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聖将記  作者: 玉兎
第七章 蠢動
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第五十二話 豊弘受難 ※残酷描写あり ご注意ください



富田とだ殿、今は行軍中だ。加州様に用があるのなら、敦賀に着いた後、しかるべき手続きを踏んでからにしてもらいたい」

「そこを曲げて頼みたい。貧乏守護の三男坊がいかにして成り上がったのか、興味がある」



 軽侮もあらわな長繁の物言いに右京は眉をひそめた。

 腹も立つが、それ以上に疑念がある。いきなり押しかけて来て、豊弘を貧乏守護の三男坊呼ばわり。あきらかにこちらを怒らせようとしているが、何のためにそんなことをするのか。

 朝倉家に異心があるのかと疑ったが、朝倉軍の指揮官である前波吉継は上洛軍に終始丁寧に対応し、軽侮のかけらも見せなかった。



「ならぬな。手続きを踏んでからと申したが、訂正しよう。礼節を修めてから出直すがいい」



 相手の目論見がどうであれ、今朝倉家の人間ともめるのはまずい。そう考えた右京はそっけなく言い返すにとどめた。

 だが、厄介ごとを避けようとする右京の心底を知ってか、長繁はねちっこく言い募る。



「まあ、そう言わずに頼む。たしかに俺は礼節を修めているとは言いがたいが、それは加州とてかわらないだろう。寺での奉公は仁義礼智を学ぶためではなく、おのが食い扶持をかせぐためと聞いたぞ」

「くどい。これ以上雑言を吐くようなら、こちらは前波殿に正式に抗議をいれるぞ。求めて降格したいなら止めはせぬがな」



 右京が前波吉継の名前を出したとたん、長繁の顔が険悪に歪んだ。

 吐き捨てるように言う。



「俺は義景様に武勲を愛でられて足軽大将に抜擢された。家の名しか取り柄がないあいつに俺を降格させることなどできぬッ」

「朝倉内部の事情は知らぬし、興味もない。前波殿に言っても埒が明かぬなら、それこそ義景様に訴えるまでだ」

「……ふん。さすがは色狂いの加州だな。上の方々に取り入るのはおてのものというわけだ」



 ひときわ毒のこもった長繁の言葉。

 これまでも長繁の粘つく物言いには不快感を覚えていた右京であったが、これは聞き捨てならなかった。

 眉宇びうに怒気をみなぎらせて長繁を睨みつける。



戯言ざれごともほどほどにせよ。これ以上の無礼は捨て置けぬぞッ」

「無礼も何も、皆が言っていることだ。加州は若年ながら閨房けいぼうの達人。男には菊を捧げ、女には竿を用いて成り上がった稀代の色魔。そうでなければ、どうして半年たらずでここまで成り上がることができようか、とな。寺での奉公も稚児ちご働きに相違なしと俺は睨んでいる」



 口の端を吊り上げた長繁が、蔑むように右京を見る。



「どうだ、図星だろう? おおかた、お前も加州の竿働きで落ちたクチではないのか? お前だけではない、ここにいる女どもも、男どももすべてそうだ! その証拠に、見ろ、加州の配下は女でなければなまっちろい白面ばかり。とうてい兵として役に立つとは思えん。将は色魔、配下は太鼓持ちと提灯持ち。文字通りのお祭り部隊よ!」 


 

 長繁が大声で言い放つと、それに応じて長繁配下の朝倉兵が嘲笑を発した。

 その侮辱に耐えかねたのだろう、女兵士の一人が憤激に顔を赤くしながら腰の刀を抜き、長繁に突きつける。右京が止める暇もなかった。



「おのれ、黙ってきいていれば――!」

「抜いたな?」



 激語を叩きつけようとする女兵士に対し、長繁はしてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべる。

 次の瞬間、抜く手も見せずに抜刀した長繁が、突きつけられた刀を下から払い上げた。

 刀身から伝わる凄まじい衝撃に、女兵士はたまらず柄から手を離す。宙にはねあげられた刀は円を描くように激しく回転し、そのまま地面に突き立った。



「加州豊弘に無礼の段、これあり! 朝倉の将たる俺に刀を突きつけるなど言語道断! ただちに刀を捨て、おとなしくばくにつけい!」

「何が無礼か! さんざん悪口雑言を吐き散らしておきながら、どの口でそれを言う!?」

「悪口雑言? はっはは! 知らぬなあ、そのようなこと!」



 激怒する右京に、長繁は唇をひん曲げて応じる。



「色が取り柄の武将と、女、白面ばかりのお祭り部隊――事実を言ったまでではないか! 違うというなら、今日まで参加した合戦の数を言ってみろ。どれだけの兵を討ち、幾人の将の首を挙げたのか言ってみろ! 口としもだけの小童こわっぱが驍将などと持ち上げられ、調子に乗りやがって!」 



