。
ツーンとそっぽを向かれた。
本邸三階の一室は、中庭に開けた部屋だった。階下に広がる花の雨の残滓が、垣根や花壇の新緑を輝かせていた。少し光が強いな。
窓際には、確かに柳顔の女性が作りの良いテーブル席に腰を下ろしていた。
先頭の伯爵を見るや、流行り物の書籍に見入る顔を上げ、華やかな笑みに崩れる。開いていた薄い本を閉じると、質素なドレス姿が腰を上げた。
立ち上がる際の、しなやかな腰の動きに思わず見惚れる。婀娜婀娜しいんだ。なのに細身で肌の白さが相まり、儚い春の花を思わせた。幸薄そうとは言い得て妙だな。
「クラン様、お足元の悪い中、おいで下さったのですね。嬉しいです」
歓迎されてる所を見ると、アポイントは不要な仲らしい。というより、さっきの話じゃ師弟関係なんだよなぁ。まさかテーブルの上にあるアレ、指南書じゃないよな?
「ごきげんよう……カトレア師」
「そんな風に呼んでたの!?」
思わず声を上げてしまった。ぬかったわ。
おっとりした瞳がこちらを認めると、驚嘆に目を開いた。さっきも受けたな、この視線。ドクダミ伯爵と同じ反応だ。
「貴方様は……あぁ、これは巡り合わせですのね」
俺に言ってるの? お付きの新人メイドだよ? 大層なもんじゃないよ?
腑に落ちないで居ると、察したドクダミ伯爵が彼女の隣に立った。
「これで思い出して頂けただろうか?」
カトレアさんがその左後ろに寄り添う。
どこかで見た構図――ぶーっ!! やべ、思わず吹き出した。
「あ!! お隣さんか!!」
もう繕う必要もない。
白い追憶庵の三つある離れ部屋。その隣のフード姿のカップルだ。
って、伯爵利用してたの? え? この細身で幸薄そうな儚い人があんなケモノみたいな声出してたの?
「ふふふ、お恥ずかしいわ」
俺の不躾な視線に、カトレアさんが照れたように笑う。
「……お恥ずかしい?」
クランの怪訝な顔がアップで迫った。
「前に会った事があるんだよ。お忍びだったから気づかなかった。まさか伯爵だったとはな」
まぁ、全部白状する事は無いだろう。
「ワタクシ達も、あの時会ったお姉様とイチャコラしていた弟さんと、メイドとして再会するとは思いませんでした。ふふふ、縁は奇なりですわね」
おい。
「……お姉様? ……イチャコラ? ……んん?」
クランの顔が近かった。
どうしてどいつもこいつも秒でバラすかな。
「期待させておいてすまない。彼女、バーベナさんは姉のような存在だが、昔馴染みってだけだ」
「……その通り……真の姉は私……。」
相手がバーベナさんと聞いて引き下がってくれたか。
今、滅茶苦茶話しがややこしくなってるから助かる。
というか、大体の事情が飲み込めた。
「失礼ながら伯爵家の事は調べさせて頂いた。恐らく意図した情報操作がされ、こちらもそれ以上は確証が持てなかったが」
「ハンゲショウと呼んでくれて構わないよ。SSランク冒険者のサツキくん」
ちっ、最初から知られていたか。
ふと隣を見る。
そっぽを向きやがった。お前かよ。おいこら。
「それじゃあハンゲショウさん、ここからは冒険者のやり方でいかせてもらう。あの時の言葉が正しければ、やはり彼女は先代の庶腹か、いてっ」
クランが蹴ってきた。いやこれ大事な所だから。
「いいやそれは違う」
若い伯爵は、視線を逸らさず否定した。
「ああ、なら本当に伯母と甥の関係か。年が近いならそういうのもあるな」
「正しくは伯母ではない」
「だったら伯母ちゃうやろなぁ。普通に従姉妹って所か」
「従姉妹でもない。姉弟だよ」
「なら姉弟で決まりやん!! って、庶腹違うって言ったやん!?」
「庶腹なのは私の方なのだ」
一瞬、クランを見る。
マジ、と頷いた。
どんだけややこしいんだよドクダミ伯爵家……。
「されどカトレア姉さんの事を一人の女性として愛している気持ちに嘘偽りはない」
そりゃあんなに激しくしてたもんな。
「ワタクシの方こそ貴方を愛していますよ、ショウくん」
そりゃあんなに激しく打ち合ってたもんな。
「カトレア姉さん」
「ショウくん」
見つめ合う。
「カトレア姉さん」
「ショウくん」
見つめ合う。
「……。」
「……。」
見つめ合う。
「おい何だこいつら、突然キックオフを始めやがったぞ!?」
「私たちも……負けていられない」
「それツッコミ不在になるやつ!!」
緊急を要する手配が山積みだってのに。浸ってる場合か。
「そういうのは今夜を乗り切ってからにしてくれ。身内だっけってわけにはいかないでしょ。既に領都入りした来賓だって居るんだから」
招待客のリストアップに不備は許されない。開催当日の急な申し入れに出席は難しくても、一筆をしたためるか否かの差は大きい。
「予想よりも非常識ではあるけれど、パーティ自体は織り込み済みだ。彼女もそこは覚悟をしている。来賓の他領貴族や名代にも根回し済み――というより最初から賛同してくれた協力者だ」
そこでクランを見る。なるほどね。
「そりゃ筆頭公爵家と辺境伯は大きいけれど。中止にはできないのか?」
「惹きつけるいい口実だとは思わないかね? あちらへの潜入準備も進めていたから。クラン嬢もメイド長を貸してくれるし」
意外と抜け目が無いな。
「カトレアさんはそれでいいのか?」
薄幸そうな美貌は、ただ「はい」とだけ答えた。真っ直ぐな瞳だ。柳腰でいて芯が通ってる。
「ならこちらは最大限のバックアップに努めるが……どうしたクラン?」
妙な視線で見られていた。見つめられていた。
「ううん……サツキくんだなって……思って」
おかしな奴だ。
その後、各々の準備の為に解散となった。
さて、伯爵様は我が愛しのクランにどんなドレスを贈っていただけるのか。




