其の弐:ある脱走兵の帰営までの物語
ある晩1942年のガダルカナル島と、とあるコンビニエンスストア前の洞窟が繋がってしまった……。
この洞窟は通称「門」と呼ばれ、そこを通過するにはいくつかの条件があった。
・過去から現代には移動できるが、現代から過去には、来た者以外は移動できない。
・同時に「門」を通って現代にいられるのは生死を問わず最大3人まで。
・1人が持ち帰る事の出来る物資は、現代の金額で2000円程度までで、3人分まで。
・武器は基本的に移動させられない。
・歴史を変えかねない「情報」は記録媒体ごと移動させられない。
・この「門」は人為的に開けられたようで、上記制限は探せば抜け道が存在する。
【1日目】
ある時、このクソッタレな密林の樹の1本に
「帰営セヨ」
なんて貼り紙が貼られていた。
……誰が死ぬ為に帰るって言うんだ! バカヤロー!
帰ったとこで敵前逃亡や脱走罪で銃殺だろ!
俺様はムカついたんで、その紙を剥がして、クシャクシャにして、踏みつけて来た。
クソでも出たら尻を拭いたんだが、もう出て来やしねえ。
…飯なんかもう随分食ってねえからな。
【3日目】
また樹に貼り紙があった。
今度は樹の下に紙が敷いてあり、そこに握り飯と水が置いてあった。
毒でも入ってるんだろ。
あるいは、食い物に釣られて出て来たとこを、見張りの連中が捕まえるんだろ。
腹減って、腹減って、仕方がないけど命には代えられねえ。
無視だな。
【5日目】
またまた樹に貼り紙と、敷物と、飯が置いてあった。
ここ数日、土を掘っても芋が出て来ない。
土人(当時の表記)にも会わない。
腹が減って仕方がない。
毒が入っていて、死ぬならもうそれでいい。
握り飯だけ貰っていく。
あと、水もか。
なんだろう、この水筒……なのか? 透明で柔らかく軽い。
ガラスではない、明らかに違う。
何かが違うが、とりあえず水は美味い。
三合程入った水筒は栓がついている。
今日1日飲み繋げるな。
【6日目】
隠れていたら、貼り紙と飯を持った奴らが来た。
俺様が持っていったからか、近くを探してやがる。
捕まってたまるか。
今日は退散だ。
遠くから
『戻って来い! 戻って来ても処罰しない! 今、兵が足りないんだ!』
とか聞こえてくるけど、信用できない。
【7日目】
誰もいないな。
このまま熱い中、握り飯を腐らせるのは勿体無い。
食ってやるよ。
ぷはー、水が美味い。
【8日目】
畜生! なんて日だ。俺様以外の脱走兵を見てしまった。
俺様と違って、もう半分棺桶に足を突っ込んでいやがる。
この前までの俺様なら、奴の身ぐるみ剥いで、有効利用してやろうと思った。
だけど、空腹が多少は紛れた今は、助けてやりたい気が起きている。
いつもの樹のとこに行ってみた。
やはり握り飯と水が置いてあった。
俺様はそれを取ると、倒れた兵のとこに持っていった。
俺様も空腹だから、握り飯は半分食った。
もう半分を食わせてやろうと思ったが、口が動かないようだ。
だから、水を飲ませてやった。
水は飲んだ。
か細く「ありがとう」なんて言いやがった。
そいつは夕方前に死んでしまった……。
【9日目】
遠くから『帰って来い!』という叫び声が聞こえる。
懲りずにまた貼り紙と飯を置きに来たらしい。
あの声が聞こえなくなったら飯を回収に行くか。
【10日目】
握り飯が1個から3個に増えていた。
しかも「塩むすび」と書いたやつじゃない。
「昆布佃煮」と「おかか」と、相変わらずの「塩むすび」だ。
おかかとか懐かしいな。
水も1升くらいのでかい水筒3本に代ったから、全部持って来た。
しばらく大丈夫だ。隠れていようか。
【13日目】
いつもの樹のとこに行ったら、別な野郎が俺様の飯を持ち去ろうとしていた。
喧嘩になってしまった。
もう1人やって来て「1個ずつ分けよう。ここに居たら捕まるぞ」と言って来た。
その通りだ。
俺様たちは握り飯と水筒を1個ずつ持って、密林に逃げた。
そいつらに話を聞くと、やはり脱走兵だった。
なんか日本軍はあちこちに、こうやって水と握り飯を餌にして帰営を呼び掛けているらしい。
戻ってられるか、と思ったが、最後に来たヤツの言葉で考えさせられた。
「なんでこんなに飯があるんだろうな?
あそこに居たって、飢えて死ぬか、病んで死ぬか、そんなんで死ぬくらいならって
無謀な突撃かけてむざむざ死ぬかしかなかったから逃げたのに、
なんで今は脱走兵に飯を恵むような真似が出来るんだ?」
いつからか、元居た日本軍の補給状態が良くなったみたいだ。
でも、戻ったら銃殺だからなあ……。
【14日目】
なんか頭上を、おかしな竹とんぼが飛んでやがる。
あれは何だ?
