第七十二話 『今正成』
鮫ヶ尾城に入るにあたり、俺は景虎様から二百人の兵をあずかった。
率いる武将の名は堀江宗親。以前は景虎様の馬廻を務めたこともある勇猛な武人である。
これは俺の部下というより、城の守備兵力を景虎様から借り受けた形だった。
言うまでもないが、本来なら城の守備兵も俺がそろえなければならない。
だが、なにしろ急な人事であったし、家臣といえば弥太郎と段蔵ほか十名ちょっとしかいなかった俺が、急に何百という兵士を集められるはずもない。
まあ、赴任した先で働き盛りの領民をかき集めれば、数だけそろえることはできるだろうが、そんな兵士を城に篭めて、武田に城を落とされてしまっては目もあてられない。
なので、しばらくは堀江宗親率いる二百名に城の守りを委ね、その間、俺は自前の戦力を整える。
そうして、折を見て堀江隊を景虎様のもとに返すことになるだろう。
ちなみにこの宗親、二十七、八のいかにも血気盛んな青年武将であり、改修前の鮫ヶ尾城で城代を務めていた、いわば俺の前任者だ。
当然、鮫ヶ尾城や周辺の土地のことは詳しく知っている。景虎様もそのあたりを見込んで俺につけてくれたのだろうが……うん、まあ、向こうにしてみれば自分より七つも八つも年下の若造に地位を奪われたのだから、面白くないわな。
俺への態度はとてもそっけなかった。
自分は城代(城主代理)だったのに比べ、俺はれっきとした城主であり、頚城平野の豊穣な土地を我が物としている。そこらへんの嫉妬もあるらしく、目つきが怖い怖い。
景虎様ももうちょっと考えてほしい――と言いたいところだが、冷静に考えれば、これまで周囲の人間のほとんどが俺に好意的だったのは稀有な幸運だったのだ。これから先、俺に隔意を持つ上司、同僚、部下など掃いて捨てるほど出てくるだろう。
今回の人事は今後に備えた訓練だと思えば身も引き締まる。俺は景虎様に不平を言う前に、いかに堀江隊を掌握するかについて考えるべきだった。
……ああ、たぶんこれ、政景様の思惑が絡んでるな。もしかしたら直江景綱あたりも一枚噛んでいるかも。
まあいい。別段、角つきあわせる必要もない。城の防備については全面的に丸投げもといお任せしよう。
ただ、俺への敵意が高じて武田に寝返られたりすると困るので、そこらへんは注意しておく。
俺の住居についてだが、北国街道沿いの屋敷を借り受けることに決まった。
といっても俺の要望ではなく、あらかじめ用意されていたのである。、
これに関しても景虎様の助力があり、蔵田五郎左衛門という商人が取り計らってくれた。
この五郎左衛門、上杉家の正式な臣下ではない。
蔵田家は越後の青苧座を統括する大商人であり、五郎左衛門は蔵田家の代々の当主が襲名する通り名であるそうだ。
景虎様が俺と五郎左衛門を引き合わせたのは、今後何かと関わり合いが増えると考えたからであろう。領主となれば金銭の工面は避けて通れない道である。
一方、五郎左衛門の方は、城主となった俺と面通しをしておくことに意義を認めたのだと思われる。
屋敷の借り入れに関してもかなり便宜をはかってもらった。具体的にいえば、最低でも三十貫はかかったであろう借り入れ&清掃費用が十分の一以下におさまった。
屋敷は隅々まで綺麗に掃除されており、塵一つおちてない。井戸も綺麗に整備されており、蔵には米と野菜が詰まっている。今日から暮らすこともできそうだ。
さすがは大商人、やることにそつがない。
なお、今代の五郎左衛門は見た目五十代前半の、精力的な男性である。いかにもやり手の商人といった風体で、髪もひげも黒く艶々しており、白髪の一本も見つからない。
実際の年齢はといえば、六十五だというから驚きだ。
一目で相手を怪物だと見抜いた俺は、自分には勝ち目がないと判断し、こちらも怪物を送り出すことにした。
出番だ、十兵衛あらため大久保長安! まだ大久保じゃないけれども!
