11話 サツキ
冒頭の伏線回収が、311話~312話になりました。
それまでずっとパンツの話しが続きます。
――お父様がサツキを殺そうとしていた。
あんなに優しくて。サツキの事も可愛がってくれてたのに。
私のせい? 私がいけない事をしたから?
誰にも言えない二人だけの秘密を持ってしまったから?
お屋敷が、とても騒々しい。急に私が住んでた場所じゃなくなったみたい。大人たちの声が耳障りだった。
お母さまが背中から抱きしめてくださった。震える手で私を抱きしめてくださった。
でも、どうして。お父様を止めてくださらないの?
見上げたお母さまの顔――笑顔だった。
震えは、歓喜によるものだったのかもしれない。
何もかもが怖くなった。
守らなくちゃ。
大事な弟を、私が守らなくては。大丈夫だよ、私のサツキ。お姉ちゃんが、貴方を殺させやしないから。
何ものに代えても、必ず。
◆
濃紺の鎧が剣を振りかぶり、キマイラの群れに突撃する。生き生きしてるな。
「グリーンガーデン筆頭のワイルドだ!! 遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ!!」
「にゃ? お前誰にゃ?」
「ベリー伯が嫡子、ワイルドにゃ!!」
挨拶ざまに、手近のライオン頭を一撃で跳ねていた。おい嫡子。にゃでいいのか嫡子?
「わかったにゃ。にゃーを崇めるにゃ」
手近のヤギ頭を前脚で潰す。にゃーはブレないな。
「上位精霊とお見受けした。妹が世話になった!!」
左右から迫る蛇を、すらすらっと斬り飛ばす。
「にゃ! クランにゃは見所がある雌にゃ! ワイルドにゃも精進するにゃ!」
台詞が終わる頃には、ヤギ頭を潰したキマイラの喉笛を噛みちぎっていた。
「ふっ、我が緋桜剣、この程度の雑魚に見せるには惜しいわ!!」
キマイラの胴が真っ二つになり、下半身が飛んだ。血しぶきが舞った。鷲の翼が大量の羽毛をまき散らした。
……。
……。
……お前ら、物騒だな。
「緋桜剣にゃらにゃーも知っているにゃ! こうにゃ!!」
にゃーが爪でワイルドと似た斬撃を再現する。
キマイラが、なんか臓物とかまき散らしながら分解されていた。
「馬鹿な!? ベリー公爵家に連綿と継がれる技を、上級精霊とはいえこうも容易く!?」
「クロ様がこれでにゃーと遊んでくれるにゃ! 楽しいにゃ!」
「クロ様、だと――?」
「あ、誰か呼びましたか?」
スパーンと、また蟹の脚が飛んだ。
段々大雑把になってきたな。
ていうか、何でその距離で混ざってこれるんだ?
「……声から察するに女性か? 何者だ? 先程からの剣技は並みの騎士戦士の技巧ではないぞ。いや、あの騎士もこれを使えるのか?」
すぱーんと、こっちもヤギの頭が飛んだ。
「クロ様にゃ。にゃーのご主人様だにゃ」
すぱーんと、もう一頭のライオンの首が飛んだ。
……お前らもなんか、雑になってきたな。
「おのれ!! ただの痴女では無かったか!?」
「ですから痴女では――いえ、いいんです。もう痴女で。あー、野外全裸楽しいナー」
凄い棒読みだった。
きっとフルヘルムの奥の瞳からは、ハイライトが消えていただろう。
すまない黒騎士の中の人。これを否定すると、魔王の四騎士である事が明るみになる。
「ちっ、恐ろしいヤツだ」
「にゃーは小悪魔にゃ」
ザクザクとキマイラを斬り刻んで行く。
異様な強さの騎士と猫。まっとうな冒険者ならこの二人を脅威と見るだろう。異質すぎた。違う次元の強さ。だが――。
「俺だってそのくらいの事できるわ!!」
張り合い出した。まっとうな冒険者じゃねーもんな。お前は。
「にゃにゃ。やるにゃ。こうなったら早い者勝ちにゃ!!」
「おうよ!!」
……そっちはもう任せていいかな。
胸を抑えつつ歩き出す。目指すは蟹だ。
そいつが先程と同様垂直に飛び上がった。
着地すると、倒した分のキマイラが湧き出した。常に一定数はキープするのか。
「斬り放題とは気前がいいな!!」
「数で競うにゃ!!」
「受けたぞ精霊殿!!」
ほんと楽しそうだな。お前ら。
体を引きずるように、ただ進んだ。
遠くからはサザンカの闘気と気合いの呼吸が聞こえる。絶好調で泡を弾いてるようだ。
魔力の流れを感じる。クラン、詠唱に入ったか。
足がもつれそうになるのを踏み止まる。
目の前には蟹。
黒い甲冑姿。
背後の床に黒い線。
既に切った足がそこらじゅうに散らばっている。魔力と違って、生物である限り肉体の無限再生はあり得ない。
蟹、実はもう相当へばってるんじゃないのか?
