第七十九話 もうじき
「信繁」
「…………」
武田晴信の呼びかけに弟 信繁はぴくりとも動かない。
思いつめた表情で床面を見据えている。
晴信は一つ息を吐き出すと、今度は叱声に近い声音で再度弟を呼んだ。
「信繁!」
「……あ、は、はい、御館様!」
慌てて晴信の顔をうかがう信繁の顔は、明らかに生気に欠けている。
先の上野遠征で長野軍に敗れたときでさえ、ここまで打ちしおれた姿は見せなかったというのに。
今川軍が攻め込んで来てからは、早く自分も他の諸将と同じように出陣させて欲しいとうるさいくらいだった。
その信繁が急にここまで沈み込んだ理由は一つしか思い当たらない。
「また今川の姫のことを考えていたのですか」
「……はい。今少し、出来ることがあったのではないかと、そう思われて……」
甲斐各地で苛烈な侵略と蛮行を繰り返す今川軍。
その原因を探るべく、晴信は東西戦線の将たちに捕虜とした今川兵を躑躅ヶ崎館に送るように命じていた。
そうして判明したのが、先ごろの氏真の妹――今川姫の死である。
今川姫は武田の婚姻不履行に衝撃を受けて病に倒れ、そのまま亡くなったという。
今川氏真は妹の死に激怒して兵を発した。当主である晴信はもちろん、信繁を討ち取った者は一城の主とするという布告も出ているらしい。
信繁は開戦の原因の一つとされているのだ。
正直に言えば、信繁にとって今川姫は遠い存在だった。三国同盟による婚約者だったとはいえ、顔を知らず、文を交わしたこともないのだ。
その死を我が事のように悲しむことはできなかった。
だが、今川姫の側は違ったらしい。
信繁のもとに嫁ぐ日を心待ちにし、甲斐から取り寄せた絵姿を宝物のようにしていたと聞けば、今さらながら胸が締め付けられる。己の薄情さが浮き彫りになる。
せめて文の一通なりと送っておけば、今川姫が失意の果てに亡くなることはなかったのではないか。ひいては甲斐が攻められることもなかったのではないか。
信繁はそのように考えて自分を責めていた。
そんな弟の姿を晴信は複雑な面持ちで見つめている。
本心を言えば、このような小事にいつまでもかかずらうな、と一喝したい。そもそも婚姻を拒絶したのは晴信であり、そこに信繁の意思は関与していない。信繁が姫を手ひどくはねつけたわけでもない。
弟が思い悩む必要などどこにもないのである。
だが、そう思う一方で、この信繁の情の厚さは得がたいものであるとも思う。
ここで信繁を激しく叱責すれば、信繁は無理やり今川姫のことを切り捨てるだろう。
その結果として弟の心根の柔らかさが失われてしまうのは、晴信の望まざるところであった。
「気にするな、とは言いません。ですが、今川との婚姻を拒んだのは私であってあなたではない。今川姫の死に関して、あなたに責任などないのです。ましてや氏真が軍を動かした責があなたにあろうはずもない。過ぎた自責は心身を損ないますよ」
「は、心いたします」
姉の心遣いにこたえようと、信繁は表情を改めて気丈にうなずいてみせる。
が、顔色の悪さは隠しようがない。
このまま無理に働かせ、倒れられでもしたら目もあてられない。
人間とは存外繊細なものだ。気鬱が高じて身体を損なうこともある。他者にとっては些細な悲哀が、命に牙を突き立てることもある。
「信繁、今日はもう部屋に引き取りなさい。武田の一族が目に隈を浮かべていては家臣たちが動揺します。しっかりと寝て、明日以降に備えなさい」
それを聞いた信繁は、一瞬なにか抗弁しかけたが、おそらく自分でも不調を自覚しているのだろう。
すぐにうなだれるように首を縦に振った。
重い足取りで退出していく弟を見送った晴信は、小さくため息を吐く。
