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聖将記  作者: 玉兎
第八章 狂王
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第七十五話 甲斐侵攻



 今川氏真は武田攻めにおいて三つの部隊を用意し、三方向から武田領に攻め込んだ。

 一つは氏真自ら率いる本隊一万。これは富士山の東に広がる旧葛山領を北上し、東南から甲斐に攻め入る。

 一つは朝比奈、岡部両将が率いる一万五千の部隊。こちらは富士山の西を流れる富士川を北上し、南西から甲斐に侵入する。



 最後の一つは小野おの政次まさつぐ率いる五千。こちらは遠江から南信濃に侵攻する。

 この小野政次という武将は遠州錯乱において、井伊直親が松平家に内応していると密告してきた井伊家の重臣であった。

 氏真はこの政次を登用し、遠江衆をあずけて南信濃に差し向けたのである。



 もっとも、人数や指揮官の人選からもわかるとおり、信濃攻めは氏真にとって陽動以上の意味を持たなかった。

 主攻軸は甲斐。

 この方針は決して揺らがない。



 氏真の作戦は単純だ。富士川を北上する朝比奈、岡部の部隊に武田軍の目を引き付けた上で、氏真本隊が電撃的に東南国境を突破し、甲斐東部を制圧するのである。

 西に目を向けさせておいて、すかさず東。こうすれば武田軍は慌てて東に兵力を差し向けるだろう。

 東と西の二箇所で両軍が対峙すれば、必然的に中央――躑躅ヶ崎館の兵力は手薄になる。



 ――その間隙を突いて、御坂みさか峠を越えて一気に甲府盆地に躍り出る。



 御坂峠は甲斐東南部と甲府盆地をつなぐ唯一の道。峻険な地形は大軍の通過を許さないが、それなら少数の精鋭をもって突破するまでのこと。

 甲斐国内の地理に通じていない軍にとっては無謀ともいえる作戦だったが、氏真のもとにはかつての甲斐守護がいる。案内役に不足があろうはずはなかった。



 この攻撃で武田家を滅ぼせると考えるほど氏真は楽天的ではない。

 だが、かまわなかった。

 落とした城は残らず壊そう。奪った田畑は残らず焼こう。降伏した兵は残らず殺そう。

 土という土に塩をまき、民という民を奴婢にして、甲斐の国に未来永劫消えない爪痕つめあとを刻み付けてやる。



 ――ああ、そうだ。そのくらいしなければ、この心の傷とは釣りあわぬ。今川家の、今川氏真の真価が見たいと望んだのは貴様だ、武田晴信。ああ、見せてやるさ。貴様が手塩にかけて育てた武田軍と甲斐の土地、残らず灰燼かいじんに帰すことでな!



 氏真の口元に歪んだ笑みが浮かぶ。

 軍事行動だけではない。すでに氏真は駿河から甲斐への塩の供給を止めており、同様の措置を北条家にも願い出ていた。

 北条からの返答はまだ届いていないが、拒否するなら拒否するでかまわない。相模から甲斐に入る塩商人は今川の占領地を通過しなくては甲府にいけない。この商人たちを残らず追い返せば、結果として塩の供給を止めることはできるのだ。



 いや、追い返すだけでは塩商人、ひいては北条家との関係が悪化する。

 それでは妻が悲しもう。

 ならばどうするか。その場で今川家が買い上げればいいのだ。そのまま田畑にばら撒いて甲斐を腐らせる一助とする。

 物が売れれば商人も文句は言わず、北条家との仲が険悪になる恐れもないだろう。



 このとき、氏真は越後にも使者を送っており、上杉家にも塩止めの協力を要請していた。

 同時に北信濃への出兵も使嗾しそうしている。

 今川軍が総力をあげて南から攻め込んでいる今、北信濃を防衛する武田軍は間違いなく手薄になっている。

 上杉軍主力をもってすれば、たやすく北信濃を制圧できるだろう。南信濃まで一気に手中におさめることも不可能ではあるまい。もちろん今川家は上杉の信濃領有を認めるし、小野政次が占領した南信の今川領を上杉家に献上する用意もある――氏真はそこまで使者に言わせていた。



