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聖将記  作者: 玉兎
第八章 狂王
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第七十話 猿楽師の少年



 信賞必罰。

 功績ある者は必ず賞し、罪過ある者は必ず罰すること。

 組織を率いていく上でとても重要なこと。 

 つまり功績があるくせに褒賞を受け取らない奴がいると家中が微妙な空気になるのでぐだぐだ言わずにさっさと受け取れ。



 ――と、まあこんな感じで某守護代様に詰め寄られた俺は鮫ヶ尾城の城主になりました。

 これでいいのか上杉家。

 いや、俺もいろいろ粘ってはみたのだ。件の上下問題(上野下平の所領争い)は、結局俺が出るまでもなく本庄、大熊の二名によって片付いてしまったし、目だった功績のない俺を一城の主にすれば家臣から不満が出るのでは。

 そんな風に反論したら、某守護代様に呆れられた。



 いわく、関東であれだけ目だっておいて功績がないとか、どの口が言ってんの? 



 そこで俺ははたと気づいた。

 そういや俺、関東ではおもいっきり一軍を指揮してたわ! 大胡秀綱の抜擢も含めれば、全軍の総指揮を執ったといっても過言ではない。

 これまでの軍師的な陰働きとは異なり、衆目に映るれっきとした軍功だ。

 その俺に褒賞無しでは外聞が悪い、という理屈は理解できた。



 だが、たとえそうだとしてもいきなり一城の主というのは――とぶつぶつ文句を言ったら某守護代様に怒られた。



 いわく、景虎が部下の功績を賞することもできない無能呼ばわりされてもいいの!?



 ……これを言われては首を縦に振るしかない。

 ま、まあ、ものは考えようだ。国人衆問題を解決するにあたって、一度彼らと同じ立場に立ってみるのも悪くないだろう。

 城を持ち、家臣を抱え、領民を治めるということがどういうものなのか、それを学ぶ機会を得たと考えよう。

 手に負えないようなら景虎様に返還してもいいわけだしな! もちろん景虎様を失望させないように全力を尽くしますけどね!



 そんなわけで弥太郎、段蔵を引き連れ、とりあえず鮫ヶ尾城を視察しに行く。

 場所は春日山城の南、それこそ日帰りも余裕な距離なので気楽に出かけられる。

 北国街道は信濃に出陣する際に何度も往復した道だが、鮫ヶ尾城周辺をじっくり観察したことはない。あらためて付近の地形とかを見てみたかったのである。



 鮫ヶ尾城は北国街道に接する城山、その山頂に築かれた山城だ。

 もともとここには小規模な砦があったが、武田の勢力が越後にぐっと近づいたことで、景虎様は大々的な改修に踏み切ったという。

 この改修は俺たちが関東に赴いていた間に行われ、現在では七割方完了している。

 街道を見下ろすように築かれた城は、いかにも山城らしい堅牢な備えを誇示していた。



 馬から下りて城に近づくと、見張りの兵士たちに大声で誰何すいかされた。

 かくかくしかじかと事情を説明したとたん、兵士たちの顔色が一気に青ざめる。

 いや、なんか不意打ちをくらわせたようで申し訳ない。先触れくらい出しておけばよかったな。



 恐縮してぺこぺこと頭を下げる兵たちに、気にしていないからと伝え、山頂までの案内を頼む。

 三の丸、二の丸、一の丸。景虎様が縄張りしただけあって、実用一点張りの堅固な造りだ。攻め手にまわったら、落とすのにかなり難儀するだろう。

 頂上からはふもとの頚城平野が一望できた。矢代川をはじめとした複数の河川が縦横に走り、土地を潤しているのが手に取るようにわかる。



 ちなみに、この矢代川は下流で関川に合流して日本海に注ぎこむ。

 柿崎景家と戦ったとき、このあたりに降った雨があの猛将の足を止めてくれたのだと思えば、自然と頭が下がった。

 そんな俺の視界には領内を南北に貫く北国街道が映っている。

 こうしている今も盛んに人々が行き来しており、いかにも栄えた様子がうかがえた。

 一通り見て回った俺の感想は、下記の一言に集約される。



「恵まれ過ぎだろう、これ」 

「城は堅牢、土地は豊沃、水利は抜群、北国街道によって人と物の流れは絶え間なし。まさしく一国の屋台骨を支える領地です」

「ほわあ……すごいですねえ」



 段蔵と弥太郎がそれぞれの表現で俺の言葉に同意する。

 いや、春日山城の目と鼻の先という立地からして当然といえば当然なのだけど、これ領地としては上の上じゃないか?

