117話 無双
「言ってもわからないなら――ファイアストーム!! 避けられるな避けて見せなさいな!!」
魔法使いが杖の先端を向ける。
変な売り言葉だが、その通り火炎が渦巻き容赦なく空気を舐めた。
「行け!!」
若草を巻き込んだ炎の筋が俺たちに迫る。誰もが微動だにしないまま、紅蓮の奔流に飲まれた。声すら上がらず。いいや、誰かのため息が微かに空気を揺らした。
「ふん、素直に改心してればいいのに。風の勇者様の申し出をけんもほろろにするから。ってちょおとぉ!! どうしてコンガリいってないの!?」
炎が消え元の位置のまま。焦げた跡すら無い俺たちに、妙な非難の声を上げる。
何だろ? 彼女だけ声のイントネーションがおかしい。
「――。」
魔法使いの小さな呟き。聞こえたのは俺だけか?
「なに、あるじ様の手前だ。二度目の不覚は取れまいて」
頭上で鈍い鉛のような声がする。と思ったら、大気からこんこんと泉のように物質が湧き出た。赤黒い筋肉の山だ。
鬼神・シャクヤク。
燃える眼光は敵を睨め付け、今にも鉄球のような肩が持ち上がり、死の暴風を巻き起こさんと浮き出た血管をわななかせる。
「ひぃぃ……。」
見上げる風の勇者が尻餅をつく。
「ひぃぃ……。」
ドレス姿のガジュマルくんも怯えていた。
コデマリくんを背に庇うのは友情ゆえか、軍属の矜持か。
「こいつは狩り甲斐のありs――いえ、何でも」
俺に一瞥されたシチダンカが言葉を濁す。
魔物じゃないから。
この人、鬼神だから。
だからってコイツ、放っておくと挑んでいきそうなんだよな。
「まぁまぁ、立派な体格なのね。でも困ったわ。馬車に入るかしら? あ、斜めに押し込めばイケそう!!」
苺さん。やめて上げて。
「ガジュマルくん、大丈夫だよ。この人はマリーさんの仲間だから」
「……式? 違う、並の使役魔物じゃ無い。え? この特徴、え? まさか――。」
「我が姿も質量も仮初のもの。中に入らずともあるじと共にあるが、いや、そう詰め込まなくても変幻自在で有れば、待つがよい落ち着くが良い、美しい人よ、何故そうも頑なに我を馬車に押し込めんとする!?」
「持って帰りましょう!! 大丈夫、ちゃんとお母さんがお散歩もお世話もするから!!」
「苺さん、その子捨て犬じゃないから!!」
「兄様の仰せの通りだ、我には既にあるじと仰ぐお方が!!」
まずいな。まさか苺さんがここまで自由とは。
「ええぃ、そう無理に詰め込まんでも――これで如何か!!」
瞬時に巨大な質量が消えた。
苺さんが「わわわ」とバランスを崩してつんのめりそうになり、目の前の白い着物姿にのし掛かった。
筋肉の山の代わりに現れたのは、長い髪を風になびかせた、低身長の娘だった。
「姿かたちは夢まぼろしよ。そも我がアストロフォースは如何なる次元にも存在する。我のあり方。今はあるじ様と因を結んでるゆえこのリソースに顕現が許されておる。故に勝手に飼い犬にされては叶わぬ――待て!! 娘の姿になって早々にオッパイを揉みに来たぞこの女!?」
「うふふふ、体は小さくて軽いのにここだけは超新星の爆発にも似たインパクトね!! 乳パクトね!! さぁ!! 行きましょう!!」
「何処へ行こうというのだ!!」
「奥にいい部屋があると聞くわ!!」
ガシっと鬼神だった娘を掴み、ズルズルと馬車に引き摺り込む。
「ふふふ、うふふふ」
「待たれよ!! 我はあるじを守護する使命があるのだ!! 今度こそ遅れを取るわけにはいかぬのだー!!」
「大丈夫よ。お母さんがちゃぁんと可愛がって上げますからね」
「あ、あるじ、助けてたもれ!! 兄様-!!」
まさか鬼神を恐怖で竦ませるとは。やりたい放題だな、おい。
命乞いをするかつては山のようだった鬼神を無常にも馬車へ押し込み、彼女はニチャアとした笑みを浮かべた。
「うふふ、お母さんの娘になっちゃえ♪」
バタンッ!!
