114話 アンスリウムへの道
日差しに焼けた若草の香りを嗅ぎながら、私は馬車の停車を指示した。
護衛の冒険者が訝しむが、感覚優先は常だ。
ダンジョン外である。近辺で自生の魔物に敵性種は無い。魔獣が紛れ込むことがあっても、優先的に警戒すべきは人間なのだ。
「確かに、正面から来やすぜ、坊ちゃん」
「坊ちゃんはよしてくれ」
隻眼の男に苦笑してみせる。
貴族の御曹司とは言え、今は冒険者の身だ。護衛される謂れもない。『家』のお抱えである彼らからすれば未だ未熟者扱いだろうが、今の読みに限っては私が先だ。それがかえって彼らの矜持を刺激したのか。
鼻につく坊ちゃんだと。
やがて見えたのは一組の男女だ。両者とも四十は超える。
女の方は場違いのほど華やかな衣装だ。山賊の類から逃げてきたか。
護衛と頷き合い、彼らに接触させる。
野盗の犠牲者なら助け合うのがルールだ。そうじゃない時は――場合によっては討伐せねばならない。
隻眼の男が声をかけ二、三言葉を交わす。
つば広い魔法帽を上げこちらへ視線を送る。風貌の割に、彼は魔法使いだった。
一緒に向かった戦士が駆け戻ってくる。
「仲間がまだ襲われてるそうで。逃げるのに1キロは走ったと言っておりやす」
「遠いな」
「まずは手遅れかと」
経過時間から見て、駆けつけても荒らされた後だ。
それでも二人は助けてくれの一点張りで隻眼の魔法使いに食い下がる。
「……。」
「坊ちゃん、変な考えはおよしになってくだせぇ」
馬車の上で周囲を警戒する弓使いが諫める。
ああ、分かってるよ。分かるんだけど、ただあの二人は――。
「見覚えがあるんだよな」
「坊ちゃん!!」
弓使いの声に苛立ちがあった。
貴族のボンボンが余計な正義感で面倒を引き寄せる風にしか見えないか。
「ここで会ったのも縁だろう。二人からは聞きたいこともある」
「勘弁してくれよぉ」
戦士が諦めたように肩を竦める。
「気苦労をかけるね。周囲が居ない方が舌も回りやすいだろう――リーダー!!」
嫌な予感がしたと言わんばかりに、顰めっ面が応える。
悪いが慮ってはやれない。
護衛の冒険者全員でキャラバンの支援に向かうよう指示した。
誰一人渋らずに従うのは流石だ。
「坊ちゃん、くれぐれも」
「坊ちゃんはよしてくれ」
馬車から降り、彼らの背を見送った。
降りたのは、寄せ付けない為だ。
「暫くは掛かるだろう。楽にしたまえ」
短く言い、手頃な倒木に腰を下ろす。
「ああ。助かったよ」
男が警戒するような声を漏らした。
視界の隅で女と目くばせするのが分かる。
女の手には鉈の刃が鈍く光っている。
男も腰から短剣を抜いた。
「どうした? 護衛の彼らが戻るまで時間もある。ゆっくりしたらいい」
「いいや」
と低い声で答えてきた。
「戻る前にかたを付けようや。馬車はもらっていく。おっと、悪いが生かして置くわけにもいかねぇ」
二人が獲物を構えにじり寄って来た。
「恨むなら、お人好しなテメェの性分を恨みな」
「お人好し?」
私は首を傾げた。
「はて。誰のことだろう?」
のんびりした口調に、一瞬動きが止まる。
「あはは、この坊や、恐怖でおかしくなったんだよ」
年増女の耳障りな声。ああ、うるさい。年増は駄目だ。
私は頭の中で、恩師が放つ銀鈴の響を反芻した。
見目麗しいあのお方の声。仕草。布ずれする音でさえ山紫水明の情景を見渡すようだ。
それでいて花咲く頃の月夜の風月よ。天を花弁で満たすほどの華やかな笑顔よ。
