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聖将記  作者: 玉兎
第八章 狂王
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第九十五話 因縁の対面



 突如響き渡った轟音に、御宿みしゅく友綱ともつなは思わず首を縮めた。

 慌てて振り返れば、渡し場からもくもくと黒煙が上がっているのが見て取れる。その光景がいつぞやの駿府城のそれと重なり、自然と友綱の頬が引きつった。

 事態に気づいた見物人の中から悲鳴があがり、あたりはたちまち騒然とした雰囲気に包まれていく。



 はじめ、友綱はこれが北条三郎や二曲輪猪助の仕業だと考えた。もともと渡し場で騒動を起こすことは三郎の計画に含まれていたからだ。

 しかし、彼らの顔を見て自分の考えが間違っていたことを悟る。

 北条家の者たちは渡し場の異変ではなく、唐突に現れた四人連れに視線を集中させていた。まるで、今の爆発の主が目の前の者たちであると確信しているかのように。



 と、このとき、血相を変えた一団が場に乱入してきて、友綱や三郎らの視界を塞いだ。

 彼らはいずれも渡し場の方向に向かっており、おそらく家族を心配して駆けつけようとしているのだろう。

 友綱はとっさに早姫の手を掴み、人波の外に連れ出す。

 やや遅れて三郎や猪助らも友綱に続いてきた。



 見れば、先の四人連れもやや離れたところで群集との衝突を避けている。

 その一方、今川兵の姿が見当たらないのは、人波にさらわれたか、あるいは彼ら自身も家族を心配して渡し場に駆けつけたかのどちらかであろう。

 一部とはいえ今川兵が姿を消したのは友綱にとって朗報だった。これで家族を助ける障害が一つ消えたことになる。



 四人連れに関して言えば、妙に気になる一団であるが、無関係の者たちにわざわざ声をかける必要はない。

 向こうも同じ考えのようで、周囲の騒ぎもものかは、刑場に向かって歩き出そうとしている。自分も彼らにならい、周囲が混乱している今のうちに家族を救い出そう――そんな友綱の思惑を断ち切ったのは北条三郎の一声だった。



