3「出立」
目が覚めてまず思った事。何故自室にアリスがいるのか、そして手を握られているのか。心配だったのはわかる、だからと言って一晩見張っていなくても死んだりはしない……と思う。
「……何時だ」
寝起きで頭が回らない。ここ数日でわかった事だが俺は朝が弱いらしい。部屋に掛けてある機械時計を見ると今は午前7時、最近かなり健康的な生活を送っている気がする……と思う。以前は不規則な生活をしていたに違いない。
「アリス、起きろ」
握られていた手をそっと引き抜いて、肩を揺する。すると同じく寝惚けた様子でアリスが顔を上げた。床に座ったまま寝てたんだ、疲れも取れていない筈……今日出掛ける予定はキャンセルかな。
「んぁ……?」
「ひょうきんな声を出すな」
「あぁ……起きたんだね。心配で見に来ちゃったよ」
「だからと言ってここで寝なくても良かっただろ。部屋に戻って寝直せ」
目を擦りながら時計を見て、アリスは愕然とする。まさか……出発の時間はとうに過ぎてるか? なら好都合だ、アリスには二度寝して貰おう。
「ううん、大丈夫。神聖術でどうにかなるから……ふあぁ」
「そんなのに神聖なもの使っていいのか……」
「神聖術は別命白魔術、人の為のみの術だからね。疲れから怪我や食中毒、体の不調はなんでもこいって部門なの。勿論マナがないとダメよ? あと清純な心も」
なんか思ってたのと違うな……もっとこう、光属性的な術式だと思ってたんだが。一方として清純な心が必要っていうのは想像通りではある。
「なあアリス、お前一体どれだけのマナを溜め込んでるんだ……? 会った時からかなりの量使ってるんじゃないのか?」
「あーうん、実を言うとカツカツなの。昨日思い出させるのも魔石を使ったでしょ? エレクが寝てる間に使ってた神聖術も……前々から溜めてた魔昌を使って、ね?」
「はぁ……じゃあ今日はもう回復に専念しよう。ただでさえ盟約でマナが使われてるんだ。で、枯渇したらどうなる?」
「体が怠くなるくらいかな~、でも魔術が使えなくなるからもし襲われたら戦力としては皆無になっちゃうね。盟約分のマナは確保するから大丈夫よ?」
それはいけない。というかどこに行くか聞いてなかった。この街の中なら襲われるなんて事はそうそうないだろうが、外へ出るとなると用心が必要だ。
「今日行こうとしてた場所ってのは?」
「あ、うん。この街の市場……だったんだけど、ちょっと遠出しないといけないかも」
「……なら今度にしないか、街の外は危ないだろう」
「日頃から魔昌に溜めてあったマナを身体に戻せば大丈夫よ。それにほら、エレクも外に出てみたいでしょ?」
それもそうだが……マナに問題がないのならいいか。しかし定休日は今日1日のみ、俺が行った荷馬車の中継地点まで半日以上掛かったのに行けるのか? アリスの事だ、そこも魔術的に解決してくれるかもしれないが。
「お店は臨時休業にするわ。商品の補充で5日くらい閉める事もあったから大丈夫よ。この街にも錬金術店は結構あるし」
「……ワープとか転移とかないのか」
「あるけど? とても一般人には使えない代物よ、専用の設備だってすっごい高いし大きいんだから」
あるにはあるんだな……魔術ってのは恐ろしいものだ。
「さっ、準備して。まず市場で食料や消耗品を買ってそれから街を出るから。出る前に一度ここに戻って来るけど、万全の状態にしておいてね。30分で準備!」
「30分? 40秒でもいいんだぞ?」
「昨日お風呂入ってないでしょ!? それに私だって色々準備があるの!」
「……どんな?」
「う、うるさい! さっさと顔洗ってきなさい! 先お風呂入ってて!」
俺の部屋だと言うのに、無理矢理叩き起こされて追い出されてしまう。まあ間借りしてるだけだから何とも言えないが、色々な準備とはなんなんだろうか。とても気になる……かといって暴いたら俺の首は飛ぶに違いない。そっとしておこう。
それから互いに支度を済ませ、店に仕入れの為しばらく閉めるという旨の張り紙をして街の市場へと出発する。何度か見ていたが、やはりこの街は暗い。常夜の名に恥じぬ薄暗さだった。
石畳で舗装された大通りにはそこそこ人通りがあり、服装からして商人が多い。……しかし、どこを見ても常に誰かと目が合うな。
「……アリス、不自然なくらいに目が合うんだが」
「そうでしょうね、あなた鏡見たでしょ? 黒い髪はここじゃ珍しいの。この街にいる人は大体私みたいな金色の髪だから」
アリスは自分の髪を一房手に取り、自分の色を示す。なるほど、確かに見慣れない髪の色をしていたら嫌でも目に付くか。
「そうなのか」
「あまり外出しないから知らないのも無理ないよ」
外出しないというより、許されていなかったんだけどな。迷子になるだとか危ないとかで殆ど店番ばかりだったが……それも理由があるのか?
