115話 車窓から
紫幹翠葉むせ返る中、山水の合間から覗く湖面の反射を眺めていた。
ジキタリスじゃ馬に相当するものが調達できず難儀した。並の馬じゃ牽引を拒否するんだ。
今までの馬……エボニーミノタウルス、グレートホース、幻獣・鵺。
確かに並の面子じゃ無かったが。
結局、黒塗りの馬車はこれまで通りユリが引いている。意外なのは御者台のシチダンカに懐いた事だ。
「サツキさんに似ているからかしら?」
出立前に、マンリョウさんが不穏な事を言い放った。
「え? ボク、笑いながら斬りかかったりしないよ?」
「ふふふ、冗談ばっかり」
「……。」
何を聞かされた?
「それより、本当にいいの? この子達を預かっても」
彼女の足元に、灰色オオカミ6頭がひしめいていた。
「向かう先が中央だったらいずれ同行は困難さ。こちらはリーダーと弟くんの二頭で限界だろう。引き続き君の護衛に育ててくれ」
「トレーダーの護衛」
「そうそれ」
「……最後まで気を遣って頂きましたね」
「クレマチスは進路にだって拠点を持つ。紹介状でもしたためてもらえれば」
おどけて言うと、彼女は小さな声で、
「そんな事をしなくても支援はさせて頂くのに」
熱の籠った視線で見つめてくる。
「あー、あー、そろそろ出発しないと今日の行程はこなせませんよ!! 明日にはチェリーセージでお肉なんですから!!」
マリーが彼女との間に入った。
何故か俺を独占したがる。
が、苦笑いするマンリョウさんに唐突に頭を下げた。
「オオグルマを出る時、沢山のお花をありがとう御座いました。とても嬉しかったです!!」
俺とマンリョウさんが顔を見合わせた。何の事か咄嗟に出てこなかったのである。
「えぇと――あ、はい。でしたら、そのお礼はサツキさんに。そう望まれたのはサツキさんでした」
「それでも、嬉しかったから」
「……そう。それが聞けて良かったわ。こちらこそ、ありがとう。喜んでもらえて、本当に嬉しい」
マンリョウさんが言い終わる前にマリーが抱きついた。
いつもの健康的な肌を露出した衣装に顔を埋める。
「次は、もっとゆっくりお話を聞かせてください。先輩」
「こちらこそ、楽しみにしているわ。後輩さん」
女同士の妙な関係が生まれていた。
ちょっと待って、何の先輩後輩なの?
尚、俺たちが出る時にはベリー勢は既に出立していた。
苺さん。嵐のような人だったな。
「マリーちゃんはサツキちゃんに似て美人さんなのね」
向いの席で嵐のような人がマリーを己が豊満な胸に埋めていた。
「これが!! これが持たざる者と持つ者の格差社会か!! 格社か!!」
今何で略した?
「ふふふ、小さい頃のサツキちゃんを思い出すわ」(撫でくり撫でくり)
「そこは詳しく!! 是非に!! あ、でも私のおぱっいはそんなに揉まないで下さい。特に何も出ませんから」
尚、先に同じ目に会ったガジュマルくんとコデマリくんは、隣で魂が抜けたようになっていた。ご愁傷様。
「それはそれは可愛らしい子で、毎日素敵なドレスを着せて遊んだものだわ」
「って俺そんな目に会ってたの!?」
良かったぁ、記憶なくて良かったぁ。
いや、今も同じ目に会ってるんだが。
「あ、今とあまり変わらないですね」
「お母さんの娘にクランという女の子が居るのだけれど、よく姉妹と間違われたわね」
「待てや!! それ辺境伯の庶子に思われるヤツ!! スキャンダルだから!!」
「クランお姉さんなら知ってます!! お淑やかで、物腰が柔らかで、ふわふわして本当に女の子って感じで」
「お前はクランの何を見ていたんだ?」
彼女の認識に齟齬をきたすのはいつもの事だよな。
深窓の令嬢に見られがちだが、もうアイツにはパンツのトラウマしかない。
「懐かしいわぁ。よくお互いのスカートの中に顔を差し入れて遊んでいたわね」
「その遊び詳しく!!」
「何やってたんだ幼少期の俺!?」
俺とクラン、そんな関係だったのか……?
