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聖将記  作者: 玉兎
第八章 狂王
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第九十六話 根津の切り札



「秀綱殿、鉄砲って知ってます?」

「鉄砲、ですか?」



 人波に逆らいながら刑場に向かう最中、俺は隣を歩く大胡おおご秀綱に問いかけた。

 唐突な問いかけに秀綱は目をしばたたかせながらうなずく。



「南蛮渡来の武器、ですよね。実見じっけんしたことはありませんが、噂に聞いたことはあります」

「もしかしたら、向こうは鉄砲を持ち出してくるかもしれません。ご注意ください」



 俺がそう思った理由は先ほどの爆発だ。

 確かに俺は渡し場で騒ぎを起こせと段蔵に命じたが、今の段蔵にあんな大爆発を起こす手段はない。

 なにせ川くだりの後だ、物資もなければ時間もない。いかに飛び加藤といえど手軽にあんな爆発を起こせるはずがない。



 おそらく今川の陣中に火薬のたぐいが置いてあり、段蔵はそれに火をつけたのだろう。

 京都で三好軍の鉄砲隊を見た段蔵は鉄砲に関する知識を持っている。

 あれほどの爆発だ、火薬は相当量にのぼったはず。鉄砲の数が一丁二丁ということはあるまい。

 俺の説明を聞いた秀綱が小さくうなずいた。



「長い鉄の筒を用い、目にもとまらぬ速さで鉛の玉を吐き出すということでしたね。聞いた話ではとてつもなく高価な代物であったはず。今川軍がまとまった数を揃えているとなると厄介です」

「今川軍が、というより、信虎が揃えていたのかもしれません。武田との戦で今川軍が鉄砲を使ったという話は聞いていませんし」



 これもまた信虎が駿河を奪う布石の一つなのだろう。

 しかし、鉄砲は最新技術の集積体であり、金さえ出せば買えるというものではない。氏真の掛人かかりゅうどの身にありながら、信虎はいったいどこでそれだけの資金カネ人脈コネを得たのだろうか。