石造りの家々を見ていると気になる張り紙がある。あまり読むのは得意じゃないが………赤い星が降ってきた? どういう事かわからないが、日付を見ると丁度俺とアリスが初めて会った日だ。
「アリス、赤い星というのは」
「……それは人のいない所で説明するから、今はついてきて」
「そうか」
この反応を見るに俺に関係する事だな。見れば至る所に「赤い星」に関する張り紙がある。……一瞬とはいえ空の雲を裂いた災厄の星。中には最高位の呪術による疫病をもたらす術式だと謳っている物もある。
憶測だけで物を言うのは良くないな、これを書いた奴の首を掻っ捌いてやりたいよ。
「おう、えらいべっぴんさんだと思えば錬金術の店やってる嬢ちゃんじゃねえか」
「うっ……」
すれ違った中年の男に声を掛けられ、アリスが呻く。誰かと思えば……いや、俺は知らないな。思わず立ち止まって振り返ってしまったアリスに習い、俺も一緒に男の話に付き合おうとする。
「あぁ? 誰だあんた、俺は嬢ちゃんに話し掛けてんだ。野郎にゃ興味ねえよとっとと失せやがれ」
「ち、違うんですこの人は私の―――」
「嬢ちゃんは黙ってな。そうか、お前さては嬢ちゃんの後付けてたな?」
何故そうなるのか、そもそも尾行するとなったら距離を開けるだろうに。こうなっちゃ黙ってはいられない、一発ぎゃふんと言わせてやらねば男が廃る。
「そう見えたか。見た通り頭の中までお粗末らしいな」
暗くてもよく見える頭の頂点を見ながら、鼻で笑ってやる。すると余程気にしていたのか、ずいっと距離を詰めて酒臭い息を吹きかけてきた。
「それが目上の相手に対する態度かぁ!?」
「俺は根っからの実力主義だからなぁ」
「いい度胸じゃねえか、じゃあ教育してやるよ」
「もーっ! エレクやめてってば! なんでそう絡みに行っちゃうの? 穏便に済ませられないの?」
アリスが俺の腕を掴んで下がらせると、いつもより幾分かキツい目で俺を叱る。
「あそこまで綺麗だとむしろ突っ込まない方が失礼だろ? それに先に難癖付けたのは向こうのクソジジイだぞ?」
「クソジジイとか言わない! もうっ、エレクにはもうちょっと我慢強くなって貰わないと」
「邪魔するのが悪い。今俺達は急いでるんだ、面倒事増やされるくらいなら一発殴って終わらせよう」
「それ帰って来たらもっと面倒な事になるの! あっ、すみませんっ! この度は私の連れが……あれ」
気付けば、さっきのクソなんとやらは消え去っていた。辺りを見回してもあの特徴的な頭部は見つからない。それどころか、行き交う人達は口々に「痴話喧嘩か?」などとほざいている。
「……もう! エレクの所為で謝れなかったじゃん!」
「謝る必要なんざない。あいつの目を見たか? 下心丸出しだ。あんなのに触られたら汚れるだろ」
本心で言ったつもりだったが、アリスは一瞬で顔を赤くさせる。……何か恥ずかしい事言ったか? いや言ってない、何か勘違いしてるな。
「も、もう……ほら行くよ!」
俺の手を取ってさっきよりも速足で歩き始めるアリスの耳は真っ赤なままだった。見た目に寄らずませてるなぁ、さては男に免疫がない質だ。まあ初々しくて飽きないが。
この街の市場に来るのは初めてな事もあり、俺は面食らっていた。左右に連なる店に、道の中央で開いている露店。さっきの大通りの群衆以上の人間が目的の品を求める光景は半ば異質どころか恐れすら感じる。出来る事ならあの列に加わりたくはない。
「ここが市場よ……って、どうしたの? 顔色悪いけど」