 武田さえ討てるなら信濃などいくらでもくれてやる。

 武田家に対する――いや、晴信に対する氏真の憤懣ふんまんは妹の死と同時に頂点に達しており、もはや敵対以外の道を選ぶ意思は残っていなかった。

 その主君の激情を背景に、いよいよ今川軍は甲信の地に侵攻を開始する。

 その一番手となったのは朝比奈泰朝、岡部元信が率いる今川軍一万五千であった。




 富士川に沿って甲斐国内へ侵入を果たした今川軍は、収穫を間近に控えた田畑に火を放ちながら北上を続けた。

 苛烈な軍法の下、陣容を一新させた今川軍の侵攻速度は迅速を極め、必死の防戦を試みた道々の国人衆を一蹴。勢いに乗った今川軍は甲斐南部の要衝 下山城へ攻めかかる。



 身延山のふもとに位置する下山城は、駿河から甲府へといたる最大の関門である。

 ここを突破できれば、今川軍はそのまま甲府へなだれ込むことができるだろう。

 今川軍にとっては、なんとしても落とさなければならない城であった。



 むろん、武田家にとってはまったくの逆。なんとしてもここで今川軍の攻勢を押しとどめなければならない。

 今川軍の前に立ちはだかったのは山県昌景率いる武田軍五千であった。

 兵数の少なさは、この侵攻が武田家にとって予想外であったことを物語っている。

 氏真からの婚姻の使者に快諾をもって応じなかった以上、武田側も警戒はしていた。

 だが、秋を間近に控えたこの時期に三万以上の兵を動員するなど、さすがに予想の外であった。



 三万もの壮丁をかり集めた以上、今川領内には収穫のための働き手はほとんど残っていないだろう。

 女子供だけでどれだけの収穫を確保できるのか。

 資金の面から見ても無茶が過ぎる。

 桶狭間で受けた痛手もろくに癒えておらず、つい先ごろも遠江に遠征をおこなったばかり。いくら今川家でも、そろそろ府庫が底をつく頃だ。そんな状況で再度の大動員をかけるなど、とうてい正気とは思えなかった。



 武田晴信、山県昌景、馬場信春、山本勘助、春日虎綱、内藤昌豊、武田信繁。

 いずれも優れた才覚と安定した判断力を有する者たちである。

 だからこそ、あの今川家がこのような無謀な出兵をすること、さらには宣戦布告も手切れの使者もよこさずに同盟国に侵攻してくることを予測するのは不可能だった。



 このとき、躑躅ヶ崎館より急きょ差し向けられた昌景の任務は下山城の防衛であった。

 だが、昌景は城に立てこもらずに城外に布陣する。

 今川家が道々行っている乱取り(略奪)、焼き打ちは耳に入っている。

 信じがたいことながら、田畑に塩をまいて回っているとの報告すら届けられている。城に立てこもれば、その間に周辺の農地すべてが塩で犯されかねない。



 普通の軍ならそんなことは決してすまい。

 だが、今の今川軍は何をするか分からないという薄気味の悪さがあった。この相手に篭城は下策と昌景は判断したのである。

 そして、今川軍と衝突して間もなく、昌景は自らの考えが間違っていなかったことを確信した。



「ちィ! これは死兵というやつじゃな、志をもって将兵に死を忘れさせる者は名将なれど、さて、今川氏真は名将なりや?」



 目を血走らせて襲いかかってくる今川兵の勢いに抗しきれず、武田の第一陣はたちまち食い破られ、第二陣も後退を強いられる。

 昌景は無理に敵の勢いに逆らおうとせず、たくみに中軍を下げつつ、左右両翼から弓矢を浴びせて敵の勢いを削ぐことに努めた。



 これに対し、今川軍を率いる朝比奈泰朝は多少の損害に構わず、ひたすら中央を突き進んで武田軍を左右に分断しようとはかる。

 兵力に優る今川軍だからこそ可能な力業。

 敵将の意図を悟った昌景は、不敵な笑みを浮かべて采配を握り締めた。



「数に劣る敵を更に二つに分断して各個撃破。さすがは朝比奈殿、兵力に優ることの利をようわかっておる。だが、この山県昌景、御館様より重臣筆頭に任じられた身。そうやすやすと陣を破られては、若い者たちに示しがつかぬでな!」



