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聖将記  作者: 玉兎
第七章 蠢動
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第五十七話 新守護誕生


 越後守護 上杉景虎。

 その誕生にこぎつけるまで俺がどれだけ苦労したかはおいおい述べていく。

 まあ、個人的には意固地になった景虎様というやたらめずらしいものが見られたので、あまり苦労したとも思っていないのだが。



 ともあれ、時間をおいて開かれた話し合いには定実様の奥方も参加なさった。喪主が決まらないことにはいつまでも葬儀が行えない、という奥方の訴えもあり、景虎様も政景様もとにかく葬儀を行わねばならないという点では一致をみる。

 だが、二人とも喪主になることはともかく、その後の守護職就任には難色を示し続けたため、話し合いは停滞を余儀なくされた。



 本来ならこんなことで時間をくっている暇はないのだ。

 すでに甲駿相による三国同盟成立の情報は越後にも届いている。

 となれば今川家は上洛に、北条家は関東進出に、そして武田家は信濃侵攻に、それぞれ本腰をいれてくることは火を見るより明らかだ。

 一刻も早く越後国内を固め、この三国――とくに武田と北条の動きに備える必要がある。



 というわけで、俺も説得に本腰をいれることにした。

 説き伏せる相手は景虎様である。

 個人的には別に政景様が守護になってもいいとは思うのだが、定実様の遺言を考えれば、やはりここは景虎様が立つべきであろう。



 まあ、説得といっても、言うべきことはすでに言い尽くされている。

 そして、景虎様も自身が折れるべきだとわかっているはずだ。定実様の遺言、政景様の芳心、そして軍神たる身にかかる人々の期待が理解できない方ではない。

 ゆえに俺がしたことは、景虎様の心に刺さっていた棘を抜いただけである。

 すなわち――



「……政景殿の子を私の――上杉の養子に?」

「はい。もちろん、まだ先の話ですが。政景様にお子ができたら、その子を景虎様の養子として上杉家を継がせたらいかがかと。さすれば、政景様が上杉家に捧げたものは、すべて上田長尾家に戻ってくることになります。政景様の配下の方々の不満も薄れましょう」

「む……」



 景虎様が考え込むように腕組みをする。その顔にはこれまでのようなかたくなな否定はなかった。

 首を傾げたのはむしろ政景様の方である。さすがにまだできてもいない子供を使うのは強引すぎたかと思ったが、政景様が気にしたのはそこではなかった。



「相馬の案ならうるさい連中を納得させる手間も省けるわね。でも、相馬はそれでいいの?」

「……はい?」



 なんでそこで俺に確認をとるのだろう?



「だって、あんたと景虎の子が守護職になる機会を棒に振ることになるじゃない」



 しごく当然という感じで政景様がのたまう。

 俺と景虎様はほとんど同時に咳き込んだ。

 思わず声を高める。



「な、何の話ですか、それは、政景様!?」

「ふっふ、聞いてるわよ。なんでも高野山であんなことやこんなことしてたんだって? 御仏の聖地でなんて大胆な。あ、景虎、そろそろお腹が大きく……」

『なりませんッ!!』



 またも息がぴったり合う俺と景虎様だった。

 定実様の奥方も「あらまあ」となにやら嬉しそうに両手をぱちんと叩いている。

 いえ、ですから俺と景虎様はそういう関係ではありませんってば!



