223話 宿場の朝
一階のカウンターが喧々囂々に沸く前。既に目が覚めていた。
これから起きる阿鼻叫喚に反して、爽やかな朝だ。
裏の畑でラッセルが鳴いていた。
……え? 何で他所様の畑を掘らそうとしてるの?
「三個小隊といった所かしら……表通りに……差し掛かったわ?」
「ガザニアあたり、先走らなきゃいいけど」
「役割は……心得てる人だから……。」
って、何で俺のベッドから出てくるの!?
どうりで暖かいと思った。
「身支度、身支度。おい、こっちを見るな」
「じー……。」
そして俺は何でまた女の子のランジェリーを着せられてるんだ……?
「眼福……眼福……。」
「いや、ほんと見ないで」
凄いガン見してくる。着替えづらいよ。
「朝食、バスケットにしてもらって良かったぜ。そちらは任せた」
「ん……。」
返事と共に、ばさりとパジャマを脱ぐ。
細い体に白いキャミソールが曲線を浮立たせていた。
「もっと……魅たい?」
「惜しいが遠慮する。切り上げどころが分からなくなる」
「ふぅん」
クローゼットへ向かうと、背後で満足げに鼻を鳴らす音が聞こえた。
ハッとして振り向くと、いやらしく口元を歪めたクランが向こうを向く所だった。
少女の邪悪な笑みにゾッとした。
会いたくて逢いたくて踏む薄氷り。
踏んだのは、本当に彼女の方であったろうか。
「我らは代官様護衛隊だ!! 冒険者サツキが滞在している事は知っている!! 大人しく出頭するがいい!!」
ロビーに響き渡る声は、朝のまったり感を台無しにするのに十分だ。つか名指しかよ。
兵士は、中に6名、外に10名。人数分の馬はあるが荷車や馬車はない。
俺を市中引き回しにでもする気か。
「他のお客様のご迷惑になります。もう少しお静かに願います」
年配の女将が丁寧に対応する。プラチナブロンドの髪を頭でまとめ、目元に僅かな皺のある顔は無表情だ。場慣れしてんなぁ。
ていうか、あれキクノハナサクやウメカオルでいう着物ってやつだろ? 珠のような透き通る肌に和装がよく似合う。一目儚げでありながら凛とした佇まいが婀娜っぽい。下衆な感想だが、一晩ゆっくりとお酒の相手を願いたい人だ。
……あー、今の状況が続くと大人の女性が眩しく見えるな。
「逆らうか!! 貴様も補助の罪で投獄してやってもいいのだぞ!?」
「そう申されましても。当旅館はお客様の素性に立ち入らないのが心情でございます。何の罪かも分からないのに、そうやすやすとお客様を引き渡すわけには参らないわ」
すげーな。動じないんだ。あと最後が突然砕けた。
「言わせておけば!! 構わん!! こいつらも捕らえよ!!」
まずいっ!! そっちへ行くか!?
「待て、俺ならここd」
咄嗟に飛び出した。
「我がカルメリア活殺流を前に素手で挑もうとは、身の程知らずな」
「ぬわっー!?」
襲い掛かった兵士がアイアンクローの餌食になる。
脚が宙に浮いてるんだけど?
あと飛び出した俺の立場は?