 今川軍一万五千、武田軍五千。

 数にまさる今川軍が強硬に突破をはかるのに対し、武田軍は昌景直属の本隊が前線に出て、真っ向から今川軍の猛攻を受け止める。

 昌景は巧みに弓射と槍撃を反復させ、今川軍に突破を許さない。



 朝比奈勢の苦戦を見た岡部元信は、手勢を率いて戦場を迂回しようと試みた。

 精強を誇る武田軍といえど、後背をやくせば動揺を禁じ得ないであろう。

 それに、もう一つ別の狙いもある。



「ここまでに姿を見せた武田の兵は弓に槍――この戦に武田が誇る馬がいないとは考えられぬ。いずれかに伏せてあるは必定。今のうちに巣穴からいぶし出しておくとしよう」



 今川軍が大きく動けば、武田軍も隠していた兵を出さざるを得なくなる。

 山県昌景率いる武田軍はおおよそ五千。となれば、伏せている騎兵は多くて二千というところであろう、と元信は予測した。



 岡部元信はこれに倍する四千の人数を動かした。

 今川軍の最小行動単位である伍の長たちには、騎兵と戦う際にはまず馬を狙えと徹底させている。

 馬の足を奪った上で、落馬した武者を押し包んで討ち取れば、いかに武田兵が精強でも必ず勝てる。そうして主力である騎兵を潰せば、他の武田兵は意気阻喪するに違いない。



 この岡部元信の読みは正鵠を射ていた。

 武田軍は確かに二千弱の騎兵を切り札として伏せていたのである。

 山すそから姿を現したこの敵部隊を見た元信は、ただちに麾下の兵に迎撃態勢をとらせた。

 そうして、これを壊滅させるべく采配を揮った――否、揮おうとした。

 だが。




 二千の騎馬が、八千の脚をもって大地を蹴りつけて殺到する。

 地軸を揺るがす鉄騎の海嘯かいしょうを前にして、今川兵の間から動揺の陽炎がたちのぼった。

 今日まで甲斐国内で相手にしてきた騎馬部隊は数十がいいところ。

 文字通り桁違けたちがいの数の騎兵が疾駆してくる迫力は、恐怖によって統制された今川兵さえ怖気づかせた。

 それと悟った岡部元信が声を嗄らして部下を鼓舞する。



「落ち着け! 伍列を崩すな! 槍先をそろえよ! 敵はこちらの半数にも満たぬ寡兵ぞ! 訓練どおり馬を突き、地に落ちた兵を討ち取ればよいのだ! 騎兵ひとりの首は十の足軽に勝る。手柄を立てるは今をおいて他にないぞ!」