「あー、俺は苦手だ。あそこまで密集してると流石に……」
「人酔いしちゃった? 平気かと思ってたけど結構可愛い所もあるのね」
「何故だかわからないが……咄嗟に武器が抜けないのは凄く怖い。それに自爆でもされたら……」
「自爆? そんな事する人この街にはいないから安心して。じゃあはぐれない様に手を繋いだままにしておきましょう?」
そう言われて仕方なく人混みの中に入っていく。しかし何故俺は自爆なんて考えたんだろう。この違和感も、恐らく召喚される前のものだ。考えても出てこない、本能で感じるこれは記憶を取り戻す手掛かりになる。
手を引かれたままどこへ連れていかれるかと思えば、しばらく進んで人混みを抜けてしまう。……そういえば、この辺は金髪以外の人間も多い。それどころか角らしき物や獣のような耳を頭から生やした人間すらいた。あれも後で聞こう。
「この先に私の友達がやってる服屋があるの。そこなら口も堅いし、ついでに武器も揃うから良い事づくめでしょ?」
「服屋に武器が売ってるのか」
「そうよ? その友達……マツリって言うんだけどお父さんが鍛冶屋だから。それにあなたと同じ黒髪だし、親身になってくれると思う」
通りを一本外れた所でアリスは立ち止まる。小さく指さしたのは裁縫針と槌が合わさった看板を扉にあしらった石造りの建物だった。その奇妙な看板に半ば呆れていると、アリスが扉を開ける。
来客を報せる控えめなベルの音が鳴る。すると奥から「はーい、ただいま!」という声と共に黒髪の女性が出てきた。
「ええっ!? アリス!?」
「マツリ久し振り!」
あいつがマツリか……確かに黒髪で、俺と似た容姿をしている。ただ……まるで男だな、あの見た目は。短髪でスレンダーな見た目、大きめのエプロンをつけている所為か中性的で判断に困る。
「……そっかぁ、アリスも遂に彼氏持ちかぁ」
「え、この人はエレクって言ってただの助手よ?」
「ただの助手と手を繋ぐの?」
痛い所を突かれたな。店に入る前に放しておけばよかったのに……って言っても、俺もそこまで気が回らなかった。どちらが悪いとは言えないな。
「エレクはまだ街に慣れてないからこうしないとはぐれちゃうの」
「へぇ~? ほんとに~? まあいいや、それで今日はどんな御用かな?」
見た目はともかく中身はきっちりと女性らしい。こうした色恋沙汰に興味があるらしく、興味が尽きないと言ったなんとも言えない笑みで俺達を見比べている。
「エレクの旅用の服と……あと手頃な剣が欲しいの」
「はいはい服と剣ねぇ、服には何か希望はある?」
「うーん……あ、防具もいるよね。ね? エレク?」
急に話を振られて一瞬反応が遅れてしまう。何となく自分が着る防具を想像してみるが、あまりゴテゴテの防具は着たくない。となると軽装の鎖帷子か革製だろうか。コストや重量も加味して、ここは革製がいいだろう。
「革の防具はあるか? 最低でも腕と脚、可能なら胸当てが欲しい。服は無難な物を頼む」
「うんうん、あるよー。剣はどんな形がお好みかな?」
「嵩張らず軽いものを……あそこの壁にかかってるような」
先程から気になっていた剣を指差すと、マツリは「レイピアかな?」と聞いてくる。あの剣は……レイピアというよりエストックに近いと思うが。
その剣はとてもシンプルな作りで、刺突に向いた剣先に刀身の半分程までしかない刃が特徴の変り種だった。言うなればレイピアとエストックのハイブリットで、どちらとも付かないようだが柄の部分はエストックと似ている。
