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聖将記  作者: 玉兎
第六章 点灯
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第四十九話 三国同盟



「ところで相馬。そろそろ越後に帰ってくれないかしら」



 流麗な動作で茶を点てた松永久秀の口から、挑発とも揶揄やゆともつかない言葉が発される。

 俺はため息まじりに応じた。



「はい、わかりました――と口にする権限がそれがしにないのはご存知でしょうに」

「そう? あなたが景虎に言えば考慮くらいはしてくれそうだけど。将兵に里心がついている、とか理由は色々あるでしょう。畿内の戦に巻き込まれたくないと思うなら、そろそろ潮時だと思うわ」

「巻き込まれたくないと思っているのは事実ですが、だからといって何もせずに帰りたいと願ってるわけではないですよ」



 慣れた調子で久秀と会話を交わす。

 どうも俺は久秀に目を付けられたらしく、時折茶席に呼ばれるようになった。この時代、茶席は密談場でもある。他聞をはばかる突っ込んだ話もちょくちょく出るわけで、そんなことを繰り返しているうちに久秀との会話に慣れた次第である。

 ……招かれた当初は、毒殺されんじゃないかと本気で焦ったのは内緒だ。



「ふふ、三好軍と戦ったところで勝ち目がないことは分かっているでしょうに」

「三好軍が我らとの戦いで深手を負うことを恐れているのもわかっております」



 静かに言い返す。

 景虎様は将軍家の敵である三好の勢力を、少なくとも山城からは退けたいと考えている。

 そのためにはできるかぎり上洛軍を京都に留めておく必要がある。粘れるだけ粘ることになるだろう。

 そのためにもこちらが無条件平和主義でないことは伝えておかねばならなかった。



 とはいえ、そろそろ資金と糧食が厳しくなっている。異国の地に三ヶ月以上も滞在しているのだから当然といえば当然であるが、このあたりをいかに隠すかも頭痛の種であった。

 というか、もうその情報は久秀に筒抜けになっている気がしなくもない。

 神余かなまり親綱ちかつなから「資金繰りがそろそろ限界に達する」と報告を受けて二日と経たずに帰国を促してくるタイミングが推測の根拠である。嫌らしいったらない。

 


 いっそ三好家が謀略でも仕掛けてきてくれないものか、と思う。

 そうすればそれを理由に三好家に宣戦布告し、手近な城を落として現地調達という手段もとれるのに。

 これはひじょうに無責任な物言いになってしまうが、俺は上洛軍が本気で協力すれば三好軍と互角以上に戦えると確信している。京と本国との距離で及ばない以上、最終的に勝つのは三好軍であることは間違いないが、それでも半年やそこら優勢を維持することはできる。



 将軍家とうまく連携すれば、三好軍を阿波に追い返すことも可能かもしれない。

 茶室で久秀と駆け引きするよりもそっちの方がずっと心が躍るというものだ。

 ……まあ、その久秀が微塵も隙を見せてくれないので机上の空論にしかならないのだけれど。



「霜台は戦で勝ち負けを決めるのは好きじゃないの。戦を仕掛けるなら、完全に勝算が立ってからよ」

「戦わずして勝つ、ですか。それは立派な見識だと思います」

「でしょう? で、今回は動かないことに決めたの。どうせ半年も経たずにあなたたちは帰るのだもの。誠心誠意おもてなしして、気持ちよく帰ってもらえばそれでいいわ」



 そうすれば畿内は再び三好、松永の手中に帰する。

 確かにそれは一つの戦略的勝利ではあるだろう。

 問題はどうしてそれをわざわざ俺に言うのか、である。



「どうしてそれをそれがしに仰るのです? 上杉の人間に手の内を明かしても良いことは何もないでしょう」

「景虎や直江には言わないわよ。宇佐美も、茫洋としてるように見えて少し危ないかな? でも、あなたなら大丈夫でしょう。景虎の天道に染まっていないあなたなら、ね」



 嫣然と微笑まれ、おもわずぞくりとした。

 しかし、そこは気合で顔には出さん。



「さて、何のことです?」

「あら、とぼけちゃって。こうやって霜台と何度も会っていれば、猜疑の目で見られることは承知しているでしょうに。それでもこりずに招きに応じてる時点で、あなたが上杉家でやろうとしてることはわかっちゃうわ。どうせ、このことだって景虎には言わないのでしょう?」