「お初にお目にかかります! 加倉家の財政をあずかる大蔵長安と申します!」
肩に仔猿を乗せた十代半ばの少年が元気よく挨拶したとき、百戦錬磨の商人がはっきりと絶句したのが分かった。
ふ、奇襲成功。
内心、してやったりとほくそ笑んでいると、五郎左衛門が当惑もあらわに口を開いた。
「加倉様。この子供――いや、失礼、この御仁はいったい?」
「先ごろ当家で召し抱えた者です。今、当人が申したとおり、今後金銭の用はこの長安があたりますゆえ、よろしくお願いいたす」
「は、はあ……あの、失礼ですが、大蔵殿はおいくつで?」
「十五になります!」
「……さ、さようですか。いや、こちらこそよろしくお頼み申す」
ひきつったような笑みを浮かべる五郎左衛門と、天真爛漫な笑みを浮かべる長安の対比はなかなかに面白かった。
この怪物商人の相手は長安に任せれば大丈夫だと確信する。
さて、現在の我が加倉家の陣容をまとめておくと、以下のようになる。
直臣 小島弥太郎
加藤段蔵
大蔵長安
他十名
寄騎 堀江宗親(兵二百)
他十名というのは関川戦後、弥太郎と共に士分にあげられた元農民たちである。
実質的に弥太郎の部下ということになるが、関東での戦いなどでは俺の馬廻――主君の周囲を守る側近――としての役割を務めてもらった。
段蔵に関しては軒猿が三十名くらい従っているのだが、段蔵本人はともかく、この軒猿たちは仕事に応じて金を払う形で雇っているので直臣とは言いがたい。
堀江宗親に関しては、前述したように春日山からの出向組である。
最後の一人、大蔵長安であるが、これは先ごろ知り合った猿楽師の十兵衛少年である。
大蔵十兵衛長安、後に天下の総代官と言われたあの大久保長安。
そうと知ったとたん、俺がわき目もふらずに勧誘に走ったことをいったい誰が責められようか。
あらこんなところに牛肉(松坂牛霜降り)が♪ という感じだった。
なお 大蔵という姓、長安という名については、件の芸の後に本人があっさり教えてくれた。
父と兄が武田家に仕えていることも、だ。
別に隠しておくことではなく、間諜を疑うならただちに越後から退去するという。
そう言ったときの長安は、元気と人当たりの良い猿楽師の少年ではなく、世俗を離れた隠士のごとき表情をしていた。こちらを試す眼差しの奥には、年経た老人のような老獪さと底意地の悪さがうごめいている。
はじめ、俺はこちらが長安の本性で、猿楽師としての姿は世を忍ぶ仮の姿というやつか、と考えた。
だが、話していくうちに気づく。
きっとどちらも仮面だ。長安は能の演者が舞台ごとに仮面を変えるように、その場その場で相手に異なる面相を見せる。必要とあらば女方(女性役をつとめる男性)を演じることもできるに違いない。
はじめて出会ったときに感じた底知れない感覚、男とも女ともつかない不思議な表情の理由がようやく理解できた気がした。
――まあ、それはそれとして勧誘だ!
というわけで、以下はそのときのやりとりである。
「いかがでしょう。春日山城へ案内していただくか、信濃へ追い返すか。いずれでも僕はかまいませんよ?」
「実はつい先日、俺は景虎様から鮫ヶ尾城と五百貫の領地を賜った」
「…………は、はあ。それはおめでとうござい……え、城主様なんですか? 五百貫って、もう普通に重臣では……?」
「というわけで、四百貫でどうだろう?」
「……? どうだろう、というのはどういう意味でしょうか?」
「君を四百貫で召し抱えたいがどうだろう、大蔵十兵衛長安殿、という意味だ」
「………………………………ええと、僕をからかってます?」
「む、四百貫ごときではとうてい足りないと? たしかに本来なら四百どころか四千貫を出しても足りぬ大才。しかし、ない袖は振れない。やはり石田三成の故事にならって五百貫すべて差し出し、俺は長安の屋敷に居候させてもらうべきか……いやいや、それでは弥太郎たちの俸給が滞ってしまうし……」
「あ、あの、相馬様。その石田さんがどなたかは存じませんが、私なら俸給なしでもかまいませんよ? 今までいただいた分で十分すぎるくらいですし」
「右に同じ、です」
「おお、よく言ってくれた弥太郎、段蔵。冷静に考えてみたら、関東戦でもらった報奨金はまだ手付かずだし、今日までの俸給で使わずにとっておいた金もある。当面の間は何とかなるだろう。よし、長安殿。我が知行五百貫のすべてを差し出そう。これをもって我が配下となってくれまいか?」
「………………あの。僕、人の言葉の真偽を見抜くのは得意なのですが…………本気で言ってますよね、あなた」
「徹頭徹尾、本気です」
「………………………………」
こんな感じのやり取りの末、長安は俺の配下に加わってくれた。
やはり物事は誠意とお金だな!