 逃げれば妻子眷族にまでとがが及ぶ――そう言って叱咤することもできたが、それは元信にはできないことだった。

 ゆえに褒賞を弾むと口にして、欲によって兵の怖気心を払い落とそうと試みる。

 偽りを口にしたわけではない。ここで敵の騎兵を打ち破れば、この戦いはもらったも同然だ。

 いかに山県昌景が名将であろうと、三倍の敵の猛攻に長時間耐えられるものではない。



 そうして昌景を破れば、後は一気呵成。下山城を落とし甲府へ、そして躑躅ヶ崎館へなだれこむ。

 武田晴信の首級をあげることも決して不可能ではないだろう。

 そうなれば重賞が授けられるのは間違いない。

 それは確かであった。




 ――だが、それは。

 ――ここで騎馬部隊を撃破できればの話である。




 二千を越える騎馬部隊、その先頭を駆けるのは、こと突破力においては武田軍最強を誇る剛武の将。

 黒糸くろいとおどしの胴丸具足を身に着けた姿は、異称たる「夜叉やしゃ」のごとき迫力をかもし出し、爛爛らんらんたるまなこには溢れんばかりの戦意が躍る。

 馬上、りゅうりゅうと槍をしごいた馬場信春は、恐れる色もなく今川兵に向けて大音声だいおんじょうをあげた。



「原虎胤(とらたね)殿より譲り受けた我が官位は美濃守! 『夜叉やしゃ美濃みの』の衣鉢いはつを継ぐは我にあり! 武田晴信が臣、馬場美濃守信春、ここに見参!!」



 雨あられと降り注ぐ今川軍の矢石をものともせず、名乗りを終えたその時には、信春の身体は愛馬と共に今川軍の只中にあった。



「おおおおおおッ!」



 雄たけびと共に信春が槍を繰り出すつど、その穂先には必ず鮮血が糸を引いていた。

 群がる今川兵は指示どおり信春の馬を狙おうとするが、目にも止まらぬ速さで繰り出される槍先によって、たちまち五人、十人と討たれて思うにまかせない。

 なおも群がろうとする今川兵に対し、信春は小枝のごとく槍を振り回して右に左に雑兵をなぎ払い、突き殺し、叩き伏せる。

 軍馬もまた主にならって吼え猛り、猛然と地を駆けて、敵兵を馬蹄にかけて蹴散らしていった。



 夜叉美濃が進むところ、草も木もみな朱に伏し、その猛威に恐れをなした今川兵はなだれをうって後退する。

 馬場信春の勇武は、甲斐はおろか東国全土を見回しても屈指の域に達している。

 どれだけ今川軍が軍法で兵士を縛ろうとも、人としての根源的な恐怖を消せるものではなかった。



 しかも、信春は個の武勇のみに頼って戦っていたわけではない。

 自ら切り開いた敵陣の穴に部下を差し招き、さらに穴を広げにかかる信春。岡部元信はそれをさせまいと兵を動かすが、混戦の中でもよく部下を掌握した信春は、右に左に騎兵を動かして、今川軍に反撃を許さない。

 武田晴信が重用する猛将は、衆に優れた武勇を霞ませるほどに、軍将としての才幹に恵まれた人物であった。



 二千の騎兵は水を得た魚のように激戦の中を駆け回り、着実に今川兵を追い詰めていく。

 ついには敵陣の真っ只中で陣形らしきものまでつくりあげ、馬首を揃えて猛然と突進を開始した。

 その向かう先には岡部元信率いる直属部隊の姿がある。

 馬場隊の突進を受け止めた元信は、必死に敵の猛攻を防ぎ続けたが、信春の鋭鋒は元信の予測を越える鋭さで今川軍を切り裂いていく。元信の指揮をもってしても、兵の混乱と動揺を抑えきれない。それどころか――



「そこにいるのは敵将 岡部元信殿と見受けた!」



 槍を構えた信春は、すでに元信を指呼しこかんに捉えていた。



「敵将に一番槍をつけることこそ武士の誉れ。その首級、頂戴いたす!」



 信春の鋭気を真っ向から受け止めながら、元信は余裕をもって莞爾かんじと笑ってみせる。



「見ろや、者ども。あれが『不死身の鬼美濃』ぞ! 討ち取れば大手柄間違いなしよ!」

「約をたがえ、民を害する今川は非道にして無道のやから。弓矢八幡の加護なき者は、この身に傷を負わせることあたわず! いざ参る!」

「約を違えた武田が我らを非道とののしるは笑止千万! この戦は我らが姫の仇討ちよ! ああ、いまわしや、武田の犬め! その首たたっ斬って晴信めに送りつけてくれる!!」



