第八十二話 干沢城の戦い(中)
耳をつんざく轟音と共に火にまかれた櫓が崩れ落ちる。
死を覚悟して櫓にとどまり、矢を放ち続けていた兵士二人が絶叫をあげながら地面に落下していく。
響く地響き。ひしゃげる身体。
粉塵と火の粉が激しく舞い上がり、たちまち兵士の死体を覆い隠す。
櫓を失った郭門に板垣勢が殺到し、武田軍が喊声をあげてこれを迎え撃つ。
両軍は激しく矢石を交え、数十、数百の矢羽が一斉に宙を駆ける。壁に身を隠せる分、矢戦は城側が有利であったが、板垣勢は地勢の不利を数で補い、盛んに矢を射続ける。
内通者を用いて無血で正門を陥れた板垣勢は、はじめから士気が高い。反対に、出鼻をくじかれた武田軍の士気は高いとは言いがたい。
趨勢は明らかに攻め手である板垣勢に傾いていた。
すでに四の郭は板垣勢に制圧され、三の郭も風前の灯である。
三の郭が落ちれば、長坂昌国の立てこもる主郭まで二の郭一つを余すのみ。
勝利を確信した板垣勢の口から大きな喊声が湧き起こった。
――そんな光景が俺の目と鼻の先で繰り広げられていた。
なんで俺がこんな最前線にいるかと言えば、俺と長重が捕らえられていた牢屋がこの三の郭にあったためである。
それも郭門のすぐ近くで、血相を変えた武田兵がそこかしこを走り回っている。
小池主計、甘粕長重と共に牢屋から出るや、血走った目をした武田兵と鉢合わせして肝が冷えた。
武田の重臣 春日虎綱の配下である主計がいなかったら、脱走兵としてここで斬られていたかもしれない。
当初の予定では、牢屋から出た俺たちはまず長坂昌国に会いに行く予定だった。
防衛に参加するにせよ、城外に出るにせよ、城将である昌国の許可がなければ何かとやりにくい。
むろん、昌国が聞き分けのないことを言うようなら勝手に行動するつもりであったが、ともあれ、まずは主郭に向かう。これは決定事項であった。
だが、ここで三の郭門が破られると、板垣勢の勢いが止められなくなってしまう――攻め手の大喊声を間近で聞いた俺はそう直感した。
ここで敵の勢いを止めておかないとまずい。
とはいえ、どうしたものか。
弥太郎も段蔵もおらず、兵の指揮権もない以上、俺の個の実力で勝負するしかないのだが、足軽 加倉相馬が一騎当千の活躍をする物語は、残念ながら空想の中にしか存在しない。
ここが越後なら今正成の名声でもってハッタリをかますこともできるが、信濃ではその効果も期待できないだろうし……いや、待て。そうでもないか?
海津城で虎綱と話をしたときのことを思い出す。
上杉家や今正成を理解不能の相手として恐れている家臣は少なくない、と虎綱は口にしていた。
見方をかえれば、俺の存在を知っている者も少なからず存在する、ということだ。
それに、理解不能ということは、何をしてくるか分からない相手ということ。ひいては、どこに出てきてもおかしくない存在であるということ。
こう記すとホラー映画の怪物みたいだが、この際役に立てばなんでもいい。よし、いっちょ俺の名前で敵の勢いを殺いでくれよう。
長安に鍛えられた演技力、今こそ役立てるとき。
『今正成』信州臨時公演の始まりだ!
……ところで後ろについてくる二人は、逃げてくれと言った俺の言葉を聞いていましたよね?