この後、金策に走らないといけないところが頭痛いけど!
とりあえず直臣分の俸給は絶対に確保しなくてはいけない。
商人からの借金は駄目。首がまわらなくなる未来が目に見えている。
領内で金山か銀山でも見つからないかしら。Please more money!
しかし、あれだ。城主になってからというもの、事あるごとに頭の中が金、金、金状態になる。
越後や関東の国人衆もこんな感じなんだろうか。
今までは主家のことを考えない厄介者という目で彼らを見ていたが、同じ立場になってみると色々と思うところもある。
中央集権。国人衆の勢力をけずって上杉家の支配力を高めるということは、今現在の彼らの収穫や資金源を奪って上杉家のものにする、ということを意味する。
――そりゃ反発も反抗もしますわな。
俺のような新米領主とはわけが違う。国人衆は何年、何十年、それこそ父祖以来、何百年とその地を守り抜いてきた代々の支配者なのだ。
相手が主家だからといって、ほいほいと利権を手放せるものではない。
国人衆にしてみれば、利権を奪おうとする主家は敵と何も変わらない。忠誠を尽くす義務なんてないわけだ。
ううむ。そうなると、やはりまっとうな手段で中央集権を達成することは困難か。
反抗を許さない武力を背景に、強引に事を進めるのが一番手っ取り早いが、それをすると国人衆の不満は天井知らずに跳ね上がるだろう。
もういっそのこと、国内の国人衆問題には手をつけず、敵国を奪って、そちらを直轄領にして上杉家の力を高めていった方が得策かもしれん。
領土欲しさに他国に攻め込むなんて景虎様が許すはずもないが、向こうから攻撃され、反撃する形ならきっと大丈夫。ちょうどいいことに春日山城は信濃とか越中とか敵対的な隣国がすぐ近くにあることだし――
……あれ? 金策を考えていたはずなのに、いつのまにか内容が上杉家の今後の戦略にすりかわっていた。
どうも城主になってから思考がとっちらかってしまう。
そんなことを考えて首をひねっていると、不意にくいくいと袖を引かれた。
見れば、無表情の長安がじっと俺を見上げている。
どうやら蔵田五郎左衛門との話は終わったらしい。
「……主。金を稼ぎたいのなら良い考えがある」
「当たり前のように心を読むのはやめたまえ。で、良い考えというのは?」
「……春日山、府中、直江津。近隣の三つの町で新しい催しをする」
「おお! たしかに長安が猿楽をすれば簡単に人が集まりそうだな!」
出会ったときのことを思い出してぽんと手を叩く。
ちなみに、春日山=春日山城周辺の城下町、府中=以前に上杉定実様の屋敷があった関川西部の町、直江津=関川東部の港町、である。
距離が近いので、俺などはいっしょくたに城下町扱いしているのだが、長安は三つの町と認識しているようだ。
ともあれ、そういった大きな町で猿楽を行い、金を稼ごうというアイデアなのだろう。
あの日に見た長安の手際を思い出せば、かなり良い案ではないかと思えたが、意気あがる俺に対し、長安はそうではないと言いたげに首を左右に振った。
「……演じるのは猿楽ではない。もっとこの地の民が食いつく題材がある」
「ふむ? その題材というのは?」
「主」
ぴしっと指を指された。
つぶらな黒い瞳がじっと俺を見つめる。肩口まで伸びた髪を頭の後ろで団子状に結わえた今の長安は、かぶき者の衣装は着ていない。あれは客寄せ用の衣装らしく、今の装いはごく普通のものだ。
ただ、性別不詳の麗顔はそのままなので、じっと見つめられるとちょっと照れる。
あと、なんで長安は俺と向かい合うと、とたんに無表情になるのだろう。話し方も違う。無口というのではないが、必要なこと以外まったく話さない感じ。
さっき五郎左衛門と話していたときは、表情豊かにハキハキ喋っていたというのになあ。
これもまた長安が持っている『仮面』の一つなのだろうか。
まあ、それはともかく、催しの題材が主というのはどういうことだ?
