312話 ブラックベリーオマジナイ
まだ過去エピソードが続きます。
サツキのトラウマ回です。
――周りが賑やかだけれど、楽しいからいいや。
思うがままに、辺境伯の股間を堪能した。躁状態とも安らぎとも違う。楽観主義か、或いはこの頃のサツキ少年は快楽主義の気があった。
「オノレ……オ父様……どうあっテモさつキを我が物ト欲スルのね」
「待てクラン、これお父様は被害者だよな!?」
「私が……どれだけの時間を費やして……サツキを股の間に導いたとお思いですか……? 毎日少しずつ……恥ずかしがるサツキをスカートの中に押し込んで……。」
「毎日こんなことやってたのか!!」
不毛なんだよな。
俺、この頃は苺さんに恋してたんだから。
多分、憧れる順位は『苺さん>ブルー叔父さん>バーベナお姉さん>クランお姉ちゃん&ワイルド兄ちゃん』だと思う。
「一体!! 一体この中で何が行われているというのでしょう!!」
テーブルの外がうるさい。憧れる順位、間違えたかな?
だけど扉の開く音がしたら、魔法使いのお姉さんは静かになったんだ。
「騒々しいわよ、バーベナちゃん? ああ、それとお母さんの旦那様を見なかったかしら?」
「ひぃぃっ!? み、みみ、見ませんでしたぁ!! 本当に見てはいません!! 見ては居ませんが決っしてテーブルの下は覗いてはいけません!!」
下手くそか。
「そう分かったわ」
物分かりいいのか。
「バーベナちゃん。お仕事に戻りましょうね?」
「し、しかし、私にはクラン様の護衛の任が」
「クランは、どこに居るのかしらぁ?」
「はっ!! ここにはいらっしゃいません!!」
「それじゃあ、クランの居るところに行かなくちゃね」
「……。」
「……。」
「はっ!! クランお嬢様を探して参ります!!」
「バーベナちゃん」
「はっ!!」
「お仕置きね」
「はっ!! ――はぃぃぃっ!?」
「そこのテーブルに手を着くのよ」
「お、お待ちを!! 何卒今一度、私にチャンスを頂きたく!!」
「テーブルに手をついてお尻をこちらに向けるのよ」
「か、必ずや!! 必ずや次こそはご期待に添えますので!! あ、待って、パンツ降ろさないでー!!」
そこから先は、魔法使いのお姉さんの叫びが続いた。
叫びなのだけれど、苦痛によるものじゃない気がする。なんか、変な感じ。泣き声なのに、なんか変な感じ。
あと、ぐちゅぐちゅじゅぽじゅぽと、水たまりで跳ねるような音。雨も降ってないし、館の応接間なのに。なのにぐちゅぐちゅという水っぽい音は激しさを増す。
唯ならぬお姉さんの叫びと相まって。少年の俺は、ただ恐怖におののいた。
すぐテーブルクロスを挟んで、魔法使いのお姉さんが、苺さんに責苦を受けているのは分かる。
聞こえた言葉で分かるのは、どこかに行くって事ぐらい。クランお姉ちゃんを探しに行くのかな? でもクランお姉ちゃんはここに居るしな。
クランお姉ちゃん?
荒い呼吸でじっとテーブルクロスを見ている。ずっともじもじしてるけど、何かを我慢してるみたい。
やがて、魔法使いのお姉さんの声が――ケモノの鳴き声のようになった。
あの穏やかで優しいお姉さんが。こんな猛獣のような声を出すなんて。
怖かった。
ブルー叔父さんも涙目で震えるくらい。
怖かったよ。
死んじゃうって、叫ぶお姉さんも、そうさせる苺さんも。
死んじゃう死んじゃう死んじゃうって、ずっと吠えてた。それと行きたく無いって。これ以上は行きたく無いって言ってた。
あぁ、僕もこのままじゃ殺されちゃうのかな。お姉さんのように責苦を受けて。
クランお姉ちゃんと秘密の遊びを続けたばかりに。
一際、大きな声が上がった。
水? 花瓶の中身をぶちまけたように、外側からテーブルクロスに水が掛かる。
染みが静かに垂れていくのに合わせて、どさりと床に落ちる音がした。
お姉さんの声は、途端に途切れて応接間は静かになった。
全てが終わったと悟った。
気づくと、ブルー叔父さんが僕の肩を庇うように引き寄せていた。
「安心しなサツ坊。お前は俺が守る」
自分だって逃げてきたのに。それなのに僕を勇気づけてくれる。魔獣や侵略国の悪い人たちから皆んなを護った、僕の憧れるブルー辺境伯。
「守り切れると……いいわね……お父様」
クランお姉ちゃんに速攻で裏切られていた。
テーブルクロスの向こうに、お姉さんとは別の影が浮き出た。
「さて。何が出てくるかしら、お母さんとっても楽しみ」
その下。裾下から白い五指が現れた。ゆっくりとテーブルクロスが持ち上がる。
目に入ったのは御所染色もドレスのスカートと、横たわるお姉さんだ。
お姉さん、法衣もスカートが捲れてムチっとした太ももが汗ばんでるけど、呼吸はしている。良かった、生きているみたい。
「こんな所にいたのね、ワタクシの旦那様」
「「ひ」」
思わずブルー叔父さんと抱き合ったまま悲鳴にならない呼吸を出した。
「本当に、どうしようもない大人たちだねぇ。こんなに震えて可哀想に。さぞ怖かったろうに。安心おし。サツ坊の怖いものなんか、このオババが追い払ってあげるから。なぁんにも心配無いよ。怖い怖いが無い無いになるオマジナイを掛けてやるからね。安心おし。明日の朝に目が覚めるころは、いつもの元気なサツ坊に戻るはずだから」
大好きだったブルー婆ちゃん。僕のお父さんと冒険者のパーティだった魔法使いのお婆ちゃん。
「でもね、サツ坊? どうしても大切なものを守りたい時は、すべてを思い出さなくちゃならいよ? それはね、今のサツ坊が怖いと思う事を思い出すことだから、失う事の怖さと、ちゃんと天秤に掛けなくちゃぁならない。どれ、その方法も教えてあげなくちゃぁね。よおくお聞きサツ坊。すべてを思い出すおまじないはね――。」




