169話 紺屋の白袴
「費用面よりも賠償がか?」
込み入った話と言われ、懸念する負債について真っ先に振った。事の推移より時間が惜しい。
王城の一室に召集されたのは、あれから二週間後の事だ。
損害や事件の規模を見れば検証の時間にしたって早いだろう。手際がいいのか、最初から織り込み済みなのか。
「建造物への被害評価は、ちゃんと理由付けされてるから心配しないで。兄様付きの上級文官との戦闘だって先に殺されたのは冒険者サツキの方よ」
その辺のご配慮は痛み入るけどさ。
「他がそれぞれ担当官が分かれてるのに、何も王女殿下が直々に査問しなくたって」
部屋の隅で記録官が書記で明文化するとは言え、実質二人きりのようなものだ。冒険者相手に迂闊すぎるよ。
「そんな大層なものじゃないわ。ただのすり合わせ程度と思って頂戴。あ、このまま二時間くらいじっくりと事情聴取してもよろしいんですのよ?」
「何その具体的な時間枠」
そこまで言って、俺たちの視線が一点に集中した。
「……えぇと、ツバキ王女殿下、二時間のご休憩を提案、と」(カキカキ)
「……。」
「……。」
「あ、大丈夫です。姫様の記念すべき初めてです!! 皺の一本まで正確に書き留め後世に残します!!」
女性記録官は、何か、こうやる気満々だった。
「……貴女、書く気なの?」
「? 私の仕事ですので」
「そう」
諦めたように革張りのソファに深く身を沈める。大きく丸いお尻にコイルの悲鳴が聞こえた気がした。
ふしだらな、と注意する者が居ない。
ノースリーブのブラウスに膝まで裾を上げたパンツルックは快活そうに見えた。
ていうか、攻めてるな。
後から思うに、この時の俺は相当目が泳いでいたと思う。
「実際の所、小まめに報告を上げてくれてたでしょ? こちらの文官も助かっているのよ。事後検証の擦り合わせにも役立ってるって。冒険者くんを専属に推挙したい旨の嘆願書まで回ってきたくらいなんだから」
「随分な見込み違いをしたやつも居たもんだ」
「だよねー」
功績によって冒険者から宮仕えの転向は聞く話だ。一般公募にも上がるくらいには知られている。だから躍起になる奴だって出てくる。
オオグルマの途中で強襲してきた連中にだって、少なからず仕官希望は居たはずだ。
今の俺に限ってはお角違いだよ。
「追加の報酬ありきのクエストだもの。起点が違うのよ。なのに結果だけで一般冒険者を振り回そうだなんてね」
「……あれ? それブーメランになってない?」
「上手く手配して上げてるのに。気づいてくれてないのかしら? 成果にしてもまさかここまで目立つとは思わなかったけれど、当初の公金の歳出を明確化するのだって功績としては十分だったわ。といより、それだけでも良かったのに」
やべ。これ自分からドツボに嵌っていくパターンだわ。
「表に出てないだけで、癒着のある貴族は他にも居たりする……?」
「根には持たれてるでしょうね」
「どうりで刺すような視線を感じたわけだ」
入るなり殺伐としてたもんな。
「ただ恨まれるならいいわ。本題はここからよ」
嫌な笑い方をして、彼女はソファの上で胡坐をかく姿勢になった。
サンダルが床に散乱している。
リラックスし過ぎ。
「繊維、高騰してるわよ?」
「……待て、急に市場の話か。いや高騰? どこから?」
俺が食いつくと、猫のような目で見てくる。
あ、こっちが本題だ。
「バックボーンに貴族を要する商会は多いから。大手になるにつれその傾向にあるわね」
アンスリウムに限らずな。辺境伯の所だってこの前やったもんな。
「噂程度にしたって、マドモアゼル・イチゴのネームバリューは強いわ。不可侵だった衣服装飾が解放されるかもって、その程度でも卸業を浮足立させるぐらいにはね」
何で楽しそうなんだよ?