 挑発するような久秀の言葉に、俺は小さく笑って首を傾げてみせた。



「それはどうでしょうか」



 あら、というように久秀の目がかすかに細まる。

 と、そのとき。

 慌てた様子で久秀の家臣が茶室の戸を叩き、上杉軍からの急使が来たことを告げた。

 何事かと首をひねる。久秀がこの場にいる以上、三好軍が急襲を仕掛けてきたとか、そういうことは起こらないはずなのだが。



 まもなく姿を見せた急使は見るからに真っ青な顔をしていた。

 緊張する俺。どう考えても吉報ではない。

 果たして、それは凶報であった。

 きわめつけの、と言ってもよいくらいの。



 遠く越後の地で、守護である上杉定実様が倒れたのである。




◆◆◆




 その頃、駿河国善徳寺の一室で静かに向かい合う者たちがいた。

 この場にいる三家の名を知らぬ者は東国に存在しないだろう。

 すなわち――



 甲斐武田家。

 駿河今川家。

 相模北条家。



 いずれも東国の雄として知られる家であり、当主たる武田晴信、今川義元、北条氏康の令名はつとに名高い。

 文武双全の名将として名高い三大名が一堂に会する。

 それは本来ならばありえないことであった。盟約を結ぶにしても、何も大名本人が出向く必要はなく、重臣を派遣すれば済むのである。



 だが、三者はここまで出向いた。

 三国同盟の提唱者である今川義元が自国の寺に出向くのは当然としても、武田晴信、北条氏康の両者が駿河に出向くことを承諾したのは、両者ともにこの盟約がもたらすであろう変化を望んだからであった。



「まずは、はるばるのお越しに感謝いたしまする、晴信様、氏康様」



 人生の年輪を感じさせる深みのある声音は今川家宿将太原(たいげん)雪斎せっさいのものである。

 齢すでに六十を越えていながら、雪斎の立ち居振る舞いにはいささかの乱れもない。

 内政、軍事、外交、すべてに長じた今川家の柱石。白一色に染まった髪と眉が、この人物の歩んできた道のりが決して平坦なものでなかったことを物語っている。



 この三国同盟は今川家から武田、北条の両家に持ちかけられたものであり、発案から実現に至るまでのほとんどを雪斎が手がけていた。晴信、氏康を口説き落としたのも雪斎である。

 その雪斎の言葉に晴信は淡い笑みで応じた。



「感謝の必要はありませんよ、雪斎和尚。こたびの盟約に我が武田の益を感ずればこそ参じたのです。私にそう確信させるに至った和尚の手腕、実に見事でした」



 その晴信の言葉に北条家の主も続けて頷いた。



「晴信殿の申されるとおりです。この盟約は東国に揺るぎなき秩序を確立させるもの。来ないという選択肢を選べるはずもありません。もちろん、それにこぎつけた和尚の誠実も、私がここに足を運んだ理由の一つです」