「でも、お父さんにバレちゃって、ちょっとした騒ぎになっちったの」
「騒ぎだよね!! 辺境伯の愛娘とイカガワシイ事やってたんだもん!!」
「でも、お互い納得の上ならまぁいいかってなっちゃいました」
「おい辺境伯!?」
「いっそ亡き者にした事にしてこのまま婿養子にしちゃおうとまで」
「辺境伯ー!!」
「でも、それをあの子に半端に聞かれたのがよく無かったのかしらね。ちょっとだけ暴走しちゃって」
「辺境伯令嬢!?」
「お婆ちゃんに誤解したまま相談しちゃったの。そうしたらお婆ちゃん、サツキちゃんを守るためサツキちゃんに特殊性癖げふん特殊な呪術を施して……ふふふ、可笑しいわね」
「なんか不穏な言葉が聞こえたぞ!?」
「呪いのペナルティがあるから詳しくは公言できないけれど。でも大体の事は察しているのよね?」
「ベリー辺境伯が傍迷惑な一族だって事は今確証を得た!!」
「そこで提案があります」
佇まいを正し、改めて俺と向き合う。
気の強そうな眼差し。
左側でマリーを抱き寄せ撫でくり回す手だけは止まらない。
いやほら、とろぉんとなって蕩けてるから。その子、液体みたいになってるから。
「サツキちゃん」
「お、おう?」
「もういっその事、お母さんで済ませちゃいましょう?」
激甚な被害を生みそうな提案だった。
マリーがビクンって起き上がる。
「そんな、サツキさんの初めての相手が苺お母さんになるだなんて!! あでも大人の女性が手ほどきするって話はよく聞くし……。」
オロオロするな。
俺まで恥ずかしくなってきた。
「手解き……そうね、お母さん上手にしてあげれると思うの。どうかしら?」
すすす、とドレスのスカートを捲る。
眩しい太ももが徐々に露わになり、マリーが「おお!! おおう!!」とかぶりついていた。どこのおっさんだよ。
「念のため確認するけど、解呪の話だよね?」
「あら? そうね。えぇ、そうね」
「数秒で目的見失ってただろあんた!!」
「ふふふ、いいのよサツキちゃん? ここには誰も――えぇとマリーちゃんとコデマリちゃんとガジュマルちゃんしかいないんですから」
「ギャラリー多いな!!」
「はいはいはいー!! 見学させて頂いてもよろしいですか!!」
「よろしくねーよ!!」
前にも似たやりとりがあったな。
「……いつの間にか大人な世界になってる」
「ベリー伯夫人、お貴族様がそんな簡単に足を見せてもよろしいのでしょうか」
いかん、コデマリくんもガジュマルくんも苺さんのムンムンな色気に正常な判断を失いかけてる。
このままでは忽焉として苺さんの酒池肉林、いやさ苺肉林が始まってしまう。何言ってんだ俺? 果肉たっぷりか?
妖しい笑みを湛えた苺さんが、大きく開いたドレスの胸元を強調するように迫った時だ。
車内に銀鈴が響いた。
御者台からの呼び鈴と気づいたのは、少し鳴ってからだ。
「死神お兄さんですね」
マリーが壁のインターフォンに手を伸ばし目配せする。
シチダンカの応答を俺に優先させるのは、彼との師弟関係を知っているからだろう。
「どうした?」
『へい、多少揺れてもいいよう、何処か目立たない木陰に停めましょうか?』
「余計な気を使うんじゃねーよ!!」
ていうか聴こえてないはずだ。
何なんだ、コイツの気遣いっぷりは?
『俺は所用で席を空けさせて頂きます。どうぞお気兼ねなく』
「こんな道中で何の用だってんだよ!!」
『少々首――いえ、お花を摘みに』
「今首って言った!! 首って言ったぞ!?」
『間違えました。首を摘みに』
「そっち訂正しちゃったか!! え? 首? 狩るの?」
『いえいえ、滅相もない』
くいくいっと、袖を引かれた。血の気の引いたコデマリくんと目が合った。
「今の声、シチダンカさんですよね? あんな風な声の時は……本当に飛びます」
何かを思い出したのか身震いしていた。小動物みたいだな。
「飛ぶって?」
「敵の首が」
言い終わる前に扉から御者台へ飛び移った。
「マリーは絶対に出るなよ!!」
念を押す。もう後悔はさせてくれるなよ。
疾駆する中だ。
シチダンカめ、速度を緩めぬ幻獣をよく制御している。
「気配か?」
「姉さ兄さん!!」
隣へ潜り込んだ俺に、シチダンカがギョっとする。
左右を森林に囲まれた街道が伸びていた。眉を顰めた。
「気配察知で俺を抜いたか?」
「いえ、この子らが」
馬車の左右で並走する灰色オオカミ。リーダーとその弟だ。
出発前に名前を決めようってなり、危うくマリーが『イヌノフグリ』と命名しそうになった子達だ。
オオイヌノフグリとかもうね……。
マンリョウさんに一任する事で辛くも危機は脱し、リーダーをラッセル、弟をテキセンシスと名付けた。
良かったな、お前ら。マンリョウさんに可愛がってもらえて。
「流石オオカミ種です。敵性は不明ですが、今なら回避も出来るかと」
え? 敵かどうかも分からないのに首刈りに行く勢いだったの?
「お前ってば頑迷固陋になりがちだからなぁ。外で会うやつ全部狩ってたら身が持たないから」
「なるほど。サツキの姉さ兄さんに相応しい首を見極める――そう仰せなのですね!!」
俺に捧げる気だったのかよ……。
中央都市編スタートです。