恐らく、これを作った人間もどちらかとすればエストックに似せたのだろう。
「あー、あれはお父さんがちょっと前に仕入れた剣なの。見事に売れ残ってるけどね!」
確かに風変わりな代物だが、少し想像すれば汎用性は高いとわかる筈だ。余程需要がないのかもな。
「なんで売れないの? 綺麗なのに」
「だって今時鎧を着込んでる人なんて正規の兵士さんばっかりじゃない。観賞用にするには無骨だしね」
その話を聞いて、俺はふと護衛をやっていた頃を思い出す。そういえば襲ってきた盗賊も他の護衛も重装の鎧は着ていなかった。理由は色々とあるだろうが、単に重くて不人気なのかもしれないな。
「じゃあ採寸させて貰うね~、お兄さん腕上げて貰っていい?」
「ああ」
言う通りに腕を上げると、マツリがメジャーを持って俺の胴回りや腕の長さなんかを測っている。服なら既製品の物でサイズの合う物を選べばいいと思うんだが……
「うん、大体わかった」
「何の為に測ってるんだ?」
「鎧がぶかぶか過ぎると動きにくいでしょ? ぴったりとは言わないまでも一番近い物を持ってきたくて」
「そうか」
サービス精神は旺盛らしい、いい店だな。流石アリスの友人なだけある。
「予算はこれくらいなんだけど……足りるかな?」
「どれどれ……拝見させて貰いますねー」
アリスから小さな袋を受け取ったマツリは、中を見て驚愕する。
「い、いやいやいや! これ一級品の板金鎧が買える額だよ! もう……相変わらず金銭感覚狂ってるなぁアリスは」
俺も中をちらっと見てみたが、なんだかよくわからん小銭が入ってるだけだった。10数枚かそこらだが……そんなに価値のある物なのか。というかこいつは俺の鎧にいくら掛ける気なんだ。
「そんな高い物はいらないからな、鎧を傷つけまいと動きがおかしくなりそうだ。安物の方がいい、ただ可能なら腕の防具は金属製の方が都合がいい。刃を止められるからな」
「そうなの? 私魔術はできてもそういう所はさっぱりだから……とりあえずエレクのリクエストに応えてあげて?」
「う、うん……でもそれだとこの硬貨1枚にもならないけど……」
「アリス、この硬貨は1枚でどれだけ価値がある」
思い切って聞いてみると、アリスは手近な鎧を指さして見せる。
「そうね、あれくらい?」
それは桁が1万飛んで10万近くする鎧。周りを見渡してもその額に届きそうな物はない。つまり、この店の一級商品にも匹敵する額だ。なら硬貨1枚分としても、あれほどしっかりした鎧を着込む度胸もない俺には過ぎた代物だった。
「……他に持ち合わせはないのか」
「あるけど……これから行く先で両替に応じてくれる保証がないから」
それはつまり、宝の持ち腐れと言う奴ではなかろうか? 額が大きいと賊にでも遭ったらかなりの被害額になってしまう。それどころか顔を覚えられて後々面倒な事にもなりそうだ。
「これは一旦店に戻る必要があるな。金は買い出しに必要な分だけでいいだろう」
「そうもいかないわよ? 思いもよらない掘り出し物があったらどうするの?」
仮にあったとしてもその額を使い切るまで買うつもりか……? マツリの言う通り金銭感覚が狂ってやがる。今までどういう教育を受けてきたんだ。
「ま、まあとりあえず鎧を持ってくるね……エレクさんはそこの剣、試しに持ってみてもいいよ? お父さんも喜ぶから」
「ああ、じゃあ失礼して」
壁に掛けてあった剣を手に取ると、見た目よりかは軽いがずしりとくる。重心にも気を使っているらしく、軽く振ってみると驚くほど手に馴染んだ。この剣なら、特に鍛錬も必要ないだろう。
