えっち
今日は、えっちについて話そう!
ん? なに赤くなってんのだって?
うるせー。
えっちとは、子供をつくるってことだよ。
それによって、自分が死んでも血はーーー体は生きているっていうことにするものなんだ。
ん? 自分が死んでも体は生きているのだって?
そうだよ。体は、この地球上に生命が生まれた時から生きているよ。
ん? そんなの信じられないって?
うん、じゃあ、お前にはパパとママが居るよね?
そして、そのパパとママにもパパとママが居る。そして、そのパパとママにもパパとママが居る。
そうやって、どこまで遡ると思う?
そう、生命誕生まで遡るのさ。
体は自分が死んでも、何食わぬ顔で生き続ける。
実に生き汚い存在なのさ。
でもね、それは希望でもあるのさ。
大切な人の死という悲しみを乗り越える力だ。
同時に、自分の死という恐怖を克服するーーー怖さに負けない心の力になってくれるんだ。
ところが、これには罠があって、実際に子供を作らなくても、作るフリをするだけで、悲しみや恐怖をなくしてしまうんだよね。
具体的には、元気が出る。
生きる勇気になる元気だ。
…………蛮勇ーーーかっこうつけない、なりふり構わない自分勝手な勇気だけどね。
これは実に根源的で大きく粘り強い力だから、上手に使いなさい。
まぁ、最初は逆に、上手に使われるけどね。
体とは、自分より遥かに年上のーーーずる賢い知恵ばかりを鍛えて生きてきた老人、自分を超えた自然の奇形ーーー怪物なのだから。
ん? 子供をつくるフリが、どうして罠なのだって?
子供をつくるフリだけのつもりだったのに、子供ができちゃうことが多々あるのさ。
子供を育てる力もなく、準備もできてなくてもね。
気をつけて。
体は、やり方が汚ないから。
体は、卑怯という言葉のない世界に生きる野獣だから。
ん? パパはボクやタカが産まれて嬉しくなかったのだって?
すごく嬉しかった。
まるで、今までの、すべての悲しみや苦しみが報われた気がしたよ。
パパの人生で一番のご褒美だよ。
パパとママの子供に、生まれて来てくれて、ありがとうな。
ん? 世の中には、子供を作らない人もいるよねだって?
うん、それはね、体にとって、生き残る力が強い、血筋が優秀だったら、誰の子供でもいいからさ。
それどころか、人間でも恐竜でも良かった。
生きるのに優秀な体だったらなんでもいいんだ。
ん? パパって体のことがキライなのだって?
んー……。体のやりたいことを、そのまま現実にしちゃうと、パパ、おまわりさんに捕まっちゃうからなぁ。
だから、パパは本当に苦労して体の本能を寝かせつけてるんだ。
本当に手のかかる獣でね?
誰にも起こされたくないんだ。
で、体の本能が眠っているから精神の本能が勝っててね?
言葉にすると、どうしても精神の味方になってしまうんだ。
我慢しすぎて爆発させないように、ガス抜きはきっちりさせてるけどね。
体は精神ではなく、精神は体ではない。
体は自分だけど、同時に自分を超えた存在ーーー自然なんだ。
自然は自分の手には負えない。
でもそんなふたつ、精神と体が、自分という器の中で、ひとつにくっついている。
精神には精神の、体には体の正義がある。そして、精神の正義と体の正義は同じじゃない。
でも、それでも、自分なんだ。ひとつなんだ。
体と精神が相談して、ちょうどいい落としどころに落ち着くのさ。
当然、どっちにも少しは不満が残るけどね。
自分の髪の毛さえ自分の思うようにはならない。
存在が存在する限り、自由ではなく理由なのさ。
だから精神は、無がないという深淵を覗き込み、自由を叫ぶ。
そして自由が新たな理由になり、宇宙が膨れ上がる。
あぁ、僕達は、どこに行くのだろう。
きっと、ちょっと良くなりながら、行けるところまで。
自分が息き絶えても、自分を超えた自然がどこまでも。
きっと、それは、永遠を生きる物語。
ああ、それから、自分が自然を包んでいるのではないからね。
自然が自分を包んでいるのさ。
そこんところを忘れないようにね。
自分の自然が体なのではなく、自然の自分が体なのだから。
2019年9月21日 追記
2020年3月24日 修正
閑話 バナナ
ハル、こっちにおいで。
よし、そこで、バナナのポーズ!
クネっ
ん? これになんの意味があるのだって?
かわいいから!
おーい、タカも、こっちにおいで。
よし、そこで、ハルと一緒にバナナのポーズ!
クネっ
クネっ
ああ、かわいい。
子供、つくって良かった。
幸せ~。