ここ最近、見かける日本軍がどんどん元気になっていってる。
【15日目】
密林を歩いていたら、また行き倒れがいた。
瞬きをしてないし、息も浅い。もう長くはないな。
俺様も随分熱っぽいけど、まだ生きてやるぞ。
【16日目】
かなり具合が悪い。
目の前がチカチカする。
3日前に出会い、一緒に逃げている奴らから「伝染すなよ」と言われた。
俺様もざまぁねえな。
食欲が無くなって来たが、水は飲みたい。
無性に喉が渇く。
【17日目】
畜生! 俺様は奴らに見捨てられた。
熱でぼうっとなって、動けないから「飯を取って来てくれ」と頼んだ。
奴らは俺様の肩を担ぎ、あの樹の下まで連れていった。
水を飲ませてくれたのはありがたい。
……気づいたら、俺様は樹の下に寝かされ、奴らはどこにもいなかった。
隣には、どっから拾って来たのか、同じような病人が寝かされてる。
畜生! 死んだら化けて出てやるからな…。
【18日目】
日本軍だ。
兵隊どもが俺様も肩を担ぎ、どこかに運んでいく。
連れ戻されて銃殺か…。
俺様ももう終わりか…。
・
・
・
【?日目】
俺様は生きている。
ここは病院らしい。
俺様は腕に針を刺され、そこから薬、なのだろうか?を流し込まれていた。
なんか手がむくんでいるような気がする。
唾液が久々に出て来てる。
周りを見渡すと、同じように病床に寝ている兵士がいる。
隣には……あの時俺様の横で寝てた奴か? そいつも治療を受けている。
包帯が新しいせいか、血の臭いがしない。
消毒液のイヤミったらしい臭いがする。
衛生兵がやって来て、俺様の様子に気付いた。
名前を聞かれたが、答えてやらなかった。
「病状を確かめたいから、答えられるのなら意思表示をしろ」
とか言って来たんで、口は利かずに、首だけで答えていた。
動けるかと聞いて来たから頷いたら、
「そこの薬は食後に飲むこと。今日はお粥を出すから、よく味わって食べること。
一気に掻き込むと胃が痙攣するから気をつけるように」
とか言ってきやがった。
……随分、真新しい薬だな…。
【1ヶ月後】
俺様は退院した。
退院の日に俺様を連れに兵士が2人来た。
体力も落ちたし、観念して連れられて行った。
少尉殿が居て、素直に帰営するなら拳骨1発で済ますとか言ってきた。
どうなってんだ? 銃殺じゃないのか?
怖くなって聞いたら、1人でも兵士が欲しいから、殺してる暇は無いそうだ。
もしも帰営を受け容れるなら、軍規の営倉日数は入院日数で換えるとか。
おいおいおいおい、日本軍、こんなに甘かったか?
まあ、殺されないなら受け容れるさ。
先任曹長が拳を鳴らしているのが辛い…。
さて、撲られて口を切ったとこが染みるが、美味い飯が食えた。
冷や麦なんてのは、出征前に食ったっきりだったな。
麺つゆに薬味のネギとか、いつからこんなに贅沢になった?
この前までトカゲが捕まったら、焼いて食ってたじゃないか。
トカゲ以外にも、ムカデとか鼠とか。
あ、口に染みるからワサビは勘弁な。
明日から、もう一回戦えるようになる為、銃を持って訓練が始まる。
その前に、俺様を売った奴らに復讐しねえとな。
密告してやったぜ。
密林のどこに2人が隠れているかをな。
おい、さっさと観念して捕まれ。
ここの小隊は明後日には、もっと飯が美味い秘密の補給基地の警備に回るそうだ。
早く戻って来ないと置いていくぞ。
美味い飯にありつけなくても知らないからな。
翌日、捕縛された2人の日本兵は、飯に釣られて帰営を承諾。
一緒に「おじや、卵とじ、刻みネギのせ」を食べて、
1日懲罰も兼ねて厳しい訓練をした後、
「門」のある方面に移動していった。
彼等は数日、「門」の向こうで温かいお絞りで顔や体を拭き、
大盛りのご飯と味噌汁、野菜と肉と果物がバランスよく入ったおかずを食べ、
他の陣地の僚友の為に首から何本もぶら下げた水筒に水を入れて往復する日々を送ることになる。
「足作戦」が発動される、ちょっと前の日の物語であった。
史実だと、こういう密林に逃げた兵士たちは凶悪化して凄かったようです。
日本軍を味方と思ってなく、新兵なんかを見ると襲い掛かって身ぐるみ剥いで、食糧を調達する。
病気で倒れた兵士の身ぐるみも剥いでしまう。
なもので、素直には帰営なんかしないだろうな、という話です。
(帰営を呼び掛ける側も、物資に余裕が出来たから兵力を補う為にも穏便に処しているが、
史実通りの状態だともっとヒステリックな感じだと思います)