「こういうとき、寵愛する姫でもいれば気散じになるのでしょうが……無いものねだりをしても仕方ありませんか」
もしくは己にかわって当主の役職を果たしてくれる者がいれば、信繁の傍についていてやることもできるのに。幼い信繁をあやし、共に眠った過去を思い起こして、晴信はかすかに笑みを浮かべた。
だが、次の瞬間、その表情は綺麗に拭われ、追憶は脳裏の奥に押し込められる。
己の代わりに当主を務めてくれる者など、それこそ無いものねだりの極致であろう。もしくは現実逃避のあらわれか。
晴信はひそかに奥歯を噛んだ。
「……認めたくはないですが、ふふ、身体とは正直なものですね。どれだけ堅固に心を鎧おうとも、勝手に震えがきてしまう」
異常とも言える今川軍の蛮行の数々。その裏に潜む者の存在を、晴信はすでに確信している。
晴信ならずとも確信せざるを得ないだろう。甲斐に押し寄せた今川軍の編成は、かつて武田信虎が用いたものと瓜二つなのだから。
だから、晴信は今川軍がどのような行動をとろうとも意外には思わなかった。
田畑に塩を撒いたと聞いたときは、思わず苦笑してしまったくらいである。
通常の軍ならばありえない行動。だが、今川の後ろに父がいるのなら十分にありえること。あれは信虎による宣戦布告だ。もはや影に潜む必要はなくなったという意思表示でもあるだろう。
おそらく今の信虎は、武田軍対今川軍という盤面で、晴信と碁を打っている心境に違いない。
晴信を守る防壁を一枚一枚、舌なめずりしながら引き剥がしている。晴信がどれだけ苛烈に抵抗しようとかまわず攻める。今川兵がいくら死んだところで信虎は痛くもかゆくもないのだから。
今川軍が武田軍を押し切ればそれでよし。敗退したとしても、武田軍に深い傷を負わせるのは間違いない。今川軍が退却した後、信虎はおもむろに腰をあげて襲いかかってくるつもりであろう。
それがわかりきっているから、晴信は今川との戦に全力を挙げることができないのだ。
晴信の本心を言えば、愛する甲斐を汚す今川兵など今すぐ出陣して蹴散らしてやりたいのである。
だが、それをすれば空になった躑躅ヶ崎館を信虎に奪われかねない。
敵は今川軍だけではない。
信虎が甲斐守護であったのはほんの数年前の話。いまだ甲斐には信虎恩顧の者たちもいる。実の父を追放した晴信を非難する声も完全に消えたわけではない。
こういった者たちは、晴信の勢いが強大なときは隠れて出てこない。今のように劣勢に陥ったとき、どこからともなく這い出てくるのである。
晴信は躑躅ヶ崎館にあって、そういった者たちにも睨みをきかせなければならない。
おそらく信虎はそういったことも読んでいるだろう。
相手の嫌なところを見抜く眼力と、そこに付け込む手際は相変わらず見事なものだった。
「……あるいは、今川姫の死もあの男の仕業かもしれませんね。氏真の敵意を私に向けるための細工。いかにもあの男らしい手法ですが、それを信繁に伝えるわけにもいかない……」
甲斐の国主であった頃、信虎は常に荒れ狂っていたわけではない。
ことに信繁には良き父、良き当主としての顔を見せたがっていた。晴信も信虎のすべてを弟に伝えたわけではない。
――父親が姉を性の対象として扱っていた、などという事実は、伝えずに済むならそれに越したことはないのだ。
だが、そうなると必然的に伝えられる内容も限られてくる。
今の信繁は父が悪政をしいていたことは理解しているが、肉親としての情も残している。
ここに姉と弟の温度差があった。
晴信としては極力弟を父に近づかせたくない。
できれば防備が手薄になった信濃なり上野なりに、援軍という名目で差し向けたいくらいである。
