140話 ハナモモさんドロップキック
続く午後の講義も静かに終わり、帰り支度をする。
今日のサークル巡りは一箇所が限度かな。
席を立つ俺の視界に影が差し込んだ。
数人に囲まれていた。クラス全員が俺を遠巻きに囲ってる。
「ハナモモさん、あの、お時間を頂いてもよろしいでしょうか……?」
先頭で声を掛けるのは今朝の女生徒だ。隣には取り巻きや委員長も居る。
方針。生徒と関わり合わない。これ大事。せっかく距離を置いてくれたのにな。
どうやってやり過ごそう。
迷っていると、肯定と捉えたらしく要件を話し始めた。
「私たち、貴女の事を誤解していたようだわ……。気に病んでいましたら、大変申し訳ありません。どうかクラス一同謝罪をさせ――。」
「ここに居やがったか」
急に被せてきたな。
張りのある男の声に、全員が振り向き驚愕に顔を青くした。俺も驚愕に顔を青くした。ちびるかと思った。
一筆書いて使用人に渡したけど、お前が来るとかおかしいだろ!!
「パイナスの役員からテメェ宛だ」
騎士貴族風の正装をしたワイルドが、蝋で封をした便箋を見せる。
「え? これのためにわざわざ学園に……? お前が?」
「アホぅ、階級貴族が王都に来たんだ。義務だって発生するだろ」
「ああ、それでクランが特別講師なんてやってたのか。お前も大変だな」
「誰かさんみたいに冒険者の後進を育成するならまだしも、ったく剣の握り方から始めんとは」
そうか。剣術の指南か。
良かった。
メイド道とか言い出さなくて。
「詳細はそこにあるが、役員がお出迎えだとよ。使いの報告じゃディナーの予定まで聞いてきやがった。俺の権限で捻り潰したが」
「せめて捻り潰すに留めてやれ。何で俺の晩飯にお前の権限が発動するの?」
「ドレスを贈るとまで言ってきたんだぜ?」
あー、借りを作っちゃったかぁ。
「俺にドレス着せてその役員はどうしようってんだよ。変態か?」
「ここの制服が似合ってるやつが言えたことかよ」
「あ」
つい自分の姿を忘れちゃう。
何か普通に女の子として振る舞ってたな……。
「一度戻って着替えてからかなぁ……?」
「そのまま行く気だったのかよ。使いを出す。衣装は準備するからここの貴賓室を使え」
「何でこの格好になってるか分かってんの!?」
恐ろしい程、本末転倒だなおい。
「テメェの事情だろうが。それと聖堂の昼食会にシスター・アヤメを巻き込んだってな?」
「……良くなかった?」
料理とテーブル椅子の手配はベリー辺境伯家だ。人目につきにくい場所をアマチャに相談したら、昼休みは信心深い一部の生徒しか近寄らないと、聖堂に決定した。
尚、持ち込まれたテーブルや椅子はアヤメさんによって備品扱いとなった。
「悪くはない。明日からは俺とクランも誘え」
しばらくは講師として通うって事か。
「元がベリー家から借り出したもんだ。そうか、クラン。これを見越して決裁を下したな」
「そう言うこった、ハナモモ嬢」
たっぷりの皮肉を込めて、ヤツは唇の端を釣り上げた。
この野郎。
通う気か。
俺は改めてクラスに向き直り、
「お話の途中でしたが、もう行かなくてはなりません。恐れ入りますがこの続きは明日ということでお願いできないでしょうか?」
全員を見渡し、頭を下げる。
そして全員の顔から生気が抜ける抜ける。ってエナジードレインかよ!!
あ、ワイルドがぶち殺しそうな目で見てた。
平常運転だ。
「え、えぇ、私たちこそ、呼び止めてしまってごめなんなさいね、ハナモモ様……。」
かろうじてそんな声が聞こえてきた。
マリーに希望を聞いたら、乗馬クラブと返ってきた。
「意外だな」
柵の向こう側で生徒達がおぼつかない動きで馬に跨るのを眺める。
なんか蹌踉と徘徊するご老人のようだ。
貴族の子女が直接馬に乗る事は無い。比較的まともなのは騎士の家系か商人の家だろう。
「意外ですか、私が?」
こういう時のマリーは、俺の意図を良く汲んでくれる。
「アセビの事、思い出すんじゃないかって」
「乗った事は無かったわ」
生徒らの乗馬風景に目を向けたまま、素っ気ない答えが返った。
デリカシーに欠いたか。
「……でも」
と続ける。
「せっかく野生に戻れたのに、私なんかを追ってくるから」
感情の無い声に、「そうか」としか言えなかった。
やがて一体の人馬が近づいて来た。
白い馬に跨る乗馬服の娘は、他の生徒と違って危なげも無くバランスが取れていた。
「見学を希望してくれた転入生くんだね? 乗馬クラブへようこそ。会長のコマツナギです」
手慣れた風に馬から降りると、彼女は半キャップのヘルメットを脱いだ。
名前と素性は事前に調べている。
貴族にしては短く刈った髪と長身が、中性的に見えた。整った顔立ちにこの甘い声は女子に人気が出そう。
「この度はお時間を頂いてありがとう御座います。ハナモモと申します。こちらは妹のマリー」
「マリーです。よろしくお願いしますコマツナギ様」
二人で膝を折り挨拶する。ワイルドが居なくて良かったぜ。あいつには見られたく無い。
「こちらこそ。みんなはナギと呼んでるから、そう呼んでくれるといい。本名だと長いからね」
「ではナギ様。こちらの乗馬クラブは設備が充実してらっしゃいますね。流石は王立第一学園です。土地も綺麗に整備されてますし、器具も良いものを揃えてらっしゃる」
にこやかに語る俺に、隣のマリーが「急かしすぎですよ」と小声で嗜める。
いかん不自然だったか。
「失礼しました。まだ貴族の習いに迂遠でして」
コマツナギさんは不思議そうな顔をしていたが、すぐに相好を崩した。
「ふふふ、ポーチュカラの豪商と伺ったけど流石に目の付け所が違う。ああ、確かに良いものを揃えてるとは思うけれど、一番はここの運営にあるかな。ご覧になって他に気づいた事はあるかい?」
「人、ですね。トラックの整備や馬の世話を直接するのは、貴族の子供には無理があります。ここまで丁寧にされてるのは物への費用だけでなく人件費に重きを置いている証左です」
真面目に答えたら、ぷっと小さく吹き出された。ウケた?