可憐な唇に反して情熱的で狂気すらはらむ笑い声。
『あはははは! さぁ進め! 斬れ! 斬り倒せ! 俺に斬られたくなければ迫る魔物を全て斬り伏せて見せろ!!』
あぁ、毒々しい棘を広げた大輪の薔薇。貴方こそ――。
「おい小僧、聞いてんのか? それとも本当におかしくなっちまったか」
「かまわないからアンタ、やっちまおうよ。さっきの連中が戻って来ない内にさ」
「しゃぁねぇな」
男が短剣を振りかざす。一思いに振られた。私の頭上で。
森に絶叫がこだました。
遅れて、少し離れた地面に剣を握る男の右腕が、剣先から突き刺さった。
「ぐわぁぁぁっ!! 俺の手を!! 手を!! こんガキがっ!!」
「ちょ、アンタ、どうしたってんだい!? ひぃっ!?」
抜き身の剣を振り上げ、ゆっくりと立ち上がった。
日差しを反射する刀身は、今斬った男の血に濡れることなく眩いままで。あのお方から頂戴して以来、毎夜毎夜磨いてきた。その美貌を想い。再び共にダンジョンへ潜る日を見て。
「ちきしょう、何だってそんなモノを!!」
「ちょっとお前、どういうつもりなのさ!! いきなり斬りつけるなんて!!」
何故か私が責められる……。
「これか? この一振りは敬愛する師匠から賜ったものだ。共に潜ったダンジョンボスの産物よ。さて、流石に死なれては口を割れない。辺境には死者と語らう術師も居ると聞くが」
「ひぃぃ」
二人が後ずさる。
「この異常者が!!」
だから何故私が悪い方に?
「あんた達アザレアの国民が、あたしたちから採取したものを取り返そうとして何が悪いってのさ!!」
それで旅人を襲ってた?
「おおうそうだ!! 俺たちが何をしたって言うんだ!!」
護衛の留守に私を襲おうとしたが?
「ギルドの中堅なんてやっていると手配書のクエストは優先的に閲覧できてね。貴方がたの顔は特に覚えている。ジキタリスでは派手にやったそうで」
「お前も冒険者か!? 汚ねぇぞ!!」
「ハハハ、身勝手なことを仰る」
「笑ってんじゃねーよ!!」
「師匠の教えでね」
「笑うことが、か?」
神妙な顔で聞いてくる。そこに食いつくとは。
「ええ、確かに剣を振るう時は笑っておいでだった。それよりも、本当に大切なことは一つ」
エボニーミノタウルスの剣の影が二人の蒼白な顔に落ちる。
「狩れる時に狩れと、と」
「確かに、こいつぁ中堅だ。あっしらの護衛なんざ必要ないじゃねぇんですかい」
右手の茂みから隻眼の魔法使いが現れた。
他にも遠巻きにぞろぞろと。
なるほど。バックアップ体制は盤石だった訳か。
「師匠の教えがあってこそだよ。そちらは?」
「睨んだ通りですぜ。こいつらの同胞と思しき山賊が30名ほど潜んでおりやした」
「君らの6倍……流石はAランク揃い」
「聴取はそこの二人が居りゃあ足りるって話ですから、全て葬ってきやしたが」
「結構。いやお疲れ様。当家お抱えだけはある。冒険者の先達として敬意を感じるよ」
「坊ちゃんに言われるとこそばゆいや」
照れたように鼻をかく。
彼はこう言うところが人間臭かった。
「坊ちゃんのお師匠さんってのは、さぞご立派なお方だったのでしょうな」
弓使いの言葉に、何故か周囲がざわつく。
そういや彼にはまだ話していなかったな。
「ば、テメェ何言い出してんだっ」
「わざわざ自分から言う奴があるかっ」
中央都市まではまだ時間がある。せっかくだ、他のみんなにももう一度聞かせてやろう。
我が恩師――サツキの姉さ兄様の美しさと、その偉大さを。