「どう? 使い心地は」
「中々いいぞ、これで決まりだな」
「そう! 気に入る物があってよかったね!」
俺がこれを気に入っては出費が増えると言うのに、アリスは嬉しそうだ。その純粋な笑顔に、つい俺もほくそ笑んでしまう。しかしこの剣、どこかで見覚えがあるような……気のせいだとわかっていても一目見た時から目が離せなかった。一種の魔術的な誘惑効果が……? なら売れ残っているのはおかしい。
きっと運命的なものなんだろうと結論付けて、鍔部分にある透き通った小さな赤い石を覗き込む。それがアリスにはおかしな行動に思えたらしく、後にアリスも一緒に赤い石を見ていた。
「綺麗な石だね」
「……そうだな」
その石はただの石と思えない程に俺の目を惹きつける。何か……重要な物が込められているような。
「お待たせしましたー! って、店内でイチャつくのやめてくれる?」
「い、イチャついてない!」
戻ってきたマツリの手には、黒革といぶし銀の鎧があった。
「良い色だな」
「そうでしょ? エレクさんに合うかなって思って。あとこっちはサービスね、今後ともうちの店をご贔屓にっ!」
同時に手渡されたのは剣を腰から下げる革製の紐だった。それもサイズがあわせてあるらしく、持っていた剣の鞘がぴったりとはまる。アリスはマツリに硬貨を一枚手渡し、代わりに何枚かの硬貨を釣りとして受け取っていた。
「早速着てみてよ!」
「うんうん、防具は装備しなきゃ意味がないからね!」
「どこかで聞いた覚えのある言葉だな……」
2人に言われるままに、一度外套を外して革の装備を各所に着けていく。思ったより軽い、それに籠手もシンプルな形で俺好みだ。マツリは結構目利きがいいらしい。
「おぉー、かっこいいよエレク!」
「そうか? ならいい。この借りはいずれ返す」
「いいのいいの。助手に死なれたら魔術師の恥だもの、それにそんなに高い物でもないしね」
「剣はそこそこの値段だっただろ。買って早々折らない様に気を付けないとな」
体は多少重くなったが、動きに支障が出る程ではない。装備も一新、これで安全面はある程度改善されたな。
「それじゃあ行きましょうか。またねマツリ、またくるから」
「はいはい、またどうぞ~」
アリスに続き、マツリの店を出る。そして行きと同じ大通りをアリスと通る中、奇妙な事に気付いた。行きは人混みに押し潰されそうな程だったというのに、帰りとなる今は通行人が自ら俺達を避けて歩いていく気がする。
俺が大層な剣を持っているからか、アリスの顔を見ての事か。その両方かは分からない。ただ俺達を見てはっと何かに気付いたように避けていくこの光景は……
「アリス、どういう事だ」
「うーん……まあ、ほら。護衛付きのお嬢様って感じじゃない? だってあなたの顔怖いから」
「俺の所為か……まあいい」
俺の顔はともかくとして、確かに帯剣した護衛付きの少女にぶつかろうとは思わない。
「でも手は繋いでおこうね?」
「……護衛と手を繋ぐお嬢様っていうのも変な絵面だと思うぞ」
「はぐれちゃうじゃないの」
「そうですね、はい」
若干棒読みになりながらも差し出された手を取る。これは……お嬢様に引っ掻き回されてる護衛と見られるか、それとも何か微笑ましい光景に見られるか。出来れば前者であって欲しい、間違っても使えない護衛と思われたくはないしな。
実際使えるかどうかはまだ未知数の段階だが。
