212話 あおげば尊し
今回かなり最低ですが5階層あたりで相殺します。
見上げると、俺の両肩に手のひらを乗せたアザミさんの顔があった。至近である。この体制で倒立とは大した身体能力だ。
ぽやーとした不思議な瞳に俺の顔が映る。
普段は何考えてるか分からないってだけで、綺麗な造形の子だな。
じゃない!! この体制は、
「水遁の術か!!」
顎をひこうとして、出来ない事に気づいた。
熱の篭った吐息を漏らす唇から、目が離せない。
「……。」
「……。」
「……くっ」
「……ん」
「どうして見つめ合ってるんです!? キックオフですか!!」
晴れつつある煙幕の中で、アサガオさんだけが憤る。
「いかん、美しい造形につい魅入ってしまった」
「知ってはいたけれど、綺麗な顔だっから見惚れていた……。」
「本当にキックオフしてますの!?」
何に例えてるのかいまいち分からない。昭和か。
「おのれっ、このまま水遁の術を受けてしまうのか!!」
「ただの水遁の術では物足りないでしょう、ハナモモ様? いいえ、サツキ様!!」
「取ってつけたように再開しないでくださいまし!!」
ていうかドレス姿で倒立って。俺の頭上で大変な絵面になってそうだ。
「直接注ぎ込みます」
唇を窄め、ぐぐっと顔を寄せて来た。
両手で彼女の頬を挟み、ぐぐっと押し返す。
ここにある種の力の均衡が生じる。
唇を押し付けんとする者。そして拒む者。
ていうか中央都市からの逃走途中で、女の子の頬を押し返して変顔にさせるとか思わなかったよ。
「むむむ、どうあっても拒むというのですね」
「せめてムードがあればワンチャンあった」
頭の上で倒立する女子からキスを迫られるとか。ていうか涎の垂れ流し? あ、どのみちムードとか無理だわ。
「何だかお二人だけで楽しんでおられるように見えます」
「そんな事ないアサガオ」
「そんな事ないぞアサガオさん」
「私だけ仲間はずれ……。」
細い眉を歪め、泣き笑いの表情を浮かべていた。
「この地獄絵図のどこが羨ましいってんだよ!?」
「実はあたし、凄く楽しい!! ごめんなさいアサガオ!!」
「楽しいのかよ!!」
「うぅ……二人だけ距離が急接近してます」
「物理的にな!!」
「もっと内側まで接近しても、いいのよ?」
「やかましいわ!!」
「アサガオ、今!!」
油断した。アザミさんの顔が一瞬遠ざかり手からすっぽ抜ける。
瞬間、左右から蔦が襲い俺の両手首に巻き付いた。
「私たちがなぜガーターか。その意味を教えて差し上げます」
「知りたかねーよ!!」
嫌な笑みと共に、アザミさんの顔が一気に遠ざかった。
次の動きには流石に感嘆した。
ぐるんと、俺の頭上で縦に回転したのだ。俺の体捌きスキルを優に超えていた。鍛錬の末の習得だとしたら、俺は彼女を尊敬する。
そのまま俺の両肩に着地するのと、短目のドレスのスカートで視界が埋まるのは同時だったろう。
頭上に広がる光景。
「何でとっくに脱いでんだよ!!」
思えば短い尊敬の念だった。
ていうか、さっきまで下半身まっぱで人の頭の上で倒立してたの?
その光景をアサガオさんはどんな気持ちで見ていたのだろう。
「……これぞ真・水遁の術」
迫って来た。
何が見えたのか。今の私に多くを語る資格は無い。
だが、あえて言わせてもらうなら。
……クランのより子供っぽいな。
じゃねーよ!!
両腕!! いかんガッチリ塞がれてる!!
だったらストレージから時計塔を――って惨事になるわ!! 女の子に使えるかよ!!
ぷに。
なんか押し付けられるのを顔を背けて躱す。
「むむ」
むむじゃねーよ。何やってんだよ。忍術の前に忍耐学べよ。
顔を背ける頬に、ぷに、ぷに、と謎の接吻が浴びせられる。ええい、至近過ぎてよくわからん!!
