327話 白い追憶庵
「絶対にされた」
雛鳥のように俺の後ろに付くバーベナさんが不平をぶつける。
「何だよ?」
「絶対にされたわ、誤解。サツくんがあんな言い方するから」
「だから何が気に食わないんだよ。はっきりと言いたまえ」
女の子はどうしてこう私の不満を察しろと無茶を仰せか。
「さっきの若妻風な女性よ!!」
そっちか。あのご婦人、ずっとニマニマしてたよな。あと俺の下半身によく視線が行ってた。
「昼間から我慢できなくなった頭の中桃色(果肉たっぷり)カップルだと思われたわよ!!」
「馬鹿な!? 果肉たっぷりだと!?」
「気づいてなかったっていうの!?」
「いや……薄々はそうでは無いかと……。」
「ああもうっ!! 今頃はご婦人の頭の中で私が大股開きでサツくんの上に乗ってオンオン鳴きながらグラインドさせられてるわよ!? どうしてくれるの!?」
通り過ぎた親子連れがいたが、母親が咄嗟にお子様の両耳を塞いだ。ファインプレイだ。
「お姉ちゃんあまり大きな声で」
「大きな声を出させたいって言うの!? 弟が姉に対して!!」
「ていうかお姉ちゃんが上になるの?」
「おかわりはサツくんから来てくれてもいいのよ!!」
「えー、俺が上に乗ってオンオン鳴きながらグラウンドするの? 嫌だなぁ……。」
実際姉弟では無いけど、道行く人にはどう見えただろうか?
「ひとまず気にしないで。ほら、一伯爵領の一住人なんてどうせもう合わないよね? これ以上恥の上塗りになる前に、忘れよ? さっさと宿、取ろ?」
「分かったわ!! 今から音が外に漏れない宿に入るのね!!」
もうわざと言ってるだろ!!
ご婦人たちが頬を赤らめヒソヒソ話している。いっそプレイじゃないのかこれ?
「……もう黙って進も? 可能な限り目立ちたくはないんだ」
「二人きりの夜でも手を出さない弟くんだものね」
「何で恨み節に言ってくるの?」
「つーん」
その後は普通に宿に向かった。
「御免なさいサツくん、お姉ちゃんが悪かった。はしゃぎ過ぎたのよ」
俺の口数が減ったのをどう感じたのか。しおらしく後ろを歩くバーベナさんが謝罪を口にした。基本、真面目な人だから。
「分かってるよ。辺境伯領から出ることはあっても大抵は護衛か作戦行動だもんな。浮かれもするって」
こんな戯言でも、ゼラニウムさんの事が少しでも吹っ切れてくれれば。
彼女の表情が気になったが、ただ前を進んだ。
到着したのは大衆宿屋だった。個人経営では無いが全国展開のチェーン店でも無い。中規模の企業経営だ。看板には『白い追憶庵』とある。どこかで見た字面だ。
入り口の壁にフレームで案内板が飾られている。お、これは!!
「バーベナさん、ここ温泉があるって」
「温泉!? 私初めてだよ、サツくん!!」
しおらしかった彼女もテンションが上がる。良かった!!
気に入ってくれたなら、ハナショウブさんの怨念の館じゅなかった温泉の館に招待しよう。かくなる上は湯船という湯船に放り込んでくれるわ!!
「ねぇねぇ、この内風呂って何かな!!」
「さ、さぁ……何かな」
早速余計な物を見つけやがった。
「ひとまず、普通の部屋でいいよね」
「大声が出てしまっても外に漏れない部屋ね」
「よく考えたら、作戦会議はギルドの貸しスペースを使えばいい」
個人オーダーはギルドの仲介こそ必須だが守秘義務が鉄則な為、ギルド舎に防犯、盗聴対策、魔道対策を施したレンタルスペースが常設されていた。
ジギタリスでシチダンカやハリエンジュさんが使ったスペースがそれだ。
「詳しくは中で聞きましょう!!」
はしゃぐ少女のように俺の手を引きドアをスライドさせた。すぐに硬直した。
「いらっしゃいませ。ふふふ」
3メートル先の正面カウンターを挟んで、先ほど道案内をしたご婦人が笑みを浮かべていた。ここの従業員だったのかよ!!