「待て、そこの者たち!」



 今まさに立ち去ろうとしている四人連れに向かって、三郎が鋭く制止の声を投げつける。

 仔猿を肩に乗せた青年はちらと後ろを振り返ったが、見せた反応はそれだけで足を止めようとはしなかった。

 それに腹を立てたのか、三郎はすぐさま二の矢を放つ。



「なぜ上杉の人間がこんなところにいる!」

「…………え?」



 それを聞いた友綱の口から驚きの声が漏れた。

 さすがにこれは無視できなかったようで、青年の足も止まっている。

 再び振り向いた相手の目には、見る者を射抜く勁烈な光が瞬いていた。



「――なんのことだ、ととぼけるのは時間の無駄か。そちらこそ何者……いや」



 ふと、青年は何かに気づいたように傍らの少女に目を向ける。正確には少女が持っている長大な鉄の棒に。

 今川家に仕えていた友綱は知る由もなかったが、その八尺棒はもともと北条家の太田康資が所有していた武器であった。

 康資を討ち取った弥太郎が戦利品として手に入れたのである。

 そのことを知っているのは奪った側と奪われた側。つまりは――



「なるほど、北条の手の者か」



 青年はお返しとばかりにあっさりと三郎の所属を言い当ててきた。

 三郎は思わず言葉に詰まるが、青年の言葉を否定することはしない。

 そんな三郎を守るように猪助が前に出た。

 それに応じて八尺棒を握る少女が進み出ようとして、青年によって制止される。

 三郎、猪助、友綱の順に視線を動かした青年は困惑したように鼻頭をかいた。



「よくわからない組み合わせだな。まあ、こちらも人のことは言えないが」



 そう呟いた青年の視線が早姫に向けられる。

 と、青年がはっきりと怪訝そうな顔をした。

 このとき、早姫はわずかに顔をかたむけ、じぃっと青年を見つめて動かない。青年はそんな早姫の姿に違和感を覚えたらしい。



 これは友綱にとって驚くべきことだった。というのも、常であれば、早姫は見知らぬ男性からこうまではっきりと視線を向けられたら、悲鳴をあげてすがり付いて来るからだ。

 異性から見られても動じない。それどころか、己から異性を見つめる早姫の姿に友綱は目をみはる。



 そういえば、と友綱はほんの数分前の過去を振り返る。

 青年たちが現れる前。友綱がひとり、刑場の家族を救おうと決意したときに早姫がとった行動、あれは何だったのだろう。

 友綱の手を握りしめ、みずから今川兵に向かって歩いていった。

 あれはまるで、我が身を差し出して御宿みしゅく家の人間を助けようとしていたかのようだった。



 今も早姫は青年の訝しげな視線を真っ向から受け止めている。

 何か早姫の心を動かすようなことがあったのだろうか、と内心で首をひねる。少なくとも、今朝方までの早姫は昨日までと変わらなかった。

 何かあったとすれば刑場にやってきてからだが、友綱にはまったく心当たりがない。

 と、ここで青年が口を開いた。



「それがしは上杉家家臣 加倉相馬。北条家の方々とお見受けするが、武田信虎の名前に聞き覚えはござるか?」

「……ぬ?」



 加倉と名乗った青年の言葉に三郎は眉をひそめ、一方で友綱の身体はびくりと震えた。

 三郎にせよ、友綱にせよ、この時点で信虎の蠢動は掴んでいない。

 ただ、友綱についていえば、根津政直と父が交わしていた会話の内容から信虎を疑う気持ちが芽生えてはいた。

 しかし、友綱の知る武田信虎は氏真から信頼を寄せられる好々爺であり、間違っても早姫の死を命じる人物ではない。

 それゆえ、友綱は信虎への疑いを三郎らに漏らしていなかった。



 その信虎の名が上杉の人間の口から出るというのはどういうことか。

 友綱の視線が板垣信憲に向けられる。

 友綱と信憲にはこれといった接点はない。まがりなりにも氏真の配下であった友綱と異なり、信虎の配下であった信憲は陪臣ばいしんに過ぎず、駿府城に足を踏み入れることも滅多になかった。

 ただ、父 信貞と信憲は共に信虎に助けられた者同士、行き交えば会釈くらいはする間柄であった。友綱も何かのおりに信憲の顔を見た記憶がある。



 おそらく信憲は今回の件について何らかの情報を持っており、それを加倉に伝えたのだろう。

 ここで信憲の身柄を確保できれば、友綱たちも真相に迫ることができるのだが――



 そんな友綱の思いが伝わったわけでもあるまいが、加倉は青ざめた顔で立ち尽くす信憲の襟首をむんずと掴むと、そのまま力ずくで三郎らの前に連れてきた。

 警戒するように前に出る猪助を制し、信憲の足を払って罪人のように地面に引き倒す。

 唐突な加倉の行動に、信憲は成すすべなく悲鳴をあげた。

 そんな信憲にまったくかまわず、加倉は軽い口調で言う。



「こやつは板垣信憲。武田晴信によって甲斐から追放され、その後、武田信虎のもとに身を寄せて彼奴きゃつの策謀にくみしたものです。今、今川家の中で何が起きているのか、信虎が北条の姫に何をしたのか、この者は知っています。そちらに差し上げよう」



 それを聞いた信憲は驚愕に目を見開いて加倉を見上げた。



「な……!? か、加倉殿、話が違いますぞ!?」

「貴様に何かを約束した覚えはないな。駿府の城門を開く鍵として連れてきたが、今となってはそれも無用となった。連れ歩くのも面倒だし、貴様の情報を必要としている人たちにくれてやることにする。精々、誠実に語らって北条の寛恕かんじょを願うがいい」



 加倉と信憲がとげとげしい会話を交わしている間、三郎がちらと友綱に視線を向けてきた。

 向こうが突き出してきた板垣信憲の価値を問うているのだろう。そう考えた友綱は、小さく、しかしはっきりと頷いてみせた。

 それを受け、三郎は険しい顔で加倉らに向き直る。



「どうやら口から出まかせを言っているわけではないようだな――猪助」



 補佐の風魔衆に命じると、猪助は無言で倒れた信憲を拘束する。

 信憲は何事か口にしながら抵抗しているが、猪助は苦もなく信憲を縛り上げた。

 それを確認した三郎は、改めて眼前の相手を見やる。



 加倉相馬。

 その名は知っている。

 北条家にとって無視することができない名前であるからだ。先の上野こうずけ戦で長尾政景と共に北条軍に苦杯を飲ませた敵将。



 あの戦いで戦死した太田康資(やすすけ)は北条家にあって賤臣せんしんではなく、六尺(百八十センチ)を超える身の丈、稲妻のような大声、三十人力の剛武など、色々な意味で目立つ家臣だった。

 当然、その死はおおいに騒がれ、家臣、領民を問わず人口じんこう膾炙かいしゃした。



 自然、康資の散り際は三郎の耳にも入ってきた。

 康資を討ち取ったのは上杉家臣 小島弥太郎。康資の剛力と真っ向から渡り合い、これを討ち取った女武者。康資の得物である八尺棒は、このときに上杉家に奪われたと聞く。



 三郎が目の前の一行を上杉の人間と見破ったのは、この話を思い出したからである。

 八尺の長さの鉄棒などそうそう転がっているものではない。

 それに今川兵相手に八尺棒を振るった少女の特徴は、件の女武者にぴたりとあてはまっていた。

 なにより決定的だったのが、加倉から少女へ向けられた「弥太郎」という呼びかけである。



 ――小島弥太郎の主は加倉相馬。この相手が上杉の軍師であることは疑いない。



 三郎はそう考える。

 問題なのは、上杉の軍師がどうして富士川の渡し場にいて、のみならず今川兵に喧嘩を売っているのかという点である。

 だが、その点について語らう時間は残っていなかった。

 今川軍の牛馬が次々と暴れ始め、ただでさえ混乱していた刑場が一層の混乱に見舞われたからである。

 少し離れた場所では、身体に松明をくくりつけられた牛が荷馬車と共に刑場の柵を突き破り、混乱を助長していた。



 事態は刻一刻と混沌の度を深めつつある。

 加倉相馬と北条三郎はちらと目を見交わし、次の瞬間には互いに背を向けていた。

 今はそれぞれの目的を優先する、と意見の一致を見たのである。




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