「貴様ァ!! 自分が何をしたかわかってるのかァ!!」
同じ事を何度も聞いた気がする。
あとこの光景も前に見たな。俺が追放されたあたりで。
「まぁまぁ落ち着きたまえ、女将さん」
何で俺がそっちを宥めてんだか。
「お客様、これが落ち着いていられますか」
「いや落ち着けよ!! 離してやれよ!?」
綺麗な顔して容赦ないな、この人。
迷惑料も用意してたんだが、逆にそれ出したら俺がアイアンクローだな。
「勁兵を旨とした王国兵士があしらわれるのに斟酌以外の理由が無い。そうだよな?」
双方を諭すように水を向けると、女将さんはじっと俺の目を見て、
「お客様がそう仰せなら」
右手だけで宙に浮かせていた兵士が解放された。無様に尻餅を着く。装備の重い音。これ混みでやったんだよな。
「で? 代官が俺に御用だって?」
改めて護衛隊のメンツを見る。
隊長以外は既に及び腰だ。
「盗人が太々しい!! 貴様が冒険者サツキだな!? 文化財強奪の容疑で拘束する!!」
そう来たか。
ずらりと兵士達が俺を囲む。職業軍系は辛いなぁ。
「罪状の根拠は、示してくれるんだろ?」
「嫌疑があると言っている!! 抵抗する気か!!」
「いいや」
右手を上げる。胸元のペンダント。タグだ。室内でも虹色の輝きは褪せない。
ギルドが本格的にランク制を敷く要因はコイツの開発に成功したからだ。一部の人間にだけ許された色彩だ。
「SSランクは貴族級の立場でもあるなら、そりゃあ果たさなきゃな。なぁ護衛隊の諸君?」
全員が隊長を見た。
指示を仰ぐのでは無い。その目は撤退を期待している。この任務は何かがおかしいと気づいたのだ。
「我らが特権に屈すとでも思われたのなら心外だなぁ、冒険者?」
それ以上のバックからの指示か。
内務卿補佐や副騎士団長補佐の線は無いか。アカネさんの実家かな?
「言ってるのは、雇われママじゃないな? 直接話を付ける。アポを繋いでやってくれ」
「立場を理解したらどうだ? 貴様に選択肢などあるとでも?」
これは確定か。だがここはまだアンスリウムの勢力下だ。癒着したか? 或いは……まさか代官を通していない?
「証拠品の応酬が先だ。遠慮はいらない。やりたまえ」
「そいつは不要なのだよ」
ニタァ、と嫌な笑みを近づける。息が臭い。
「嫌疑は既に確定事項だ。まぁ貴様の態度次第では連れの女共の処遇も決まるのだが。そこの所、ちゃんと確認しなくちゃなァ、冒険者」
そんな事だろうと思ったよ。
「連れの女共とは、ワタクシ達の事ですの?」
スミレさんの声が上階から降りかかる。
見上げる誰もが、ほうっとため息を漏らし見とれた。
吹き抜けの欄干から養豚場の豚を見下ろすような視線は、京藤色のドレス姿だ。
続くアサガオさん達も同じく色彩豊かな花を咲かせている。
予想外だ。
こちらの意図を読まれたか、クラン辺りから入れ知恵か。
「小娘ばかりだな……貴様らも同様の疑いがある!! 大人しく同行しろ!!」
隊長め。これで何も思わないとは。逆に突然の綺麗所に内心舌なめずりしたか。
兵士が四人、階上へ駆け上がる。スミレさんの腕を乱暴に掴むと、流石に気丈な顔から血の気が引いた。
「ワタクシ達に手を触れてはなりません。特権に屈しない心意気は見事だわ。だからと言って民に横暴を尽くすのを看過できるわけがないでしょう。恥を知りなさい!!」
それでも名乗らないのは流石だ。
それを理解して俺は冒涜した。
――今から、君の頑張りを無駄にする。
「こいつは、なんだ皆んな上玉じゃねーか」
スミレさんの間に割って入ろうとしたアサガオさんを別の兵士が押さえつける。
「運が回ってきたぜっ、俺はこのオデコちゃんがいいっ!!」
イチハツさん、早速変なあだ名付けられてる。
「だったら俺はこのちっこい魔法使いを――。」
待てその女に触れるんじゃねー!!
「あーれー……パンツ脱がされるー……。」
「……あ、うん、やめとくわ」
何でだよ!! この中じゃ最推しじゃねーか!! 俺なら速攻で行くね!!
「離しなさいこのしれものが!! 婦女子に気やすいわよ!!」
「へっへっへ、朝から駆り出されて腐ってたんだ。これぐらいのいい思いはしねぇとな」
「そちらの都合なんて知りませんわ!!」
あわや乙女の危機という時だ。
場に投じられた一石の小石は、身なりの良い若者の小さな呟きだ。
「――おい、あそこにおられるお方。まさか公爵家の御令嬢じゃないか?」
仕込みが始まった。




