第七十一話 天才
「さあさお立会い、お立会い。御用とお急ぎでない方は、どうぞご覧になっていってくださいな」
朗々とした十兵衛の声が北国街道に響き渡る。
少年のものとも、少女のものともとれる不思議な声音。
並の者なら街道の賑わいに遮られまいと、むやみに声を張り上げるところだが、十兵衛はそれをしない。時に高く、時に低く、陰影に富んだ十兵衛の口上は、喧騒をたやすく貫いて聞く者の耳にすべりこむ。
そのふくよかな響き、声の使い方はそれだけで一個の芸たりえるだろう。、
前口上など誰が口にしても変わらないとうそぶく者は、今の十兵衛を見ておのが不明を恥じるに違いない。
「手前、大道に未熟な渡世をいたすといえど、投げ銭、放り銭はいただかないよ。しからば、なにを稼業にいたすのか。それは――これだ!」
とん、と十兵衛が持っていた杖で軽く地面を突くと、心得た仔猿が十兵衛の身体をするすると駆け上がり、頭の上に立って華麗に逆立ちをしてみせる。
「この仔猿、名を申と申すが猿にしては然る者で、かように人語を聞き分ける。さてこの申め、戦の絶えぬ人の世を見て申します。かかる末世にみきりをつけて、山に去るのは容易だが、それでは猿の名折れであると。こうして大道に出でて芸を凝らし、わずかなりと人々に笑顔をもたらすがわが使命と語る申こそまさに人中の竜、もとい猿中の竜と申せましょう。この申めの心意気に免じ、どうかお立会い、暫時足を止めていただきたい――――ありがとうございます! さあ申よ、お立会いが足を止めてくだすった。今こそお前の猿芸を皆様に――――なに、さっきからさるさるうるさい? 猿の名前が申ではまぎらわしい、だと?」
十兵衛がびっくりしたように目を丸くすると、頭上の猿がくるりと背を向け、呆れたようにぽりぽりと尻をかいた。
見物人の間から笑い声がこぼれる。
実際には十兵衛は「猿」と「申」で明確に発音を変えているので、聴衆にとって区別するのは簡単だった。
ここから十兵衛と申の掛け合いはさらに軽妙になっていく。
往古、猿楽とは申楽、すなわち『申』に示す『楽舞』であった。
ここでいう申とは動物の猿ではなく、自然現象としての稲妻を指す。雷を神鳴りと表記することがあるように、古来より稲妻は恐るべき神の怒りをあらわす天災と考えられてきた。
そんな荒ぶる神の怒りを鎮めるための神楽舞。それこそ猿楽(申楽)の原点なのである。ゆえに十兵衛は猿に申と名づけたのだ――そんな内容を巧みに、滑稽に、真摯に語っていく。
いつか人々はその語り口に呑まれ、笑いと感嘆の声が風に乗って北国街道を流れていった。
後から来た者は何の騒ぎかと足を止めて聴衆に加わり、膨れ上がる聴衆を見て、また別の者が足を止める。
十兵衛が退いて、次の漂泊の民が進み出る頃には、集まった人々の数は百や二百ではきかなくなっていた……
◆◆
十兵衛――大蔵十兵衛長安は天才である。
少なくとも、父や兄からはそう言われて育った。
一を聞いて十を知るとはそなたのことを言うのだろう、と。
実際、長安の才は図抜けていた。
大蔵家は代々猿楽師を輩出してきた家柄であり、長安も例にもれずに猿楽師の道を歩み、父兄を驚嘆させる才を示す。
神楽を原点とする猿楽は、時代が下がるにしたがって求められる役割も変化してきた。
寺社で舞を奉納することもあれば、公家や武家の前で芸術として舞を披露することもある。今のように猿回しで庶民の笑顔を引き出すことも立派な猿楽の一つである、と長安は考えている。
他方、長安の父 信安は公家や武家に向けた猿楽を志向しており、己の技芸を買ってくれる大名を求めて諸国を巡った。
そうして先年、信安はめでたく武田家に召し抱えられるに至る。