 そんなこんなで途中に余計な一幕もあったが、最終的には景虎様は首を縦に振ってくれた。

 ただ、その後しばらく俺と景虎様の間に微妙に気まずい空気が流れたのは、間違いなく政景様が余計なことを言ったせいである。

 おのれ長尾政景おぼえておれよ、と俺はひとり恨み言を呟くのだった。





 その後、上杉家は定実様の葬儀の準備にとりかかる。

 ただ、戦ならともかく、こういった場では俺はたいして役に立てない――というか率直にいって役立たずなので、別のことを受け持った。

 俺が京から連れ帰った五百人のうち、甲斐への移住を希望する二百人を武田領まで連れて行くのだ。



 これに関しては春日虎綱を通じて武田晴信にも連絡がいっているので、間違って武田軍に攻撃されるようなことはない。

 途中、北信濃の村上義清に会って上洛の報告をしたり、今後の作戦行動を打ち合わせるのも任務のうちである。

 三国同盟が結ばれた以上、武田が北に動くのは確定している。村上領に攻めてくるか、あるいは西上野に向かうかはわからないが、いずれにせよ村上家との連携は不可欠だった。



 で、そういった諸々を終えて春日山に戻ってきた俺は、今度はその足で小島村に向かった。

 小島村というのは、つまり弥太郎の生まれた村である。京から連れてきた子供たちのうち、岩鶴、清介、喜四郎の三人は春日山城で働いているのだが、三人より幼い者たちについては弥太郎の家で預かってもらうことになった。

 それについて礼を述べるためであった。






 一に一を足せば二になる。当然である。

 二に二を足せば四になる。これも当然である。

 四に四を――って、さすがにしつこいか。ともあれ、数字を足せば解が出る。

 しかし、子供であるとそうはいかない。四に四を足すと、何故か騒がしさが二十くらいになった。



 弥太郎の弟妹たちと岩鶴の弟妹たち。

 はじめこそ互いに遠慮というか、警戒というか、ともかく様子を見ていた子供たちであるが、打ち解けてみれば数年来の友達のような仲の良さ。

 付き合わされた俺はくたくたになっていた。

 同じように付き合わされた弥太郎や岩鶴たちが平然としているのは経験の差というものか。



 ともあれ、俺と岩鶴たち三人はそろって弥太郎のご両親に頭を下げた。

 いくら弥太郎を通して承諾をもらっているとはいえ、いきなり見ず知らずの子供たちを連れてきて、明日から面倒みてやってくださいと頼むわけだから、恐縮せざるをえない。

 もちろん生活費は払うわけだが、それで済まないのは今の俺のていたらく――たった一度遊びに付き合っただけで疲労困憊――が証明している。

 これに対して弥太郎の母上がこたえていわく。


 

「なーにをいってるんですか。こんな可愛い子らが家族にふえて、迷惑に思うはずないですよっ」



 そう言って呵呵かか大笑たいしょうすると、ばんばんと俺の背を叩いた。

 日ごろの農作業と子育てで鍛えた太い二の腕(失礼)に叩かれ、危うく俺は前につんのめりそうになった。

 きっと弥太郎はこの母上の剛力を受け継いだのだろう。間違いない。



「か、母ちゃん、し、失礼だよ! 加倉様だよ相馬様だよ叩いちゃ駄目だよ!」



 弥太郎が真っ赤になって母親を止めようとしている。

 岩鶴たちのみならず、俺まで家についていくと聞いた弥太郎は、出発寸前まで必死になって俺を引き止めていたのだが……きっとあれは他人に母親を見られるのが恥ずかしいという思春期特有のやつだったのだろう。



 実際、弥太郎は今の今まで一言も口を聞かず、真っ赤になって黙り込んでいた。

 聞けば、粗末な我が家を俺に見られたくなかったのだとか。んなもん気にする必要はかけらもないのだが。見ているだけで笑みがこぼれる最高の家ではないか。



 弥太郎の父上も子供たちのことを快諾してくれた。

 陽気な母上とは対照的に物静かな方だったが、子供たちを見る目はとても優しく、一目で信頼に足る方だと確信できた。

 まあ弥太郎を育てたご両親なのだ、そんなことは今さら言うまでもないことである。



 で、子供たちがくんずほぐれつ、壮絶な寝相で静かになった後。

 俺はそのご両親に深々と頭を下げられてしまった。明らかに立場が逆である。



「あ、いや、頭を下げるのはこちらの方ですから、どうか顔をあげてください」

「何をおっしゃいますか。うちの娘がこれまで生きのびてこられたのも、おそれおおくもお侍の下の下の方に席をいただけたのも、みな加倉様のお陰。戦の度にあの子が持ってくる銭のおかげで、どれだけ私たちが救われたか、とてもとても言葉にはできません」

