350話 どちらだと思う?
遠くに見えた街の影も霞から消えた所に、深い渓谷があった。
街道が整備されておらず、というより道らしき道も無く商人も経路から外す悪路だ。襲う行商も通らなければ野盗も寄りつかない。高低差の激しい地形から多様な魔獣の住処となりレベリングの隠れスポットになっていた。
「なので、この子にはいい狩場になる」
俺の姿を見つけるなり、赤いワイバーンは一目散に飛来した。
凄い勢いで甘えてくる。頭を擦り寄せてくる。クンクン嗅がれるのは、俺に染み込んだクランの匂いを感じるのかな。めっちゃメイド服のスカートの中を嗅がれた。
「久しぶりですわね、ホウセンカ。ワタクシの事は覚えていて?」
スミレさんが優雅に声を掛ける。パンツルックの冒険者装備だ。
そちらに反応せず、ずっと俺のスカートの中を嗅いでいる。
「……。」
「スミレ様、すみません。今、竜種同士のコミュニケーション中なのでしょう」
「俺のどこにドラゴン要素があるって!? んっ」
鼻先が変な所に触れた。
「居るじゃないですか。私やサザちゃんや、クランお嬢様をヒィヒィ言わせたドラゴンが。その中に!!」
「そうね。そしていずれはワタクシもそのドラゴンに貪られるのね。その中の!!」
「だから君は婚約者が居るだろ!! 全身タイツの!!」
「現在、婚約破棄待ちです。早期卒業してしまったので学園行事での破棄宣言をお受けできないのが難題ですが」
「そのままずるずると行って成婚しちまえ」
破棄されるにしたって、その後が何で俺なんだよ……まさか俺の出自が把握された?
「あぁ、いずれ白濁したドラゴンブレス塗れにされてしまうのですね」
「最強魔法を白濁させんなよ」
独自の上位魔法と言語を持つドラゴンのブレスは、観測しうる最上級魔法に挙げられる。ワイバーンのそれとは区別されていた。
「いいから呼んで見ろ」
いつまでもこのままってワケには。
言われるまま、スミレさんが何度か呼ぶ。
「とーとーととと」
ニワトリか!!
隣で奇妙な行動を取られて気になったのか、ホウセンカが俺のスカートから頭を抜き、スミレさんのほうに寄せて行った。
「やっと見てくれたわね。ホウセンカ」
ソワソワしながら、下のジッパーを下ろす。
「って何嗅がせようとしてんだよ!! そういうルールじゃないから!!」
うちの子に変な習性付けないでくれる?
「サツキ様が満更でもなさそうな顔をなさっておいででしたので」
「俺そんな顔してた!?」
「サツくんは自分のポテンシャルを理解すべきよ」
どういう意味だ?
「俺の可能性より、今はスミレの方だ。長距離は未経験なんだから、まずは慣らしから行こう」
「――あん」
ちょっと目を離した隙に嗅がせてた……。
ホウセンカも、め!! そんな所嗅いじゃいけません!! め!!
「そんな風に……がむしゃらに来られたらワタクシ……。」
え、俺こんな顔してたの? ていうか公爵令嬢がしていい顔じゃないよこれ。
「完熟訓練を済ませておいて良かったよ」
「同じパーティだったのよね? どうりで上手だと思ったわ」
上空で旋回するホウセンカの手綱を握るのはスミレさんだ。仲間と認めたなら言語での指示命令が可能なため、手綱の意味は疑問視されるが、そこは気分である。
「とはいえ長距離フライトはお初だからね。後はホウセンカの機転頼りになる」
両手を振って降りてくるよう指示を出す。ホウセンカにでは無くスミレさんにだ。
ここは彼女の命令を優先してもらわなきゃ。
「小回りは申し分ない。アルストロメリア前の臨時拠点まで、本人の体力次第ってところか」
「公爵令嬢に期待するところでは無いわね。郵便屋さんの代わりだなんて」
非難されてる? 女の子を道具のように扱うから?
「贖罪だって言うんだ。利用してる風を装うのだって気遣いでしょ」
「え、食べられちゃうの!?」
「食材じゃねーよ!!」
スミレさんに課す任務は拠点間の伝令だ。開拓隊の人材も後々必要になる。考慮すべきはホウセンカの飛行距離よりも搭乗者の体力だ。だからフライトプランには余裕を持たせていたが、その分、野宿が増える。こちらも冒険者の教導を済ませているから問題はないだろう。
他にも懸念事項はあった。
……公爵令嬢。ホウセンカに変な事教え込まないだろうな?
信じて送り出していいんだよな?
仄かな明かりが頼りない部屋で、オッサン五名と肩を寄せ合い小さな卓を囲んでいた。
どいつも癖の強い眼差しでこちらを睨む。まさに値踏みだ。商業ギルド加盟の大店だもんな。
「クレマチスさんからは聞いている」
でっぷりした腹の男が、穏やかな口調で始めた。
「こちらもトレーダーの事務所に確認は取れたがね、まさかあちらこちらで搬入物が失踪してるとはね。えらい事だよ君」
「俺のせいじゃねーよ。荷受け人が被害届を出さない内は冒険者ギルドにクエストは公開できない。発注元の中継は根こそぎ雲隠れだ」
「幾つかは捕捉したぜ」
頬のこけた細身の男だ。商人より殺人鬼の方が似合ってそうな眼光だ。
「全部死体になっちまったがな」
他の代表者も肩をすくめた。
異常事態なら独自の情報網をフル稼働にしただろう。彼らの怖いところがその収拾能力と効果範囲だ。アザレア全土をカバーできなきゃパイナスで大店は務まらない。
その嗅覚だからこそ、クレマチス以外の市場大手さんがこのタイミングでドクダミ領都に顔を並べた。分かる話だが果たして。
「きなくせぇんですよ、メイドの兄さん。最近でも三件も、それぞれ離れた現場で討伐騒動があったそうじゃ無いですか」
糸目にターバンを巻いた商人だ。
「そりゃあ前哨戦ってより運用テストって見る方が、よほど筋が通りましょうな」
「同感だ。諸君らもそう思ったから呼び掛けに応じたのだろう?」
俺の問いに、男たちの口の端が笑みに歪んだ。
「新たな商材が転がり込んできたって話じゃ無ぇ。直接俺らが益を得るなんざ思っちゃいねぇよ。本質はその先だ。そうだろ?」
ごたくはいいって事か。
そう急くなよ。
「仰せの通りだぜ。折角の機会だ。ここはワールドワイドにアザレアのプロモーションと行こうと思う。その先にあるものを儲けにするかは諸君ら次第だが、決して損はさせない――乗るかい?」
テーブルに人数分の資料を出した。
彼らには数字で説明する方が早い。
まともな奴なら絶対に乗らない。ギラついた目で資料に目を通す男たちが、凡庸で無い事は承知している。
「おいメイドの兄ちゃん、先に聞いておきたい」
「何だ?」
「オメェ……本当にどっちなんだ?」
何を聞かれたか理解するまで、時間が掛かった。
今、そこを気にするか?
「さて」
とスカートの裾を太ももまで上げて見せた。
「どちらだと思う?」