兄 新之丞と長安も猿楽師として武田家に仕えることになったのだが、ほどなくして大蔵兄弟は武田晴信に有能さを見出され、家臣として仕えるようにすすめられる。
このとき、新之丞は誘いに乗ったが、長安は仕官を辞退して父と兄を驚かせた。
それでは父のもとで猿楽を極めるつもりなのかと思えばそれもしない。
長安が次にとった行動は、父に諸国流浪の許可を求めることであった。
これに信安は激怒した。
お前はいったい何がしたいのだと鬼面のような顔で問いただした。
戦乱の世にあって、猿楽師を道化者扱いして見下す者はめずらしくない。
生きることだけで精一杯な者たちが、芸術を観賞する余裕を持てるはずもない。技芸を売って糧を得る漂泊の民の社会的地位の低さは、そういった蔑視偏見の端的な証左である。
諸国を流浪した経験を持つ大蔵一家は、そういった現状をよく知っていた。
信安の願いはこの現状の変革である。具体的にいえば、芸術家の地位の向上だ。
もちろん自身の名声や流派の興隆といった野心もあるが、胸の底には常に猿楽に、ひいては芸術に対する愛情が脈打っている。
武田家に仕えたことで、ようやく目的への手がかりを掴んだ思いの信安は、わが子が今の恵まれた境遇を歯牙にもかけず、再び流浪の旅に出ようとしていることがまったく理解できなかった。
武田家で栄達するために猿楽師の道を諦める、というならまだ分かる。
武田家の当主晴信は英明であり、若年の武将も多く活躍している。長安であれば、いずれそういった武将たちの一員として大いに名声を博するであろうという期待も持てる。
だが、長安は晴信の誘いを断った。
とるにたらない猿楽師の子供が、武田家当主の誘いを蹴ったのだ。
不敬者として処罰されても何らおかしくはない愚挙であり、その場に居合わせた信安の肌着は、あふれ出る冷や汗を吸って重く湿った。
幸いというべきだろう、晴信は寛大にも長安の無礼をとがめずにいてくれた。
胸をなでおろした信安は、このとき、わが子が猿楽師としての道を歩むことを望んでいると早合点する。
武田家で栄達する好機をふいにする理由が、他に思いつかなかったからである。
だが、その長安はためらう素振りさえ見せず、流浪の旅に出ることを願い出てきた。
信安が怒鳴りつけたのも無理からぬことと言わねばなるまい。
いったい長安は何を考えていたのか。
長安の心情を端的に述べれば、鶏口牛後、であったろう。
大蔵十兵衛長安は天才である。
父や兄からそう言われて育ち、長安自身もそれを自覚するようになった。
そして才能とは、それを発揮する場を求めるものである。
小さな才能ならば小さな場でも満足できよう。
だが、才能が大きくなれば、才能を揮う場も相応の大きさが求められる。
はっきり言ってしまえば、長安は父の下で猿楽師の道を歩くことに意義を見出せなくなっていた。
晴信の誘いを断ったのもこのためである。
長安は己の才に自信があり、晴信もそれを認めてくれた。
だが、晴信が長安に大きな仕事を任せることはない、と長安は判断した。
どれだけ巨大な才覚を備えていようと、長安はたかだか十四、五歳。しかも猿楽師あがりときている。そんな長安を重用することを、武田譜代の家臣団が許すはずもない。
仮に晴信が周囲の反対を押し切って長安を重用し、長安もまた首尾よく結果を出せたとしよう。
だが、それでも周囲の不審と不安が消えることはあるまい。
長安は完全な外様であり、国外の権威の後ろ盾があるわけでもない。手柄を立てれば立てるほど疎まれ、危険視され、排除の対象になるのは目に見えている。
これらの不満は、家臣たちの反対を押し切って長安を重用する晴信に対しても向けられることになるだろう。