「……そのとおりです。うちだけではない。皆、そう申しております」



 母上に続き、父上までそんなことを仰った。

 皆、というのはこのあたりに俺の直属の家臣が数名いるからである。




「それはご息女が命がけで戦った報酬です。私のおかげというわけではありませんよ」

「いいえ! この前、隣村の知り合いに聞きましたよ。普通の兵隊さんは、そんな大金もらってないって。士分にとりたててもらったにしても法外だって、えらく羨ましがられました」

「ご息女はそれだけの働きをしてくれています。こちらの方こそ、その、ご息女に……」



 人殺しをさせて、と口にしかけて、慌てて思いとどまる。

 そのあたりのことに関して、俺とこの人たちとの認識はかなりずれているだろう。それに、俺はそれを承知した上で弥太郎を戦わせているのだ。ここでそれを口に出して得をするのは『謝罪はした』という免罪符を得て、罪悪感が和らぐ俺だけである。

 さすがにそんなみっともない真似はしたくなかった。



 私が、いえいえ私が、みたいなやりとりを何度か繰り返した挙句、根負けしたのは俺の方だった。

 いかん、この母上、いろんな意味で勝てる気がしない――などと思っていたら。



「――ところで、一つおたずねしたいのですが」

「なんでしょう?」

「あの、奥様はいらっしゃるのでしょうか?」



 ぶふぉ、と隣で弥太郎が飲んでた水を噴いた。

 そちらを気にしつつ、母上にこたえる。



「いえ、いませんが」



 その瞬間、目の前の女性の目に、なんか星みたいなのがきらめいた気がした。



「あの、それでしたら、うちの――」

「わあわあわあッ!!! 母ちゃん、何いいだす気ッ!?」

「これ、子供らが起きてしまうでしょう、もうちょっと声を低めなさい――なにって、決まってるでしょう。加倉様におまえをもらって――」

「やっぱり言わないでいいッ! ていうか言うな!」

「まあ!」



 驚いたように口に手をあてる母上。

 多分、娘が「言うな!」なんて言ったことに驚いたのだろう。というより、俺が驚いた。

 一方、母上はそんなこちらの困惑に気付かず、なにやら嬉しそうに夫に向かって話しかけている。



「言うな、ということはとうとう自分の口から言う覚悟を決めたのね。あんた、あの子、やっと心を決めたみたいですよ。まったく、いつも家では頬を染めて褒めちぎっているのに、お慕いしているの一言も言っていないなんて歯がゆい子ねと思ってましたが、やっぱり子供は成長していくものなんですねえ」

「……父親としては少々複雑だが。めでたい」

「わああああ、何さらりと言ってるだ、母ちゃん! あと父ちゃんも嫁入り前の娘を見るみたいな寂しげな目はやめてッ!?」

「安心おし。うちは知ってのとおり、親戚縁者はたんといる。あんたの嫁入りに恥をかかせたりはしないから!」

「……む。ただ、武家の作法がわからん」

「あ、そういえばそうだね。やっぱりあんたとあたしの時みたいなわけにはいかないんだろうねえ……ああ、そうそう、たしか柏崎の平六が手柄たてて足軽頭になった後、武士の娘さん娶ったって言ってたね。どんなもんだったか聞いてみよう」

「……だが、加倉様は越後に知らぬ者とてない御方。足軽頭の婚儀で参考になるかどうか。そもそも今は士分とはいえ、農民の娘を正室に迎えてくれというのは、虫が良すぎるだろう」

