125話 番外 ヤケタ肉
前話は会話だけで進めましたので、今回は普通の小説っぽく。
やってる事はいつもと変わりませんが。
山道を脱輪も恐れず、カタログスペック以上の力で黒い馬車が駆け抜けた。
夜鴉のこだまも後方へ置き去りに。馬車を引く巨体は道を塞ぐ獣の影にも構わず、雲に陰る月を目指すが如く森を直進する。
やがて、遠くの木々の切れ間から、頼りない灯りが霞のように浮き出るのが見え、馬車は一層車輪の悲鳴をけたたましく響かせた。
どこまで進んでも同じ景色に思える夜道の終着点に待つのは、都市から離れた山中に思えない館だった。
外壁こそは古めかしいが、窓から溢れる灯りが安堵を誘う。
あぁ、人が居るのだと。
巨大な玄関前に車両を付けるや否や、御者台から細身の影が飛び降りた。
体のラインが出たパンツルックに、冒険者の標準装備である上着を羽織った若者だ。
奇妙なのは、その線の細さと相まって微かに差す月明かりに浮かんだ顔だ。
道理で雲が濃い夜だ。
あまりにも可憐な顔立ちは、月夜には毒であったろうか。世に晒してはならぬと、銀盆の一雫さえも差し込ませまいと、暗雲がその腕で覆ったのだ。
そうでなくては、濃厚な闇さえ、あぁ、愛らしいと喘ぐ様に、唯一無二の美の化身すら嫉妬したもうか。
「夜分にすみません!! こちらに名医が居ると聞きました!!」
ダンダンダンとノックする腕の力は、華奢な姿に似合わず乱暴だった。
家人が見れば警戒しただろう。場合によってはドアを叩き割ろうとしてるのでは?
だが――。
「仲間が大火傷を負い瀕死なのです!! どうか、お力をお貸しください!!」
バン、と勢い良くドアが開いた。内側からだ。
今度は若者がギョッとした。
三和土の向こう側に一人。男らしい影が佇んでいた。
他に人影は無い。
なら、誰が開けた?
「……。」
男が口の中で何やら呟いた。聞き取れない。
若者とは対照的な、不気味な出立ちだった。
家に居ながら山岳帽を被り、厚手の黒いコートを着ていた。長い鷲鼻に干からびた皮膚。それでいて口髭だけがピンと左右に立っている。
普通の者なら洋館の主人にしては異様すぎると逃げ出していただろう。
「……。」
男は仕切りに口の中で呟いた。
やがて、その言葉は怨嗟のように美貌の若者の耳朶を撫でた。
ヤケド……ヤケド……ニクハ、ヤケタノカ……。
ゾッとする嗄れ声に、柳の様な眉が寄ったが、嫌悪感が表面化するのを堪え艶やかな唇が答えた。
「ええ、魔法使いがファイアストームを暴発させ、自身で火炎を浴びてしまったのです。麓の村では手の施しようもなく……。」
「――アゲロ、スグニ」
今度ははっきりと聞こえた。
患者を部屋に入れろという意味なのだろう。まさか火傷に因んで揚げろという意味ではあるまい。
「はい、すぐに」
若者が馬車から戻ると、濃紺の毛布に包まれた仲間の冒険者が腕に抱かれていた。
厚手の布地からも分かる。
若者よりもずっと儚い
「……オンナ……カ?」
華奢な膨らみに嗄れ声が目を細める。
かと言って訝しむ顔でない。
「15になります。多くを知らない彼女を死なせるなんてできないじゃないですか」
苛立たしげに声を上げたのは、不快感を隠すためだ。
何かに押されたように、コートの男はひん曲がった背を向けた。
皺枯れ声でしきりに呟いている。
辛うじて「奥へ連れて行け」と聞こえた気がした。
若者は腕に抱く包みに一瞥を落とし頷いた。
お姫様抱っこの要領で玄関を潜る。
それが良くなかった。
ガン、と鈍い音がコートの背を追い越した。
何事かと男が振り向く。
慣れないことをするからだ。腕に抱く毛布の塊り――頭部を玄関の角にぶつけたのだ。
ぷるぷると震える布越しの少女に、若者が流石にあたふたする。
「モット……テイネイ、ニ」
怒られた。
若者は無言で頷き、灯に乏しい館の奥へと従った。
進む途中、若者の足捌きが軽やかなステップを踏む。
小さな、慎ましい舞踏が回復術の一種であると、前を行く不気味な男に知るよしも無かった。
一つの部屋に到着し、小さいながらも綺麗に通った鼻を顰めた。
異臭が刺すように出迎えたのだ。
部屋の中央には無骨な寝台があった。診察台にしたって粗末だ。
例えるなら――解体台?