しかし、アリスはいつでも笑顔を絶やさない人間だ。歩く時も、何かを見る時ですらも微笑みを浮かべている。それどころか誰かと話している時は愛嬌たっぷりの笑顔だ。そりゃファンになる奴も少なからずいるだろう。同時に誤解や勘違いをする輩も。
一方で俺は一時も笑わない。表情を変えるのが苦手なのもあるんだろう……それに加えて相手に感情を読み取らせないように無意識に気を張っているとわかる。
「考えごと?」
「なんでわかる」
「難しい顔してるもの」
……気を張ってはいてもその努力は無駄らしかった。
「どうすれば周りから怖がられないか考えてた」
「もしかして気にしちゃった? ごめんね。でも悪くないと思うの、まだ短い間しか過ごしてないけど、エレクは顔は怖くても優しいから。いつかあなたと関係を持つ人も一番最初にそうだって分かるはずよ」
「そうだろうか」
「そうなの」
子供を諭す様に言うアリスに、俺はもう何も言う気にもならなかった。そう言うんならそうだろう、とある種信じ込んでいる感覚を覚える。雛鳥が最初に見たモノを親だと思い込むようなものだろうか。どうであれ、今の俺は雛鳥と大差ないな。
大通りを抜けるのには行きとは段違いに速かった。一旦家に戻り旅の必需品を詰めたバッグなどを取ると、そのまま俺が初日に出て行ったっきりの大きな石造りの門まで来た。だが門の傍に立っていた衛兵が槍で道を塞ぐ。
「これはこれはアリス様、本日はどのようなご用件で外出ですか?」
思わずむっとふくれっ面になるアリスは、あれからずっと繋いでいた手に力を込める。痛い程ではないが、少し緊張しているらしい。
「いつもの仕入れよ」
「そう言って先日は男を担いできたではありませんか。おや? そこの方は……」
なるほど……と言っても内容を全部把握した訳ではないが、少しはわかった。つまる所、これは俗に言う“面倒事”だな。俺は黙っておいた方がよさそうだ。
「今は私の助手よ、何の問題もないでしょ? 移住権も家もある立派な平民なんだから。まさかただの平民の私達に衛兵が手出しするつもりじゃないでしょうね?」
「まさかですよ、しばらくここでお待ちください。通行証を発行致しますので」
衛兵は門のすぐ傍にある詰所へと入っていく。で、アリスさんの方は……
「……ほんとムカつく」
ご立腹でいらっしゃる。
「喋らない方がいいと思って黙っていたが」
「正解よ、あいつは揚げ足取りと屁理屈だけは一流だから」
「で、槍の腕は二流か」
「いいとこ三流でしょうね、エレクがナイフでも多分勝てると思うわ」
そりゃ弱いな、そう思うとあの余裕ぶった物言いを思い出した途端に笑いが込み上げてきそうで……堪えろ、今は。
「衛兵って言うとこの街の正規兵だろう、鎧も板金鎧だった。あんな物言いで大丈夫なのか?」
「あー、うん。ほら、私の元許嫁があの人だから、その時のままなのよ。ていうか従兄だし、私もそこそこの家の出なのよ?」
「ふーん、それで“ただの”平民ねぇ」
「そうよ? 私はただの平民のアリスよ」
こりゃ一悶着あったな。婚約を解消された理由と、平民と自負するだけの事が。これもその内表に出てくる事もあるかもしれないな。今からでも心の準備だけしておこう。
衛兵が戻って来るのにそう時間は掛からず、数分で金属製の板らしき物を持って俺に渡してくる。
「どうぞ、これがあなたの通行証です。街の外ではこれが身分証明書にもなりますので、なくさない様にしてくださいね」
「どうも」