 そう言うと、長繁は刀を無造作に振り下ろした。

 そこには刀を失い、呆然と座り込む女兵士がいる。

 まさか、と目を見開く女兵士の脳天に向け、刀身は容赦なく襲いかかる。

 ――右京が割って入らなければ、切っ先は間違いなく女兵士の額を断ち割っていたであろう。



 甲高い擦過音が周囲にこだまし、鉄の焦げた臭いが鼻をつく。

 自身の一刀を受け止められた長繁は、そのまま右京に鍔迫つばぜり合いを挑んだ。

 ぎりぎりと押し込んでくる長繁の刀を、右京は正面から受け止め、押し返す。

 長繁はにやりと笑って至近距離から右京を見あげた。



「へえ、ちょっとはマシな奴もいたか」

「もはや是非もなし。皆、聞けぃ! 責任はそれがしがとる。富田の兵を取り押さえよ!」



 右京は周囲の娘子軍に呼びかける。

 娘子軍の兵数は三十五。対して長繁が連れてきた兵士は二十あまり。

 ほぼ二対一とあって、たちまち朝倉兵は取り押さえられてしまった。

 しかし、それを見ても長繁の表情は変わらない。むしろ狙いどおりと言いたげであった。



「おうおう、せっかく国境まで出迎えに行き、敦賀までの案内に立ち、兵糧の面倒まで見てやっている朝倉軍に手をあげるとは。加賀の兵はずいぶんと乱暴で礼儀知らずだなあ!」

「朝倉家には感謝している。が、朝倉の威を借る野良犬に感謝する必要はない。貴様らはこれより前波殿のもとへ連れて行く。おとなしくしていればそれでよし。手向かいすれば容赦はせぬぞ」

「くっははは! 容赦せぬときたか! ちょっとはマシな奴だと思ったが、しょせん主が主なら部下も部下ってこったな!」

「なに――ぐッ!?」



 いきなり。

 長繁の腕が倍以上に膨れ上がったように見えた。

 むろん、そんなはずはない。だが、右京の目にはそう映ったのである。

 直後、こちらに押し込んでくる長繁の力が倍化した。こちらは気のせいではなく、鍔迫り合いの拮抗が一気に崩れた。



「ぐ……おおおおッ!?」



 勢いに押された右京が一歩いっぽ後ずさる。慌てて体勢をととのえようとしたところ、二歩、三歩と長繁に踏み込まれ、さらに体勢を崩してしまう。

 よろめくように後退する右京を前に、長繁は嘲笑を放った。



「はっはあ! さっきまでの威勢はどうした、おんなァ!」

「きさまッ!?」

「図体がでかいだけの三下が! 主の威を借りているのはてめえの方だッ!」



 言うや、長繁はさらに力を込めて右京を押し込んでいき、そのまま思い切り突き飛ばした。ただでさえ体勢を崩していた右京はたまらず地面に倒れこむ。

 どすん、と腰から地面に落ちた右京は歯を食いしばる。敵を前にして尻餅をつくなど不覚どころの話ではなかった。

 長繁の目がぎらりと輝き、刀身が右京の首を刎ねようと迫り来る。右京はとっさに両腕で首を守ろうとし――



「があああッ!?」



 結果として二の腕を深々と切り裂かれることになった。

 斬られた箇所から暗赤色の血が派手に飛び散る。

 この必死の抵抗を長繁は愉しげに笑い飛ばした。



「往生際がわりいなあ、次は腕ごと首をかききってやるよ! ――っと、邪魔すんじゃねえ!」



 右京の危機を見た娘子軍の兵が慌てて長繁に斬りかかるが、いずれもハエのように追い散らされる。

 長繁一人ですべての娘子軍を相手にできるのではないか。そんな鬼気を帯びた強さであった。



「や、やめてください!」



 それまで右京の言うことに従い、離れた場所で様子をうかがっていた豊弘が、異常に気づいて息を切らせて駆け寄ってくる。

 右京と長繁が何やらもめていることは分かっていたのだが、右京からこちらに来ないように、ときつく言われていたのである。朝倉兵がおかしな動きをしたら、すぐに上杉の陣に逃げるように、とも。