「確かに聞きはしました」
「それなら――」
「しかし、従うといった覚えはありませんぞ!」
小池主計はそう言ってバンと胸を叩く。
「不肖この主計、春日様から越後の方々の案内を命ぜられた身。皆様をつつがなく甲斐までお送りするのが手前の役目。その手前が加倉殿を残して一人城を抜け出しては、何の面目あって主の前に出られましょうか!」
いや、ここで主計に死なれては俺の方こそ虎綱に面目が立たないのだが……まあ、ここで言い争っていても仕方ない。
それに武田家に所属する主計がいてくれることは、正直すごくありがたい。
武田方に味方するつもりで戦いに参加したら、敵と間違われて後ろから射殺されましたとか笑い話にもならない。
次に俺が目を向けたのは甘粕長重だった。
こちらは主計のような理由は持ち合わせていない自由人である。わざわざ劣勢の戦いに加わる必要は微塵もないはずだったが、そんな俺の疑問に長重は莞爾とした笑みでこたえた。
「私としても加倉殿と話すのは楽しかった。ここで加倉殿が討たれては越後を訪ねる理由がなくなってしまいます」
それは先ほどの俺の台詞――いつか気が向いたら越後を訪ねてくださると嬉しい――を受けての言葉だった。
恩着せがましさなど微塵もない、春風のような暖かい笑み。
なんて涼やかな男ぶりだろう。同性ながらちょっとどきっとしたぞ。
うん、この少年を舞台にあげたら千両役者になれるのではないかな。ひいては俺が出演する必要もなくなるのではないかな。
敵の喊声を背後に聞きながら、俺はそんな皮算用を働かせていた。
◆◆◆
干沢城三の郭。
郭門を守る武田兵は、ともすれば萎えてしまいそうな心身を必死に奮い立たせながら防戦を続けていた。
息継ぎをする間も惜しんで続けざまに矢を射放つ。
狙いをつける必要はない。郭壁の上に立った武田兵の目には、ひしめきあうように押し寄せてくる板垣勢がはっきりと見えている。立錐の余地もない数。射れば当たる状態だった。
板垣勢は咽喉も裂けよとばかりに咆哮をあげながら、郭門を破ろうと突進してくる。長梯子をかけて郭壁をよじ登ろうとする者もいる。
武田兵は懸命に応戦するが、いかんせん数が違った。三の郭を守る兵は百人に満たないのに対し、攻め寄せる板垣兵は優に五百以上。
ただでさえ、長く人の手の入っていなかった干沢城の防備はもろい。そこに五倍以上の兵に取り付かれては守りきれるはずがなかった。
「……痛!? くそ、援兵はまだ来ないのか!?」
三の郭を任されていた武将が、肩に突き立った矢を引き抜きながら声を荒げた。
干沢城には、上原城を守っていた守備兵がほぼそのまま入城している。
いかに主力を甲斐に差し向けていたとはいえ、昌国麾下の兵が五百以下ということはないはずだ。
だが、待てど暮らせど援軍が来る気配はない。予期せぬ敵の奇襲で戦支度に手間取っているのか。あるいはそもそも援軍を出すつもりがないのか。
昌国が二の郭、主郭で敵を迎え撃つつもりなら、三の郭は捨石にされたことになる。
今の戦況ではいたし方ないこととはいえ、それならそれで使者の一人も遣わして、残った家族の面倒は任せろ、くらいのことは言うべきではないか。
郭将は若い昌国の無情を恨んだ。
と、郭将の視界の端で、敵兵の一人が郭壁に手をかけてよじ登ってこようとしている。
見れば、そちらを守っていた兵士は喉に敵の矢を受けて悶死していた。
急いで駆け寄った郭将は、今まさに郭内に入りこもうとしていた敵兵を足蹴にし、郭壁の向こうに蹴り落とす。
悲鳴をあげて落下していく敵兵には目もくれず、郭将はその場でさらに槍を振るい、二人、三人と敵兵を突き殺した。
その奮戦は目覚しかったが、そうしている間にも味方の兵は討たれ、敵兵が次々に郭内へ躍り込んでくる。