受け取った通行証をポケットに突っ込むと、衛兵は反吐が出るような薄い微笑みを浮かべながら道を開ける。
「そうそう。先日は盗賊がいるとの報告がありましたが、どうも昨晩からゴブリンの一派がこの辺りをうろついているようです。まあアリス様なら赤子の手を捻るようなものでしょうな、そちらの殿方はどうかわかりませんが……立派な剣はお持ちのようですがね」
こいつ……微妙に人の機嫌を損ねる術を知っていやがる。面と向かってけなされればまだ笑えるが、こうも回りくどい言い方は若干癪に障る。
「大丈夫よ、エレクはそこらの衛兵より強いもの。この前の盗賊を倒したのだってエレクなのよ?」
「おや、そうだったんですか。それはそれは……街の衛兵を代表してお礼申し上げます」
恭しく礼をする姿がまた癪に障る。こいつ……まさかこの態度も含めて全てわざとやっているのでは? そんな疑惑を抱いていると、アリスに手を掴まれ門の外へと連行されていった。
「あの人は本当に悪知恵が働くの。だから乗せられちゃダメよ?」
「さあな、日頃から警戒はしているが……それでも万が一ハメられそうになった時は―――剣の錆びにでもしてやるか」
「や、やめてよね……私達お尋ね者になっちゃうから……」
「善処する。だがやる時はやる、それ以外は横で黙って立ってるさ」
先に歩いていくアリスに続きながら、俺はしばらくぶりの景色を改めて見渡す。街の上空は勿論分厚い雲に覆われているが、そこからしばらく進めば嘘の様に明るくなる。常夜の街というのは伊達ではなく、あの雲は光すらも吸収しているかのように見えた。
「さっきエレクが聞いてきた“赤い星”の事なんだけど」
「……ああ」
急に真剣な声色でアリスが話し出す。その話題に移る前に周囲を確認していたのもあり、俺も盗み聞きをする不埒な輩がいないか気を張る。
「エレクが召喚された時、赤いマナを纏った状態で落ちてきたの。召喚術式は基本的に空から被術者を下ろすんだけど……その時に一瞬だけ雲を突き破って来たのもあって気付かれちゃって……」
「じゃあ、あの最高位の呪術だとかいう噂は眉唾か」
「……そうね。あのマナはきっとエレク自身のマナだと思う」
「なら俺も元々はマナを持ってたのか?」
俺の質問に、アリスは唸り始める。
「わからない……だって召喚術式なんてここ300年は成功してないから……でも私がエレクに触れた時、何かしらの残滓があったのは確かなのよ」
「………今わからない事は考えなければいい、どこかに覚えておいて改めて考えれば答えもわかるかもしれないしな」
「そう……かもね」
「それで? どこに向かってるんだ、俺達は」
「あー、うん、そうね……地図見てわかるかな……」
アリスは鞄から相当使い込んでいる地図を取り出して広げる。地図の中央には今出発したグリムレイク、そしてその周辺には何かしらの記号や街が記載されていた。
「今いるのがここなのはわかるでしょ?」
「ああ、真ん中だな」
「これから行く所はここ」
アリスが指さしたのは……地図の端っこにある街。……ベリーズポストと記されたそこそこ大きな街だった。
「遠いな」
「そうでもないよ? この地図は普段私が素材収集に出掛ける時に使う地図だからそんなに遠い所までは書いてないの。そうね……途中で荷馬車に乗り換えれば1日半くらいで着くかな」
「遠いじゃないか」
「文句言わないの! 大丈夫よ、荷馬車に細工すれば1日で着くから」
細工って何をする気だ……? まさか馬に呪術でも使って無限に走らせるつもりか……?