 政景様は俺の知行を「鮫ヶ尾城の五百貫」と言っていた。五百貫といえば、石高にしてだいたい一千から一千五百石くらいのはずだが、これ普通に二千石超えそうである。



 関川や矢代川は暴れ川としても知られており、洪水が多発する地域は耕地可能でも放置されているところが多い。

 見方をかえれば、治水さえうまくいけば、耕地を増やす余地がまだまだ残っているということである。

 もちろん、治水工事なんてそうそう上手くいくものではない。だが、それだけの伸びしろがある領地だというのは間違いないだろう。



 ……うん。これぜったい手放しちゃいけない領地でしょう、景虎様?

 段蔵のいったとおり、上杉家の屋台骨を支える土地の一つです。



 それだけ信頼され、感謝されていると思えば涙が出るが……うおお、これは責任重大だ。

 ともかくいったん春日山城に戻ろう。

 武田の脅威がある以上、わずかでも隙を見せるわけにはいかない。

 なるべく早く城に入って――いや、実際に城を歩いてみた感触から考えて、この山城で起居すると、ふもとの領地との行き来が面倒だ。



 単なる砦の守将ならば城の防備だけを考えていればいい。だが、領主となればそうもいかない。

 となると、普段住まいの家を探して――いやいや、これからは自分の家臣を養わなければならないのだから、ただの家というわけにはいくまい。屋敷、いや、平城をたてる勢いで新居設営を――その資金をどっから持ってくるよ? 商人から借りるにしても、そういった伝手つてはまったくないしなあ。



 それに、これだけ肥沃な土地なら小島村の弥太郎一家を招くことも、それどころか軒猿を一族ごと招くことも不可能ではあるまい。新たな土地を開拓すれば住民とのトラブルも避けられる。

 だが、これはこれでやっぱり金は必要だ。

 うおお、金、金、金。こうなれば土地を担保にして商人から金を借りて……いや、でも景虎様からあずかった土地を抵当にいれるのは……いやいや、ためらっている間に武田が攻めてきたらどうする。越中の兵士が攻めてくる可能性だってあるのだ!



 そんなことを考えているうちに、俺たちはふもとに戻ってきていた。

 馬の手綱を引きながら、春日山城へ向けて北国街道を北に向かう。

 そうしている間も、頭の中では思考がフル回転していた。



 今は少しでも金を集め、できるだけ土地を広げ、いざという時に備えなければならん。

 よし、ここは一つ隣接した国人衆の領地を分捕ってやりますか。なに、俺から言えば景虎様や政景様も多少は融通を利かしてくれるはず――――って何を考えているんだ、俺は!?



「は!? いかんいかん、いつの間にか領主の暗黒面におぼれるところだった!」



 俺は慌てて額の汗をぬぐった。

 な、なるほど。早速だが、ちょっとだけ裁定にごねた上野家成の気持ちが分かった気がする。

 と、段蔵が変なものを見る目を向けてきた。



「……延々と百面相を続けていると思ったら、突然わけのわからないことを口走る。いったい何をなさっているのですか?」

「いやなに、持つ者と持たざる者とでは視点が違うということを実感していたところだ。ところで段蔵、軒猿の皆さんをこの土地に招いたら来てくれると思うか?」

「……その言葉を予測もし、期待もしていた自分の浅ましさが少々嫌になりますが……間違いなく喜び勇んでやってくると思いますよ。新しく田畑を耕す手間はかかるにしても、里のやせこけた土地と、このあたりの土地ではものが違いますからね」