本来は無音の開閉機構が、何故か大きな音を立て内側から閉まる。
魔王が振るうテクノロジーさえ改変してしまうとは、自由すぎだろ苺さん。
「えーと……はっ、何かよく分からないが、そんなもので我々を脅したつもりになるなよ!!」
自称勇者が剣を抜く。
「待て、何かよく分からないのはこちらも同じだ!! あと今のが脅しだとして誰に対しての脅しか分からん!!」
「うるさい!! そこの男を倒し後ろの可憐な少女と馬車を差し出せ!!」
「後ろの可憐な……何?」
振り向くと、怯えたコデマリくんとガジュマルくんが居た。その隣で「うふぅん」と変なポーズ(鶴のポーズか?)を取るマリーが。
可憐な少女、だと……どれ?
「魔法使い!! もう一度火炎呪文だ!! 思い知らせてやるぞ!!」
「任せて、勇者様!!」
斑雪のように肌に張り付く苺さんとシャクヤクの威圧がまとめて消えたんだ。急に気色ばむのも分かるが。
こいつら、感情がコントロールできんのか?
「僧侶は支援呪文だ!! 俺に合わせろ!!」
自称勇者の実力よ。如何程のものか。
だが、こちらもSSランクの俺、Aランク相当のシチダンカ、Sランクのマリーだ。どう見てもオーバーキルだ。
……あ、違う。まだ居た。
「どうした僧侶!! 攻撃力付与で俺を援護しろ!! 何やってんだノロマ――。」
「ひぃぃっ!?」
「今度は何だ、ひゃぁあ!?」
取り巻きの魔法使いの声に、ようやく事態に気付き振り向いた。
自称勇者の前に、ぶらんぶらんと揺れる女僧侶の体があった。
その首から上は、巨大レッサーパンダの口の中に消えていた。
これには全員が焦った。
魔法使いの悲鳴がこだまする。
自称勇者は凄惨な光景に膝から崩れた。
「コラ、そんなの食べちゃダメでしょ!! ぺっしなさい、ぺって」
マリーがユリを揺する。
頭を飲み込まれた僧侶の体がぶらんぶらんと揺れた。
「首からいくとはあの獣、やはり分かってるな」
うるせーよ、感心してんなよ。
「鵺って雑食だったの?」
「大抵の魔物はそうだと思うけど。笹とリンゴがとりわけ好物だって、ヨリマサ・ノ・ミナモトの書に載っていたような」
コデマリくんとガジュマルくんが妙な観察を始めた。
「ていうか今ならヒール間に合うんじゃね!?」
ステップを踏む。
マリーを失ったあの日以来、久方ぶりの踊り子(回復)だ。
「て、サツキさん何踊ってるんですか!?」
ガジュマルくんがドン引きする。
そりゃ敵とはいえ女僧侶の頭を咥えた鵺の前で踊ってるんだ。異常な光景なのは俺も認める。
「何かの儀式みたいだね」
コデマリくん。君は馴染みすぎだ。
「おおっ、これぞサツキの姉さ兄さんの舞!! なんと神々しい!!」
跪いて祈るな!! 俺に祈りを捧げるな!! 余計儀式みたいになってんぞ!!
「俺の本職は踊り子なんだよ!! こうでもしないとヒールが出せない!!」
「言ってることが1ミリも分からないよ!!」
ガジュマルくんが悲鳴を上げる。
逆にヒールと聞いてコデマリくんの顔が輝いた。
「ヒールなら僕に任せて!!」
両手を前に突き出す。
「だーっ、君はダメだ!! 今は目撃者が多すぎる!!」
やっと聖女様騒動が治まったってのに!!
「待ってサツキさん!! ユリがぺってしないと回復しても苦しみを長らえるだけだわ!!」
「流石はサツキの姉さ兄さん!! 決して楽に死なせはしないと!!」
「うるせーよ!! 感心してる暇があるなら、あ、いや祈ってる暇があるならそいつを引き摺り出せよ!!」
「いっそこのまま首と胴を真っ二つに」
「トドメ刺してんじゃねーよ!!」
ていうか俺ももはや何のお踊りを踊ってるのか分からなくなってきた。
この騒動に我に戻ったのが意外にも自称勇者で、
「おのれっ!! 僧侶を解放しろ!!」
震える膝を鼓舞し、抜剣した腕を振り上げる。
そのまま頼りない足取りで斬りかかっていった。
……この人は何で勇者なんて名乗ろうと思ったのだろう。
だが、それがまずかった。
その勇気が、まさかあんな事になるだなんて。




