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聖将記  作者: 玉兎
第七章 蠢動
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第五十話 帰国


 越後守護 上杉定実はお飾りだと言う者がいる。それも少なからず。

 実際、武田との戦や今回の上洛のように、兵を率いるのは景虎様でなければ政景様である。

 定実様は後方の春日山城から動かないため、それをもって形だけの守護だとそしる者がいるのは理解できる。



 正直なところ、俺も似たようなことを考えていた時期があった。

 景虎様と晴景様の内乱が終結し、はっきりいって全然意図していなかった現在の三頭体制ができあがった時のことだ。

 あの時、俺は定実様は形式的に首座にすわるに過ぎず、実権は景虎様と政景様が握ることになるだろう、としたり顔で予想したものだった。



 いや、この予測はある意味で外れてはいない。

 実権は当然のように景虎様と政景様が握っており、この二人なくして定実様は守護の地位を保つことはできないだろう。

 しかし、だからといって定実様がお飾りかというと、これも違うのだ。



 例えるならば景虎様と政景様は車の両輪。しっかりとした車体がなければ同じ方向に進むことは難しい。車輪一つでも走ることはできるだろうが、それでは運べる物の数も安定感も段違いだ。

 定実様が春日山城にあってこそ、景虎様も政景様も存分に働くことができる。しかも定実様の場合、単なる神輿みこしではなく、内政でも堅実な手腕を有していた。



 成立したばかりの権力体制だ。民心を安定させ、国人衆の不満を取り除き、隣国との関係を安定させる――そういった努力が必要になる。

 それを定実様は着実にやってのけた。元々守護という地位にあり、景虎様、政景様の武威が背後にあったとはいえ、定実様の内政手腕を否定する要素はどこにもない。

 たぶん、誰よりもそれを知るのは景虎様と政景様であろう。だからこそお二人は定実様に対し、常に敬意をもって接しているのである。




 たとえば甲斐の武田家のように絶対的な主君をいただく大名家からすれば、越後のそれはずいぶんともろいように思われるだろう。

 事実、この奇跡のような権力体制が成立しているのは、定実様、景虎様、政景様の個人的資質によるところが大きい。お三方以外の人間をこの関係にあてはめれば、あっさり瓦解してもおかしくはなかった。



 だが、現実を見れば、越後上杉家は北陸の地で毅然として存立している。

 国内も静穏を保っている。

 あとは国外の問題さえ片付ければ当面の平和は保たれる――そのはずだったのだが。  




 定実様は四十代半ば。景虎様や政景様に比べればお年を召している計算になるが、世間的な基準から見れば、まだ老人と呼ぶ年齢ではない。

 それゆえ、定実様の後継者に関しては話し合ったことさえなかった。



 定実様に実子がいない以上、本来ならば真っ先に決めておくべき事柄ではあったのだが、なにぶん内外の情勢が慌しくてそれどころではなかった。

 それに、後継者を定めるとなると、景虎様と政景様――より正確にいえば二人の下につく家臣が不穏な動きをする可能性が高い。

 せっかくうまく回っている新体制に、あえて不安要素を投じる必要もないだろう。次代の守護については数年後、越後内外の情勢が安定してから改めて考える。それが俺たちの暗黙の了解であった。



 だが、その定実様が倒れた。

 しかも容態はきわめて重く、ほとんど危篤状態であるという。



 それは京の上杉軍を震撼させるに足る凶報であった。

 守護が倒れたというだけではない。景虎様が京の地にいる以上、越後の諸事はすべて政景様が取り仕切ることになる。これは守護代だから当然としても、俺が案じたのは後継者に関してである。

 定実様のことだから、後継者に関して何かしら指示を残すとは思うが、一度それが政景様の手に握られてから公示されると、必ず疑義をはさむ連中が現れる。



 これまでは定実様という緩衝役がいたればこそ、長尾景虎、長尾政景という卓越した二人の武将が共存できた。

 だが今、不可欠の役割は空位になり、天秤は支えを失って地におちる。

 つまりは――再現だ。かつて晴景様と景虎様が争ったように、今度は景虎様と政景様が争うことになる。



 政景様が守護になれば、定実様の遺言を捻じ曲げたと景虎様麾下の者が騒ぐだろう。

 景虎様が守護になれば、守護代を飛び越して守護になるのは道理に合わないと政景様配下の者が騒ぐだろう。

 たとえ二人が争いを望まなかったとしても、配下のおさまりがつかない。先の越後内乱において、勝者だった景虎様が政景様に守護代を譲った影響は、まだ各地にくすぶっているのである。

 南に武田、東に蘆名、そして西には越中の豪族たちが虎視眈々と越後を狙う中、国内の分裂を招けばどうなるかは火を見るより明らかであった。



 そして、定実様の病の報から遅れること二日。

 武田軍にも当主晴信から撤退命令がくだったことを、俺は虎綱から聞かされた。



◆◆



 上杉、武田両軍帰国す。

 その報は京のみならず畿内を瞬く間に席巻した。

 同時に、京の上杉陣屋、武田陣屋には人々が殺到した。

 町人、幕臣、公家、僧侶。身分を問わず、年齢を問わず、様々な人たちから山のような引止め要請があった。

 いずれ去ることは理解していても、それが現実となれば受け入れがたい、というところだろう。

 まあ、中には引きとめを口にしながら、内心にこにこと笑っている茶器集めが趣味の女性もいたりしたのだが。



 景虎様とて、今少しの間は京に留まりたかったに違いない。

 だが、主君である定実様が重病の床についたと聞いて、京にとどまり続けることはできなかった。

 ならば景虎のみ越後へ戻ればよい――そんなことを言う公家もいたらしい。以前、景虎様は高野山に行っていた間、一ヶ月近く京を留守にしていた。今回もそうすればよい、と言いたかったらしい。