 ただし、と段蔵は付け加えた。



「場所が場所です。いつなんどき武田に攻め入られ、田畑を焼き払われても不思議ではありません。あるいは、西から越中兵が春日山城に攻め込んできた場合も同じ目に遭いますね。そういった危険を考慮すれば、すぐさま里の者全員が移り住む、という具合にはいかないと思います。ある程度、様子を見ながらということになるでしょう」

「ふむふむ。弥太郎の小島村の人たちや、豊弘たちも一緒に……ああ、そうだ。京からついてきた人たちも、いっそここにまとめて招いてしまおうか。それを理由に景綱殿から資金をせしめることが出来れば万々歳だ」



 くくく、加倉屋、おぬしも悪よのう、と内心でひとり悦にひたる。

 ……うん、明らかに先刻から浮き足だってますね、俺。

 正直なところ、領地なんて面倒くさいだけだと思っていたが、実際に手に入れてみると視点が一気に広がった。

 軒猿や小島村の人たちを招くなんて発想は、自分の領地を手に入れなければ湧きようがない。



 ちょっと落ち着こう。

 それに段蔵が言ったとおり、武田が越後に攻め込んできた場合、間違いなくこの地は戦火にさらされる。

 親しい人たちを一箇所に集めたあげく、皆殺しにでもされようものなら、自分が何を考え、どんな行動に及ぶのか分からない。



 史実を思い出せば、この鮫ヶ尾城は御館おたての乱で敗れた上杉三郎景虎が自刃した場所。決して吉祥を感じさせる土地ではないのだ。

 いずれ皆さんを招くにしても、まずはしっかり防備をととのえねばなるまい。



「とりあえず段蔵。軒猿を何人か信濃との国境に――いや、北信濃の武田領に放っておいてくれ。武田が動く兆候を見逃さないようにしないと」

「承知いたしました。ところで、移住の件は長の耳にいれてもよろしいですか? それを聞けば長のことです、喜び勇んで里の腕利きを送ってくれることでしょう」

「案外現金なんだな。まあ、そのあたりは任せる」



 そんなことを段蔵と話っていると、不意に弥太郎が奇声をあげた。



「……わ、わわあッ!?」

「うお、びっくりした!? ど、どうした弥太郎?」

「あ、ご、ごめんなさい、相馬様。あの、これ……」



 そう言って弥太郎は自分が持っている鉄の八尺棒(関東戦で弥太郎が討ち取った太田康資の武器)を困ったように見上げる。

 なんぞ、と不思議に思って視線を追うと、八尺棒の先端に妙な生き物が立っていた。



 茶色い毛に愛嬌のある赤ら顔、短い尻尾を左右に振りつつ、キッキキッキと楽しげに飛び跳ねているのは、まごうことなき猿だった。体の大きさから見て、たぶんまだ子供だろう。

 目立つ赤い半纏はんてんを着ているところから察するに、誰かが飼っているものと思われた。



「弥太郎の八尺棒を見て、野生の木登り欲を取り戻したのか。しかし……」



 周囲をぐるりと見回してみる。

 この時代に猿を飼う人ってどんな人たちだ? 大名が猿を臣下にけしかけて、ぺしりと叩かれる逸話は聞いたことがあるが、庶民のペットになるようなものではあるまい。

 と、そんな俺の疑問に答えるように、遠くから響きの良い声が聞こえてきた。



「あ、さる! こら、勝手に歩き回るなー! 心配するだろー!」



 叫びながら軽やかな足取りで駆け寄ってきたのは、おそらく十四、五歳と思われる少年だった。

 えらく派手な――いや、派手というか奇矯ききょうな格好をしている。

 虎皮のはかまに真っ赤な小袖、首元には金の数珠。頭には猿のお面を引っ掛けて――とまあ描写していけば切りがない。

 これが噂のかぶき者というやつだろうか?