「ソコヘ……。」
歪な黒い指がその寝台を指す。
躊躇う事なく、彼は仲間の冒険者を包んだ毛布の塊りを寝せた。
丁寧に扱う心遣いはまだある。
「オマエハ……ソトデ、マテ」
意外な言葉に対し、意外にも若者は大人しく頷いた。
大火傷を負った少女を、如何に自ら治療を依頼したとはいえ、こんな不気味な男と二人きりにするなど。
「頼んだ」
一言残し、春宵の風花のような美影身が退室する。
頼んだ――誰に掛けた言葉であろうか。
二人だけが残った光景は、哀れな贄となった少女を前にする邪教の徒を思わせた。
爪が伸びに伸びた指が、彼女を包む厚手毛布に掛かる。
その顔が邪悪に歪むのを見る者は居ない。
もはや牙すら剥き出しになった口からは、涎が滝のように溢れてきた。
鷲鼻はヒクヒクと動いた。
「……ヤケタ、ニオイガ、シナイ?」
ビクンと毛布が反応する。
「え、えぇと――ミディアムだから?」
「……ソウカ」
紛れもない少女の声に、男は満足げに頷いた。
再び黒い爪が毛布に触れた時、乱暴に部屋の扉が開いた。
「大変です!! 窓の外に!!」
「……ナゼ、ハイッテキタ」
出て行ったばかりの若者に、男の声は苛立を隠しもしなかった。
獲物に焼き加減まで確認したのだ。何故今更邪魔をする、と。
「窓の外で、こちらを覗く人影が!!」
「……バカナ、コトヲ」
「本当に居たんです!! 黒ずくめの服で、何かこう新内閣発足の記念写真に出てくるような、えーと、あとは、そう鎌!! 大きな鎌を構えてました!! カマだけに!! あれはきっと地獄の首刈り農場恐怖の大豊作です!!」
「……シンナイカクホッソク、ハ、ドコヘイッタ?」
「人の事をB級恐怖活劇のように言わないで頂きたい……。」
コートの不気味な男と、この部屋の曇りガラスの向こうで鎌を構える謎の怪人が同時に困惑していた。どうやら回り込んできたらしい。
「……オマエハ、デテイケ……イイヤ、ジュンバンダ……オトナシク、シテイロ」
ギラリと、目深に被った山岳帽の下で眼光が若者を射抜いた。
言葉の通り、彼の手足が止まる。
「……ソトノ、オマエ、モ」
男が窓に顔を上げると、鎌を持った影は消えていた。
「……ニゲ、タ、カ」
「こんな殺人鬼に狙われた館に居られるか!! ワシは自分の部屋に戻るぞ!!」
若者が激昂する。
「……ヒトノヤシキニ……カッテニ……ジブンノヘヤヲ、ツクルナ……。」
もっともだ。
だが、それが良く無かった。
毛布の中の少女が、ブッと吹き出したのだ。
「……ドウ、シタ?」
男が診察台に視線を戻すより早く、
「何でもありません」
素早く移動した若者の手刀が、毛布の喉元に突き刺さっていた。
「……。」
「……。」
「……ナニモ……トドメヲ、ササンデモ」
「いや、この際もういっそ楽にしてやろうかと」
たはは、と愛想笑いをする若者に、男はあり得ない事態であった事を思い出した。
「……ナゼ……ウゴケル?」
「最初から知っていれば対策なんてさ」
「……オマエハ」
「これも最初に言った筈だ。『冒険者』と」
若者を睨んだまま、男はぶつぶつ呟き始めた。
長くなりそうな気配を感じ、若者の方が喋り出した。
「麓の鉱山職人が火傷を負ったのが一ヶ月前。村にだって医者は居るさ。早急な処置の甲斐もあって職人は一命を取り留めた。そもそも重症では無い。食事の用意で鍋をひっくり返した程度だから。甲斐甲斐しく世話をする奥さんは村一番の働き者と評判だった。旦那の抜けた作業と介護で、疲労も溜まっていたのだろうな。ある番、医者を名乗るボロを纏った老人が現れる前までは――。」
不思議と、若者の声が部屋に澄み渡った。
性別のわからない清涼な声に反して、次に放たれた言葉の何とおぞましい事か。