 関東の雄、北条家当主 北条氏康。

 灯火のあかりを受けて輝く黒髪は、あたかも黒真珠のごとき光沢を放ち、氏康の端整な容姿をより一層引き立てる――そのはずだった。

 だが今、氏康はその髪を肩のあたりでばっさりと切り落とし、無造作に頭の後ろで結わえている。

 この暴挙(?)が相模の農民、兵士、領主その他、身分の上下を問わず多くの人々を「惜しい」と嘆かせていることを氏康は知らない。



 知っているのは後ろに控える北条綱成である。

 自らの容姿に無頓着な氏康は、綱成や近習が注意しなければ、ろくに化粧もせず、衣装も選ばずに政務をとり、家臣に会い、時に城下にまで出て行ってしまう。

 そんな氏康に大名然とした格好をさせるのがどれだけ大変なことか、北条以外の人間に説明しても分かってもらえないだろう、と綱成は思う。



「姉者は政務好きもほどほどにして、もっと自分のことを心配せねば」



 この会盟のために小田原城を発つおり、綱成は氏康にそう進言した。

 それを聞いた氏康は大きな双眸をぱちりと開き、神妙な顔でうなずく。



「うん、そうだね。気をつけます。綱成たちに迷惑をかけてばっかりではいけませんよね」

「――と姉者が仰って、実行されたためしがないような気がするのは気のせいでしょうか。どうせ政務の時間になれば、何もかも忘れて没頭されてしまうのでしょう?」

「あ、あはは、今回は大丈夫です。たぶん、きっと、おそらくは」

「はあ……政務に関しては完璧といって差し支えないのに、どうして自分自身のことに関しては、こうもだらしなくなるのか」

「う……いつも感謝してます、綱成」

「そうして、しおらしげに仰られたら許さざるをえないではありませんか。まったく、おずるい」



 そう言いつつも甲斐甲斐しく姉の世話を焼く綱成であった。

 ただ、自分の年齢を考えると、ついついため息が出てしまう。



 ――私、まだ二十歳にもなってないんだけど、なんでこんな所帯じみてるんだろう、と。



 そんな綱成の悩みを、もちろん雪斎は知らない。いや、もしかしたら今川家の諜報網で掴んでいるかもしれないが、それを面には出さない。

 氏康の言葉にも雪斎は丁寧に頭を下げた。

 そうして最後に口を開いたのは、その雪斎の主君であり、三国同盟を提唱した今川家当主 今川義元である。



「ご両所にここまで足労いただいたことは、まこと感謝の極み。この義元、幾重にも礼を申さねばなりませんな」



 三人の中でただひとり男性である義元は、口元を扇で隠しながら高らかに笑う。

 義元は男性の中でも特に大柄であり、義元と並ぶと晴信はもちろん氏康さえ子供のように見えてしまう。

 武芸にも秀でた義元に肥満の色はなく、その挙措一つ一つが香るような雅に満ち、涼やかな男気を放っている。



 京文化に耽溺した大名や武士はどこにでもいるものだが、京文化を内に修め、それを体現できるほどの教養の持ち主は数えるほどしかいない。

 今川義元は疑いなくその中の一人であった。

 そのことを無言のうちに感じ取った晴信と氏康は、それぞれの表情で義元を見る。



 この時、善徳寺の会盟に出席していた者は、今川家から義元と雪斎、北条家から氏康と綱成――つまり両家とも主君と腹心がそろって会盟に臨んだのだが、武田家だけは当主のみの出席となっていた。

 すでに盟約の詳細は詰められており、会盟に先立って三家による婚姻(一部婚約)も結ばれた。あとは互いに誓紙を取り交わせば三国同盟は成立する。

 ここで義元が快活に笑って言った。



「しかし、晴信殿が一人でお越しになったのは残念だ。信繁殿と婚約を結んでからというもの、娘は昼も夜も信繁様信繁様と夢中でしてな。甲斐より取り寄せた似姿を一向に離そうとせぬ。こたびの会盟に信繁殿の姿があったなら、帰途に駿府に寄ってはもらえぬかと頼むつもりだったのだ」