しかし、今川軍によって甲斐国内が激しく乱れている最中、武田の後継者が他国に赴けば、世人はそれを「逃げた」と解釈するだろう。家臣や国人衆も同様だ。
ひとたび怯懦の汚名を甘受すれば、これを引きはがずのは困難を極める。
ゆえに、信繁を他国に出すわけにはいかなかった。むろん、安易に前線に出すこともできぬ。
躑躅ヶ崎館にあって、晴信の頭痛の種は尽きなかった。
そんな折、春日虎綱が北信濃から援軍を引き連れて駆けつけてきた。
事情を聞けば、越後の上杉家は今回の騒乱への不介入を約束し、なおかつ今川家から要請のあった塩止めも断ったという。
それを聞いた晴信は思わず眉間にしわを寄せていた。
上杉家が――というより景虎が約定を破るとは思えない。いくら相容れぬ敵だからといっても、その程度のことは晴信にもわかっている。
虎綱の言葉を聞けば、塩もて民を苦しめる今川にはくみせない、と言明したらしい。いかにも景虎の言いそうなことであった。
率直に言えば、諸手をあげて喜びたいくらいの対応である。
だが、実際にそんなことができるはずもない。晴信の意識としては「情けをかけられた」というのが一番近い。
屈辱とは言わないが、それに近い腹立たしさがあった。どれだけ否定しても、上杉に感謝している己を知覚できてしまうだけに、余計に腹が立つ。
戻ってきた虎綱と会話を交わしたとき、ちょっと変な顔をされたのはそのせいであろう。
『事が済んだら景虎に礼を申さねばなりませんね。面白くありませんが、是非もない』
『あの、御館様。先ごろ公方様から一字を与えられ、輝虎と改名されていらっしゃいますが……』
『もちろん知っていますよ。さて、仕方ないので秘蔵の太刀を一本、景虎に贈るとしましょう。使者の役目は、虎綱、あなたに務めてもらいます』
『は、はい、承知いたしました』
あくまで輝虎と呼ばなかった己の子供じみた振る舞いを思い出し、晴信は額に手をあててため息を吐く。
己の感情一つ御せない未熟者が、よくも弟にしたり顔で説教できたものだ、と自嘲する。
「しかし、こと景虎――いえ、輝虎のこととなると、どうにも胸が騒いでしまいますね。だからこそ、倶に天を戴かずとはあれのような存在を指すものと思っていましたが……」
だが、冷静に考えてみると、越後との戦いで胸が悪くなったことは一度もない。
越後との戦で感じるのは、肌をひりつかせる緊張、身体中を駆け巡る戦意、知略を競わせる高揚、そういったものだ。
正義を奉じる景虎の生き方、戦い方を疎ましく思いはしても、心底から怒りや嫌悪を覚えたことはない。
「ふふ、己でも気づかぬうちに良き敵と認めていたのかもしれませんね。まあ、さすがにあの男と比べては輝虎に失礼でしょうけれど」
苦笑してそう言った晴信は、思考を切り替えるために軽く両の頬を叩いた。
どういう理由であれ、上杉の静観によって虎綱を自由に動かせるようになった。これは大きい。
西(下山城の山県、馬場隊)と東(甲斐東部の山本隊)のいずれに派遣しても膠着状態を打破することができるだろう。
――そう考えていた晴信のもとに、信濃上原城の陥落がもたらされたのは、それから間もなくのことであった。
◆◆
ただちに躑躅ヶ崎館に参集しているすべての将が大広間に集められた。
上原城は信濃と甲斐をつなぐ玄関口 諏訪郡を統治する重要拠点である。
ここを奪われれば甲斐と信濃の連絡が寸断されてしまう。とうてい座視できる事態ではなかった。
上原城を守っていたのは長坂光堅。
この光堅は、かつて武田の重臣筆頭として家中で重きをなしていた板垣信方の副将を務めていた人物である。