 そのあたりを探れば向こうの背後関係を洗うことができるかもしれない。



 まあ、鉄砲の実物を見ていない以上、すべては推測の域を出ないのだけれど。

 そんなことを考えながら、俺はもう一人の同行者にも注意を促した。



「弥太郎も気をつけてな」

「はい! 鉄砲を持ってる敵は最優先、ですね!」



 段蔵と同じく弥太郎も京で鉄砲を目にしている。

 その表情は真剣そのものだった。

 と、その弥太郎が何かを案じるように俺の顔をうかがってきた。



「相馬様、あの板垣って人、置いてきてよかったんですか?」

「ああ、まあ大丈夫だろ。正直、連れ歩くのも面倒になっていたしな」



 毒から回復したばかりのところに川くだりを強要したもので、信憲は心身ともにかなりボロボロの状態だった。

 ぶっちゃけ、この後であいつを連れて甲斐に戻るのは無理だよなあ、と考えて始末に困っていた。

 いいところに押し付ける相手が出てきてくれた、とこっそりほくそ笑んでいる。



 問題は根津政直のもとへ行くまでの通行手形(信憲のこと)を失ってしまったことだが、刑場の混乱っぷりを見るかぎり、手形なしでも問題ないだろう。

 というか、明らかに俺が想定していた範疇はんちゅうを超えて騒ぎが大きくなっている。

 おそらく俺たち以外にも動いている人間がいると思われた。



 自然、脳裏に浮かんだのは、先ほどのやたらと目立つ一行である。

 びっくりするほどの美少年やら、天を突くほどの大男やら、放っておけば風に溶けてしまいそうな儚い女性やら、いかにも利発そうな少女やら、実に多士済々だった。

 彼らはおそらく北条家の人間。何事か企んで見物人にまぎれていたのだろう。根津政直が虎の子の鉄砲を持ち出したのは、そういった動きを予測してのことなのかもしれない。



「公開処刑は彼らをおびき出すためのえさか。となると、狙うのは家族を救出に来る瞬間だな」



 ち、と小さく舌打ちする。

 どうも思っていた以上に厄介な状況になっているようだ。北条の人間が動いていたのは予想外であるし、信虎側が鉄砲を持ち出してくるにいたっては想像だにしていなかった。

 この分だと罪人を解放しに行った虚無僧様が危険に晒されてしまう。長重に援護を頼んでおいたから、たぶん大丈夫だとは思うが――いや待て。虚無僧まさかげ様って鉄砲のこと知ってたっけ? たぶん話に聞いたことくらいはあると思うが、実際に見たことはないかもしれない。

 猟師をしていた長重に至ってはまず間違いなく知らないだろう。



 必然的に、あの二人は敵が鉄砲を持ち出してきても、その脅威を測れない。

 ――あ、まずい。

 俺は慌てて弥太郎と秀綱を促し、刑場に向かって駆け出した。




◆◆◆




「父上!」

「……お、おお、友綱、友綱ではないか! 無事であったか!」



 友綱が刑場に駆けつけたとき、父 信貞のぶさだはすでに縄目から解き放たれていた。

 行方知れずだった娘の顔を見て信貞は目を輝かせる。友綱も笑みを浮かべて駆け寄ったが、間近で見る父の顔は見るからに痩せ衰えており、駿府放火以来の心労をうかがい知ることができた。

 友綱は悲痛な顔で頭を下げる。



「父上、申し訳ありません。私の勝手な振る舞いのせいで……」

「よい。事情は分からぬが、そなたが無事であるのなら……」



 そう言って信貞は力なく笑う。

 その視線が友綱の周囲の人間に向けられ――三郎たちに守られた早姫の面上でぴたりと止まった。

 驚きに目を見開き、ぽかんと口を開け……ややあって納得したようにうなずく。

 友綱と早姫が行動を共にしているのを見て、すべての事情を察したのだろう。



「なるほど、城代の疑惑は的を射ていたわけか」

「父上……」

「いや、気にするでない、友綱。むしろ、わしはそなたに感謝せねばならぬ」



 友綱が動かなければ、信貞は城代の命令を実行せざるを得なかったであろう。それを思えば娘の行動を責められるわけがなかった。

 信貞はさらに言葉を続けようとする。

 が、それに先んじて言葉を発した者がいた。



「……語るべきことは多かろうと存ずるが、今は逃げるを優先するとき。急がれよ」



 奇妙にくぐもった声が御宿みしゅく父娘の耳朶を揺らす。

 そちらを向いた友綱は、思わず一歩いっぽあとずさってしまった。

 網笠をかぶった虚無僧が刀を手に立っていたからである。



「な、え? だ、誰ですか!?」

「名乗るほどの者ではござらぬ」



 友綱の疑問に短く応じる虚無僧。

 はいそうですかと納得するわけもなく、友綱は目に疑問の光を浮かべる。

 そんな友綱をなだめたのは父信貞だった。



「見張りの今川兵を退け、わしらの縄目を解いてくださった方だ。この方のおっしゃるとおり、たしかに今は口を動かす時ではなかったな。友綱、はようこの場を抜け出ようぞ。城代に捕まれば、そなたはただでは済まぬ。ましてや――」



 そう言って信貞は早姫を見た。

 どうして早姫がこの場にいるのかは分からないが、ただでは済まぬと言えば早姫こそ捕まればただでは済まない。

 父の言わんとすることを察した友綱は緊張の面持ちでうなずいた。

 だが――



「そうやすやすと逃がすわけがなかろう、信貞」



 底冷えのする声が周囲に響く。

 いまだ収まらない混乱のもやを裂いて現れたのは根津政直。

 両手両足の指を使っても数えられない数の配下を引き連れて現れた駿府の城代は、蔑みの目で眼前の曲者たちを見据えた。



「小細工、ご苦労なことだな、れ者ども。駄賃として六文ずつくれてやるゆえ、心置きなく三途の川を渡るがいい」 



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