「……題して『今正成』。忠臣、猛将、暗君、聖将の入り乱れる一代歴史物語。満員御礼間違いなしと太鼓判を押す」
「却下!」
「なにゆえ?」
「どう考えても俺が悶絶する未来しか見えないからだよバカ野郎!」
「しかし、すでに小島と加藤からは賛同と協力を取り付けている。あと先ほど、蔵田に三つの町における舞台の確保も頼んでおいた。とても乗り気。評判次第では人員、道具、金銭の援助も考えると」
「いつの間にそんな話を!?」
手際よすぎィ!
あとそこの二人ィ!?
「あ、あ、あの、ぜひとも相馬様が主役のお芝居を見てみたいなと思いまして! 楽しみです!?」
「軒猿は他領に潜入する際、漂泊の民に扮することもあります。さすがに本職には及びませんが、役者がそろうまでの繋ぎと考えれば十分でしょう。必要な元手はわずかなれば、たとえ舞台が失敗に終わったとしても被害は些少。逆に当たれば大儲け。やらない理由はありません」
「いや、でもですね……」
「もちろん、主様が断固拒否するというのであれば、臣下として否やはございません。ですがその場合、満員御礼確実の一代活劇『今正成』にまさる金策を提示していただかないことには、納得ができない者もいるかと存じます。そうではありませんか、所領すべてを新参の家臣に捧げた主様?」
「ぬぐぅ……!」
それを言われると反論ができない!
ぐぬぬと唸っていると、段蔵がくすりと笑って付け加えた。
「冗談です。加倉様がそこらのかぶき者よりよっぽどかぶき者であることは、初めてお会いしたときから承知していますので」
「加藤、良いことを言う。かぶき者よりかぶき者。この台詞は芝居の中に取り入れるべき」
「言われずともそのつもりです。言っておきますが、今日まで加倉様の人を見る目が外れたことはありません。最初の例にならないよう気をつけてくださいね」
「言われずともそのつもり」
段蔵との間に線香花火のような小さな火花が飛び散る会話を交わした後、長安はあらためて俺を見た。
「主、誤解のないように言っておく。今回のことは、主の羞恥心を刺激して、もだえさせるための罪のない悪戯などではない」
「……ま、まあそりゃそうだろうな」
「その意図がまったくないとは言わないが」
「うぉい!?」
「僕の目的は、加倉家とは何ぞや、ということを世間に知らしめること」
さらっと妙な発言を織り交ぜつつ、長安は口を動かす。
弥太郎が首を傾げつつ問いかけた。
「えっと、お芝居にして相馬様のお名前をもっと広めるってこと、かな?」
「正解。ただ、それがすべてではない。小島の言うことを一とすると、二がある。二は金を稼ぐこと。そも、越後の青苧のように、猿楽にも座は存在する。どこでも好きなように興行できるわけではない。その点、主が自分の配下に己の活躍を演じさせることは誰の権利も侵さない」
「そう聞くと、俺がものすごい目立ちたがり屋みたいに聞こえるんだが……」
「些細なこと。話を続ける。通常、新参の集団が大規模な催しを行えば、土地の顔役や無頼者、商人などが顔を出して利益を掠め取ろうとする。開催までこぎつけることも難しい。けれど、主は上杉の重臣。そこに大商人である蔵田の名があれば、たいていの厄介事は避けることができる。これは大きな、本当に大きな利点」
かつて父兄と共に諸国を流浪していた長安の言葉は実感にあふれていた。
「催しの中身については僕がいるから問題ない。芸とは枯れることのない富の鉱脈。一度名声を博すれば、日に何度も、月に何日も興行できる。人が集まらなくなったら町をかえ、また最初から繰り返す。主が活躍するたび、新しい内容が増えていくから飽きられることもない。まさしく金の成る木。これを二とすれば、三がある」
「三? 金を稼いだ次の段階ってことか」
「そう言った。三とは稼いだ金をさらに増やすこと。演芸という資金源を元手に越後の商人から資金を借り入れる。これを三とし、次は四。治水工事を行う。矢代川、関川、この二つの暴れ川を制すれば、加倉家の収穫量は倍にも三倍にも膨れ上がる。僕は甲斐で晴信様の治水を学んでいるから、あれを取り入れたい」
