182話 白い人
本作、サツキとクランがただイチャイチャするだけになりつつあります。
張り詰めた腕の圧力が消失した。正面からプツプツプツと乾いた音が押し寄せたのは同時だ。
エネルギーの放射か、或いは力づくでワイヤーを千切ったのか。
張力を失った体が後方へつんのめり、たたらを踏む。柔らかく湿った感触が頬に触れた。ちゅ、という濡れた音は、俺だけに聞こえた。
「なっ」
咄嗟に振り向くと、クランが横向きに俯いていた。
一顰一笑こそ伺えないが、俺の視線を意識したのか頬が白百合色から徐々に紅潮する。耳まで真っ赤だ。
「どさくさに、何しやがった?」
感触のあった場所を、無意識に指先でなぞる。自分の頬に思えなかった。
「……気のせい」
顔を伏せたまま、消え入りそうな声が返ってきた。
なんだろう。呪いで吐き気が最高潮なのに、それとは別に居た堪れない想いが胸に湧いた。止まらない。
「旦那がた、イチャイチャしてる場合じゃござんせんよ!! 次が来やす!!」
誰がイチャイチャだ。
「ん」とクランが横を向いたまま杖をレッサーデーモンに向ける。菱形の魔術防御が展開されるのと、次弾のガチョーンが放たれたのは同時だ。
魔術障壁が破壊された時にはステップは完了していた。反射盾。これも砕けた。残り一手。
左手を振った。
不可視の衝撃波が俺とクランを包んだ。ゴロツキや兵士共には俺たちがノイズの奥に霞んで見えたろう。
レッサーデーモンのインパクト。これが技なのか魔道なのか未知の術だが、正面から受けて命はあるまい。
離れた場所――元々居た位置で俺とクランの姿が衝撃波に飲まれる様を見て、強敵の出現に思わず舌なめずりをした。
「え、無事なのですかい。いや、今確かに」
「私たちの……身代わりが居た?」
背後からの困惑と、いつのまにか瞳に未知への探求の灯を輝かせたクランが俺を見上げていた。
「知り合いが使い捨てた式だ。一回切りだが今はそれでいい」
ジギタリスやオダマキでの騒動。ハリエンジュと名乗った情報屋が使っていたものを、どさくさで回収したものだ。
「槍術に移行する。それ系のブーストをかけて頂けると助かる」
「突撃系ですね……突貫型のバフに全面防御に……え? 槍?」
「失礼」
細身の体を抱き寄せる。そこに居られると射線が定まらない。
触れた掌から彼女が息を呑むのが分かる。こちらも吐き気を飲み込んだ。おあいこだ。
「突貫型で合ってるよ。ただなぁ、自分でもこれが槍術なのか弓術なのか判断に困ってる――細いな、ちゃんと食ってるのか? 痛っ」
足を蹴られたが言うほど痛くはない。それより、余りにも華奢でゾクリとした。あと一歩、力を込めれば折れてしまいそうだ。
「出すぞ」
「……どこに?」
いや、レッサーデーモンにだから。
背後の空間が揺らいでたわわいだ。
そこから水平に尖った先端が現れる。成人男性の大きさだ。あ、身長のことだから。
やがて鋭利な先端を取り巻くようにタイル上に並べた瓦が見えた。
コイツもオダマキの戦利品だ。
巨大エビメラにトドメを刺した時計塔。ストレージに入れて持ってきちゃった。
「タイミングはこちらで占有する。射出速度を130m/sまで底上げしたい」
「了解……花道はゲートだけなら構築できます。質量は……そのまま安定。角度合わせ、どうぞ」
ゆっくりと、横向きになった時計塔の上部が現れる。
大抵の生物なら射出速度と質量の上乗せで突貫できる。
「これが……初めての二人の共同作業」
「何に入刀する気だね君は!!」
ぴとり、と背中に体を預けてくる。
「……気分出てきた」
「こっちは吐き気しか出てこないよ!?」
「フハハハハッ!!」
二人の別々の思惑と気分をぶち壊す高笑いが、突如、倉庫内に鳴り響いた。よく反響する。
「今度は何奴だ!!」
レッサーデーモンの余波で今や隅っこに吹き飛ばされ、すっかり存在感を失った執事頭がここぞとばかりに自己主張した。
彼なりに危機を覚えたのだろう。
このキャラは、影が薄くなる、と。
次の瞬間、甘かったのは俺の方と知った。
「とう!!」
天窓から俺たちの前に降り立った白い影。全身真っ白な白タイツ。驚きの白さだぜ。
例えるなら、どこぞの犯人の白い版だ。
「王都の暗澹たる闇に蔓延る兇漢よ!! 我が牙の前に拝跪する事を許す!!」
白い人がレッサーデーモンを指差し許していた。
もう駄目だ。俺たちの影まで薄くなってきた。
あと、そこに居られると発射できないんだが。いいから射線に立つな。邪魔だ。
くいくいっと、控えめに袖が引かれた。
「大義の前の小事……多少の犠牲は、やもなし」
「やもなくないよ!? 駄目だよ他所様を巻き込んじゃ!!」
倉庫街に踏み入れた時に感じた気配。あれは白タイツのものだったか。
「早く……早く……二人の最初の共同作業を」(ふるふる)
ヤベェ。禁断症状みたいになってる。
「そもそも融合技ならグリーンガーデンでもやってただろ」
「……心構えが……違う」
どのみち、レッサーデーモンが動かない今しかチャンスはない。他にも手はあるけど、状況作ったり獲物を準備するのが面倒だ。
そう。この時、俺は既に面倒くさくなっていたのだ。
「ま、いいか。このまま射出させて頂くか」
「話が分かるサツキくん……好き」
「って、やっぱ一般人巻き込んじゃ駄目だろ!!」
……いや、一般人?
こちらに向ける背はスマートで、程よい筋肉のバランスが取れていた。白タイツ越しのプリとしたケツが何かムカつく。
「変質者だから……レッサーデーモンと纏めて駆除してオッケー。……国も認めてます」
「ああもうっ、お前たち!! あの白いの連れて退避しな!! こちらはこのまま臨界まで絞り込む!!」
「アレに近づけっていうんですかい、旦那ぁ!!」
ゴロツキ達も嫌か……。
「フハハハッ、どうした小悪党!! 我が威光に恐れを成したか!!」
何で偉そうなの?
「むむ、そこの少女よ。よく見ればベリー辺境伯代行ではないか。バッチリおめかしして、ここは卿の夜会の場であったか。そうかそうか、それは邪魔をしたな。では、詫びに余興をご覧入れよう」
レッサーデーモンに向き直る。
彼の右手。全身タイツのどこに仕込んでいたのか、荘厳な装飾の鞘に収まる大剣があった。
「聖剣・昇り菖蒲。なかなか人の目には出さんぞ、ラッキーだなベリー代行よ」
剣よりも別のモノを人目に出さないで欲しかった。
全身タイツの股間の膨らみに、クランが終始目を背けてる。
……この野郎、立派な物を備えやがって。
「って、聖剣だと!?」
「ふっ、悪魔との相性は最良であるな。ほうれ」
右腕を下から上へ振った。鞘に収まったままだ。
おおよそ、生物のものとは思え無い悲鳴が響いた。高音域が強く耳が痛い。
「いかん、騒がしくしてしまったか」
白い犯人がニヤリと笑った。