ここまでか、と内心で覚悟したときだった。
立て続けに弓弦が鳴り響き、乗り込んできた敵兵の口から絶叫がほとばしった。
目に、口に、喉に、矢を突き立てられた板垣兵がバタバタと倒れていく。
中には体勢を崩して郭壁の外に転がり落ち、後続の兵士を巻き添えにして落ちていく者もいた。
十度鳴り響いた弓弦は、十の敵兵を射倒し、郭壁に登ってきた敵を一掃する。
郭壁の上には味方の兵もいる。その隙間を縫って敵のみを射倒す技量に郭将は瞠目した。
しかも速い。続けざまの速射は並の弓兵の成しうる業ではなかった。
こんな名手が己の麾下にいたのかと首を傾げた郭将は、射手の姿を目で探す。
――だが、それに先んじて響き渡る声があった。
「ああ、情けなや! これが音に聞こえた甲州武田の精兵か!」
今まさに激戦が繰り広げられている戦場の真っ只中で、大音声をあげて味方を非難する大たわけがいる。
郭将は一瞬、状況も忘れてぽかんと口を開けた。
「貴様らが恥と屍を晒すのは勝手だが、それでは諏訪の民が難儀する。これなるは越後上杉が臣、加倉相馬! 弱兵弱卒の武田に成り代わり、これより護民の戦を開始する!」
言うや、加倉の傍らに控えていた短弓の主が見とれるような流麗さで矢を番え、門外の板垣兵に向かって射放った。
狙いをつけるまもなく放たれた矢は、しかし、宙空に糸を引きながら正確に敵の騎馬武者を射抜いていた。
それを見た敵の弓兵が加倉らに向かって矢を番えるが、その時にはすでに短弓使いは第二矢を番えている。
放たれた矢は吸い込まれるように敵の喉を射抜いた。
その速射を見て、郭将は先刻の射手が誰であるかを悟る。
先ほど味方の窮地を救ってくれたのは彼らであるようだ。
三の郭の責任者として、長坂昌国からは警戒を、小池主計からは配慮を頼まれていた郭将は、加倉が本当に上杉の家臣であることを知っていた。
具足も兜も、それどころか腰の大小さえ身につけず、扇片手に戦場に出る上杉の軍師の噂を耳にしたこともあった。
加倉が何を思ってこの場に現れたのかは分からない。
だが、先刻の行動を見るかぎり武田に弓引くつもりはあるまい。
ならば詮索は後回しだ。
ここは向こうの手に乗ろう。それが三の郭の守将として為すべきことであるはずだった。
「聞いたか、者ども! 他家の者にああも悪し様に言われて、どうして黙っていられようか!? いざ立て、いざ戦え! 我らを弱兵弱卒とあなどりし上杉に、武田軍の強さを知らしめるのだ!! それが出来ねば、何の顔あって御館様に見えようぞ!」
郭将の檄に応じて、疲労困憊だった武田兵の口から雄たけびが発される。
はじめは低く、小さく、雄たけびというよりはうめき声のようだったが、徐々にうねり、高ぶり、ほどなくして耳をつんざく喊声へと成長した。
はたから見れば、それは自棄とか捨て鉢とか、最後っ屁とか称されるたぐいのものであったろう。
それでも、たとえ一時的なものであるにせよ、尽きていたはずの戦意をかき集めて、武田兵は攻め来る板垣勢と懸命に矛を交えた。
その成果として、三の郭は陥落までに半刻、いや、四半刻(三十分)の猶予を得る。
わずか四半刻。されど、この猶予によって負傷者が取り残される事態は避けられた。
混乱していた将兵が具足を身につけるができた。
破竹の勢いで進撃していた板垣勢を一時的とはいえ押し返し、敵に冷や水を浴びせることができた。
そして何より大きかったのが、郭門防衛で奮戦した上杉軍を受け入れる素地が、武田側にできあがったことである。
三の郭の守将によって報告されたこの事実は、城主である長坂昌国にも伝わり、加倉はここでようやく囚人の身から脱し、客将扱いで防戦に参加する。
昌国としては、藁にもすがる思いであった……