「んー、そうだねえ。まあ弥太郎は妾でも気にしないだろうけど、やっぱり景虎様の許可とかもいるんだろうねえ。そのへんどうなんだい、弥太郎?」



 母親に問いを向けられた弥太郎だったが、たぶん答えるのは無理だろう。

 なにせ顔も頬も耳も、首すじまで真っ赤っかなのだから。

 さすがに弥太郎が気の毒になり、俺は頬をかきながら口を開いた。



「あー、その。お話はありがたいんですが……」

「あ、ありがッ!?」



 弥太郎の頭からぼんっと湯気が立ちのぼった、ような気がした。

 あ、まず。もしやとどめをさしてしまったか? とはいえ、言うべきことは言っておこう。このままだと、一ヶ月後くらいに祝言あげてる未来が確定してしまう。



「近く、越後は大きな戦に巻き込まれます」

「なるほど、だから早めにお世継ぎがほしいと。そこに目をつけるとはさすが私の子」



 いえ違います、母上。



「いえ、そうではなく。それゆえしばらくは婚儀とかそういったことに割く時間がないのです」

「はいはい、大丈夫です。うちの子はみてのとおり身体だけは立派なもんです。すこしの時間ですぐに子を宿してくれるでしょうよ」



 だから違いますって、母上。あとさっきから黙ってる岩鶴や清介たちの顔が、弥太郎におとらず真っ赤になってますから、表現に気をつけてくだされ。



「ですから、このお話はもう少し時間が経ってから――」

「わかりました」

「えッ!?」



 思わず驚いてしまった。今までの流れでわかってくれたのか。



「確かにもう夜も遅いですし……婚儀の詳細はまた明日、あらためてということで」



 がくっと崩れ落ちる俺。まあそうですよね、と苦笑する。

 仕方ない。これは景虎様を説得した時と同じくらいの覚悟で、じっくり腰をすえてかからねば――そう思ったとき、俺の耳に、ぶちり、と何かが切れる音が聞こえてきた。

 これはたぶん堪忍袋とかそういったたぐいのものが切れた音だ。むろん、発生源は俺ではない。

 ……弥太郎が全身をふるふると震わせながら口を開いた。



「……い」

「い? どうしたんだい、弥太郎?」

「いいかげんにして、ばかあちゃんッ!!!」

「まあ、親に向かってばかとはなんですか」

「ばかはばかだもんッ! ばかああッ!!」



 そう言って、すばらしい勢いで外に飛び出していく弥太郎。



「これ弥太郎、こんな時間に外に出ると風邪を引きますよ、もどってらっしゃい」



 そしてあくまで平静を崩さないまま、草鞋をはいてそれを追う母上。

 残される俺はどうしたものかと思案した後、弥太郎を追うべきだろうと結論した。

 春日山周辺に盗賊が出るとも思えないし、かりに出たとしても弥太郎なら滅多なことはあるまいが、それでも万一ということがある。母上も心配だ。

 そう思って俺が立ち上がろうとする寸前、弥太郎の父上が手をあげて俺を制した。



「どうされました?」

「……四半刻ばかり、近くの野山をかけまわれば戻ってくるでしょう。加倉様がお追いになるまでもございません」

「は、はあ……あの、こんなことがしょっちゅう?」

「……娘があなたさまにお仕えする前は、日常茶飯事でした」



 ……なんだか色々と弥太郎の少女離れした力の源がわかった一日だった。



「な、なあ、相馬」



 この時、はじめて岩鶴が口を開いた。

 頬を赤らめながらも、わりと真剣な声でたずねてくる。



「どうした?」

「あのさ、俺たちも城じゃなくてこの家で暮らしたら、もしかしてみんな弥太郎みたいに強くなれるんじゃないか?」

「……無理だ、と断言できないところがおそろしい」



 もしそうだとしたら母上は稀有な人材である。景虎様にお願いして、なんとしても召抱えてもらわねばなるまい。

 半ば本気でそんなことを考えながら、頬をほてらせている岩鶴に水をすすめる。

 乱暴に杯を受け取って中身をがぶ飲みした後、岩鶴は小さな声で礼を言ってきた。






 明けて翌日。

 弥太郎一家に見送られて春日山城に戻った俺たちは、そこで遠く関東の地からもたらされた報せを耳にする。

 その報せは、関東の覇権を欲した相模の北条氏康が、ついに関東管領 山内上杉家に対して全面的な攻勢を開始したことを告げるものであった。




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