 だが、今回の件は高野山の時とはまったく事情が違う。

 越後に戻れば確実に守護の座をめぐって争いが起こる。再び京に戻るまで何ヶ月かかるかわからない。下手をすれば年単位になるだろう。

 その間、上洛軍をずっと京に縛り付けておくなど出来るはずがなかった。



 一口に兵といっても彼らは親も子もいる人間なのだ。ましてこの時代、自分の国を離れることへの抵抗は、俺には想像もつかないほど深いはず。

 そんな彼らを、すでに四ヶ月近く京にとどめている。当然、里心は肥大の一途を辿っていよう。

 定実様の知らせがなくとも、そろそろ限界だったのである。



 それでも、将軍である義輝が強く望めば景虎様は従ったであろう。

 だが、ちんまい将軍は実に物の道理をわきまえた人だった。



「むう……! 残念ではあるが、それならば仕方あるまい。もう少し時間があれば土産を渡すことができたのじゃが、まあそれは越後に戻ってからでも届けることができるからの」



 そういった後、室町幕府第十三代将軍 足利義輝は威厳に満ちた声で景虎様に告げた。



「長尾景虎。長きに渡る京での奉公、大儀であった! まことかげる戦乱の世にあって、そなたの忠義は都を――否、日ノ本全土をあまねく照らしたことであろう。そなたのような臣下を持てたことは、将軍たる身の栄誉というものじゃ。心より礼を申すぞ」

「身に過ぎた賛辞、まことにかたじけなく存じます。この身は京を離れますが、我が忠義は常に殿下のもとにございます。東国の戦を終わらせました後、必ずや精兵せいびょうをひっさげて京に戻って参りますゆえ、どうかそれまで健やかにお過ごしください。景虎、伏してお願い申し上げます」

「うむ、よう言うてくれた! 頼もしく思うぞ。じゃが――」

「は?」

「じゃが、それだと余がいかにも無能な将軍のようでおもしろくないのう。景虎が戻ってくる折には、畿内ことごとく斬り従えた上で、近江路まで出迎えてやらずばなるまい」



 義輝は楽しげに笑うと、なんでもないことのように付け加えた。



「ゆえに、そちも上洛を焦る必要はないぞ。じっくりと越後に腰をすえ、周辺を斬り従え、万全の準備を整えてからやってきてくれい。東を従えたそなたと、中央を治める余が力を合わせれば、この日ノ本の戦乱、半ばは終わったようなものであろう」

「御意。お言葉、肝に銘じて忘れませぬ」

「うむ。では景虎、達者でな。いずれまた会おうぞ」

「ははッ!」



 深々と平伏する景虎様と、それにならう俺。

 これで謁見は終了と思われた矢先のことだった。



「おお、そうじゃ、相馬」

「……………………は?」



 突然の義輝の呼びかけに、俺はしばし固まってしまった。

 将軍がいきなり陪臣おれに声をかけてきたのが意外だったのである。

 無論、すぐに無礼に気付いて謝罪したが。



「――あッ!? し、失礼いたしました! 何でございましょうか、殿下!?」

「うむ、ようやっと話せたのう。景虎や加州(富樫豊弘)からいろいろ聞いておるぞ。そちの話を聞くのを楽しみにしておったのじゃが、そちはほとんど御所に来ぬので機会がなくてなあ」

「お、恐れ入ります。儀礼などとんと心得ぬ無学者でありましてッ」

「にしては、それなりに様になっておるではないか。誰ぞに習ったのか?」

「は、はい」



 御所や宮廷における礼儀作法は、一ヶ月の高野山生活で景虎様から学んだことの一つである。

 なお、高野山から戻ってからは復習と称した景綱のおさらいもあった。わずかな失敗にも痛烈な叱咤が飛んでくるあの時間は、復習ではなく復讐の時間だったと確信している。

 ともあれ、主役としてはともかく、景虎様の添え物としてならば、かろうじて格好がつく程度にはなった。それだって見る者が見ればぎこちなさ丸出しなのだろうが、こればかりは慣れるしかあるまい。



「以前に覚慶を遣わしたこともあった。後でいらぬ世話であったかとも思うたのだが……」

「そのようなことは決して! 数ならぬこの身を案じてくださったこと、心より感謝しております」

「ならば良かった。こうして見るかぎり、生気もあり、覇気もある。心にかかる雲は払えたようじゃな。あまり景虎に心配をかけるでないぞ?」

「は、はい! お言葉、肝に銘じますッ」



 俺が深々と頭を下げると、五月の青空のごとく澄んだ声が耳に飛び込んできた。



「こたびはもう時間がないが、次に上洛してきた時には色々と話を聞かせてくれい。そなた、なかなかの策士だと聞いておる。楽しみにしておるぞ」

「ははッ! かしこまりましてございます」



 声に力を込めて答えた。

 顔をあげた俺に義輝がからりとした笑みを向けてくる。その姿が、何故だかつい先刻よりも近くに見えた気がした。





 ――これが最後に見た義輝の姿になることを、この時の俺はまだ知らない。

 交わした約束は、ついに果たされることなく終わるのである……





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