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351話 雨音の調べ

 東雲(しののめ)の頃に地を叩いた雨も、玉響(たまゆら)の残響に後ろ髪をひかれた頃には、陽光と共に世界を独特の匂いで包んでいた。

 湿度が酷い。髪がいまいちまとまらない。編み込みは諦めて、自分のは無造作に後ろで結んだ。


「君はいいね。さらさらで」


 鏡面に映るクランの髪をとかしながら、密かに柔らかな手触りを楽しんだ。櫛はマリーが置いていったつげ櫛だ。髪の通りがいい。

 鏡の向こうの女が、眠たそうに薄目を開けた。視線意を識して桜色の口を窄める。拗ねた?


「……少し伸びたわ」


 オダマキの頃はベリーショートだったもんな。

 って、違う。何を訴えたい? 髪、触りすぎたか?


「毛先を揃えるなら、従姉妹殿に頼んだら? 喜び勇んで飛んで出来るよ」


 カシス姉、敢えて距離を置いたように見受けられるが、そこは些細なことだろう。むしろ、側に居る俺の排斥を望んでいらっしゃる。


「サツキくんが……切って……。」

「嫁入り前の女の髪を俺に? 冗談じゃない」

「ざっくりやれば……縁談なんて御破算になるかもー」

「それ、俺が諸々の恨みを買うやつ。禍根は残したく無いなぁ」


 無駄口をたたきつつ、クランを着飾っていく。

 間も無く白藍(しらあい)でありながら鮮やかなドレス姿の貴婦人に仕上がった。輝いて見えるのは着ている本人の資質だろうな。


「……綺麗?」

「エスコートできないのが口惜しいくらいには」


 それはそれは、と呆れたような顔をされた。

 何なんだよ。




 朝っぱらからおめかししたのには理由がある。

 ドクダミ伯爵本邸だ。

 そりゃ婚約者だ。婚礼の前に交流的な接触はあるだろう。客間に通された時、先客が居た。

 どういうつもりだ。そんな所に俺のクランを案内するなよ。舐めてんのか。

 中に居た一同にメンチを切りたい所をグッと堪えて瞼を伏せた。


「これはフィアンセ殿。早速(さっそく)お目にかかれるとは光栄です」


 薄い七三分けの男が立ち上がる。

 身なりは上流貴族だが、要所要所に見かけない意匠のアクセサリーが目立った。

 伯爵と婚約者の会合に、何をずけずけと上がり込んでんだ?


「お初にお目に掛かりますわね?」


 流暢な北方語が目の前の女から出て、俺を含める三人の男がギョッとした。

 そりゃ冒険者ならバイリンガルは嗜むわな。って事はコイツが例のヒマワリ公国からの使者か。そして奥のデスクから立ち上がってクランを迎えようと歩み寄るのがドクダミ伯爵家当主のハンゲショウだ。噂通り若い。髪をきっちりと整えた好青年風だ。


「クランさんこちらは……いやご存知ですね。ですが改めて紹介させて頂きます。ヒマワリ公国から祝義でおいで下さった――。」


 ここで神経質そうなおっさんの紹介が始まる。が、どうせ偽造した経歴だろうし特に特筆する物がない。名前もいいや。北方偽王族で。

 柔和な笑みを貼り付けているが、妙な視線でクランを舐めまわしてやがる。気に食わないな。不躾すぎるんだよ。


「公国のような友好国がお祝いに駆けつけてくれた事。大変嬉しく存じます」


 クランがドレスをつまみ膝を曲げる。

 今度は()()()()アザレアの言葉で返礼だ。


 ……めっちゃ普通に喋ってんだよな、コイツ。


 いつものコミュ障言葉はどうした?


「なんのなんの。いずれは縁者になりますからね。その際は是非、我が公国にご招待いたしましょう」


 縁者ねぇ……演者の方だったりしてな。


「まあ、素敵なご提案ですわね。ですが、その縁者というのは伺っていませんわね?」


 ハンゲショウに振る。

 一瞬、若伯爵の眉根が寄るのを見逃さなかった。


「公国から殿下と我が伯母上の婚約の申し入れがあり、アザレア王家と共に内々で進めていたのだよ」

「伯母上様とおっしゃいますとカトレア様でしょうか? それは大変素晴らしいお話しですわね」


 白々しいクランの言葉に、ドクダミ伯爵の口元が引き攣った。色々と溜まってるんだろうな。


「その事でご提案しに参りました。クランお嬢様にも是非、ご賛同を頂きたい」


 芝居じみた仕草で北方偽王族が礼をする。

 道化だな。戦術はどうかと知らんが戦略はバレてんだよ。後の問題は前者だ。どう絡めてくるか。


『カトレア殿とは既知か?』


 クランの背後に控えつつ、誰にも拾えない音の振動で暗号通信をする。


『……幸の……薄そうな女性』

『君よりも?』

『私よりも――て待ってそれどういう意味?』


「殿下のお立場も鑑みれば伯爵家だけの話ではありません。その件はこちらの王家からの答え待ちですので、あまり急いてもお互い良い結果にはなりませんでしょう」


 ハンゲショウさん、躱しに行ってるな。どこまで通じるか。向こうは婚儀に付け込んで公式の場で公表すると企んでるだろう。ならリミットは婚礼の儀だ。

 あ、目が合った。どうした伯爵? そんなに驚いた顔をして? 俺を見つめて……まさか惚れたか? 目の前に婚約者が居るのに? 俺も罪なメイドだぜ。


「確かに、今は交友を温める時期でしょうな」


 いまいち納得がいってない風ありありだが、北方偽王族が引き下がった。と思いきや、満面の笑みを貼り付けやがった。


「それでは今夜、その交友が深まることを期待しましょう。えぇ、カトレア嬢と直接お話しが出来ることを、楽しみにしておりますよ」


 今夜?

 クランを見る。わずかに首が横に振られた。君も知らないのか。


「何か催されるのですね、伯爵。私は仲間はずれですか?」


 戯けた(おど)ように笑うが、首筋に球のような汗が滲むのが見えた。このコミュ障娘。そろそろ限界か。


「えぇ、急な企画でご連絡が遅れ申し訳ありません。後ほどお誘いとドレスを贈らせて頂こうと思っていました」


 嫌な予感がしたが次の言葉に、俺は天を仰いで目を覆いたくなった。


「せっかく殿下がおいで下さったので、歓迎のパーティを開催しようと、計画していたのです」


 そんなもの計画じゃねー!!

 おおかたこの北方偽王族にせっつかれたんだろう。貴族のパーティが庶民のお誕生会感覚でホイホイ開催できるか。招待客への根回しや酒料理物資の調達、贈り物、オーケストラの手配、諸々……本来なら数日掛けて立案実行されるものだ。


「それは……準備が大変そう……ですね」


 クランも呆れてコミュ障言葉になっていた。


「パーティといっても、身内だけのものだよ。こちらは伯爵家近縁者と重臣だけだから」


 それでも足りない。頭数が全然足りない。相手は偽装してるとはいえ外遊を兼ねる立場なんだぞ。


「それは素敵ですわ。私も仰せにあるささやかな催しに憧れておりましたの」


 お、クランが復活した。

 遠回しに勝手に決めるなと非難しているが、この場に気づくものは居ない。


「それは提案した甲斐がありますな」


 ハハハと笑ってるけどさ。この北方偽王族、自分の歓迎会を提案すんじゃねー。

 気づくと、今朝晴れたはずの雨が、館の庭を濡らしていた。

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