先にカウンターに居るって事は、地元民ならではの裏道か。
「ようこそおいでくださいました。それでは――。」
とご婦人が大きく息を吸うと、
「ご新規百合姉妹カップル様ごあんなーいー」
「待て待て!!」
「あ、百合姉妹様一番奥の部屋へご案なーい」
「何言い直してんだよ!! 俺たちは姉妹じゃないよ!!」
「何を仰せですか。愛し合う女と女がそこに居る。即ち姉妹です」
「その時点でおかしいよ!!」
「女同士が合わせて滴る蜜壺の一雫は血の絆よりも濃いのです」
「そりゃ濃そうだけどさ!!」
「そう。二枚の貝が重なる時、二人は新しいステージに登り詰めるであろう」
「嫌なダンジョンのギミックだなおい!! それと俺は男だよ!!」
「確かに、我がドクダミ領にはそのようなダンジョンもあったと聞きます――え、男のかた!? えぇ!? これほどお美しいのに!?」
やっと話が進みそうだ。
「申し訳ありませんでした!! では最初から――ご新規オネショタカップル様ごあんなーいー」
「何でそこから始めちゃうんだよ!!」
くいくい、と後ろから袖が引かれる。
見ると、バーベナさんが茹で上がった顔色で縮こまっていた。さっき大通りで大声ではしゃいで居たのがこれである。
「……あの……もうそろそろ……その辺で。お姉ちゃん限界」
意外と耐性無いのな。
ロビーに居る客の視線が気になるのか? この程度の奇異の視線、日常茶飯事だぜ?
「!? お待ちください、お客様はまさかご姉弟ででしたでしょうか……?」
このままだと埒が開かない。家族って事にしておくか。
「ああ、こちらは俺の姉さんだ。期待した関係じゃなくて悪かったな。普通の部屋でいいから通してくれ」
「私とした事がとんだご無礼を!!」
深々と頭を下げ、愀然と構える。え、それほどの事?
「分かってくれたのならいい。ひとまず部屋を」
「――何の変哲もない平和な家庭」
「何か始まった?」
「優しい父母に育てられすくすく育った仲の良い姉弟」
「そのまま始まるのな」
「そんなある日、具体的には第二次性徴の頃になると次第に姉の仕草に弟はドキリとするのです」
「むしろその頃にトラウマを植え付けられたんだが」
「いけないと己を嫌悪しつつも向けてしまう視線。姉の方もそれと気づきながら次第に男らしく成長していく姿に視線を奪われる」
「これ現代編まで続くの? 長くない? あと8年分くらい語るの?」
あ、バーベナさんの年齢は絶対に逆算しないように。消される。
「そして今、誰にも憚れる事の無い二人きりのお泊まり!!」
「一気に飛び越えて来たなおい!! 絶対飽きただろ!!」
ガチャリ、と重厚なルームキーがカウンターに置かれた。
「いずれにしてもこのアナロジーはいと尊き事。とっておきの部屋です。何も言わず受け取ってください」
今、何とナニを類推したの?
ロビーの客たちから「おおっ」と感嘆の声が上がる。
バーベナさん真っ赤になって俺の裾を掴むだけだ。
従業員の婦人が満面の笑みでその様を見守る。
味方は居なかった。
「昼間っから桃色な妄想を垂れ流して何の騒ぎですか?」
年配の女性の声がした。奥の階段を降りてきた所だ。
「まったく貴女は、お客様をいつまで立たせたままにする気なのよ。早く合体しないと出れない部屋に放り込んでしまいなさい」
おい、こら。
入り口の看板の達筆。ちょっと前に見たと思った。
品の良い着物姿の女将は、ハイビスカス道中の旅籠で会ったヒメシラギクさんだった。