「その程度で素材から押さえに出たのか。それも全力で? うそ、馬鹿なの?」
「製造と荷役が既得権益にされるっていうなら、赤字になっても根幹から押さえたい、参画したいというのは分かる話しかしらねー」
「何で胡乱な根拠で滑り出すんだよ!! 止めろよ!!」
中小商会が連鎖的に負債を抱え込むとか勘弁してくれ。
「王家が嚇す幕じゃ無いから。何のために組合があると思ってるのよ」
「!? パイナスが機能していない?」
「そ。今回に限っては急すぎたから」
根回しが行き渡らない?
いや、あえて放置の方向かな。
「だったら最大手に後手の苦渋を飲ませるほどの資本が投入されたと見るか……。」
「そう、それよ」
「仕事熱心にしたって盲目的過ぎるぞ。謁見の場は俺への褒章についちゃ子細は詰めてない。荷役だけなら運輸業のリソースを食いつぶす方が先だ」
「だから、それなのよ」
胡坐を崩し足を組み、ぴぃんと指を差してくる。どれだっていうんだよ?
「パイナスのブレインや、傘下の大手ならその先々を見通すわ。そこまで考えてお金と人を動かすの。その結果、勝手に物も動く。ね? そこまで頭の回らない貴族お抱えの三下なら?」
「有って当然のプロセスがすっ飛ばされる……良くないな」
俺は頭を抱えた。
盲点とかそういう話じゃない。
「良く知らんが貴族子女に人気の衣服ブランドの流通に動きがある」「国王が直々に許可を出した」
これだけで何も思考を巡らすこともなく、原料となる繊維を押さえておけばどこかで儲けになるだろうと、暴走を始めた馬鹿が居て、連鎖的に他も飛びついたと。
保管期間と流通の適正時期もわからずに? 支出分を儲けに還元するタイミングが無いまま負債は回収されず膨らんでいく。それを分かってて手を出した。違う、出さざる得ない。
「言っておくけどこれはね? 謁見なんて場であんな話を持ち出した冒険者くんが悪いのよ?」
「迂闊だったのは認める……まさかここまで考えなしに市場を掻き回してくれるだなんて」
あの場で具体的な期日が提示されなかったから、猶予が無いって思い込まされてるんだ。
「いずれにしろ当面は保留かな。こちらは放置させて頂く」
「冒険者らしい対応ね。厭らしい」
「でしょ? 貴族と癒着があるならリカバリの方策ぐらい用意してるだろうし。貴族絡みじゃない商会は、そもそもこんな噂話にも乗らないよ」
「ただ事実、市場からは繊維が消えていってるわ」
「いよいよって時には――。」
「ちょっと、外資に頼るのは控えてよねぇ」
「まさか。いや、場合によりけりで保険は大事」
おどけた風に言いつつ、俺は頭の中で取引できる国のピックアップを済ませた。
ここを出たら直ぐに打診しなくちゃ。
「サツキくん……。」
王女が何かを察したように溜息を吐く。うん。気のせい気のせい。
「せっかくいいニュースを用意したのに、これじゃとんだ皮算用でだわ」
「最近、キレが悪いのか?」
「誰が残尿感の話をしたのよ!!」
バンっとローテーブルを叩く。
はっとして、俺は視線を横へ向けた。
「冒険者サツキ、王女殿下に残尿感の有無について質問するも、王女殿下は激高しこれを否定」(カキカキ)
「待って、そこは書かなくてもいいわ!!」
「!? 王女殿下、冒険者サツキに掻かなくてもいい旨を伝える……部位については明確化されず」(カキカキ)
「貴女に言ったのよ!!」
「アヌスでイッたのよ?」(カキカキ)
「ちょっと貴女、やめて、ほんとやめて!! それお父様も見るんだから!!」
書記官の手を強引に止めさせる。
「あ、申し訳ありません王女殿下。どうやらまた聞き間違えたようでして」
またとか言ってるよ。常習犯かよ。よく書記官やってられるな。
「分かってくれたのならよろしいわ。とにかく、残尿感から下は削除しておいて」
「かしこまりました。そうですよね、意中の男の子に残尿感を知られたくもないですよね」
「だから聞き間違いだっつってんでしょ!! こちとら常にキレっキレだよ!!」
そうか。キレキレなのか。
「そのようなご報告を私にされても、その、こ、困ります」
「悪かったわね!!」
「どうせなら、サツキ殿にして差し上げてください。きっと喜びます」
「言ってる事変わってるわよ!?」
俺も困るよ?




