170話 アルストロメリア地方探索報告書
「ひとまず繊維は放っておこうよ。どうせとっくに損害計上は進んでるだろうけど、それに合わせてこちらが動く義理はないさ」
「いざ原材料が必要な時に軋轢になるわよ?」
身を乗り出してくる王女のブラウスの胸元が、大きく開いた。けしからん。おっと、気づかない振り。大げさに肩をすくめて見せる。
「ベリー領での新設ブランドの立ち上げも、輸送計画すらも策定段階。貴族お抱えの商会を食べさせていくには時期尚早だ。前言を撤回するならパイナスの動向かな。わざと制動させず人と金の動きをシミュレーションしてる気がした」
「確かに提案段階だけなら前例は無いと思うけど、慎重になる事と人身御供を祀るのでは話が違うわ。――切り捨てに出た?」
彼女のフィンガースナップを、一瞬豆鉄砲を喰らった顔で見た。
「……何を?」
「既得権益なんてものは大抵が強固なバックボーンを持つ古いお家の芸よ。切り崩すなら、勝手に負債でも抱えてくれた方がやりやすいじゃない?」
猫のような瞳で小首を傾げてきやがった。
何だろ。
王城の中でラフな姿のギャップのせいか。健康的な色気と少女らしい愛らしさが相まって調子が狂う。
「だとしたら露骨過ぎる」
「え? 露出、多過ぎたかしら?」
ぴし、と背筋を伸ばして胸元を押さえだした。わざとやってたのかよ。
「何の話だ? パイナスやその他のコングロマリットや傘下が、その彼らの負債を肩代わりしたとして。そこで一部の特権の譲渡や提携それに連なる取引、なんて話が出せるかよ。ただの軋轢じゃ済まない遺恨を残すぞ」
「そうかしら?」
「貴族側に持たれる根、相当深いだろうさ」
そしてその矛先は、謁見の場での貴族の反応を見るに全部俺に向く。今ここで動かない俺のせいになるんだ。だって今そのせいで損失を産んでるんだもの。
「なら外交的に有効な国か……。」
「だから外資をアテにするのはヤメテってば!! ああ、もう、分かったわよ。ちゃんと考えてるんだから」
ソファの隣りに置いていた二冊の図書ファイルをローテーブルの上に並べてきた。
表題は、
アルストロメリア地方探索報告書
第13号文書
第14号文書
とあった。
「せっかく持ってきてあげたんだから役に立たせなさいよね」
君のそれは何デレだ?
「表紙の採番、正式な決済を通してるな。よく持ち出して来たものだ」
流石におかもちから取り出す訳にはいかないか。
ちらりと書記官の方を見る。
「心配は無用よ。陛下の許可は頂いているんだから」
「拝見しても?」
「今ここで覚えてしまいなさい」
では、遠慮なく。
ご丁寧に付箋が貼ってる。ここを見ろってか。
「原生種の植物……?」
アルストロメリア地方との成長差異。野生種。花のスケッチ。葉。根の標本番号。
こっちのファイルも目印がある。
「あ、魔物だ」
思わず子共っぽい声が出た。王女が変な笑みを浮かべる。
魔物の集落情報。魔獣の生息域。昆虫型。スケッチ。素材の品別とランク。
ふぅん。
ここをピックアップしたって事は、使えるって意図か。
「書かれている事は、確定事項か?」
「確定じゃなかったらそう書いとくわよ。どう? いけそう?」
「しばらくは、糊口を凌ぐ生活になりそうだよ。王宮の気配も気に食わない。早めに出る」
「ここに居るうちは貴族はワタクシで抑えられるわ。マキャベリズムは相手にとっても毒なんだから」
「旅程が長くなるんだから、向こうに準備の時間は与えたくないさ。こちらは少数で動くし、移動しながらでも補給はできる」
「わぉ!! 冒険者の強みってやつね」
そう。冒険者パーティとしては一日の長がある。
想定する障害は貴族からの報復、妨害、それから、えぇと……。
「ぼんくらとの関係はどうなってる? あれの副官みたいな子と事を構えた件、最初に何か言ってたよな?」
「サツキくんが気にする事は無いわ。堂々と被害者づらしてればいいのよ」
深追いはするなって事ね。
「あぁ、でもその子。女官だけあって北東地方伯の伯爵令嬢だったのよ。情報の秘匿は一通りしておいたけれど、直接面識があっるっていうのはねぇ」
「王家の派閥に巻き込まれたからって、人の感情まで自家薬籠中の物にする訳にはいくまい。承知した、そちらも気を付ける」
一歩引く。
王女がどんなシナジーを求めてるのか。実利的なはずと思えば、そこに甘えるのは危険だ。
「話はこんな所ね。ああ、それと学園の正門前に陣取ってた連中だけれど、検挙したのは三名だけであとは潜伏後、ウエスト・ストリートゲートでの目撃を最後に姿を消したわ」
「中央都市を出た? 事後処理でアザレアだって追撃どころじゃ無いのは分かるけど、よく逃げおおせたな」
やはり一般市井を装った工作員か。
「北西の村で不審な集団の目撃情報が上がったわね。五日前よ。そのまま街道を外れたとして、目的は南のポーチュラカか、反転してオダマキか……北上してヤグルマかしら」
オオグルマ同様の青空市場だ。
だとするとキャラバンに紛れ込んだか。
「武装集団、学園に入った連中は全員拘束済みでしょ。だったら情報の擦り合わせなんていくらでも――まさかここまで連携して別口だと?」
「あちらは共和国の手のものね。当然のように列国のどこかに偽装してたんだけど、いつも偽装してるから正体を割り出すのもみんな上手くなってる」
「そりゃ何もかも偽装してる国だったら……Bクラス担任を学園に誘導した背後関係と同じに思うか?」
「それを言ってしまうと、異界の門や特殊キマイラの技術供与はどうなのさって話しだけれど。そこに関してだけは、結論から言えばオダマキと同じ構図かしら」
そこに関してだけ、ねぇ。
王宮や行政にも入り込まれたと考えると、俺からの言及は避けるべきか。
「もっと言うのなら……ねぇ」
ちょいちょいと手招きする。
記録官を見ると、いつの間にか手を休めていた。彼女にも聞かせられない話しか。
ソファにしな垂れるラフな姿に、妙な色気を察しつつも近付いた。
警戒は解かない。
「もう、さっさとして」
白い腕が伸びて引き寄せる。
振りほどくのは楽だ。
なのに、彼女に倒れ込むように覆いかぶさるまでなすがままとは。
不覚。
伸ばした腕の付け根に視線が向いた。判断を鈍らせるには充分な一瞬である。
ツバキ王女の顔が左に霞める。
時が止まった。
ノースリーブのブラウス越しに体温を感じながら、瞼を落とす。
彼女の指が俺の髪を撫でる。
「愚かなもので御座いましょう。これまで長らく貴族を謀ったぼんくらが、何故、ここで正体を明かしたか。すぐに問い詰めましてよ。よもやどの口がワタクシの解放を望んだ故と言ったものか。馬鹿にしてると思わない? 人を馬鹿にして。ワタクシが本気で己に楔を打つと、微塵も考えなかったのかしら」
彼女の吐息を耳に感じながら、何か、奇妙な苛立ちを感じていた。
慎ましいノックが響いた。
俺の頭を自分の胸元へ押さえつけ、よりにもよって「入りなさい」と促しやがった。