必然的に武田家は大きく揺らぐ。
晴信ほどの大名が、そういった危険に気づかないはずはない。
事実、晴信の周囲を固めるのは譜代の家の出身者ばかり。春日虎綱などは農民あがりで知られるが、その春日とて出身は甲斐だ。外様ではない。
長安が彼らと肩を並べるまでには五年かかるか、十年かかるか分からない。
父や晴信に従って牛後としての十年を過ごすくらいなら、一個の猿楽師として諸国をめぐり、鶏口としての十年を過ごす方がずぅっと有意義。
長安はそう考えたのである。
ただ、むろんというべきか、この考えは父 信安の理解が及ばないものであり、大蔵家の父子の話し合いは平行線をたどる。
いや、平行線などという言い方では生ぬるい。
信安は激昂の極み、長安に勘当を言い渡し、物分りの悪い父親にうんざりしていた長安も冷笑してこれを受け入れた。それくらいのやりとりが交わされたのである。
これに泡を食ったのは兄の新之丞だった。
弟の才を知る兄は、話し合いの途中で何度も仲裁を試みたのだが、頑固な二人の前にあえなく撃沈してしまう。
このままでは、弟は甲斐を去って二度と帰らないだろう。弟は猿楽師として諸国を巡るというが、権力の後ろ盾がなければ大成することは難しい。
新之丞がそう言うと、長安は笑っていった。
――それなら僕は漂泊の民として、戦乱にあえぐ人々を笑顔にして回りましょう。それもまた猿楽師の仕事の一つ。父上にも晴信様にもできない、僕だけの役割です。
気負う素振りも見せずに言い切る長安を見て、新之丞は頭を抱えた。
なるほど、たしかに長安なら出来るだろう。そういった地道な活動が、いずれ花を咲かせる日も来るかもしれぬ。
だが、今は太平の世ではない。戦に巻き込まれて、あるいは間諜だと疑われて、長安が殺される可能性は決して低くないのだ。
弟の大才がそんなことで失われるのは耐えがたかった。
新之丞はそれからも何度か父たちと話し合ったが、やはり二人を歩み寄らせることはできない。
このままでは遠からず長安は家を出ていってしまうだろう。
懊悩する新之丞。
そんな新之丞の様子に気づき、声をかけてきた者がいた。
「どうしたのだ、新之丞。そのように浮かぬ顔をして」
若々しく、張りのある声は武田信繁のものだった。
年齢的には信繁と同世代の新之丞であるが、むろん武田家における立場は天と地ほどに違う。
慌ててひざまずいた。
「こ、これは信繁様!? ご挨拶が遅れて申し訳ございませんッ」
「なに、かまわぬさ。それで新之丞、改めて問うが、どうしたのだ。顔色の悪いこと病人のごとしだぞ」
新たに召し抱えた家臣として、姉が信繁に新之丞を引き合わせたのは先日のこと。
猿楽師上がり、しかも外様の身とあっては色々と心細いこともあろうと、信繁はできるだけ新之丞に気を配っていた。
どうして信繁ほどの大身の人間が、新参者の新之丞をそこまで気にかけたのか。
その理由は今後の武田家のあり方に関わってくる。
現在、武田家の家臣団は大半が甲斐信濃の人間である。特に重臣はほぼ甲斐の人間で占められていた。
例外は山本勘助であるが、勘助は軍師兼透波衆(忍者)のまとめ役であり、表舞台に立つことはまずないという特殊な立場にある。
ともあれ、武田家の歴史を考えれば、重臣が甲斐の人間で占められることは当然のことである。
だが、この状況が続けば、家中の空気が淀んでしまうのもまた当然のことだった。
武田家が天下に打って出るためには、新之丞のような外様の人間を受け入れる度量を持たねばならない。
いわば、新之丞は武田家にとっての試金石である――信繁はそのように考えており、新之丞当人はもとより、新之丞に接する家中の者たちの言動にも注意を払っていたのである。
