168話 猫を追うより魚をのけよ
諦めがいいな。
返さなくても良かった。研究成果とやらは、既にツバキ王女の手元にある。
棚を整理した後から、あそこには偽物しか無かった。その他、研究資料も全て回収済みだ。
ついでに写本も用意した。こっちは、まぁボーナスだと思って頂きたい。ストレージに燻るダンジョンコアの制御に精々役立ってもらうつもりだ。
アカネさんが自然に目の前に居た。
距離に違和感を覚える前に、彼女の艶やかな唇が開いた。
「どうぞお納めください。書棚から持ち出したものです」
突き出された書籍は、俺が本物とすり替えたフェイクだ。そのままフェイクに使われるとはな。
書籍の下から鈍い黒金の光が見えた。
暗器の先端だ。
俺の上体が吸い寄せられるように後方へ傾いた。
足元のバランスが、ぐらりと崩れる。女性ものの履き物は未だに慣れない。
「なっ、貴方は!?」
元演劇部の少女の顔が、紛れもない狼狽に染まった。
視線を自分の胸元に落とした。美しくも卯の花色の手が背後から抱きしめていた。
あぁ、この温もりを知っている。
口論の末、何度押し倒された事か。
「コレを壊していいのは俺だけだ。何者にも許されん。それを知って、良く逆らってみせるか?」
聖堂の祭壇鐘を思わすようなよく通る響きに、甘ったるい彼の香りが乗る。
俺を背後から抱きしめ引き寄せた人物。
「ベリー辺境伯御息子――ワイルド・ベリー様」
引きつった口の端で、少女はその名を呼んだ。
度胸があると素直に感心した。
俺を抱き寄せるコイツの、無遠慮な殺気を正面から受け、なお言葉が出るとは。流石、女優か。
「講堂から連れ出した学生らから聞いた。今しがた拘束した主犯格の証言と一致している」
既に抜き身の刃。仄かに射す陽光に浮かぶ刃紋は、御所染のマダラに散り、
桜の花びらを思わすではないか。
「お待ちを!! お待ちくださいワイルド様!! 私はアザレア国ケイトウ殿下に仕えま……。」
「駄目だっ、殺すな!!」
両手でヤツの右腕にしがみつく。
問題は距離だった。
とっくに間合いなんだもん。
本を掴んだ少女の右手が飛んだ。
桜花が散ったと錯覚した。
あぁ、と感嘆のため息が漏れた。俺の唇だ。
あぁ、と絶叫が廊下にこだました。少女の金切り声だ。
緋桜剣――花見とは謳ったものよ。
俺を体で包みながら。それでも、小娘の腕を飛ばすのは、文字通り赤子の手を捻るよりも簡単だったのだろう。ちょっと待て誰が上手い事を言えと。
床で悶絶するアカネさんを見下ろす彼の美貌は、怜凛なままだった。
外へ出る。遠くの建物が影絵のように霞んでい見えた。幾つか学園の施設が崩壊して見晴らしが良くなったのだ。
半分はキマグロを低学年の分棟に沈めたマリーのせいだ。うちのマリーがどうもすみません。
「とったどー」
既に動かなかくなった本体の上で、青い甲冑が自分の倍もあるマグロを高々と掲げていた。
冒険者が歓声と腕を上げて祝福する。
正門の向こう側では、商店街の面子が獲れたて新鮮な食材で早速出店を開いていた。
メインロータリーには黒い馬車が到着しており、赤いドレスの女が従者にエスコートされ降り立った所だ。
迎えるのは、外交用のドレスに着替えた王女だ。
騎士隊は仕官クラス10名を残して、被害評価に総出で走り回っていた。
「ハナモモさん、ご無事でしたのね!! また大怪我をされて干物になってやしないかと心配でわたくし――はっ」
「サツキの姉さ兄さん、任務の達成お疲れ様でした。もうちょい外で刈って来たいと愚考するのですが――はっ」
「サツキくん、アオイ獲ったよ、やったよ――はっ」
「ハナモモ様、ご無事で何よりです。これもシンニョレン様のご加護の――はっ」
「冒険者サツキ。このたびの見事な働き、ご苦労様でした。詳細はまた場を改めて。まずはゆっくりと――はっ」
だから何でどいつもコイツも悟ったって顔になるんだよ?
……。
……。
右を見上げた。
あ。
コイツの腕に体を絡ませたまま出て来ちゃったよ……。
……。
……。
「そ、そういう関係でしたのね!? 転入して早々に辺境伯と懇意にされてると聞きましたけれど、そういう関係でしたのね!!」
イチハツさん、ちょっと待って。
「サツキの姉さ兄さんがそっち方向だったとは!! くぅ!!」
どっち方向だよ?
「サツキくん、見て、アオイ、獲ったんだよ、サツキくんのために最大の獲物、ほら、見てサツキくん」
分かったから!! 分かったから押し付けてくるな!! 生臭い!!
「ヒューヒュー!! お似合いですお姉様!! もういっそこのまま初夜まで行っちゃっても許されると思いますよ!! あ、私は見学で!!」
うるせーよ!! なんでお前まで混ざってんだよ!!
「式はどうぞ当修道院で!! ご参列者を沢山呼ばれても大丈夫な式上をご用意しております!! 今から予約しちゃいましょう!!」
アヤメさん……目が金貨になる人とか初めて見たよ。
「賑やかですのね。エビやお魚はいいとして、栄光ある王立第一学園で異性交遊が隆盛というのは、果たして如何なものでしょうか」
アカシアさん、もっと他に突っ込むところあるでしょ。あと、異性じゃないって分かってて言ってるよね?
「学園生活など一時のもので御座います。清い関係であれば、自主性を重んじることもありますわ。アカシア殿下に置かれましても良き思い出を作られることを願っています」
ツバキ王女がこめかみをひくひくさせながらフォローする。すまん、俺がワイルドに密着したせいで。
「はぁ……今夜も……査問会議ですね」
ツバキ王女の後ろに控えていたクランが小さく溜息を吐いた。
え?
アレまたやるの?
ていうか、ワイルドの方には言及しないんだな、お前ら。
そして、この日。
騒動の後始末で多事多端な中。ポーチュカラからの転入生、ハナモモの退学が受理された。
これにて学園編は終了です。




