126話 大将の味
深更だって絢爛な灯りに溢れるのは、単に暴食の極みを表した訳じゃない。
国王陛下のお膝元ともなれば民草の治安にも配慮がされるんだろうさ。
華やかなメインストリートを背に、入り組んだ路地を進んだ。
時折、夜陰に紛れた商売女が声をかけてくる。
「可愛らしい冒険者さんだねぇ。どうだい? 回復薬の補充は万全かい?」
「こっちにはいい装備があるわよ? あと装備はちゃんと装着しないと意味がないからね」
「ふふふ、今なら大根がお買い得よ」
……って本当に商売してるだけの女かよ!! 紛らわしいよ!?
「あの、ボクこれから行くところがあるんです」
丁寧にお断りすると、
「そうかい、何だったら案内しようかい? ここから先は暗いからねぇ」
「いえ、そんな」
「大丈夫大丈夫、任せておきな。あたしは生まれも育ちも下町っこさあね。知らない場所なんてないよ」
大根を勧めてきた女が、いやらしい目で舐め回してきた。
どこに連れてく気だよ?
「それで、何て店に行きたいんだい? ああ、この辺じゃ金じゃ女は買えないからね。まぁ、ボクくんのような子だったらその心配はないんだけどさ」
気づくと、周囲の女達も同じ眼光を向けていた。
そして、波のように一斉に引いた。
俺の一言で。
「スズラン亭」
八百屋の女が目を見開き身構える。
「何だい人が悪いボクくんだねぇ。大将の知り合いだったのかい」
「いや、初めてだけど」
「へぇ……ねぇ、あんた。その店のこと、どこで知ったんだい?」
周囲の視線が二種類に変わった。警戒する者か、非難する者だ。後者は早々に背を向けた。
「師匠だった男の紹介で。カタバミという」
騒ついた。身を隠した者まで、物陰からこちらを覗く。
迂闊にあの男の名を出すもんじゃなかったか。
「ワンマンアーミーかい!? ちょいとお待ち、師匠ってことはボクくんは……まさかお貴族様」
「いいや、追い出された方さ」
「SSランクの追放者かい……道理で綺麗な子なわけだい」
待て。何だそのあだ名は。ていうか綺麗なのはアイツの方だぞ?
「まぁいいさね。あたしらが一緒だとあの大将も警戒しちまう。すぐに分かる店構えだから行ってみておいでよ」
女たちに送り出される形で、俺は路地裏の最深部へ足を踏み入れた。
謎の文字が綴られた看板と暖簾を前に呆然とする。
恐らくは料理の名前だろうが、まるで見当がつかない。アザレアのみならず、大陸の列強ですら聞かない名だ。
――ラーメンスズラン亭。
スズラン亭はパーソナルネームだ。ならば、ラーメンの部分が料理か。
迷っても仕方がない。師匠だった男から今夜に行ってみろと勧められたんだ。一見さんだからってここで怖気付けるかよ。
引き戸を開け暖簾をくぐる。
香ばしい香りが押し寄せた。
出迎え。そう。南国へクエストで出向いた時だ。関所を潜った瞬間に花輪とダンスで出迎えられたのを思い出した。
「らっしゃい」
正面のカウンター越しにいかつい顔の男が居た。他に従業員が居ないのは確認済みだ。
「兄さん、客でいいんだよな? いや姉ちゃんか? まぁ客なら席に座って注文しとくれよ――玄関前で気配を探るなんて趣味が悪いぞ」
何者だよ!!
白い服装は料理人の正装なのに、中身から放たれる異彩が尋常じゃない。
職人服を張り詰める筋肉もそうだが、気配が違う。
少なくとも、包丁を持たせたら大根より魔物を切る姿がしっくりくるんだよ。
「どうしたい? 客じゃなきゃ……まさか師団の雇われ冒険者か!!」
「普通に食べに来たお客さんでーす」
変な単語が出てきたので慌ててカウンター席に着いた。後半は聞かなかった事に。
カウンターに掛けられたメニュー表を眺めつつ、警戒する。このおっさんが「俺の料理で大衆を支配する」とか言い出しても疑問を挟む余地がない。油断は命取りだ。
「お客さん、この店をどこで知ったんだい?」
「うん? あぁ、師匠のカタバミって冒険者だ」
言ってからしまったと思った。
あまりにも自然だったから。つい答えた。さっきトラブルになり掛けたってのにさ。
警戒してたはずなのに、何だこの男は? 何だこの話し安さは?