「ソイツは強引に旦那の寝所に押し入ると治療と称して包帯を剥ぎ取った。奥さんは当然抵抗したさ。人を呼ぼうともした。隣近所は荒くれ者な仕事仲間だ。異変を感じれば腕まくりして飛んで来るだろう。だが、声は出なかった。体が固まったように、指先すら動かせない。ただ目の前で、ソイツが夫のヤケタ肉を貪るのを見ているしか無かった。回復に向かった瘡蓋を剥がされた時、彼は絶叫しただろうか。爪の尖った指が夫に突き刺さった時、奥さんは声なき声を上げただろうか」
その情景を思ったか、若者は瞼を閉じていた。
「……キサマ……ナニモノ、ダ?」
能面のような顔に苛立った嗄れ声がぶつかり砕けた。
双眼は開かれていた。
「何度も言わせるな、冒険者は依頼に従ってクエストをこなすもんだ」
発注人は、その炭鉱夫の妻だったろうか。
「……オマエ、カラ!!」
明確な殺意の本流に、むしろ若者の体は若鮎のように生き生きとした。
「よっ、と」
軽い掛け声と共に入口へと跳躍する。
両腕には、連れてきた時と同じく仲間の冒険者を包んだ毛布が抱えられていた。
コートの男に、踊り子スキルに由来する身のこなしと知る由も無い。
「行きます」
「行きたまえ」
少女の張りのある声と共に、濃紺の毛布から白い腕が伸びた。
火傷どころか真珠のような輝きに舌なめずりの響きが重なる。
対して、若者は落胆に肩をすくめた。
「今更食い意地なんてさ。寿命を縮めるだけだって」
奴はついぞ、少女の指に摘まれた一輪の花に気づくことは無かった。
不可視の糸が繋がった。
片や不気味な老人。
片や絶世の美女とも見間違う若者に抱かれた女の手。
「火遁の術・九字八式リューコスペルマム――簡易版ですが」
不可視の糸を手繰るように火線が走った。
逃れる術もなく、コートの男は一瞬で火に飲まれ両手で正面の空間を掻く。
自分が焼かれるとは思うまい。悶絶しながら灼熱の運命を受け入れるかと思えた時だ――曇りガラスの窓を突き破り、難なく外へ逃げ延びたではないか。
「大したものだな」
見送る若者の感嘆が自分に向けられたものだと気づき、少女は毛布の中で頬を赤らめた。
「妹様から授かった奥義。今のわたくしではこれが限度です……あの、そんな風に見つめられると、恥ずかしい」
「上出来だよ。術との相性がいいんだろうな」
はらりと布のズレた隙間から、大きな瞳が逆に若者の顔を驚嘆と共に写し出す。
「ご主人様に、お褒めに与るだなんて……手負いにしたとはいえ逃してしまいました」
「外にはアイツが居る」
「先輩がいるからです。ちゃんと討伐部位を残して頂けるといいのですが」
「あ」
焼け焦げたコートを引きずり、それでも足早に男は闇を走り抜けた。
自分のテリトリーだ。宵闇に紛れて仕舞えば追っては撒けるだろう。
不意に、前方の木々が途切れた。
こんな所に広場があっただろうか。
いいや。自分はなぜここへ逃げ込んだのか。
「……キサマ……ナニヲ、シタ?」
広場の中央に佇む影法師は、闇が形を得たように怪しげだった。
怪異ですら身構えようとは。
「優秀なガイド役がいるからな。なるほど、確かに姉さ兄さんが一目置く少年であるな。こうも容易く誘導出来るとは。軍属でさえなければ我らが門弟に迎え入れたいが、さて」
黒服の男は仕切りに関心して顎を撫でた。
全身が隙だらけである。
コイツ一人なら、と怪異の男に思わせても不思議では無い。
「ほう、来るか? その心意気やよし。だが俺は――。」
仰け反りつつ巨大な鎌を振りかざしたと思ったら、黒衣が反対側へ回転した。今やボロを纏った怪異が飛びかかったのと同時である。
地の利もあった。夜目も効く。火炎攻撃の負傷は大きいが一対一で人間如きに退けを取るはずがない。
いつの間にか雲は切れ、月光だけが二人を照らしていた。
重なった瞬間、力なくボロを纏った体が崩れ落ちる。
「むむ、これは参った……このような首で我があるじ様の御前を汚すわけにはいくまい」
黒衣が無造作に掴んだソレは、人間とも猿とも付かぬ形相で、牙を剥き出しにしていた。
ため息と共に、ひょいっと頭上に放り上げる。
無数の閃光が過ったと思うと、今まで何人もの人間を捕食した怪異の頭部は細切れになり、夜の風にさらされていた。