信方が躑躅ヶ崎の乱において晴信を守って壮烈な討死を遂げた後、晴信の直属となって各地を転戦。諏訪家滅亡後、上原城の城代に任じられ、今日まで大過なく諏訪地方を治めてきた。
その光堅がどうして上原城を失ったのか。
そもそも上原城を奪った敵は何者なのか。
晴信の問いを受けた光堅の配下は、床に額をこすりつけるようにして報告した。
いわく、今川軍の侵攻が激しくなってからというもの、諏訪の地侍たちに不穏な動きが見受けられるようになり、光堅は精力的にかれらの領地におもむいて説得を続けていた。
地侍の中には主家を滅ぼされた恨みを忘れていない者も多く、説得は容易ではなかったが、根気強く言葉を重ねる光堅に耳を傾ける者も少なからずいた。光堅が兵を率いずに現れたことも、彼らの心象を良くしていたであろう。
だが、ある日、これまで光堅に好意的に接していた地侍の一人がとつぜん光堅と供の者たちを捕らえてしまう。
彼らを利と威によって変心させたのは、今川家から派遣された一人の青年だった。
名を板垣信憲。前述した板垣信方の嫡子である。
光堅を捕らえた信憲は、城主を人質として上原城に開門を要求。
留守居を務めていたのは光堅の子の昌国であったが、父を人質にされては手も足も出ず、諏訪侍を引き連れた信憲の言うなりになるしかなかった。
このとき、上原城は主力部隊を甲斐への援軍に差し向けていたため、城内の兵力は最小限しかおらず、これも昌国が抵抗できなかった理由の一つだった。
その後、城内に入った信憲は武田兵を残らず放逐する一方、光堅や重臣の妻子を人質として城内に留め、無血で上原城を陥落させるに至る。
昌国は兵と共に城を出されたものの、光堅は人質として捕らえられたまま。城を引き渡せば光堅を解放するという約定はあっさりと反故にされた。
激怒した昌国は残った兵をかきあつめ、さらに武田に好意的な諏訪衆に使者を出して増援を請い、なんとか上原城を奪還しようと試みる。
しかし、家族を人質にとられている武田兵の士気が高かろうはずもなく、昌国自身、父親を見殺しにして城を落とすだけの決断も下せず、上原城を遠巻きに囲むことしかできなかった。
「このままでは千日手。なにとぞ城の奪還、父の救出のための援軍を賜りたいというのが主 昌国の言葉でございます!」
「言うにや及ぶ。上原城は甲斐と信濃を結ぶ要衝。これを奪われたら奪還あるのみです――虎綱」
「は!」
「ただちに麾下の部隊を率い、信憲の慮外者から上原城を取り戻しなさい。あらゆる作戦行動を許可します」
それは必要とあらば人質にかまわず攻め落とせ、という厳命であった。
それと悟った長坂家の使者の顔が青ざめるが、晴信は一顧だにしなかった。この状況で一家臣の命を顧慮して混乱を長引かせることはできない。
おそらくこれも信虎の策の一環。
手間取れば、第二、第三の反乱が起きかねない。それらを阻むためにも、犠牲を恐れぬ断固たる姿勢を見せておく必要があるのだ。
――虎綱がいなければ、躑躅ヶ崎の兵力をさらに薄くしなければならなかったところ。上杉に感謝する事由がまた増えてしまいましたか。
胸の内でちらとそんなことを考えた晴信は、ふとあることに気づく。
虎綱によれば、塩を運ぶ越後の荷駄が甲府へ向かっているという。晴信は虎綱の求めどおり、道々の関所に通行の許しを与えておいたが、もしやすると今回の上原城の一件で越後勢は甲府への道を塞がれたかもしれない。
塩の荷を裁量するのは加倉相馬と聞く。
晴信の脳裏にいつか対峙した青年の顔が浮かび上がり、明確な像を結ぶ間もなくすぐに消えた。
考えるべきことは山ほどある。
一度言葉を交わしただけの越後の謀臣に、思うところなどあるはずもなかった。