 少年が駆け寄ってくると、棒の先端に立っていた仔猿はキキッと一鳴きしてからぴょんと宙を飛び、少年の肩に降り立った。

 叱るように軽く仔猿の頭を拳骨で叩いた少年は、次に俺たちを見て頭を下げた。



「ごめんなさい! さるが迷惑をかけました!」

「ああ、いや、別に迷惑というほどのものじゃない。な、弥太郎?」

「そ、そうですね。ちょっとびっくりしただけです」

「す、すみません。まだ子供なんで、興味を覚えたものにはなんでも飛びついちゃって……」



 奇抜な外見からは想像もつかないくらい、少年の対応は常識的だった。

 容姿も整っている。派手な外見から男の子だと勝手に思い込んでいたが、こうして間近で見ると少し雰囲気が違う。

 なんというか、男と思って見れば男に見え、女と思ってみれば女に見える、そんな不思議な顔立ちをしている。

 どこか奇妙な奥深さが感じられる相手だった。



「見たところ、ずいぶんその……なんだ。個性的な出で立ちだが、どこから来たんだ?」

「あ、はい、僕は猿楽師で、諸国を旅してまわっているんです。今は信濃からこの越後に来たところでして。あ、向こうにいるのが一緒に旅をしている人たちです」



 そういって少年が指を差した先には、なるほど、笛や拍子で道行く人々の注目を集めている一団があった。

 いわゆる漂泊の民だろう。技芸をもって諸国を渡り歩く者たち。

 彼らは奇術や曲芸、軽妙な歌舞に音楽をまじえて人々の耳目を楽しませる。社会的身分は低いが、娯楽の乏しい時代にあって、遊芸者の存在は貴重である。

 反面、一箇所に留まらずに諸国を往来する性質上、忍びや間諜の扱いを受けることも多いと聞く。

 そんな一団に加わっているのだとしたら、少年から感じられる底知れなさも納得できるというものだ。



「あ、あの!」



 考え込んでいたら、何やら目に強い光を浮かべた少年に声をかけられた。



「む、なんだい?」

「あの、僕は猿楽師の十兵衛じゅうべえと申します! 上杉家のご家中の方とお見受けしました! もしよろしければ、僕たちの舞台をご覧になっていただけないでしょうか!?」

「ふむ?」



 勢い込んで何を言うのかと思ったら、ずいぶんと予想外なお願いをされてしまった。

 とりあえず気になったことを訊ねてみる。



「どこを見て上杉の人間だと思ったんだ?」

「それは、見るからに良い服を着ていらっしゃいますし、それにそちらの……」



 十兵衛と名乗った少年はちらと弥太郎を――正確には弥太郎の持っている鉄の八尺棒を見た。

 なるほど、こんなものを持ち歩く農民はおらんわな。

 さてどうしよう。

 暇だったら喜んでご招待に応じるところなのだが、あいにくと状況が状況だ。早く春日山城に戻って鮫ヶ尾城に赴任する準備をしなければならない。



 ただ、別に一分一秒を争うというわけでもない。

 こういうのを見る機会もこれまでなかったから、興味はあるのだ。

 問題は一度見たが最後、あれやこれやと付きまとわれることである。越後領内での便宜をはかってくれ、などと言われる可能性もあった。

 というか、十兵衛少年の狙いは間違いなくそれであろう。



「キキッ!」



 漂泊の民に興味はあるが、面倒事は避けたいと考えていると、十兵衛の肩に乗っていた仔猿が地面に飛び下り、ぐるぐると俺の周りを回りだした。

 二周した後、正面にちょこんとすわってつぶらな瞳で見上げてくる。

 く、この仔猿め、動物の愛らしさを客引きに利用する術を心得ておる!



 ――まあ、少し見ていくくらいならいいか。弥太郎も興味津々のようだし。

 もう一人の段蔵はと見れば、かまわないでしょうと言いたげにこくりと頷いていつ。

 ただ。

 一瞬、段蔵の鋭い視線が十兵衛少年を一瞥したように見えたのは、きっと気のせいではなかった。



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