だったらいいな。
正直、
あのハサミまで登るのは、
ちょっとキツイかな。
「サツキさん?」
黒騎士が気配だけで俺の到着を察知する。
やはり、気づかれないよう後ろを取るのは無理か。
「随分切ったな。まだ再生は続くのか?」
「このまま続けていればいずれ。アレを取りにきたんですよね」
声が出てるか不安だったが、問題無いようだ。
黒騎士が見上げる先は巨大なハサミだ。ちょくちょく会話に混ざってきたから事情は把握してるのだろう。
「先に取っててくれれば話は早かったのに」
「ご冗談を」
少し機嫌を損ねたように、
「何者も触れることをミス・ベリーが許さないでしょう」
「だよな」
「承知されてるのに、本当にサツキさんは意地悪ですね」
「卿とはもう少しゆっくり話したかったが、頼んでいいか?」
答えず、黒騎士は剣を横に構えた。
何だろう。さっきまで胸が燃えるように熱かったのに、ここは随分と寒いんだな。
「カムチャトケンシス流奥義――フリチラリア!!」
閃光としか言いようが無かった。
本気の技は、あの時とは違い過ぎた。俺じゃ回避できないな。
巨蟹の右側の足が一斉に斬り払われ、向いの壁にまとめて吹き飛ばされる。自重に耐えきれなくなり巨体がこちらに傾いた。
黒騎士が蟹に気を取られている間に、横を通り過ぎる。正面からは見られたく無かった。顔も。
足場となった甲羅を一気に駆け登る。
呼吸が辛い。
もう年かな。
いや、ダメだろ。踊り子が年気にしちゃ。
あ、そうか。
もう引退の頃合いなのか。
登ってる間も、蟹はグラグラと揺れていた。酔いそうだ。大人しくしろ。
最後に大きく揺れ、
蟹が完全に床に倒れた。
ホールに響く地響きに全員がこちらを見た。
天井の照明が讃えるように照らす中、蟹のてっぺんで、ライトグリーンのパンツを高々と掲げる俺が居た。
何だこれ?
「サツキ、もう! 遅いわよ」
それでも満足げに、サザンカは両拳を打ち合わせた。
「……サツキくん……。いいからちゃんと嗅いで」
クランは納得がいかなかったようだ。
「……。」
ワイルドはただ無言で剣を仕舞った。周囲には未だキマイラが居たが、もはや興味すら失せたようだ。
「にゃ? サツキ……にゃ?」
ニャ次郎は、意味がわからないと言ったように首を傾げた。
そして――。
「……そうですね。よくやりましたね。さ、そこは……危ないですから、早くこちらに。大丈夫です……私はずっと一緒に居ますから」
一言一言を噛みしめるような声。
濡れ烏のような艶やかな髪に、雪のように白い顔の女が両手を広げていた。
誰だっけ? いや、そうだ。俺の奥さんか。奥さん綺麗だな。
そこへ向かおうとして、足にもう力が入らない事に気付いた。滑った。なす術もなくずり落ち落下した。
温かなものに包まれた。
俺を抱きとめた彼女は素早く身を翻して、大事なものを庇うように包んでくれた。
彼女の肩越しに、蟹が巨大な球体――積層型魔法陣に囲まれるのを見た。
クランのとっておきだ。コイツは効くぞ。間も無くスペルを四方八方に浮かべた球体が完成する。あの中は5000度の灼熱地獄だ。
すごいな。お姉ちゃんは。やっぱりすごいな。
さて、アイツらに彼女の事をどう説明したものか。なんと言っても……なんかとてつもなく強いアレだ。誤魔化しきれないだろうな。後は、なんだっけ? やらなくちゃならない事が、あぁ、そうだ、
――パンツ嗅がなきゃ。
右手に掴んだものを顔に持っていこうとして、腕が上がらない事に気付いた。そもそも腕の感触が無い。何にか妙なものがぶら下がってる。
大丈夫だよね? 僕、ちゃんとお姉ちゃんの大事なもの掴んでるよね? 離して無いよね?
確かめようにも、こう暗いんじゃどうしようも無い。
ただ、
暖かいものに包まれている事だけは、はっきりと分かった。
顔に、何かが垂れる。ポタポタと。暖かいな。泣いているのかな?
暗くてよく見えない。
この人、誰だっけ――あ、そうか、
母さんだ。