「それはあてをはずしてしまってすみません。信繁はじめ、家中の者どもは手を放せぬ用件を抱えているので、こたびは私一人で十分と判断したのです」

「ほうほう――手を放せぬ用件というと、やはり信濃制圧の準備ですかな?」



 義元の目が一瞬光を強めたのを、晴信は視界の端でとらえた。



「ええ、間もなく京に向かわせた軍勢を戻します。将軍家仲介の和睦もそこまで。こたびの盟約が間に合って良かった」

「なるほど。そういえば上洛は武田に先んじられてしまったことになるか。ふはは、上洛一番乗りはわしだと思うておったが、まことに残念だ」

「ふふ、上洛といっても三千の軍を三月ばかり京に置いていただけのこと。かの地の一城とて支配したわけではありません。義元殿の上洛が成れば、それこそ真の意味での一番乗りであると万人が悟りましょう」



 互いににこやかに口を開きながらて、その端々に刃の気配が混じっている。

 剣呑な空気を払うように、雪斎が穏やかに口を挟んだ。



「将軍家直々のご命令とあらば、晴信様が兵を遣わされたのは当然のことと心得ます。かなうならば、京や畿内の情勢を聞かせていただきたいものです」

「――そうですね、今川家には当主就任の時から力を借りています。京に遣わした将が戻りましたら駿河に向かわせましょう。もちろん上杉との戦が終わってからになりますが」



 晴信がそう言うと、雪斎と義元は同時に頷いた。

 すると、それまで黙っていた北条氏康が口を開く。



「あの、晴信殿、よろしいでしょうか?」

「なんでしょう、氏康殿。何かお聞きになりたいことでも?」

「はい、越後の長尾家の……いえ、今は上杉家でしたか。かの家について少々お聞きしたく思います。我らはこれより関東に踏み出しますが、関東管領が越後を頼る可能性がありますので」

「たしか関東管領は、姓こそ同じですが越後上杉家とは仇同士のはずでは? それでもあえて越後を頼ると?」



 晴信の問いに氏康と綱成は顔を見合わせた。

 次に口を開いたのは綱成の方である。



「たしかに仰るとおりなのですが、関東管領上杉憲政、はっきりいって柔弱にして無能。何をするやら読めないところがございます。たとえ仇にあたる家であろうと、自らの身が危ないと思えば、平気で関東管領の家柄を振りかざして助けを求めるでしょう。かつて、関東管領の処罰とうそぶいて、奇襲同然に我らが本拠にせめてきたように」



 唇をかみ締める綱成を見て、晴信はわずかに考えに沈んだ。



「……確かに、あまり芳しい噂を聞く方ではありませんね。よろしいでしょう。上杉の情報をお渡しします。あるいは越後の兵力を分散させることができるかもしれません。さすれば両家にとって益となるでしょう」



 その言葉に氏康と綱成は同時に頷く。

 三国同盟は締結され、武田、北条が対上杉で歩調をあわせる。

 越後上杉家にとって、受難の季節が訪れようとしていた。







 その後、誓紙を取り交わして善徳寺を出た晴信は、見送りに出てきた今川主従に何気ない様子で一つの問いを向けた。



「ところで……あの者は駿府でどう過ごしていますか?」

「む、あの者?」



 一瞬、義元が誰のことかと不思議そうな顔をする。

 すぐに応じたのは隣に立つ雪斎の方であった。



「我らの庇護の下、健やかに過ごされております。かつて鋭かった牙も、駿府の甘露かんろによって丸くなったように見受けられますな」

「お、信虎殿のことであったか。いや、すまぬすまぬ。雪斎の言うとおり、このごろはすっかり丸くなっておってな。氏真も『武田の翁』と呼んで慕っておるぞ」



 二人の言葉を聞き、晴信はにこりと笑って頷いた。



「そうですか、それは何よりです」

「うむ。今度、家臣の一人でも駿府に遣わされよ。以前の信虎殿を知る者がよいな。あまりの変わり様に驚くことであろう」



 そういって呵呵かかと笑う義元に微笑みかけた晴信は、もう一度、今度は小さく呟いた。



「……そうですか」



 その声に隠された感情に義元たちは気づかない。

 あの今川義元に、あの太原雪斎に気づかれないくらい、晴信の感情は深く、深く秘められていたのである……





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