172話 ラフ僧侶
ぴしゃりと背筋が伸びる、初水が喉の内側を撫でた気分だ。
公務向けの質素なドレス姿。その華奢な流線から溢れる気配は、明確な殺気だったろうか。
オダマキの頃のベリーショートから少しずつ髪が伸びた少女に、死という名のエロチシズムが重なって見えた。
「言葉をお選び下さい……二十五位内務補佐卿。貴族の礼を知らぬと仰せですが……一伯爵が辺境伯へのそれが礼とお思いか?」
少女の気配に気圧され、思わず「小娘が」と言い掛かり、デブ卿は口をつぐんだ。立場を思い出したのか、辛うじて堪えたか。
内務補佐と言っても30人も居る、要は事務員だ。内政への権限だって特に無い。
「しかし、しかしですな、辺境伯代行殿。その冒険者とは随分と遺恨にされておられると聞く。このような粗野なものを側に置いては、いささか辺境伯家の醜聞にも……ああ、いやワシが言っておるのではないのだがね。貴族の間というものは、何かと気を使うものでありましょう」
でゆふふ、と笑うデブ卿に当の代行は「そう」と短く返した。
その反応をどう受け取ったのか。
「辺境伯代行殿もお若い身空で何かと貴族同士の交流にご不安もありましょう。どうであろうか。アンスリウムに滞在中はワシに面倒を見させてはくれぬかね。何かと支えになる事もできようかと」
でゆふふ、と笑う。
「そう」と短く返すクランの、鐘氷る響きに男は気づかない。
「おおそうだ。良い事を思いついたのだが、ちょうど代行殿と会う年頃の息子がおるのだが、如何であろうか。この後にでも顔見せなど――。」
「お断りします」
凍霞が顔に吹き付けた
風冴ゆる白百合の佇まいに、無意識に後ずさっていた。
「な、な、何を言っておる」
最初こそ蒼白になった貴族の顔が、怯んだ事実に怒りが込み上げたのか赤く染まる。忙しい男だ。
「ワシがせっかく気を効かせてやっておるというのに……!!」
「伯爵が? やっておる? 平時が続いたせいか辺境伯も舐められたものですね」
「ひぃぃ」
抑揚のない冷淡な台詞に、再び男の顔から血の気が引いた。
「いや、これは言葉のあやと申しますか――そうだ!! 辺境伯代行ともあろうお方がそのような冒険者を側に置くなど、品位を疑われますぞ」
そうだとか言ってるよ。あと矛先がまた俺に来た。
「この方を侮辱する事は許しません」
驚いたな。クランにしては大きな声だ。
「な、何を」
「一介の冒険者に私が付き添うとお思いか。この方こそは――!!」
「そ、そのお方こそは!?」
いたん言葉を区切った。次の台詞をデブ卿も俺も固唾を飲んで待ち構えた。
「……ちょっとお耳を拝借」
「は、はい?」
と貴族に何やら耳打ちする。
何だ?
俺に聞かれちゃまずい事か?
「こしょこしょこしょ……。」
「!? な、何と!! 何と破廉恥な!?」
「こしょこしょこしょ……。」
「それも今晩!?」
「こしょこしょこしょ……。」
「そんな所まで!?」
どうやら俺に聞かれちゃダメな話のようだ。
ていうか、今晩?
「それでは失礼、内務補佐卿……。サツキくん……行こ?」
「ま、まって、辺境伯代行殿!! そんな、そのような事が許されるとでも!!」
え? ほんと俺、何やらされちゃうの?
「先走って市場を混乱させたお貴族様ですかぁ……えぇ、それでしたら二十五位内務補佐の伯爵様で御座いましょうな」
「あのオヤジか!!」
「簡単で御座いましたね。すぐ分かったじゃありませんか」
それでも、センリョウさんはどこかツッコミ待ちの構えであった。乗ってやろうじゃないか。サツキ戦法ナンバー1、敵の挑発には乗れ、だ。
「だが複数の貴族が絡んでいる口ぶりだったぞ?」
「それでは、内務補佐伯爵だけではありませんね」
「やはりそうなのかな?」
「お抱えの商会の傘下のトレーダーまで動員しても、今の数には到達しないでしょう。ましてや繊維市場を荒らすなど、確かに難しいかと」
「では、賛同する貴族が居たと? まさかあの内務補佐卿に?」
「確かに人となりのお噂は聞き及んでおります。思慮ある者なら巻き込まれまいとするでしょう。辺境伯代行様のように」
「だったら賛同者など居ないではないか」
「ですが貴族の皆様がすべて思慮深いとは限りません」
うん。謁見の場で見た。
「番頭が言うには」
「クレマチスの番頭さんが?」
「国王も一枚噛んでるのではないかと」
「ええ加減にしろ」
どうもありがとう御座いました。
センリョウさんの所で物資の発注を済ませた後、彼の紹介で不動産を何件か回り、夕方前には教会本部にたどり着いた。
勝手口の事務員と短く挨拶を交わし、奥の執務室へ通される。
「騎士隊の詰所じゃないんだ?」
「ああ、本隊が出ているからそっちは空家状態なんだ」
「聖騎士の出動?」
事務のおじさんの言葉に眉を寄せる。大規模討伐でもあったかな? アンスリウムで王国騎士を差し置いて?
いや、あっちは学園の復興と防衛の見直しに駆り出されてるか。
「もしかして、追撃?」
「そういやおめぇさんもお嬢と同じ場所にいたんだよな」
「副騎士長殿は第一王子に着いてたな。ラジカルな所帯じゃ合わないんじゃないか?」
「それも昔のことよぉ。今じゃ改革に怯懦な連中も変わってきてらぁ――お嬢、お客人です!! いい人ですぜ!!」
男が執務室のドアを開けると、タンクトップにカーゴパンツのサザンカが、錫杖に念を込めていた。
20本ほど壁に立て掛けてある。反対側の壁に5本。仕上がった分だな。
「お嬢、そんなだらしない格好でまた……法衣ぐらい着てくだせぇ」
「発熱量が半端ないのよ。汗拭いたら行くから客間に通して頂戴」
「いやそれが……。」
言葉を濁す男に、仕掛かっていた杖から顔を上げる。
直前!! まさに直前、顔を背けた。見てません、見てません。
「な、サ、サツ……!?」
上ずった声に、どんな表情か想像ができた。
目を瞑る。
瞼の裏に、さっきまでガン見したサザンカのあられも無い姿が焼き付いていた。
「……見た?」
素直に答えられるか。
「仕事中すまない。こっちの5本は終わった分か。いい仕事をしている」
「え……ああ、さっき受注が来たのよ。今は出払ってるから、あたしの方で出来るところはね」
「すまない、パイナス系列なら俺だそれ……コデマリくんは?」
いや、この空間に居てもらっても困るが。いくら可愛らしい容姿だからって。
「礼拝堂で指導を受けてるはずよ。どうしたの? 安心した顔をして」
「うるさい見るな。破廉恥娘が」
「は、ハレ……いいから出ていってよ!!」
自分の姿を思い出したのか、杖が飛んできた。だから物理はよせって。