むろん、新之丞はそんなこととは知らない。
ただ、信繁の声に社交辞令を超えた思いやりの響きを感じ取り、思い切って父と弟のことを相談した。
晴信からの誘いを断った長安が、父の制止をも振り切って武田家を飛び出したとなると、最悪の場合、出奔したと見なされてしまう。
出奔は裏切りに次ぐ罪だ。追っ手をかけられて殺されることも十分あり得る。
せめてそれだけは防がないといけない、と新之丞も必死であった。
話を聞いた信繁は、かすかに眉をひそめる。
新之丞の弟 長安のことは信繁も知っていた。以前、武田家一同の前で披露された猿楽の中で、長安のそれははっきりと異彩を放っており、それを覚えていたのである。
晴信の勧誘が、主に長安に向けられていたことも知っている。
その長安が武田家を出ようとしていることは、決して軽視してよい事態ではなかった。
やろうと思えば、長安を無理やりこの地に留めることはできる。
だが、そんなことをすれば、武田家に対する長安の感情が負に傾くのは自明の理。
では、長安の望むままに重任を授けて引き止めるか?
それはできない。新参外様を受け入れる試金石とは言ったが、過度の重用は譜代と外様、どちらにとっても良い影響をもたらさない。
複雑な人間同士の関係なればこそ、両者の融和のためには時間という緩衝材が不可欠なのである。
しばし考え込んだ末、信繁は新之丞に次のように告げた。
「そうだな……よし、新之丞! そなた、すぐに家に戻って弟を連れて……いや、それでは警戒させてしまうか。うん、私からそなたの家に出向くとしよう」
「ほぁ!? の、信繁様、御自らでございますか? あ、あの、それは弟を無礼討ちにすると……?」
「そんなわけないだろう。なに、そなたの弟にな、私の耳目となって諸国を巡ってもらおうと思うのだ」
強いて引き止めることはできない。すすんで送り出すには惜しい。
そう考えた信繁は、長安との間に縁を結んでおくことにした。
別段、無理に間諜に仕立て上げるつもりはない。行き先を指示することも、特定の家を探れとも言わない。
長安は行きたいところに行き、やりたいことをやればよい。
そうしてその地で見聞きしたことを、ときどき文にして信繁のもとに送ってくれればいいのだ。
情報の中身は何でもいい。うまい食べ物の話でも、綺麗な景色の話でも、めずらしい動物の話でも何でもいいのだ。
……もちろん、猿楽を通じて親しくなった地元の住民から、その地の大名の動静やまつりごとへの不満なんかを聞き出せれば言うことはないが、そこまでは望まない。ええ、望みませんとも。
こうしておけば、長安の出国は信繁の指図によるものとなるから、家中で問題になることはない。もちろん出奔扱いされて罪に問われることもなくなる。
長安にしても、道々で文を書くことと引き換えに追っ手から逃げ回る必要がなくなる、と考えれば悪い取引ではないだろう。
なんなら道中の旅費を出してもいい、と信繁は考えていた。
それを聞いた新之丞は唖然とする。
「そ、それは大変ありがたいことですが、よ、よろしいのですか? 信繁様にとっては損ばかりとなってしまいます」
「なに、諸国の情報というのは、種類を問わず、色々と役立つものなんだよ。損ばかりということはない。それに、こうしておけばそなたの弟の行方は常に把握できる。危険があれば知らせることもできようし、いざとなれば保護することもできるだろう。弟にしても、家族と縁を切って諸国を放浪するより、いつでも帰ってこられる家があった方が心置きなく猿楽に集中できるのではないかな?」
――そして、そういう配慮を示した武田家に恩を感じてくれれば、信繁にとって言うことはない。
くわえて、諸国を巡るうち、長安の心情に変化がおとずれることも信繁は期待していた。