「ふふ、すまない、いや悪気は無いんだ」
「おかしな事を言いましたでしょうか……?」
「いいや正しい見方だよ。確かに専属の用務員が増えたからねぇ。前はここまでじゃ無かったさ」
「お昼に文化棟へ伺いましたら決算でも無いのに急に予算が降りた話がありました。やはりこちらもでしょうか?」
「そんな所かな。まぁ、既に聞いてるつまらない話は置いておいて、実際に体験してみないかい?」
あ、やべ。がっつき過ぎたか。
隣でマリーが「ほらご覧なさい」と唇を歪めていた。
コマツナギさん。とっくに俺たちの聞き込みを耳に挟んでいたようだ。
「では私が」と前に出るマリーに影が落ちる。
6名の騎馬が柵の前に集まっていた。男子生徒だ。
「貴方達、よしなさい!!」
事が起こる前にとコマツナギさんが静止するが、彼らは最初からそのつもりなのだろう。
「コイツらか、噂の紋無しってのはよ!!」
「おい会長、まさかこんな女どもをクラブに引き入れようってんじゃ無いだろうな」
「いい加減にして欲しいぜ。映えある乗馬クラブを女のままごとにするなんてな!!」
「いい加減、会長の座から降りてもらっちゃくれませんかねぇ?」
最後のが本音かな?
見たところ、コマツナギさんに比べて彼らは安定性に欠いていた。辛口に言うと、ようやく馬に乗せてもらった風だな。
その事実が、女生徒を馬上から威圧する素行に繋がるのか。貴族だからって稟性が分かるんだよ、そういう所でさ。
「そもそも女が乗馬とかふざけてんだよ」
「まったくだ。人を馬鹿にし過ぎるにも程がある。このクラブを何だと思ってるんだか」
或いは、急に予算が増えた影響かな。
だけどね、
「私が行きます」
俺を制したのはマリーだった。一言言わないと気が済まない様子だ。
いや君は簡単な冷罵に屈するほど豆腐じゃん。メンタルがさ。
それでも、マリーには許せないのか。
――火炎魔法使いのジョブに授かったばかりに、慣れない土地で追放だけを繰り返した。
その間の研鑽は、決して芳躅に胡座をかいたものじゃ無い筈だ。
コマツナギさんの姿を自分に重ねたか。
先頭の男の前に出て、ぽそぽそと何やら話し出す。
言葉は聞こえない。
ただ、彼女を前にした男の顔色が徐々に土気色に変化した。
「待ちなさい、貴方どうしたって言うの!?」
コマツナギさんがいち早く異変に気づいた。
馬上で、男の姿勢がふらつき出した。
目が虚だ。
それでいて手綱を握る手に力を感じた。
「お、おい、どうした、お前? 目が変だぞ?」
仲間の男子生徒からも心配される。
ふらふらと。
ふらふらと。
馬がゆっくりと歩む。
彼らの視線の先には、大振りの枝を広げた大樹があった。
コマツナギさんも他の男子生徒も、彼の異様な行動に見入っていた。
体が動かない。動かせないい。それすら意識できないのだ。
大樹の下に着くと、彼はおぼつかない動作で手綱を馬から外し始めた。
長くて丈夫なそれなら、人の体重にも耐えられるだろうか。
あぁもう!!
柵を飛び越え一気に走り抜けた。体捌きⅡスキル、総動員!!
「あのアチャラカ娘が!!」
一瞬で距離を詰める。スカートなんて構ってられるか。
完全な。そう絶対的おっ広げ。それが今の俺だ。
生足に三つ折りソックス。
くそ!! せめてタイツにしとくんだった!!
そして枝に手綱をかける若者へのドロップキック!! それが今の俺だ!!
……いや暗示による首吊りとか洒落にならんわ!!




