203話 これが俺たちの朝ちゅんだ
主人公とヒロインがイチャイチャするだけの話し。
あと205話が今までで最悪のワイルド編になります。
硝子窓の向こうで薄く揺らぐ月影の眺望を見ていた。
まだ暮夜である。店の灯火も行き交う人も暗然を彷徨っていた。
落ち着かない。
苛立ちではない。不安だったろうか。眼下の漂浪する影法師のように、心が翩翻とはためくのが分かる。
ビクンと背筋が跳ねた。
背後だ。浴室へ続く扉が開く音がした。恐る恐る振り向くと、備え付けのバスローブを纏った少女が居た。
陶磁器のような肌を熱に紅潮させて。
あぁ、
湯上がりクランだ。剥きたて卵肌だ。
「お先に……頂きました」
「お、おう」
互いに視線を外し合う。不快ではないのにぎこちない。
「じゃあ次、行ってくる」
「行ってらー……。」
会話もそこそこに浴室へ向かう。いたたまれねーんだよ。
中央都市を散策し馴染みの食堂で夕食を採るまでは良かったが、次第に口数は減り、チェックインの時から無言のまま部屋に入った。
何だこれ? 解呪の前より悪化してないか?
脱衣所から浴室に入った瞬間、白々とした湯気が顔に押し寄せた。
うわ、めっちゃ熱い。え? 何これ? アイツ何やってたんだ?
踊り子スキル(踊り)で湯気を払う。正面の奥に、これも白い歪曲した浴槽が見えた。
……。
……。
クラン汁。(ごくり)
って、何考えてんだ俺!?
いくら呪が解けてアイツへの嫌悪感が消えたからって!!
いやでも、この湯にさっきまでアイツの全身が入ってたわけで、穴という穴から成分的なものが抽出されてたわけで――じゃねーよ!!
くそっ、何だってこんな意識の仕方になるかな。クラン以外にだって女子との旅はあったし、サザンカだって告白する程度には好意を寄せていた筈だ。
今更、残り湯なんぞに気を取られるかよ!! 無心だ!!
そこから先は意地だった。
意味もなく目を瞑りサラ湯に浸かる。
ん? サラ湯? 綺麗なお湯だ。
……。
……。
あ、さっきの湯気と熱気。新しいお湯に貼りなおしてくれたのか……。
精神的な消耗を経て部屋へ戻る。
追放劇から、いや、ベリーの婆ちゃんに呪詛を掛けられてからここまで長かった。
よく耐えた。
今夜。いよいよ決着がつく。
「待たせたな」
「……すやー」
……。
……。
そっか。待機中に寝落ちか。
らしくねーな。
体重を乗せず近寄る。気配は消していた。冒険者時代のコイツなら空気の微細な振動で目覚めた筈だ。
彼女の前髪をそっと払い、顔を覗き込む。
何だってこんなにも無警戒なんだよ……。
小さな顔。
長いまつ毛。
愛らしい唇。
穏やかな呼吸を繰り返す唇。繰り返すこのポリリズム。
――おのれ既にレム睡眠か。
羽毛毛布を掛けてやり、窓辺に椅子を寄せる。
メインストリートの明かりを眺めた。
振り向く。
彼女の寝息だけが穏やかだった。
迷った末にソファから身を起こすと、昨夜俺が居た窓辺でこちらに背を向けるバスローブ姿があった。
目は覚めていた。やり過ごそうか熟考したが、鼻を啜る音にはっとした。
春はあけぼのいとおかしとは言ったが、おかしというより、ムムッー……何かがおかしい!
「泣いているのか?」
或いは、蕎麦をすすってるかのどちらかだ。
俺の声に、静かに振り向いた。こちらを伺う上目遣いは、教師に叱られる少年のように思えた。
「気に病むな」
声、穏やかに出せただろうか? いかん、自信がない。
「気持ちが……整理がつかないなんて」
無理に喋ろうとする姿が、意地らしく見えた。
黙って聞くしかない。
「自分で好機を無下にしておきながら……でも諦めきれず、後悔を募らせる。……なんて……なんて浅ましいのでしょう」
「浅ましい女の子は好きだぞ」
いかん。口を挟んじゃった。ていうか何だこのフォロー? 下手くそか。
「コホン、いや君みたいなのが自分を悪辣と戒めるのは嫌味でしかないよ」
「…… 梼昧と罵ってくれた方が」
「まさか」
臈長けた少女が俺とえっちし損じたと朝から泣いてるんだ。
こんなに愛しいと思うことはあるまい。
「機会ぐらい幾らでも作る。俺が作る。記憶だって曖昧なままだだから。そこはちゃんと応えたいんだ」
「……本当?」
「なし崩しにならなくて良かった」
「ん……分かった。お降りて……朝ごはん、いただきましょう」
チェックインの時に一階レストランで採ることは言ってある。
ほら、ここに配膳された時に万が一ってこともあるだろ。無かったけどさ。
クランが鏡台へ向かい、こちらへ背を向けたままバスローブの前を開ける。
気配を反対側に送りつつ、チラ見する。
バスローブを開いたところで、硬直していた。
向かい合う鏡面に、彼女の姿が写っていた。
蒼白になった。俺が。
「サツキ……くん?」
やべ。慌てて視線を外す。
違う。窮地はここからだ。
「サツキくん……? ねぇ……サツキくん? さっき、ちゃんと応えてくれるって言った時、お姉ちゃん凄くトキメいてこの子で良かったと心底思って……なのに……どうしてお姉ちゃん、今、パンツ履いてないのかな?」
ぬかったわ!! 履かせるの忘れてた!!
「い、いや、ほら、クランがあまりにも無防備だったから――。」
「警戒を解いていたのは……サツキくんを信用してたから。なのに最低」
「弁解のしようもない……。」
「さっきの記憶が……戻ってからというのは……?」
「ショックで戻るかも?」
「……。」
「……。」
「どこまで……?」
「え……?」
「お姉ちゃんに……どこまで、したの?」
「何もしてないよ!!」
「痛みや違和感は無い……けれど。昨夜は……どうしたの? サツキ? 一人でお楽しみだったの? サツキ?」
「……。」
「……サツキ?」
「見ただけ、だから」
「見ただけ?」
「……。」
「見ただけ?」
「味もみた」
「……味見?」
「どんな味かなって」
そこまで言うと、クラン顔を最高潮に赤く染め俯いてしまった。
確かに、寝込みを襲ったようなものだ。最低と罵られもしよう。
でもな。この反応は反則だ。
「サツキのえっち……今度は……ちゃんと起きてる時に……して?」
ぎゅっと俺の袖を握ってくる。
どうでもいいが、俺がやった事なので言いづらいが、いい加減パンツ履け。




