341話 軽蔑
「ハーブティよ。ツルコケ特産のスタンダードなやつ。懐かしいでしょ?」
「うん、これ、好き……。」
バーベナさんが品のいいソーサーとカップを置くと、いじけるサザンカは両手で口元へ運んだ。
いい歳して赤ちゃん飲みかよ。俺が惚れ憧れたゴリラ要素はどこへ置いてきた?
「まったく、何が貴女をここまで変えさせたのかしら……。」
「まったく、バーベナさんのせいだと思うよ」
サザンカの好意は承知している。決別していたのがコデマリくんの護衛でもって歩み寄りを見せたのも。
だから彼女とは次の再会で認識のすり合わせが必要だったんだ。そのはずだが……。
「でも昨夜凄い事をしたのは事実よ?」
ぴくん、と筋肉質でありながら女性らしい細身の背が跳ねた。
「サツキはぁ、またそうやってぇぇえ」
恨みがましく睨んできた。
「そもそもどうしてベナ姉と旅してるのよ? クランを攫いに来たんじゃ無かったの? アリストロメリア開拓の進捗はどうなったのよ?」
「クランとの別行動は事の流れだ。決別したわけじゃないし、合流する手筈もある」
「だったらあの子を差し置いてベナ姉とやっちゃうのはおかしいいでしょ!!」
むぅ正論。
バーベナさんとの関係は俺の不義理だ。返す言葉がない。
「昨夜については……私が、ただの姉と弟の関係では嫌だと申し上げたのよ」
「意味が分からないわよ、ちゃんと敷衍なさいな!! この二人の関係を知っていて、よく図々しく割り込めるわね? 貴女だってゼラニウムとの関係はあるんじゃなくて?」
あ。
「ええ、彼にはフラれたわ。ていうか付き合ってる女が居たんですって。馬鹿みたいね、ウケる」
「あー、うん。ごめん。ベナ姉を振るなんて見所の無い男だったのね。って、それで弟のように可愛がってた男の子に手を出すのは常軌を逸するわよ!! サツキも断りなさいよ!!」
むしろ、拒む方が楽だ。
クランに義理を立てるなら幾らでもやり方は有る。事ここに至って、バーベナさんと行動を共にする必然性も消えた。
「ただの成り行きとは思いたく無いんでね。だから朝まで味わい尽くした。俺が彼女にそう切望したんだ」
「あ、朝まで!? あの後、この部屋で……あ、朝までぇ!?」
口をぱくぱくさせる。
「それって、ずっとしてたって事?」
「間に小休止は挟んだよ?」
「信じらんない!!」
怒りに歪めた形相が迫る。
美人がキレると迫力と臨場感が違う。大迫力だ。
「破廉恥だわ。今のベナ姉、とっても汚ならしい。何を薄ら笑いしてるのよ? 単純な猜忌の念じゃ無いわ。これは軽蔑よ」
「良い役職についても、いつまでも子供なのね。年齢に追い詰められた女が手段を選べると思って? 親友に気を遣いながら冒険の旅で進展がない事に、焦りするら感じないんだもの」
「あたしは告白されたわ。花だって添えて。だからって!! そんな単純じゃないのよ!! 嬉しくない訳ないじゃない!! サツキがあんな呪いに掛かってさえいなければあたしだって!!」
鬼のような顔で食って掛かるサザンカに、バーベナさんは困った風に視線を宙に彷徨わせた。肩を竦め、諦めたような溜息をわざとらしく吐く。
「環境に甘えすぎよ。そんなのだから、みすみす他の女に食われるのよ。昨夜はたまたま私だったってだけ。冒険者としての旅で近くに居ながら体裁のいい言い訳は、さぞ楽に距離を保てたのでしょうね」
その辺にしておけよ。
今の言葉、全部バーベナさんの事じゃないか。
「楽をしたくて恋なんてしないわよ!! 誰が好き好んでこんな辛い気持ちを抱えるもんですか!!」
叫んでからハッとして俺を見る。
有耶無耶にしてきた彼女の本心だ。
俺に、再戦の機会が巡ってきた。
「サザンカ……。」
「うるさい喋るな!! あんたなんか大嫌い!! サツキの馬鹿!! ちんこもげろ!!」
あの、再戦の機会……。
「もう知らない!!」
子供みたいな罵詈雑言を残して、サザンカは部屋を飛び出した。一応、ドアを壊さないよう配慮しつつ。
だよな。女将さん怖いもんな。
「追って、サツくん」
「え、俺っすか?」
「あんな風に言ってるけど、サツくんが追いかけてくるのを待ってるのよ。待ち構えているのよ」
迎撃されるの?
「話し合う余地はあるから。だから間違わないで?」
「だったらいいんだけどな」
開け放たれたドアへ足を向ける。
ゆっくりと、次第に駆け足に。
俺の背に「捕まえたなら帰って来なくてもいいから頑張るのよ」と激励が掛かった。
そいつは相手の出方次第だ。
「追ってはみたものの、徒競でアイツに勝てる見込みもないし……。」
宿屋を飛び出した時には既に消えた方角すら掴めなかった。
「手ぶらでは帰れんか」
繁華街の裏手を目指した。
宵の口だ。行き交う影は多いが、冒険者の僧侶職なんて珍しくもない。女を探していると聞き込めば花町へ行けと返されるのがオチだ。
賑やかな表通りに対して、静かな飲み屋街があった。居並ぶ店構えが小道を形成する横丁は、どこの街にもひっそりと佇む裏の名物である。
ドクダミ領都は茶屋街だ。
古びた暖簾が、様々な紋様で飾り、来訪者をもてなしていた。
その内の一つへ入る。
店内はがらんとしていた。こんな時間に茶屋に入る酔狂なんて訳ありしか居ない。つまり俺だ。
カウンターでエプロン姿の老婆が来店者を笑顔で迎える。
街の情報屋の古株と誰に想像できようか。
看板には一筆書きで「婆あの茶屋」とだけあった。