 愛馬をあおって突進した信春の槍が、閃光のごとく元信の喉もとに迫る。

 そのまま穂先が首筋を貫くかと思われた瞬間、元信の槍が鋭く動いて信春の槍を弾き飛ばした。



 元信のそばを走りぬけた信春は、素早く馬首を返して再び元信に突きかかる。

 元信も巧みに馬を操り、次の攻撃も真っ向から弾き返す。

 だが、今度は完全に弾くことはできず、元信の頬に赤い線が走った。

 一合、二合、三合、四合、五合。

 繰り返される激突は容易に決着がつかず、槍と槍が交錯する音と二人の武将の激しい息遣いが周囲に響く。



 一見いっけん互角に見える勝敗の天秤。

 だが、秤は少しずつ、けれど確実に信春の側に傾いていた。



 頬に、首に、手の甲に、槍を受けた元信こそ、誰よりそのことを理解していた。

 そして六回目の激突。

 信春が槍を突きこみ、元信がこれを弾き飛ばす。これまでどおりの激突であったが、追い込まれているという認識が元信に焦りを生じさせたのだろう、信春の見せた単純なフェイント――ひとたび突き出した槍を直前で引っ込めて再度突き出す――に引っかかってしまい、右肩に槍の一撃を受けてしまう。



 右の肩当が弾け飛び、元信の口からうめき声がもれる。

 確かな手ごたえを感じた信春は、素早く槍を引き抜き、ここを先途と元信の喉元を貫こうとした。

 元信はのけぞるようにして、かろうじてこの一撃を回避する。

 だが、これで完全に体勢を崩した元信は、続く第三撃を回避できず、太ももに更なる傷を負わされてしまう。



 元信の顔が大きく歪んだ。

 肩口の傷は致命傷ではないが、決して浅くもない。槍を持つ右の腕に、痛みと痺れが交互に走る。

 くわえて太ももの傷だ。槍先がかなり深く差し込まれた。馬を操るたびに激痛が走る。

 これでは一騎打ちの激しい動きに耐えられない。



 そんな元信の状態を信春は正確に見抜いていた。

 今度こそ敵将を仕留めんと七度目の激突に移ろうとする。



 だが、ここで元信の馬廻衆が両者の間に割って入ってきた。

 これまで馬場隊に遮られていた数名が、身を挺して元信の前に槍衾やりぶすまをつくりあげ、主将を後方へ退かせようとする。



「元信様、お早く!」

「……すまぬッ」

「なんの。元信様なくば、今川の復権はなりませぬ。ここは我らが防ぎましょう」

「任せたぞ。だが、死んではならん。命令ぞ、忘れるな!」

「御意――しかし、果たせざる時はご容赦をいただきたく」



 そう言うや、元信の側近は矛先を揃えて信春に向かって挑みかかっていった。

 元信は奥歯をかみ締めながら、彼らの背から目を引き剥がし、馬首を転じて後方に下がる。

 部下を犠牲にしたと後ろ指さされようと、ここで死ぬことはできない。絶対にできないのだ。



 この元信の後退により、武田軍は更に勢いづいて攻勢を押し進める。

 今川軍は驚異的な粘りを見せて、なおも半刻近く持ちこたえたが、そこで限界が来た。

 馬場信春の猛攻によってついに崩れたった岡部隊四千は、五百近い死傷者を出して退却する。



 これを受け、競り合いを続けていた朝比奈泰朝と山県昌景も、日没を前にして互いに兵を退いた。

 この一連の戦によって、今川軍の進撃は遮られたが、武田軍が今川軍を圧倒するまでには至らず、下山城周辺に展開した両軍は一進一退の攻防を繰り広げることになる。





 同じ時刻。

 別方面から甲駿国境を突破した今川氏真は、甲斐東南部の武田家の拠点 吉田城を陥落させる。

 これによって甲斐国内に拠点を得た氏真は、本格的に甲斐東部の攻略に着手。

 平行して、御坂峠を利用した奇襲作戦の準備に取りかかっていた……



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