そのためには多額の金が――それこそ五百貫など及びもつかない天文学的な額が必要になる。
はじめからそれだけの額を借りようとしても、越後の商人たちが耳を傾けるはずがない。治水に関しては商人にも利があるが、なにせ加倉家にも長安にも実績がない。貸したはいいが失敗しました、では商人たちの丸損だ。誰もが金の貸付を断るだろう。
だから長安は加倉家の資金源として演芸を作り出そうとしている。
仮に治水工事に失敗したとしても、後々貸した金が帰ってくる(もちろん利子付きで)目処が立つのであれば財布の紐も緩むというものだった。
「主。金の問題だけではない。演芸という資金源を得るということは、それだけ多くの催しを成功させたということ。ひいては多くの人間を動かした実績をつくったことを意味する。客だけではない。舞台をつくるための人足、職人。彼らの食事を用意する町の女房衆。食事の材料を運ぶ農民。客目当てで集まる商人たちの取りまとめもいる。そういった多くの人を動かした実績を加倉家は手に入れる。これが治水工事でも生きてくる」
長安がとうとうと語っていく。
視界の端で、弥太郎がひそひそと段蔵に話しかけていた。
「……ええっと、段蔵、どういうこと?」
「要は信用ということです。たとえば治水のための人手を集めるとしても、信用のあるなしで人の集まり具合は大きく異なってくるでしょう。仮の話ですが、一日百文の人足募集が二件あったとして、日ごろからそういう募集をしている家と、名前を聞いたことのない家では、たいていの人間が前者を選ぶでしょう。何度も募集しているところは、それだけ手順、手際が良いですし、賃金の不払いといった問題も起きにくいですから」
「ああ、そっか!」
弥太郎たちがそんな話をしている間にも長安の言葉は続いていた。
「治水工事に関しても僕が指揮をとるから問題ない。これで四が終わって、最後に五。最初に言った。加倉家とは何ぞや、ということを世間に知らしめると。ここに至れば誰もが知る。加倉家は芸事に通暁し、民政に通暁し、軍事に通暁した家である。それこそ加倉相馬が興した家であると。僕は五百貫の対価として、この名声を主に捧げる。すべては僕を認めてくれたあなたのため」
長安が頭を下げると、その足元で仔猿もぺこりと頭を下げた。
……おお、悪ふざけと思っていた演劇『今正成』が思いもよらない未来に結びついたぞ。すごいな、長安。
いや、もちろん演劇のえの字も始まっていない現時点では、すべて捕らぬ狸の皮算用ということは分かっているのだが、なんというか、長安の言葉を聞いていると、あたかもすべてが確定した未来を語っているように聞こえるのだ。
これ、五百貫どころか五万貫積んでも惜しくない人材だろう。
さすがは未来の大久保長安、天下の総代官だ……!
――と、感動に打ち震える俺。
ここで終わっていればめでたしめでたしで済んだのだが、長安の言葉には続きがあった。
「――というわけで、主。『今正成』の稽古をしよう」
「…………稽古?」
「そう。現状、役者が足りない。加藤の配下を使うにしても、最初の芝居には目玉となる華が欲しい」
「……たとえば本人出演とか?」
「さすが主。加倉相馬は鎧兜を身につけずに戦場に立つと聞く。その心意気をもって舞台に臨んで欲しい」
「……おっと、急に用事を思い出し――」
「申」
「キキッ!」
「あ、こら申、おま、肩に乗るな、目をふさぐな!? そしてがっしりと俺の腕を掴んでいるのは弥太郎だなてめ!?」
「だ、大丈夫ですよ、相馬様! 話を考えているのは段蔵なので、きっとカッコいい場面がたくさんあるはずです!」
「よけい嫌だわ! というか段蔵が脚本か!? さっきからそれを匂わせる発言はしてたけれども!」
「上演と同時に『今正成』を軍記物の本として売り出す予定です、主様。これもまた加倉家の金策の一環。少しでも収入を増やす苦肉の策とおぼしめしください」
「精神に致命傷を負わせる策はやめてくれませんかねェ!?」