「らちが開かない……アサガオ、お願い」
「サツキ様の口をこじ開ければよろしいのですね、アザミさん!!」
しゅるると別の蔦が二本、スカートの中に侵入して来た。手探りのように俺の顔を掠める。
「捉えました」
布越しにアサガオさんの声が篭って聞こえる。
……いや、捉えられて無いんだが。
そうっと頭上を確認する。
……あ、捉えてるわ、これ。
「――!!」
ビクンと、アザミさんが跳ねるように痙攣した。
ぎゅっと、俺の肩に置く両足を閉じる。少女の張りのある太ももに、頭部を締め付けられた。柔らかい。顔面、柔らかい!!
「逃がしません!!」
そうとは知らずアサガオさんの触手げふん蔦が、アザミさんの無防備な太ももの付け根に絡みつく。
「ちが、アサガオ、そこ、違うっ……!!」
健気に足を閉じようとするけど、足場が悪い。俺の肩の上じゃ踏ん張りが効かない。ていうか、人の顔の前で何つー攻防を繰り広げてんだか。そして動く度に俺の顔が締め付けられる。
「まだ抵抗されますか、サツキ様。でしたら、こうです!!」
蔦の先端によって左右から口をこじ開けられた。
あ、俺のじゃないよ?
……。
……。
って見てる場合か!!
やばい!! アカごと消される!?
「あ、アサガオさん、アサガオさん」
蔦を巻き付けた手でちょいちょいと手招きする。
「? まだ喋る余力がおありですか」
「うん、割と」
「……割と?」
違和感を感じたのだろう。
スカートから複数の蔦を垂らしたまま、怪訝そうに近づいてくる。
蔦が邪魔なのか、左右に大股びらきで歩く姿は、雛鳥のようだった。
「いいからこの中をご覧なさい」
「罠では無さそうですね。元から私の拘束も意味は無かったようですし」
流石に簡単に手招きしちゃバレるか。
「お邪魔します――んん!?」
飲み屋の暖簾を潜るようにスカートの中に顔を差し込む。
その惨状に、アサガオさんは息を呑んだ。
「あ、あ……ああ、私、なんて事を……。」
本当にね。
「うん狼狽するなら、まずは蔦から解放してあげよ?」
既にアザミさんはくてんと力が抜けていた。それを支えるのは体捌きの成せる技だ。
とはいえ絶妙なバランスなのは間違いなく。
お陰で、顔面に滴る雫を拭き取る事も出来なかった。
アザミさんの呼吸が穏やかになった頃。
「どうやら私たちの敗北のようです」
勝敗が決したようだ。誰が誰に勝ったのやら。
「こちらをその証に」
「粗品ですが」
二人がポケットから丸められた物を渡して来た。
生暖かい。
「って何渡してんだよ!!」
よく考えたら会った時には既に脱いでたんだよな。
押し返そうとするが「いえいえ」「そうぞどうぞ」と押し付けられる。
生暖かいのはポケットに入ってた為か。
「これをどうしろって?」
少しだけ苛ついた。
王立第一の女学生。それも恐らくは公爵家傘下の箱入り娘。
そんな彼女たちに、今日一日履いたであろうパンツを差し出させる黒幕に。うん、スミレさんしかいないな、それ!!
「あ、待って、新品って事も」
「確かめてみて下さい」
「確認、大事です」
二人に促され、二つ手元にある片方を広げる。あ、アサガオさんが頬を染め視線を外した。彼女のか。
えぇと……。
「あ――うん、そうだね」
なんかこう、言い難い。
「お分かり頂けたでしょうか?」
いや分かっちゃダメだろ?
「では、続きまして匂いの確認を」
「できるか!! いやほんとコレ、俺にどうしろっていうの?」
「実利的だと」
「プラグマティックにしちゃ駄目だろ!!」