才能は、才能を発揮する場を求める。
若くして有り余る才能を持つ長安のもどかしさ、信繁にも理解できないわけではない。
猿楽を披露しながら諸国を巡るという長安の心の中には、己の才能を生かせる英主を求める気持ちも少なからず存在するのだろう。
周の文王と太公望のような。
漢の劉邦と張良のような。
三顧の礼で知られる劉備と諸葛亮のような。
だが、歴史に記されるような出会いはそうそう転がっているものではない。
というか、信繁にしてみれば、すぐ目の前に英主がいるのにどうして気づかないのか、と首を傾げたくなる。
猿楽師から直臣に引き立てるなど、実に絵になる場面ではないか。
そんな稀有な幸運を「今すぐに重用してもらえないから」という理由で投げ捨てた長安を、信繁は惜しまずにはいられない。いつか悔いることにならねばよいが。
「これも若さというものか――なんて私が言っても説得力はないだろうけどね」
「い、いえ、実をいえばそれがしもまったく同じ考えでございまして……弟にも何度も申したのですが……」
「考えは変わらず、か。けれどまあ、若いうちに諸国をめぐった経験は、きっとこれから先に生きると思うよ。大きな声では言えないが、羨ましいと思う気持ちもあるんだ。秦の百里奚は名君を求めて、実に七十年以上も放浪を続けたという。私には百里奚や、そなたの弟の真似はできない。穆公を見出した百里奚のように、そなたの弟が名君とめぐり合う可能性もあるのだろう」
長安が武田晴信に優る名君を見つけ、あるいは見出され、その人物に仕える可能性。
長安の才覚を見抜く目を持ち、長安の年齢を気にかけない度量を有し、新参の長安を抜擢する決断力を備え、それにともなう譜代旧臣の不満をおさえこむ無謀さを秘めた人物――さて、そんな人物が諸国にいるのだろうか。
信繁が思うに、はじめの三項はともかく、最後の一項はごく普通に暗君の条件だ。
家を支えてきた旧来の臣を軽んじれば、必ず手痛いしっぺ返しをくらう。
この条件を超えて国を発展させることができるとすれば、それはいかなる不満が己を刺そうとも気にかけない剛毅な気性と、英邁な行動力を兼ね備えた人物に違いない。それこそ覇王と呼ばれるような。
伝え聞く織田信長――あの今川義元を破った尾張の驍将は、これに近い気性の持ち主であるかもしれない。
織田信長であれば、年齢や身分を気にかけず、長安を重臣として登用し、譜代の家臣の不満を鼻で笑うような真似をすることもありえよう。
それ以外の可能性としては――そう。譜代とか旧臣とか、そういった過去のしがらみがまったくない新興の家の当主であれば、長安を迎え入れる可能性もあるかもしれない。
もっとも、自分に自信を持っている才人は己を安売りしない。
長安も同様であろうから、十貫や二十貫の誘いでは見向きもすまい。最低でも五十貫。できれば百貫はほしいところだ。
これは譜代旧臣のいない新興の家にとって、家産の半分以上に該当する額となるに違いない。
せっかく作り上げた己の家を半分に引き裂く果断をもって、猿楽師の長安を迎え入れる人物がいるとすれば――
「いっそ会ってみたいものだね。そんな人間が実在するのであれば、の話だけれど」
信繁がくすりと笑うと、新之丞が不思議そうに目を瞬かせた。
「……信繁様、いかがなさいました?」
「あ、いや、少しらちもないことを考えていた。さて、新之丞。弟が早まった行動に出る前に事態を収めるとしよう」
「か、かしこまりました! よろしくお願いいたします!」
緊張で声を上ずらせる新之丞を引きつれ、信繁は大蔵家に向かう。
長安が甲斐を出たのは、この日から数えて三日後のことであった……