「そうかい……懐かしい名じゃねぇか」
「いや先月も来たって言ってたが……?」
「いいぜ、ここは俺の奢りだ。好きなのを注文しな」
大丈夫かこの店? 見たところ客は俺しか居ないんだが。
いや、来たな。
「大将の奢りが出るたぁ、大したもんじゃねぇか兄ちゃん。だがな、ここは女子供が来るような所じゃねぇぜ」
背後の来客らしい気配が、妙な言葉を掛けてきた。
新手の客だ。
妙なのは、言葉が粗暴なのに畏敬の念を感じる。
振り向いて驚愕した。
そこには、パジャマ姿のおっさんが居た。足元はサンダルだ。近所の常連らしい。
「旦那ぁ、揉め事はちょっと」
カウンターの向こうで店長が控えめに注意するが、どうにも腰が低い。やっぱ常連は大切だよな。
「おう、いつものを頼むぞ」
「いつも色々を召し上がって頂けるじゃないですかい」
どんだけ食いに来てるんだよ。
「今宵の我が肉体は辛味噌を欲しているぞ」
「ヘイ、毎度。それといつまでも入口に居ないで座ってくだせぇ」
うむ、と答えるとパジャマ姿のおっさんは俺の隣に座った。
何でそこなんだよ。
「で、そっちのお客さんは決まったのかい?」
「……今宵の俺は、えーと」
「そこは真似しなくいいから。別にうちの作法じゃないから」
そうか。良かった。
「じゃあ、同じもので」
「ヘイ毎度」
早速、調理に取り掛かる。
同じものを頼んだ理由は、作業が煩雑にならず出品まで時間が掛からないからだ。
視線を感じそちらに目を向けると、おっさんが「にんまぁ」といい笑顔で見てきた。
いい笑顔すぎて胡散臭いわ。
「アンスリウムは初めてじゃないんだろ? 兄ちゃんの顔、どっかで見たんだけどなぁ……んー、何だったかなぁ」
隠す訳じゃ無いが、表の女たちにはバレたからなぁ。
そのまま答えるのは、反感を感じるぞ。
「どこにでもある顔さ。それより、あんたの顔こそどこかで――って何変顔してんの!? 突然すぎてビビるよ!?」
「どこにでもある顔じゃよー」
「ねぇよ!! そんな変顔のおっさんその辺にいてたまるか!! ……あんた本当に何者だよ?」
自然と声のトーンが落ちる。
「何者、とは?」
「貴族にしては護衛が居ない。こんな夜だってのに。それだけ治安が安定してるって言いたい所だが、あんたに限っては違う。ここの食堂が裏道の中でも特別視されてた。店やマスターのせいじゃないってことぐらいは感づく。あれが恐れのようなモノだって言うなら――あんただろ?」
「わしゃただのラーメン好きなナイスガイじゃて」
「ナイスガイはパジャマで飯屋に来ない」
「ちゃんとしてるよ? 普段はちゃんとしてるよ?」
「そうなのかマスター?」
「あっしからは何とも言えねぇな――ヘイ、辛味噌二丁」
どんぶりが二つ、カウンターに並んだ。
こんな夜分だってのに、食欲がそそられる。
「これがラーメンか……。」(ゴクリ)
「似たようなものなら他国にもあったが、ここの親父のは格別だぜ。なんと言っても――。」
「旦那、その辺で。それより伸びないうちに召し上がってくれよ」
「おおうおおう、では早速」
おっさんと二人で仲良くラーメンを啜った。
師匠からの指示で警戒もしてたが、これだったら皆んなも連れて来るんだったな。
「どうした? 想い人のことでも考えておったか」(ズル、ズルル)
「いんや。そういうあんたこそ、家族でも連れてくりゃ良かったんじゃないのか?」(ズル、ズルル)
「家族かぁ……そうよなぁ」(ズル、ズルル)
「いや、聞くは野暮だったな。若造の失言と思って忘れて欲しい」(ズル、ズルル)
「一つ忠告しておこう。家族が居るなら、この店には来ないことだ。どうしてもという時は、家族も連れてきてやるんだな」(ズル、ズルル)
何だ? 急に真顔になって。(ズル、ズルル)
「後悔してからじゃ遅いって事だ。今のワシのようにな」(ズル、ズルル)
「おっさん……。」(ズル、ズルル)
彼にも、愛する人が居たのだろうか。
おっと、詮索は無粋だ。
ガラガラっと勢い良く入り口が開いた。
「やっぱりここに居た!!」
若い張りのある女の声が響いた。
おっさんとラーメンを食うだけの話しでした。