 右京が苦痛に歪む口から声を搾り出した。



「な、なりませぬ、加州様! はよう、上杉の陣へ逃げ……」

「うるせえよ!」



 刀を逆手に持ち替えた長繁は、そのまま右京の右膝に刀を突き立て、地面に縫いとめてしまう。

 こらえきれぬ苦悶の声があたりに響き渡り、豊弘は顔面蒼白になった。



「や、やめてください! ど、どうしてこんな……!」

「あんたの部下が俺に無礼を働いたから。それ以外の理由が必要ですかい、加州豊弘様?」

「すぐ、すぐにやめてください! そ、そうだ、はやくお医者さまを呼んで……」

「すっとぼけたこと言ってんじゃねえよッ!!!」

「ヒィッ!?」



 天地を震わせるような長繁の大喝を浴び、豊弘が甲高い悲鳴をあげる。

 他にどれだけの欠点があろうと、富田長繁の武人としての強さは本物である。その威迫はとうてい豊弘に耐えられるものではなかった。

 へなへなと地面に座り込んだ豊弘を見て、長繁はさらに声の圧力を強めた。



「医者を呼べだあ!? それより前に、俺の部下を捕らえている連中に言うことがあるだろうよ!」

「あ……う…………ッ」

「は、怯えて声も出ねえってか。こんなんが驍将だあ? 都の連中は目んたま腐ってんじゃねえのか? おい、くそ女ども! 黙ってみてないでさっさと俺の部下どもを放しやがれ! そうしねえと……」



 長繁は右京の膝に突き立てた刀を乱暴に左右にゆする。

 激痛に襲われた右京はとっさに手で口を塞いで悲鳴をこらえたが、その姿だけで娘子軍が動揺するには十分だった。

 顔を見合わせた女兵士たちは、戸惑いながらも朝倉兵にかけた縄をといていく。

 自由になった朝倉兵は、即座に今まで自分を捕らえていた女兵士たちを殴り倒し、踏みつけ、さらに長繁をまねて膝や腕に刀を突き立てる。

 くぐもった娘子軍の悲鳴が連鎖した。



「さあて、加州様ぁ? あんたの罪を数えようか。ひとぉつ、俺に刀を突きつけて脅したこと。ふたぁつ、無法にも俺の部下に縄をかけたこと。みぃっつ、自分の部下をきちんと躾けていなかったこと。これがあんたの罪だ。だが、俺は寛大だからな。三つとも許してやるさ」



 もちろん無料ただじゃねえがな。そう言って長繁は、足元でうめく右京の朱塗り甲冑を蹴りつけた。

 忌々しそうに唾を吐く。



「刀も甲冑も、お祭り部隊には過ぎた品だ。全部俺の隊でもらってやるよ。ああ、ついでに女どもも連れて行くか。似運びに使えるし、わざわざ戦場に出てくる奴らだ、観音様を使う覚悟もできてんだろうよ」

「……な、にを……」

「あんたの兵はいなくなるが、なに、足りなくなったら、またご自慢の竿で適当に引っかけてこい。将軍までたらしこんだくらいだ、造作もねえだろ?」

「……ッ」



 地面にへたり込み、震えながら、それでも精一杯の抗議をこめて長繁を睨む豊弘。

 だが、それに気づいた長繁にぎろりと睨み返されると、先に目をそらしたのは豊弘の方だった。

 泣きたいほどに情けなかったが、それでも豊弘は長繁の視線に対抗できない。身体が、心が、この相手にはかなわないと叫んでいる。股のあたりから温かいものが流れ出した。



 そんな豊弘を見た長繁は、噂の驍将のあまりの醜態にかえって不快げに唇を歪めた。



「ちッ! どうしてこんな奴が加州だ驍将だと騒がれて、俺がうだつのあがらない足軽大将どまりなんだよ! くそ、上洛軍に参加できてりゃ、こんな奴は屁でもなかったってのに……!」



