106話 そして3年後
本格的な開店に向け奔走した。展開が早い。
在庫や備消耗品、食材の確保はセンリョウさんの便宜の賜だ。
店舗経営はカサブランカの宿屋プリムラのオーナー。オブコニカ氏がご教示に足を運んでくれた。
そして珈琲紅茶の作法は、なんとオダマキ卿自らの手解きときた。
お陰で経営は順調だ。当初心配した客足も、ダンジョン喫茶がよほど珍しいのか途絶える事が無い。喫茶チートだ。
……ていうか名所と化してないか? たまにツアー客が来るんだが?
馴染みの連中も、たびたび顔見せ程度に現れる。
ワイルドやクラン、サザンカの元メンバー。
サクラさんやクロユリさん、アオイさん、ハリエンジュら騎士達の世を忍ぶ仮の姿。
キバナジキタリス氏やナツメさんも近隣都市だけあって、よく遊びに来てくれる。
それに虹色のシチダンカ。貴族というアマチャ。獣人族のオカトラノオ。いや、お前ら誰だよ? え? ああ、カサブランカで鍛えた弟子たちか。
なんか濃いな。そういう設定なのか?
あ、イチゴさん。すみませんパンツは無しで。そういう店じゃないんで。ああ、いけませんイチゴさん、そっちの苺は違うんで、ってイチゴさん!? イチゴさーん!!
――その後、オダマキ卿直々に怒られた。
そして、3年が過ぎた。
「流石にマンリョウお姉さんのキャラバンだけあって、午後はお客さん大入りでしたね」
正面入口をclosedのプラカードに切り替えたマリーが戻ってきた。他の一時雇用の従業員は既に帰宅済みだ。
カウンターで片付けをしていた俺は、精算の帳簿を閉じて彼女の為のとっておきを淹れる。
「コデマリくんが聖都で宣伝してくれてる効果もあるんだろうけど、義理だててくれるのは有り難いな」
「確か教会の聖女様でしたね? あの時、サザンカお姉さんに攫われてなければ、二人でお店を始める事も無かったんでしょうね」
「そのサザンカも教会を改革して今や大司教だもんな。教会、ていうか聖都、本当に大丈夫なのか?」
カウンターに落ち着く彼女の横に座りつつ、あの頃の事を思い出す。
「世界的にも自分的にも激動の一年間だったなぁ」
想えば、
あの追放宣告から全てが始まった。
「何をお年寄りみたいになってるんですか。激動なのはこれからですよ」
「まだ何かあんのかよ……。」
「そりゃありますよ」
マリーが、もたれるように肩を寄せてくる。
悪い気はしない。
一時期、縁談を拒否られて距離を取ろうと試みたが、とっくに手遅れだ。それほどマリーにイカれちまったか。
「今度は、お父さんになるんですから」
「!?」
含みかけた紅茶を吹き出しそうになった。
改めてマリーを見た。
頬を紅潮させた、ひたむきな眼差が俺を写している。
「マリー……本当か?」
はい、と応えて彼女は愛おしそうに自分の腹部を撫でた。
「そうか……。」
カウンターチェアから降りる。
「どちらへ?」
店の扉へふらふらと向かう俺に、マリーは怪訝そうに、しかし何かを悟ったように眉を寄せた。
息を大きく吐く。
正面の曇りガラスの向こうは、ここに初めて来た時から変わらない。
取っ手に手を掛けるまでもなく、この向こうには何も無いと知っていたから。
「駄目です」
抑揚のない声だった。
「私の事、好きじゃないんですか?」
「君は、どこまでマリーなのかね?」
振り向くと、涙に崩れた彼女の顔があった。
「それは……サツキさんは、そうは思えないんですね?」
「いいやマリーだ。何もかもが俺が愛した俺の中のマリーだよ――彼女はコデマリくんと既知の仲なんだ」
マリーが自分の失言にハッとする。
「やはりな。君がハリエンジュと会っていないという会話が優先されたか」
「それは――。」
目を見開き次のセリフを模索してるのだろうが、言葉が出てこない。彼女の背後でカウンターが崩れて消えた。
「始まってしまいましたね」
悲しげもない、ただ無機質な声の周囲で、テーブルとソファの群れが地面に水没していく。
壁の絵画も、天井の照明も、慣れ親しんだ茶器達も。
「これで終わりか?」
哀愁よりも期待の籠った声が出たのは、自分でも意外だった。覚めてほしくないと願ったのは、彼女だけじゃない。
マリーが瞼を伏せ首を横に振る。
「ずっと一緒です。共にいる限り」
「だが、追放されるのは俺だ」
右手をスナップさせた。
ストレージは生きている。手には蛇腹剣の柄があった。刃先はセパレートし、マリーの首へと伸びていた。
「私が言うのもおこがましいと思いますが、どうか、もう一人の私を――。」
言葉が終わる前に剣を引いた。
白一色に包まれた部屋を、鮮血が祝った。
同時に、
『それは私の男だ!! 勝手に籠絡するな!!』
甲高いマリーの悲鳴が、凄く懐かしかった。