「まあどちらにせよ途中で荷馬車に乗るなら交易所に行くんだろう?」
「そうね。あ、そうだ! 荷馬車の手配とかやってみる?」
「手配? 具体的に何をすればいいんだ。こういうのか?」
腰の剣を軽く抜くと、アリスが全力で俺の手を押さえに来る。
「違う、違うから! 真摯にお願いするの! 行き先が同じ荷馬車を見つけて、何か見返りを示せばいいの!」
ならばと今度は小銭の入った革袋を出してみると、これまたアリスはうーんと首を傾げる。じゃあ何をすればいいんだ。そうなるともうこれしかないと再び剣に手を掛けると、またもアリスは俺の手を押さえて首をぶんぶんと振る。
「そうじゃなくて! 交易を生業としてる人は小銭なんかじゃ動かない人が多いの。だから……そうねぇ、私が乗せて貰う時なんかは荷降ろしを手伝ったり馬の世話をしますなんて言ったけど……あと傷薬とか肩こりに効く軟膏あげたり?」
「自慢じゃないが俺は剣以外からっきしだぞ」
「た、確かに……あ、でもそうね。私のサービスとエレクの護衛が付くって言えば多分快諾するんじゃないかな」
「なるほど、アリスがサービスすると言えばいいんだな」
わざと揚げ足を取ってみると、アリスは瞬時に顔を赤くさせた。いや間違ってもアリスにそんな真似はさせないが……口は災いの元とも言う、下手に滑らせると一生もののトラウマを抱え込む事になると自覚しなくてはならないな。
まだ口をあわあわさせながら顔を覆うアリスはすぐ足元に大きめの石がある事にも気付かなかったらしい。案の定躓くと、まるで狙っていたかのように体が前に倒れていく。
なんとか完全に倒れる前に抱えて立たせてやると、更に顔を赤くさせて目を泳がせていた。
「……前はよく見ような、本当に」
「ひ、ひゃい……」
ふと考える。少しでも思わせぶりな事を言えばこうして狼狽するアリスが今までどうやって仕入れをしてきたのか。少なくとも身の危険はかなりの数があった筈だ、ここまで不用心だとどんなひ弱な男でもいけそうな気がする。
それともあまりの初々しさに男達は遠慮してしまったのだろうか? むしろ父性本能のようなものを開花させてお節介を焼いた可能性まである。
「よく今までやってこれたな……」
「ま、まあこれでも魔術師だから……ね」
そう言ったアリスの声はどことなく悲し気だ。見れば少しだけ顔を伏せ、歩幅も幾分か小さくなってしまった。
「訳ありか?」
「……別に、皆優しかった訳じゃないよ。でも私は……結構醜い身体してるから、それを見た人達は皆やめちゃうの」
醜い、と言ったアリスを改めて見てみるが……特別おかしな点は見当たらない。そうなると他には……傷跡でもあるのだろうか。どちらにせよ、そのおかげでアリスは今も清純さを保っている訳だな。なら、例えどれだけ醜くとも俺はそれを笑いも疎みもしない。
だが……いや、今はいい。いつかアリスの方から話してくれるまで待とう。
「そうか」
こんな時にどんな言葉を掛ければいいのか、俺にはわからない。人に優しくするなんて大層なもてなしなど俺は持ち合わせていない。強いて出来る事があるとすれば、剣を手にひたすら傍らに立つ事だけだろう。
「……怖いけど、いつか見せられる日がくると思う」
「無理に見せなくてもいいからな。俺の事は気にするな、いつまでも待ってやる」
「うん……」
安心したのか、アリスが袖を摘んでくる。その程度の繋がりじゃ少し腕を振っただけで切れてしまうだろう。
「あー、迷いそうだなー」
我ながら心苦しい言い訳だった。一旦摘まれていた袖を大きく振って外させると、そのまま空を掴もうとするアリスの手に絡ませる。
「ふふっ、仕方ないなぁ……」
それから中継地点に着くまで、仲良く手を繋いだまま2時間弱の道をゆっくりと歩いて行った。