 苛立たしげに地面を蹴りつけると、長繁は足早に豊弘のもとまで歩み寄る。

 その迫力に身をすくませる豊弘の胸倉を掴むと、甲冑をまとった身体を左手一本で吊るし上げた。

 そして腰の脇差を抜き放つと、豊弘の甲冑を結ぶ紐を乱暴に切り捨てていく。



「てめえみたいな小便垂れが甲冑なんぞ着るんじゃねえ。戦をなめるなよ!」

「あ……ぎ、痛……やめ…………痛いィッ!」



 乱暴に紐を切り落としていく長繁は「豊弘の身体を傷つけないように」などという配慮はしなかった。

 途中、幾度も脇差の刃が豊弘の身体に突き刺さり、あるいは切り裂いて、そのつど豊弘は悲鳴をあげた。

 だが、長繁はまったく気に留めない。ついにすべての紐が切り落とされ、甲冑が残らず地面に落ちたとき、豊弘の鎧下は紅白のまだら色に染まっていた。



「自慢のおべべが台無しだな。つらもぐちゃぐちゃで見るかげもねえ。いっそ玉も潰して、竿は切り落としてやろうか。そうすりゃもう不愉快な加州豊弘の名前を聞くこともねえだろ」



 長繁は無造作に豊弘の汚れた股間をわしづかみにする。

 これには豊弘もくぐもった悲鳴をあげて抵抗したが、胸倉を掴む長繁の腕はびくともしなかった。

 予期した感触がなかった長繁は眉をひそめ、二度、三度と手を動かす。

 両の目を不審に染めた長繁は、豊弘の鎧下の帯を切りさき、直接身体をあらためた。



 数瞬の後、長繁の口からたがの外れた笑い声がほとばしる。



「……は、はっはははは! なんだこりゃ! おまえ、女だったのか!? 将軍に手を出したのがばれて去勢された……てわけでもねえな、こりゃ。観音様はちゃんとある。くひひ、こりゃ傑作だ。加賀の驍将は女だったってか!」

「いやあ……いやあ……! 放してよぉ……見ないでよぉ……ッ!」

「いやいや、これは大変なことだぞ。お前は俺も、将軍も、義景様もみんなみんな騙してたってことだからな! きちんと罰をくれてやらないと、富田長繁の名が廃るってもんよ!」



 言うや、長繁は豊弘から手を放した。

 重力に引かれた小さな身体はそのまま地面に衝突し、短い悲鳴がこぼれる。

 もはや逃げる気力もなくうずくまる豊弘を仰向けに蹴り倒した長繁は、そのまま白い腹部に足をかけると、ゆっくり体重をかけていった。



「ああ……あああああッ!!」

「京洛をあざむいた大悪党、加州豊弘の正体を暴いたのは、この俺、富田長繁ってわけだ! うまいこと運べば俺の名は天下に知れ渡るぜ……そうだ! このままお前を後ろ手に縛りあげて京まで連れ帰ってやる。そんで町のど真ん中を練り歩いてやりゃあ、どいつもこいつも目ん玉ひん剥いて驚くだろうぜ! はっは、いいぞいいぞ、俺にも運が向いてきやがったッ!!」



 転がり込んできた幸運に歓喜の咆哮をあげる長繁。

 と、その咆哮をかき消そうとするかのように、馬蹄の轟きが急速に近づいてきた。

 これまでの一連の出来事は隠れる場所のない野外で行われていた。遠目に異常に気づいた者たちが指揮官に急報したのだろう。



 歓喜にひたっていた長繁は、舌打ちまじりに馬蹄の聞こえてきた方向を見やった。

 騎馬の数は十以上。

 ほとんどが前波吉継の手勢だ。当人の姿もある。

 ただ、数名ほど朝倉家の軍装と異なる格好をしている者がいた。

 その中のひとり、一団の先頭を駆けて来る者の名を長繁は知っている。

 出立前、前波吉継と親しげに語らっていた上杉軍の将 加倉相馬であった。

 



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